17話 安里翔
安里翔とアリシアはイワンの案内で、村の外れにあるペットショップに入った。
ケージに入っている生き物は、翔がこれまでに目にした事の無いものばかりだった。しかし、多くの生き物が、犬や猫に外見が似通っていた為、愛着を持つ事が出来た。これら全てが、モンスターであると説明されても、俄かに信じられなかった。ここで売られている、どのモンスターも人懐っこくて愛嬌があるのだから。
『キャンキャン!』
「キャ~。この子可愛い~」
アリシアはケージの天板を外し、まるでチワワに羽が生えた様な、潤んだ瞳のモンスターを抱き抱えた。彼女が優しく頭を撫でると『クゥーン!クゥーン』と可愛く鳴き、目を細めながら、気持ち良さそうに彼女の指をぺろぺろと舐めて甘えた。
イワンはペットショップに行くのをなぜ躊躇っていたのだろう。こんなにも、ほのぼのとした空間が修羅の道とは全くもって無関係に思える。
イワンを探した。彼は厳しい表情を変えぬまま、俺達から離れた場所で、オーナーと何やら小声で話をしている。
まさか!
一つの残酷な考えが浮かんだ。
だからイワンは俺達に、修羅の道を進む覚悟を求めたんだ。きっとそうに違いない。
居ても立っても居られず、イワンとオーナーが話している所に割って入った。
「おいイワン。修羅の道と言うのは、この可愛らしいモンスターを過酷な旅に連れて行って他のモンスター達と戦わせるって事なのか?だとしたら、俺にはそんな可哀想な事出来ない!もっと別の方法を探そう!」
家ではペットは飼って無いが、小学生の頃、俺は飼育員だったんだ。動物愛は強い方だ。
村の外には狂暴なモンスターが山ほど生息していると言う。そんな中に、戦いを知らない可愛いモンスターをパーティーに加え、過酷な旅に連れて行った所で、直ぐに殺されちまうんじゃないか?幾ら俺達が弱いからといって、こいつらを巻き込むのは人としてどうなんだ。イワンはどうしてこんなにも残酷な事を考えるんだ。
俺の必死の訴えにも、イワンは厳しい表情のまま、眉一つ動かさない。
「翔。お前は何か勘違いしている様だな」
「違うのか?だったら悪かった。そうだよな、そんな酷い事する訳ないもんな」
彼に対して、血も涙もない下衆野郎だと罵りそうになったのを踏み止まって良かった。上半身裸で、羞恥心の欠片も無さそうだが、彼にも人間らしい心はちゃんとあったみたいで安心した。
待てよ?それならイワンはこれから俺達に何をさせようって言うんだ?
「翔、アリシア、二人共よく聞け。これから、お前達二人のレベル上げを執り行う。出来れば俺もこんなやり方はしたく無かった。しかし、他に方法が無い以上、こうするより外ない。悪く思うな・・・」
これから何が始まるのか、全く見当もつかず、戸惑っている俺とアリシアを、イワンは半ば強引にペットショップに併設された広場へと引っ張り出した。牧柵の内側に閉じ込められる形となった俺とアリシアに向かって、牧柵の向こう側に立つイワンが叫んだ。
「さあ、構えろ!」
状況の説明が全く為されぬまま、それでも、鬼気迫るイワンの表情から、これから只ならぬ事が起こるのだと感じた。
アリシアの邸宅で借り受けた剣を構える。持ち方も構え方もこれで合っているのか分からない。
アリシアも俺が構えるのを見て、いつでも魔法が放てる構えを見せた。
準備が整ったのを見計らって、イワンはペットショップに居た愛らしい動物達を解き放った。
そこには、先程までアリシアが抱いていた、羽の生えたチワワも含まれていた。チワワは尻尾を振りながら、小さな歩幅を一生懸命前に進め、一直線に嬉しそうな鳴き声で、アリシアの足元に擦り寄った。
犬の胴体をした豚は雑草をムシャムシャ食べている。双頭のウサギは外に出たいのか、牧柵の周りをピョンピョン跳ねている。その他の小型モンスター達も各々自由に駆け回っている。
これから何を始めようって言うんだ?
「このモンスター達には、これからお前達二人のレベルアップの糧となってもらう!いいか、こいつら全員、生まれた時から人の手によって育てられている。だから、何をされても反撃はしない。こいつら全員殺せば、この村から出られるだけのレベルに到達出来るだろう!」
我が耳を疑った。レベル上げって理由で、どうして何の罪もない、人間に対して敵意すら持たないモンスターを虐殺しなくちゃいけないんだ?そんな事するくらいなら、レベル上げしないまま、村を出た方がよっぽどマシだ。
「イワン!何考えてんの?」
アリシアはイワンに詰め寄り、牧柵の隙間から、襟を掴んで反論しようとした。しかし不運にも、イワンは上半身が裸であった為、掴む場所が見つからず、手のやり場に窮してしまった。
「何もかもお前達が弱いからいけないんだ!お前達が強ければ、こいつらは死なずに済むはずだったんだ!俺を責める前に、先ずは、自分達の弱さを責めるんだな!」
アリシアは歯を食いしばり、必死に悔し涙を堪えている。
「俺は例えアンタに何と言われようが、こいつらを手に掛ける様な真似はしない!」
俺は剣の切っ先を地面に刺し、戦うのを放棄した。
「私もこの子達に絶対魔法は使わない!」
「俺だって本当はこんな事したくない。・・・分かったよ。だったらお前達にチャンスをやろう!闇魔法のマッド。アリシアはその効果を知っているだろう?」
アリシアは苦い表情をした。
「教えてくれアリシア。マッドで何なんだ?」
「マッドは、精神に作用する魔法の一つ。その効果が切れるまで、魔法を受けた人の理性のタガを外して、その人を前後不覚の殺戮者に変えてしまうの。精神に作用する魔法はどれも、レベルが低く、未熟な者にだけ有効だから、レベルがそれなりに高ければ、何ら問題としないのだけど・・・」
「その通り!もし魔法の効果が発揮されなければ、ある程度のレベルがある事は認めてやる。村から出られる可能性は低いだろうが、少しは望みも持てる」
イワンは傍のオーナーに指示し、マッドの魔法を唱えさせた。
地面に突き刺したはずの剣が手許にある。
いつ手にしたのか、その記憶が無い。
可愛いかったはずのモンスターが、悍ましい姿に変貌していく。
牙を剥き、ケタケタと不気味に笑う。
頭の中で声が聞こえる。
『殺さなければ殺される』
死にたくない。どうしてこいつら、俺を殺そうとすんだよ!
訳も分からず、死にたくない一心で出鱈目に剣を振った。
方々から血飛沫が上がる。
『お兄ちゃん・・・ぼくたち何か悪い事したの?もしそうなら謝るから許して・・・』
聞こえない!
『痛いよ・・・お願いだからもう止めてよ・・・』
聞こえない!
『ぼくたち抵抗しないよ・・・。ほら、こうやってお腹も見せて服従のポーズだってしてるでしょ・・』
聞こえない!頼むからもう何も喋らないでくれ!
・・・声が止んだ。
「翔・・・。みんな死んじゃったよ・・・。だからお願い。もうこれ以上、この子達の亡骸を蹂躙しないであげて・・・」
アリシアは、何度振り払われようとも、暴れる俺を必死にしがみ付いて止めようとしてくれていたらしく、体中傷だらけになっていた。
魔法の効果を受けたのは、どうやら未熟な俺だけだったらしい。
血腥い臭気が鼻腔を劈き激しい眩暈を覚えた。思わず足元に目を落とす。
背筋が凍り付いた。息が出来ない。苦しい。剥き出しの心臓が何者かに強く握られている様な感覚だ。
目をひん剥き、舌がだらりと垂れ下がった羽の生えたチワワ。断末魔の叫びを上げ、苦痛に顔を歪めた、猫の顔を持つハリネズミ。胴が切り離され、首から上だけとなった猫。
足元はそれらの屍の山で埋め尽くされていた。
体の震えが止まらない。
「これ・・・全部、俺がやったのか?」
アリシアはそれには答えず、声が枯れるまで大声で泣いた。
俺の手には、剣が肉に食い込む嫌な感覚だけが、今でも消えずに残っている。