13話 安里翔
安里翔の怒りは道具屋を後にしてからも尚、一向に収まる気配が無い。
イワンはそんな翔の事などお構いなしに、実に良い買い物をしたと、小さな子供の様にキャッキャとはしゃいでいる。
アリシアは鍵が掛かったショーケースに万引きを阻まれ、落胆の色を隠せずにいる。
ふんどしを買う時に支払った大量の金貨にしても、二人がそだけの金貨を稼ぎ出せるとは思えない。きっとそのほとんどは、セシルが依頼主か何かから得た対価なのだろう。
「イワン。あんたが買ったその金のふんどし。一枚買うのに金貨何枚払ったんだ?」
「ざっと金貨二千枚といった所だな」
「この世界の貨幣価値がよく分からないだけど、金貨一枚で何が買えるんだ?」
「そうだな・・・。金貨一枚で、饅頭が大体五個くらいは食えるな」
饅頭五個より、比較するのにもっと分かり易いものは幾らでもあるだろう。こいつはきっと、物欲が満たされて、次は饅頭を食べて食欲をも満たそうとしているに違いない。
「と言う事は、あのふんどし一枚で・・・えっ!饅頭一万個も買えるのかよ!」
「お前には分からないだろうが、あのふんどしは特別なんだよ。何せ今は亡き有名デザイナーのクリスティンが手掛けた幻の逸品だからな。こんなお宝、滅多に世に出回らないんだぜ」
「そのふんどしが高価なのは、デザインが他と違うってだけで、防御力は他のふんどしと何ら変わらないのか?」
「当然だ。ふんどしはデザインと着こなしが全て!それ以上でもそれ以下でもない!」
「ホントばっかみたい!ふんどしなんて、一度でも身に着けちゃうと、価値が無くなっちゃうのよ。だから、売ってお金にしようにも、どこにも買い取って貰えない。おまけに私達が必死に戦ってる時に、その目障りな金のふんどしがやたらと目に入るから、イライラしちゃって戦いに集中出来ないのよ。無駄に金ぴかなふんどしなんて、百害あって一利も無いわ」
万引きに失敗し、塞ぎ込んでいたアリシアが、その憤りをイワンに向けて爆発させた。
「何もそこまで言う事ないだろ・・・」
イワンは力なく言った。正に蛇に睨まれた蛙といった状態だ。
不意に空腹を覚え、そう言えばまだ食事を摂っていなかった事を思い出した。
「なあ、二人共。そろそろ飯にしないか?」
「そうだな。しかし、さっきの買い物で、予想以上の出費だったから、贅沢な物は食べれんぞ」
「それもこれも、全部アンタが無駄なふんどしを買ったせいじゃないの!」
「ちょっと待て、何か匂うぞ」
イワンはアリシアを手で制し、鼻をクンクンさせた。
「これは饅頭の匂いだ」
イワンは軽くなった麻袋から、金貨を一枚取り出し、近くの饅頭屋で饅頭を五つ買った。
五つの饅頭は三人で均等に分けることが出来ないので、誰か一人は饅頭一個で我慢するしかない。公平にじゃんけんで決めるべきかと考える暇も無く、イワンは俺とアリシア二人に対して、一つの饅頭を差し出した。どうやら二人でこのたった一つの饅頭を分け合えという意味らしい。
「何でアンタが饅頭四個で、私達は一つの饅頭を半分っこしなくちゃなんないのよ!」
「俺は年長者で体も大きいから、お前達よりも多くのカロリーを摂取しなければならないんだ。だが、そこまでお前達がごねるんだったら仕方ない。特別にもう一つ増やしてやろう」
「フン。分かれば良いのよ」
アリシアは、イワンを言い負かしたと勘違いして、したり顔だ。
彼女は間違っている。
そもそも一人で三つの饅頭を食べようって事自体が問題なのだ。
きっと彼女はこうして、いつもイワンんの術中に嵌っているのだろう。
腹を満たしたイワンは上機嫌になった。
今なら、武具を揃える交渉も上手くいくかもしれない。
「イワン。俺にも武器を持たせてくれないか」
「そうだな・・・。いいだろう。そう言えば、さっきは腹が減っていたせいか、冷たくあしらってしまって悪かったな」
予想外の答えだった。正直言うと、またネチネチと難癖付けるんじゃないかと覚悟していた。交渉は難航するだろうと思っていたが、こうもあっさりと認めてくれて、こっちが逆に面食らった。素直に饅頭を三個食べさせた事が功を奏したのだろうか。
「ありがとうイワン。向こうにちょうど道具屋が見えるから、二人とも早く行こうぜ」
逸る気持ちが抑えられず、俺は今にも駆け出しそうになった。
するとイワンが手で俺を制した。そして、おもむろに腰を屈め、道端に落ちていた一本のか細い木の枝を厳かな表情で、粛々と拾い上げた。
「翔、これが今日からお前の相棒の光の剣だ。この光の剣があれば、どんな魔物もイチコロだ・・・・。フフフフワーハッハッハー!」
何がそんなに面白いのか、イワンは地面に四つん這いになって一人で腹を抱えながら大爆笑した。
その憎たらしい耳障りな笑い声が一瞬にして俺を狂わせた。この怒りを制御するのは不可能だ。
「ああ良いさ!この光の剣で真っ先にお前を殺してやるよ!」
木の枝をヤツの脇腹にぶっ刺した。しかし、か細い枝は一度の突きで、無残にも小さな音を立て折れた。
悔しい。
何とかして一泡吹かせてやりたい。
「あーもぅ、二人とも止めなさい!私の家に使っていない剣と鎧があるから、それを貸してあげるからいいでしょう」
アリシアの実家は家と言うより、屋敷と言った方が適切だろう、他の民家から離れた場所にそびえ立っている。
屋敷の中には、いかにも高そうな額縁に入った絵画を初め、様々な美術品が其処彼処に並んでいる。こういった物に全く縁の無い翔でも、その価値の高さを知る事が出来る。
アリシアの両親は仕事の関係上、長期間家を空ける事が多く、複数のハウスキーパーが交代で、屋敷を綺麗に保っているらしい。
案内されたリビングで、出された紅茶を飲みながらふと疑問に思った。
アリシアはこれだけ裕福な家庭で育ったお嬢様のはずなのに、どうして過酷な旅をする道を選んだのだろう。
「なあ。アリシアはどうして魔王を倒す旅に出ようと思ったんだ?」
「急にどうしたのよ?」
「何となく気になってさ」
キャビネットの上に置かれた写真立てに目が留まる。そこには、アリシアとアリシアの両親と思しき三人が遺跡をバックに笑顔で写っていた。
何故だろう。この写真に違和感を感じる。
違和感の正体は分からない。
キャビネットの前まで歩き、近くから眺めてみる。
「この写真に写ってる二人はアリシアの両親なんだよな?」
「ええそうよ。私とパパとママの三人だけど、それがどうかしたの?」
「・・・うーん。あっ!そうか!違和感の正体がやっと分かったぞ!アリシアの髪の色はダークブラウンなのに、二人の髪の色は金髪なんだ!」
「おいっ!翔!」
「いいのよ、イワン。別に隠し立てする程の事でも無いんだから・・・。翔が想像した通り、私はね、この写真に写るパパとママとは血の繋がりが無いの。幼い頃に、屋敷の前で記憶を失って倒れてた私を、二人が助けてくれたの。それでね、二人は私の本当の親を探そうと、村の人達に尋ねて回ったんだけど、誰もそんな子知らないって言って、結局見つからず仕舞い。あんまり考えたくないんだけど、たぶん私、捨てられちゃってたのかな。それでね、子宝に恵まれなかった二人は、私を本当の娘として育ててくれたの。もしあの時、二人が私を見捨ててたら・・・きっとそこで私の人生は終わってたんだと思う・・・。血の繋がらない私を、愛情をもってここまで育ててくれた二人には、感謝しても仕切れない・・・。さっきの質問の答え。どうして私が旅をするのか。それはね、パパとママ。それに、この村の人達のお陰で、私はこの歳まで生きられる事が出来た。だけど、魔王や魔物によって、家族や住む場所を奪われ、命を落とす人達は沢山いる。魔王を倒して、平和な世界が訪れたのなら、こんな悲しみはきっと無くなるんだって信じてる。私を生かしてくれたみんなが幸せに暮らせる世界を実現したくて、こうして私は旅をする道を選んだの」
アリシアにそんな過去があるなんて思わなかった。実の親に捨てられた時の気持ちなんて想像出来ない。そんな俺が軽はずみに、慰めの言葉なんて言えないし、彼女もそんなものは求めて無いだろう。無神経に彼女の心の傷を蒸し返す様な質問をした俺は、大馬鹿野郎だ。
イワンはアリシアに対して、何かを言い掛けたが、結局何も言えず口籠った。彼にしては大変珍しい行動である。
「アリシアが旅をする理由はよく分かった。イワンはどうして旅をするんだ?」
「俺はアリシアみたいな大層な信念がある訳じゃねえ・・・。話す程でもねえ、つまらん理由さ・・・」
イワンは虚ろな顔でそう言った切り、口を開こうとしなかった。
気まずい沈黙が流れた。おしゃべりな二人が急に黙り込むと居心地の悪さを感じる。
「さっ。気を取り直しましょ!」
アリシアは手を叩き、努めて明るく振舞った。自分が場の空気を沈ませてしまったと思い、その責任を感じている様だ。
「ついでにもう一つ質問して良いかな?」
「何だよ?」
「勇者のパーティーってのは立候補して簡単になれるものなのか?俺にはお世辞にも二人が強いとは思えないし、大人数のパーティーで魔王城を攻めた方が、簡単に勝てたんじゃないのか?」
イワンとアリシア怒りで顔を赤く染める。
勢い良く椅子から立ち上がった二人は、今にも俺に飛び掛からんといった様相だ。
「バカ野郎!勇者のパーティーに選ばれるにはな、それはそれは厳しい条件があるんだよ!」
「そうよ。魔王にはね、死んだ人間を死霊として使役する能力があるの。もし、セシル以外のパーティーが死んで魔王に死霊として操られたら、それこそセシルの足を引っ張る事になるじゃない。だから、勇者のパーティーに選ばれる条件として、万が一、死霊にされても無害でなくちゃいけないのよ!」
「お・・・おい、アリシア」
腰に手を当て、鼻高々に得意げに自慢するアリシアをイワンが制した。
「それってつまり・・・。弱くて役立たずだから選ばれたって事か?」
二人は静かに椅子に座り、下を向き黙りこくってしまった。
またしても余計な事を言ってしまった。話題を変えなければ。
「これからセシルって奴の行方を追うにしても何か宛てはあんのか?」
「そうだな。今は街や村で地道に情報を集めるしかないな。しかし、これには一つ大きな問題がある」
イワンはテーブルの上で手を組み真剣な眼差しを見せた。
「まず、レベルも低い雑魚キャラのお前達二人は、この村の周りで活動しているモンスターにすら勝てないだろう。狂暴なモンスターばかりだから、村を出たらまず命は無いだろう」
「誰のせいで大人しかったモンスターが狂暴になったと思ってるの!イワン。アンタが、私達のパーティーに加わるずっと前に、レベル上げの為に幼い子供のモンスターばかり殺して、その親モンスター達の怒りを買ったからじゃないの!レベルが上がっても結局弱っちいままだし一番役に立たないのはアンタよ!」
「オッサン!何て事してくれたんだよ!」
イワンはそこまで強い口調で言われる事を全く予想していなかったのか、口をパクパクさせている。それにしても、アリシアがすっかり元気を取り戻したみたいで、少しほっとした。
「そのイワンが言うレベルってのを、手っ取り早く楽に上げる方法は無いのかよ?」
「バカ野郎!若者が何を言っている!最近の若者は何でも直ぐに楽な道を選ぶからけしからん!この世に楽な道など無い!地道な努力こそが一番の近道だ!よく覚えとけ!」
これまで勇者に頼り切りで、楽ばかりして来たこいつにだけは言われたく無い。
悔しい。何か言い返してやりたいが、俺が弱っちいのも事実。そうだ!
「そのレベルってやつを数字で表すと、イワン。アンタはどの位なんだ?」
「残念ながら、俺のレベルは測定不能だ。何せ(99)でカンストしてるからな!」
「えっ、嘘だろ?」
勇者のパーティであるという事はやはり、それなりに強いという事か。能ある鷹は爪を隠すと言う。認めたく無いが、ヤツこそがそのいい例だろう。
「笑わせないで。何がレベル(99)よ。もし本当にレベル(99)だったら、アンタがいつも苦戦してる体高が私達の膝下程しか無いモンスターはレベル(100兆)だわ」
イワンはぐうの音も出ない。
「この村を出れるまで強くなるには、一体どれだけの時間を掛けてレベルを上げなきゃなんないんだよ」
「まあ、安心しろ。この危機的状況から抜け出す方法がたった一つだけある。しかし、これには大きな代償を払わなければならない。そして、この道を選択すれば、二度と後戻りが出来ない修羅の道を行く事になる。お前達にその覚悟はあるか?」
イワンはいつになく真剣な表情で、意味深な言い方をした。