24話 Cecil
余計な言葉を挟まず、多くの問いを投げ掛けず、当たり障りのない慰みの言葉も言わぬセシルに対し、七海は好感を抱いていた。彼女は、他人から憐憫の情を抱かれるのを何よりも厭悪していた。同じ経験をしていない人に、いくら慰めの言葉を言われたしても、素直に『ありがとう』とは返せない。セシルからは、そんな気持ちの全てを汲み取ってくれる言葉には出さない優しさが垣間見えた。ともすると、彼自身も自分と似た様な境遇に置かれているのではないかと七海は直感した。
「セシルくんには親友と呼べる友はいますか?」
彼女は静謐な顔を僕に向けながら言った。
「親友とは少し違うかもしれませんが、背中を預けられる仲間は二人居ます」
アリシアとイワンの事だ。二人とは年齢も育った環境も違う。神託によって巡り合い、運命を共にして来た仲間だ。
神託を受ける前には、様々なパーティーにも所属した。その中にただ一人だけ、親友と呼べる友は居たのだが、彼はもうこの世には居ない。
「背中を預けるって変わった表現ね」
彼女は首を傾げながら言った。
「そうでしょうか?」
返答を誤ったかもしれない。この世界ではモンスターや魔物との戦闘は起こり得ないのだった。彼女は僕の返答を訝しんでいたが、それを追及する気は無いらしい。
「でも、親友が居るって素晴らしいわ。親友が居ると灰色だった日常に、明るい彩を与えてくれる。共に喜びを分かち合ったり、辛い気持ちを和らげてくれたり。私にもお互いを親友って呼び合える子が一人居たの。本当は彼女の話までするつもりは無かったんだけど・・・。今でも彼女の事を思うと心臓をえぐられる様な気持ちになるから。だけど、あなたにはどうしても聞いて欲しい。何も言わないでただ聞いてくれるだけでいいから」
僕はコクリと頷いた。
「両親がこの世を去ってからと言うもの、私は大切な人を失う事に恐怖を抱く様になった。他人とは距離を置き、必要以上の会話もしない。そうやって人を遠ざけてると、段々と周りの人達も私に関わろうとしなくなった。
最初は何だか寂しいなって思いもあった。自分から進んでそうして来たはずなのに、そんなちぐはぐな感情を抱いて情けないとも思った。本当はクラスのみんなと仲良くなりたいのに、それとは反対の態度を取るなんて笑っちゃうでしょ?
高校生になってからも、そんな日々を過ごしていたの。子供の頃からそうやって一人で生きて来たんだから、このまま卒業までやり過ごそうと思ってた。
彼女と出会ったのはそんな高校一年生の時だった。彼女は頭が良くて、美人で、裏表のない、竹を割ったような性格だったから、クラスのみんなから好かれていた。彼女の周りには人が絶えなかった。遠くから眺めてて、私とは正反対の人間だなって思ってた。
入学式から暫く経ってから、彼女が私に話掛けて来たの。『どうしていつも一人で居るの?あっちで一緒に話そうよ』って。嫌味の無い言い方だったから、私の事を本当に気に掛けてくれてるんだって思えた。そんな優しい彼女に対して私は『あっちに行って。私は誰とも話す気は無いんだから』って邪険に扱ったの。私ってつくづくイヤな人間でしょ?
だけど彼女は『いつでもいいから、もし気が向いたら話し掛けてね。私、あなたと友達になりたいの』ってそう言ったの。今までそんな子一人も居なかった。一度ぞんざいな態度を取ると、みんな私からは見えない所で、コソコソと陰口を叩いて、二度と話し掛けようとしなかった。だけど彼女は他のみんなとは違ってた。来る日も来る日も私に話掛けてくれた。『昨日のテレビ観た?』『今日の授業難しかったね』『お昼はどうするの?』どんなに私が無視をしても、諦めずに話し掛けてくれた。
そんなある日、授業中に彼女が静かに涙を流してたの。教師をはじめ、周りの生徒の誰一人気付いていなかった。授業が終わると、彼女は一人で教室を飛び出した。私は慌てて彼女の後を追った。そして屋上へ続く階段の途中で、うずくまっている彼女を見付けてたの。私はその隣に座って、どうしたのって尋ねた。すると彼女は、涙に濡れる目をしばたたかせながら、やっと話してくれたって笑ったの。
彼女が泣いていた理由は前日に彼氏に振られたのを不覚にも授業中に思い出したからだった。私はそれを聞いて、つい、『なんだ、そんな事だったのか』ってぼやいっちゃったの、そしたら、彼女は透かさずに『そんな事って何よ!私には今後の人生を左右する大問題なの!』って不満げな顔でまじまじと私のを見つめながら言ったの。
私は二の句が継げずに、オロオロした顔で彼女を見つめ返してた。そして、しばらくの沈黙があって、急に彼女が破顔して言ったの。『ハハハ。ホント、よく考えてみたら、たったそんだけの事だったわ。男に振られてしおらしくなるなんて私らしくないよね。あなたに言われて何だかスッキリした。でも、普通はクラスメイトが失恋で泣いてたら慰めるもんじゃない?あなたってホント変わってるわね』『そう言うあなただって、私がどんなに冷たい態度を取っても懲りずに毎日話しかけてくれた』そう言って私はハッとした。
話し掛けてくれたって言い方は、話し掛けてくれてありがとうって言ってる様にも聞こえる。すると案の定、彼女は、『ふ~ん。本当は私と話したかったんだ~。素直になれなかったんだ~』って、涙もすっかり渇き切った目に、悪戯っぽい表情を浮かべながら言ったの。私は顔から火が出る程恥ずかしくて、全部否定したかったけど、全部本当だったから何も言い返さなかった。
『ねえ、私達、唯一無二の親友になれるって思うんだ~。だから、これからよろしく、七海ちゃん』そう言って彼女は私に手を差し伸べた。その手は、ずっと暗闇の中を藻掻いてた私を陽の当たる明るい場所へ導いてくれる救いの手にさえ見えた。私は迷わず彼女の手を取った。『今までゴメンね。そしてこれからよろしくね。小島美咲さん』そうして、私達は友達になったの。
どこへ行くにも何をするにも私達は一緒だった。明るい彼女と一緒に居ると、自然と私も明るくなれた。いつの間にか学校へ行くのも楽しくなってた。私達がお互いを親友って呼べる様になるまで、さほど時間は掛からなかった。
そんなある日、どんな切っ掛けだったか、家族の話になった時、つい私は両親が亡くなった事、そして”あれ”の事を打ち明けてしまったの。美咲は俄かに信じ難い、現実離れした私の話を徹頭徹尾信じてくれたの。それだけでも嬉しかったのに、更に彼女は私の手を握って涙ながらに、『七海は今まで一人でずっと苦しんで来たんだね。今まで気付いてあげられなくごめんね。こんなんじゃ私、友達失格だ。ねえ、これからも私を友達だって思ってくれるなら、辛い事や苦しい事は一人で抱え込まないで、私にも相談してちょうだい。何があってもずっと、ず~っと私は七海の味方だから。今まで苦しんだ分、いっぱい幸せになろう』その言葉を聞いて、心の中にずっと重く圧し掛かっていた重りが少し軽くなった気がしたの。もし、美咲と出会えなかったら、きっと私は、死ぬまで無味乾燥な人生を送っていたに違いない。
だけど、これからもずっと続くと信じて疑わなかった彼女との幸せな時間は、高校二年の時に突然、終わりを告げたの。彼女は他の人に比べて霊感が強かったの。それは私みたいに霊がはっきり見える程では無かったんだけど、何となく気配を感じるって程度だった。だけど、きっと私と一緒に居る時間が長くなった影響からか、いつの間にか、今まで見えなかった霊の姿がはっきりと見えるまでになってたの。最初は彼女も驚いていたけど、害意を向けられる事も無かったから、私と一緒になれたってはしゃいでた。
そんなある日の朝、いつも通り彼女を家に迎えに行った時、階段から下りて来る彼女を見て、私は思わず恐怖と絶望の余り腰を抜かしてしまった。平静を失っていた私は大きな叫び声を上げた。何よりも一番恐れていた事・・・。彼女の真上に”あれ”が浮かんでいたのよ。『どうしたの?七海!』って、心配顔で駆け寄る彼女に対して、激しく気が動転していた私は、彼女の頭上を指差しながら、『”あれ”が居る・・・』って、思わず口走ってしまったの。
彼女は顔面蒼白になって、『そんな・・・。ウソでしょ?』と言って、泣きながら自室に閉じ籠もってしまった。いくら扉を叩いて呼び掛けても彼女は出て来なかった。部屋の中からは身を切る様な悲鳴が響いていた。私は激しく後悔した。どうして、何事も無かったかの様に振舞えなかったんだって。
明くる日の朝、彼女のお母さんから、彼女が昨日部屋に閉じ籠もったきり、一度も顔を見せず、扉越しに何があったのか理由を聞いても、何も答えてくれない。食事も一切摂っていない事を聞かされた。私も何度も扉の前で呼びかけたが、返事は無かった。
毎日彼女の家に通い、五日目になってようやく、彼女は私にだけ入室を許した。そこで、彼女の部屋の様相に愕然とさせられた。以前の彼女の部屋は掃除が行き届いて、可愛い雑貨や小物が整然と並べられてた。明るい彼女の性格を映したかの様に、部屋全体がキラキラと輝いて見えた。しかし、その時の彼女の部屋は、暗く淀んでいた。
カーテンは閉め切られ、叩き付けられて割れたと見られる雑貨や小物の破片が散乱し、鼻を突く異臭が立ち込めていた。部屋の隅に膝を抱えて座る彼女は、私の知ってる彼女とは別人ではないかと見紛う程だった。頬は痩け、瑞々しかった肌はボロボロに乾燥し、荒れている。長く艶やかだった髪は乱れ、指先からは爪と一緒に肉を噛んだせいか血が滲んでいる。焦点の合わない目は大きく見開かれ、極限状態の恐怖に置かれた為か、忙しなくキョロキョロと動いていた。
『ねえ、七海。私、死なないよね』その声は、本当に彼女の声帯から出たのか疑問に思える程、濁った低い声だった。今度は答えを間違えちゃいけない。そう思った私は、『絶対死なないよ』そう言って彼女を勇気付けようとした。
『"あれ"は今もこの部屋に居るの』『・・・ううん。もう居ない。どっか行っちゃったみたい』これで彼女も安心してくれるって期待もしてしまった。
すると、『ハァーーハッハッハッハッハ!ハァーーハッハッハッハッハ!』彼女の不気味な笑い声に私は戦慄した。『今、私に嘘ついたでしょ』『えっ!?嘘なんてついてないよ』『七海。あなた気付いて無いみたいだけど、さっきからチラチラと私の頭の上ばかりを見てたわよ』
その言葉を聞いて思わず絶句した。『違う!そんなつもりは・・・』『もう帰って!』私は彼女に突き飛ばされ、部屋から追い出されてしまった。『ごめんなさい美咲!お願いだからここを開けて!もう一度ちゃんと話そう!』部屋の中からは、繰り返し、何か重たい物が壁にぶつかる鈍い音がするだけで、最後まで彼女の声は返って来なかった。
どうして私はこんなにもバカなんだろう。親友として彼女を支えたかったに、不安と絶望だけを与えてしまった。”あれ”がまだ居るかどうか聞いた彼女も、きっと、私に居ないって最後まで騙し切って欲しかったに違いない。私はそんな簡単な事さえも出来なかった。
家に帰ってからも彼女の不気味な笑い声が耳を離れなかった。そうまで彼女を追い込んでしまった責任は私にある。幾らでも私に取り憑いて良い。だからお願い。その変わり、彼女からは離れてちょうだいって何度も心の中で祈った。
その日の夜、彼女は自宅近くのマンションの屋上から飛び降りて自ら命を絶った・・・。彼女の命を奪ったのは"あれ"じゃなかった。最終的に彼女を自殺に追い込んでしまったのは私。何もかも私のせい。私と友達なんかにならなければ、きっと彼女は"あれ"に憑り付かれ事も無く、今も幸せな人生を歩めていたはずよ。だから私は、人から恨まれても仕方のない人間なの。彼女だって、最後は私を恨みながら死んでいったのだから・・・」
彼女の頬を一滴の涙が伝った。自責の念に駆られた彼女は、自らの幸せを放棄し、断罪を望んでいる。だからクラスメイトの理不尽な暴力も、甘んじて受け入れているのだ。
だけど、彼女の親友である美咲さんは、七海さんが言う様に、本当に最後は彼女を恨みながら逝っていまったのだろうか。もし、そうで無ければ、自らの心を殺し、自らを痛めつける事でしか贖罪が叶わないと思っている彼女も、救われるかもしれない。
「本当に彼女は、あなたを恨んでいたのでしょうか?ちゃんと確かめてみたのですか?」
「美咲は死んだのに、どうやって確かめるって言うの?それに、そんなの確かめるまでもない!絶対に彼女は自殺に追い込んだ私を恨んでたんだから!」
彼女は憎しみの籠った目を僕に向け絶叫した。
僕としても傷口を抉る様な真似はしたくない。だが、これ以上彼女に自分自身を傷付けて欲しく無い。
「もう一度ちゃんと考えてみて下さい。彼女は七海さんを恨む様な人間だったのですか?」
「私が変な事を口走るまでは、人を恨む様な子じゃ無かった。だけど、あんな酷い仕打ちを受けたら誰だって恨みを抱かずにはいられない。きっと日記にだって、私への恨み辛みが書き並べられているはずよ!」
「日記があるんですか?七海さんはそれを最後まで読んだんですか?」
「いいえ。彼女の葬儀から暫く経って、彼女のお母さんから何も言わず渡されたんだけど、未だに開く勇気が持てないでいる。だって葬儀場で彼女のお母さんから、『娘はあの日、あなたから傷付けられたのが原因で命を絶ったのよ。それなのに、娘の霊前によく、のうのうと来れたものね』と誹り、私を力一杯ぶったの。きっと彼女のお母さんは、自分のした事を一生忘れるなって戒めを込めて日記を渡したのよ」
「本当にそれだけでしょうか?大切な娘の遺品を、そんな恨みを果たす為の道具として使うとは思えないのです。七海さん。日記は今どこにありますか?」
「彼女への罪を片時も忘れない為に、毎日鞄に入れて持ち歩いてる」
彼女は足元の鞄を見て言った。
「読んでみませんか?彼女の真意がどこにあるのか、きちんと向き合うべきだと思います」
「出来ない!」
「どうしてですか?」
「怖いの!そこに書かれている内容が、私を糾弾するものだったら、その言葉の重みを受け止めるられる自信がない」
「このままで良いんですか?人を遠ざけて、日陰の生活を送る。美咲さんだって、そんな事は望んでいないはずです。思い出して下さい。彼女はあなたの幸せを、心から願ってたんじゃないですか」
彼女の葛藤が伝わる。書かれている内容いかんによっては、立ち直れない程の精神的なダメージを被るかもしれない。だが、僕は彼女の話から、美咲さんという人物像を頭に描き、どうしても彼女に憎悪の念を抱きながら逝ったとは考えられなかった。
「分かったわ。例えどんな内容であっても、私は目を逸らしちゃいけないものね・・・」
彼女は震える手で、赤色のハードカバーの日記帳を二冊取り出した。一冊は一昨年の物で、もう一冊は彼女が亡くなった去年の物だ。
彼女は静かに一昨年の日記の頁を捲った。
四月一日
これから始まる高校生活、どうなるかドキドキしたけど、同じ中学だった彩と麻美と同じクラスになれてよかった~。
それと神楽七海ちゃん。
一年前、映画館でたまたま隣の席に座ってた女の子。塾で何度か見掛けてはいたんだけど、一度も喋ったことなかったし、話し掛けるなってオーラが凄くて、何だか声掛けづらかったんだよね。そもそも彼女は特進クラスで私は一般クラスだったから、話しも合わないだろうなって思ってた。それからも何度か映画館で見掛けたけど、結局話せないまま。あんな古い映画、繰り返し一人で観に来る女の子って、私以外にも居るんだって驚かされた。きっとあの子、変わってるんだろうな~。
せっかく同じクラスになれたんだから友達になりたいな~。
(知らなかった。
同じ塾だったてのは後から知ったけど、まさか、あの映画館で会ってたなんて。不愛想で何の面白みもない私に、どうして話し掛けてくれるんだろうって、ずっと疑問に思ってた。)
四月十日
七海ちゃんが気になって、ずっと観察してたんだけど、入学式からしばらく経つのに誰とも話しをしてない。いじめられてるって訳でも無さそうだし、どうしてなのかな。七海ちゃんと同じ中学校だった子に聞いてみよう
ランチに八百円も使ってしまった。定食の他に菓子パン二個。自己嫌悪ー。
売店で彩に五十円貸した。明日絶対返すって言ってた。
(フフ。美咲らしい。これじゃ、日記兼家計簿だね。)
四月十一日
同じ学校だった子に七海ちゃんの事聞いたら、あの子は一人で居るのが好きだからってみんな口を揃えて言った。お昼も一人で食べてるみたいだけど、一人って寂しくないのかな?もしかして、強がってるのかな?私だったら耐えられない。そうだよね。きっと誰だって一人は嫌だよね。
よ~し、明日思い切って話し掛けてみよう!
(彼女が私にしてくれる優しいお節介が、いつも嬉しかった。)
四月十二日
七海ちゃんに勇気を出して、「どうしていつも一人で居るの?あっちで一緒に話そうよ」って言ったら、「あっちに行って。私は誰とも話す気は無いんだから」って言われちゃった。私なにか気に障る事言ったのかな?いきなり嫌われちゃった。あ~、どうしよう。
(ごめんね美咲。そんなつもり無かったんだよ。あの頃の私は本当どうかしてたの。)
頁は二人が初めて話しをした日に差し掛かった。
四月十八日
昨日からずっと別れた貴志の事が忘れられなくて授業中に思わず泣いちゃった。誰にも気付かれてないって思ってたら、七海ちゃんにバッチリ見られてた。あ~恥ずかしい。だけど、それがきっかけで、七海ちゃんと初めて話しが出来た。私の一大事を「何だそんな事か」って言って済ますんだから、本当ヒドイよね。でも思った通りの面白い子だった。初めて私の名前を呼んでくれたのも、とっても嬉しかった。「小島美咲さん」って他人行儀な呼び方だったけど、贅沢は言えないよね。これからもっと親しくなったら、七海ちゃん美咲って呼んでくれるかな~。彩と麻美とも仲良くなって欲しいから、明日は四人で昼食に行こう。
映画館で、出会ってた事はまだ内緒にしといて、いつか話してビックリさせちゃおっと。七海ちゃんの驚く顔が楽しみ~。
そうだ。切っ掛けになってくれた貴志にも少しは感謝しなくっちゃ。
(私も美咲と友達になれて、飛び上がる程嬉しかったんだよ。彩ちゃんと麻美ちゃんとは美咲が居なくなってから、話をしなくなっちゃったけど、二人とも、前みたいに自然と話せる様になりたい。)
一冊目の日記をざっと読み終え、いよいよ問題の二冊目の日記を開く。
彼女が部屋に閉じ籠る切っ掛けとなった日の頁を捲る。
七月三日
もっと生きたい
死にたくない
誰か助けて
(震える文字が物語ってる。私があんな事言わなければ、美咲もこんなに苦しむ事も無かったのに。本当に辛かったんだね。ごめんなさい。ごめんなさい・・・。このまま何も知らなければ、美咲も自ら命を絶つ選択なんてきっとしなかったよね)
七月四日から、彼女が亡くなった七月七日までの日記は、手つかずのまま、真っ新な状態で締め括られていた。
そんな・・・。
当てが大きく外れた。勢いに任せ、日記を読むように彼女を急き立てたのが災いし、彼女の心に追い打ちをかける結果となってしまった。恐らく美咲さんもその頃には日記を書けるだけの精神状態では無かったのだろう。そんな簡単な事、考えれば予想出来たはずなのに、日記があると知って興奮し、はしゃいでいた自分の愚かさに腹が立つ。
だが、もっと生きたいと、生への執念が見られていたのに、どうして彼女は自ら最悪の選択をしたのだろうか。
「七海さん・・・。」
僕の二の句を牽制する様にして彼女は言う。
「ありがとう・・・。お陰で、彼女が最後の最後にどう思ってたかって事がよく分かった。私はそこから目を背けるべきじゃなかったから、こうしてきっかけをくれて本当にありがとう。・・・決して悪く取らないでね。本当にあなたには感謝してるんだから」
「すみません。こんなはずじゃ無かったのに・・・」
「いいのよ。肩を落とさないで。あなたは何も悪くないんだから」
彼女は鼻を一度だけ啜り、目に湛えた涙を零さない様に必死だった。それは、僕に罪悪感を抱かせない様にする為の彼女なりの優しさだったのだろう。その姿を決して忘れてはいけない。僕は胸が張り裂ける思いで彼女の気丈に振舞う姿を目に焼き付けた。
彼女の手許の日記帳の隙間から、四つ折りになった紙がひらひらと落ちた。
「これって?」
彼女はその紙を丁寧に拾い上げた。
”あれ”に取り憑かれて分かった。
”あれ”は七海を殺す機会を伺ってる。
私はただでは死なない。
殺されるなんて真っ平。
殺される前に、”あれ”を道連れにしてやるんだ。
そして、二度と七海の前に姿を現せない様にしてやる。
その時、一陣の風が木々の葉をざわめかせた。
風に煽られ、彼女の手の上で、日記帳のページが、はらはらと捲れる。
風が止んだ。
七月八日
昨日は七海に酷い事しちゃった。今朝一番にその事を謝ると、七海は「いいのよ」って、本当は傷付いたはずなのに、それをおくびにも出さず、私を許してくれた。ちょっぴり不安だったけど、きっと七海なら許してくれるって信じてたよ。
今まで内緒にしてた映画館での出会いを話したら、案の定あの子、口を大きく開けてビックリしてた。その時の映画がまだ上映してたから二人で学校帰りに観に行った。映画が終わって感想を言い合ったら、やっぱり注目する所は二人共一緒で、それが嬉しかった。映画の帰りに昨日のお詫びにアイスクリームを七海にご馳走した。美味しそうに食べてたから、私も何だか幸せな気持ちになった。
そうだ。美味しいパンケーキ屋さん見つけたから、明日は彩と麻美も誘って、四人で食べに行こう。
あ~。早く明日になんないかな~。
P.S.
明日も明後日も、来年も再来年も、私たち、ず~っとず~っと親友だよ。
そこには彼女が願った、決して訪れる事の無かった明日が記されていた。不意に幸せそうにアイスを頬張る二人の姿が瞼に浮かんだ。彼女は自らの死を確信しても尚、最愛の友を救おうと必死だった。
彼女は七海さんを恨んでなどいなかったのだ。
「美咲・・・。私もずっとずっとあなたと一緒に居たかった!夢でも良いから、もう一度会いたいよぉー!」
七海は溢れる涙を抑えられなかった。両手で顔を覆い、しゃくり上げる様に泣き叫んだ。
そんな彼女を、優しい風がそっと包んだ。それはまるで、美咲さんが彼女の隣で、「本当の気持ちに気付いてくれてありがとう」と囁いている様に感じられた。