23話 Cecil
「今でも目を閉じれば思い出す。幸せだったあの頃を。不器用でいて優しい父と。いつも明るくて、ちょっぴりお節介な母。そんな二人と一緒に過ごした、思い出の沢山詰まった家。子供だった私は、こんな幸せな日々が、この先もずっと続くんだと信じて疑わなかった」
柔らかな風が、そっと彼女を撫でる様に過ぎ去った。それはまるで、遥か彼方から彼女を温かく見守っている何かがそうさせたかの様に思われた。
「あの日は、いつになく激しい雨が降り頻ってた。部屋の出窓もカタカタと音を立てて揺れてたものだから、ガラスが割れていまうんじゃないかって心配してたのを覚えてる。部屋に一人で居るのが何となく不安になった私は、台所で夕餉の準備をしている母の傍に行ったの。すると、母は優しく『あら、七海。どうしたの?』と言って、調理する手を止め、私を優しく抱き寄せてくれた。
それで、すっかり安心した私は、『ママのお手伝いする』って言って、母の作った料理を食卓に運んでいたの。すると、『ただいま』と玄関を開く音が聞こえた。父の帰りを待ち侘びてた私は、嬉しさの余り思わず玄関へと駆けて行ったの。だけど、玄関に立つ父の姿を見て、愕然とした。
父の頭上で、あの日お爺ちゃんの病室で見た"あれ"が二対の不気味な赤い光を向けて浮かんでたの。私は頭の中が真っ白になって、その場に卒倒した。
次に意識を取り戻したのは、自室のベッドの上だった。心配そうに私の顔を覗き込む父と母に向けて、私は心配掛けまいと精一杯の作り笑いをしてみせた。時間が経っても父の頭上に浮かぶ”あれ”は、消えていてはくれなかった。父に”あれ”の事を話すべきか子供なりに考えを巡らせた。話した所で父は信じてくれるだろうか。仮に信じてくれたとしても”あれ”を退ける方法は存在するのだろうか。
そんな事を考えていた時、私の不安を更に掻き立てるかの様に、電話のベルが家中に響き渡った。母は『ちょっと待っててね』と言い残して部屋を出た。ベルの音を聞いてから、父の目が忙しなく泳いでいるのに私は気付いた。
電話を終えた母は、部屋のドアを少し開け、青褪めた顔で父をドアの向こうへと呼んだ。そうして父は神妙な顔で頷き、部屋を出た。扉の向こうでは、二人が何か大事な話しをてたんだろうけど、扉を一枚隔てた私には、その会話の内容が聞き取れなかった。
話を終えて、戻って来た二人は何かに怯える様な目をして押し黙っていた。私は不安を覚え、二人の顔を何度も見比べた。
最初に口を開いたのは父だった。『ごめんよ七海。パパとママはこれからお出掛けしなくちゃいけなくなったんだ。直ぐには帰れないと思うから、いい子で先に寝ててくれ』言葉を噛み締めながらそう言った父の表情は、いつになく穏やかだった。だからこそ私は不安になり、必死で訴えた。
『嫌ー!お願い!行かないで!』と。だって二人に、もう二度と会えなくなる予感がしたから。何度も何度も泣きながら必死にお願いした。私の我儘が二人を困られてるって事は十分に分かってた。二人が顔を見合わせて当惑の表情をしてたのだってちゃんと分かってた。二人を踏み止まらせるには、我儘な娘だって愛想尽かされても構わない。行かないでくれたら私なんだってする。
そんな願いも虚しく、二人の決意は固かった。『七海、パパ達を困らせないでくれ』そう言って、私を突き放す様に背を向けた。『だったら私も一緒に連れてって!』と父の背中に向かった叫んだ。例えどんな事があっても、父と母と一緒ならそれで良いと思った。だって一人残されるのだけは絶対に嫌だったから。
すると、振り向いた父が悲しげな顔をして言ったの。『ごめんよ。それは出来ないんだ。七海はさっき倒れたばかりだよね。それに・・・』と、何かを言い淀んだ父は、その先の言葉尻を打ち消すかの様に、ドアノブに手を掛けた。ドアの隙間からは、私の視線から逃れる様にして、離れた場所に立った母の横顔が僅かに覗えた。母は両手で顔を覆い、その肩は小刻みに震えていた。
私は置き去りにされまいと必死に起き上がろうとした。だけど、体に全く力が入らない。二人の背中だけが小さくなって行く。私は必死に叫んだ。『だめーーー!行かないでーーー!』『パパとママを奪わないで!』『お願いだから・・・七海をひとりにしないで・・・』
二人が家を出た後、雨は激しさを増した。雷鳴が轟く度に、私は耳を塞ぎ、震えながら泣いていた。夜半過ぎには雨脚も弱まり、泣き疲れた私はいつの間にか眠りこけてた。
明くる日、目覚まし時計の音で目が覚めた私は、静まり返った我が家に眩暈を覚えた。いつもならこの時間は母が朝餉の準備をしていたから。二人はまだ帰って来ていないかもしれないって悪い予感がした。一階へ続く階段を駆け下りて、母と父の寝室へ向かってる時、インターフォンが鳴った。
ああ、良かった。『パパ、ママお帰り』そう言いながら玄関を開けたの。するとそこに立っていたのは、親戚の叔母だった。そして、その叔母の口から、私は父と母の訃報を聞かされたの。
もしもあの時、二人に全てを打ち明けていれば。もっと強く引き留めていれば。”あれ”に驚いて倒れたりなんかしなければ。そんな取り返しのつかない過去を未だに考えてしまうの」
僕は言葉を失った。今の彼女にとって慰めの言葉など意味を持たない。それにきっと彼女も、そんな言葉など求めてはいないだろう。両親を同時に失った悲しみを経験したからこそ僕にも分かる。何も出来なかった子供の頃の無力感な自分を責める気持ち。彼女の怒りの矛先は”あれ”に対してよりも、寧ろ無力だった自分自身に向いているのだ。そこが、僕と彼女の大きな違いである。彼女の清らかな心に比べて、僕の心は穢れている。何食わぬ顔で彼女の隣に座る僕は、身の程をわきまえていない恥知らずだ。
僕は決して皆が思う様な、立派な人間では無い。
皆は、僕が両親の成し遂げられなかった魔王討伐の意志を継ぐ崇高な勇者だと畏敬の念を抱き持ち上げる。しかし、当初その実は別の目的を胸の内に秘めていたのだ。誰にも話せない後ろ暗い目的。それは勇者に希望を抱く人、全てを裏切る行為であるのは明白だった。
その目的とは、両親を手に掛けた下手人への復讐。
僕は、下手人を白日の下に晒し、自らの手で鉄槌を下すのが目的で勇者になった。両親は人から恨みを買うような人間では無かった。そこで僕は下手人は、魔王が居なくなる事で不利益を被る者であると考えた。ならば、僕が魔王を脅かすまで成長すれば、きっと下手人は看過出来ず、僕の命を狙うだろうと考えた。しかし、僕の予想に反して、魔王との最終局面に至っても終ぞ、下手人は露ほどもその姿を現さなかったのだ。
それはそれで、良かったのかもと今なら思える。
下手人とは相まみえなかったものの、そこに至るまでの道のりで、僕は自らの復讐心にはけりを付けたつもりでいたから。
彼女の置かれた状況は僕よりも深刻だった。
大切な人の死を予見しながらも、何の手立ても講じられず、その死を見送る事しか出来なかったのなら、一生消える事の無い悔恨の念に苛まれるだろう。
「ごめんなさい。あなたにそんな顔させるつもり無かったの」
どうやら僕は酷く思い詰めた顔をしていたらしい。
「謝るのは僕の方です。一番辛いのは七海さんなのに。その後も、”あれ”との接触はあったのですか?」
「ええ。"あれ"は私に付き纏って、大切な人達を奪って行くんだって、そう考える様になった。一方で、何の取り柄も無い私が、どうして付き纏われるんだろう。私を苦しめた所で、一体何の得があるのって思った。もしかすると、取り憑かれてるって思うのは私の勘違いかもって、事実を直視するのが恐くて、そうやって逃げ口上を作ってた。だけど、それは間違いだった。そうして高校二年生になって、嫌でもその事実と向き合わなければいけない時が訪れたの」




