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反抗期

作者: 団周五郎

     一

小学校の低学年だった頃、僕は母さんとよく衝突した。

「ほんまに、口答えばっかりして親の言うこと聞かん子やね」

「しゃーないやん、お母ちゃんの子なんやから」

「なに、もういっぺん言うてみぃ」

母さんは、頭の上に手を上げた。慌てて僕は、玄関を出て外に逃げた。

自分でもわからなかったけれど、何故かしら母さんには、むきになって反抗していた。

僕におせっかいを焼く母さんがきらいで、放っておいてほしかったからだ。自分で何でもできると過信していた。

鹿のいる奈良公園からおよそ三十Km程南に下ったところに榛原町という町がある。昔、伊勢参りの宿場になっていた町だ。そこが母さんの実家だった。昭和三十年代が終わろうとしていた頃、この町で、じいさんとばあさんが弁当屋をやっていた。夏休みになると母さんに連れられてこの弁当屋に里帰りしていた。母さんが、実家の弁当屋を手伝うためだった。

「用意できたか、黄色い帽子かぶるの忘れんといてや」

「黄色い帽子って、あれ、幼稚園の帽子やん」

「ええから、うちは、お金がないの。古い帽子でも夏は暑いし、かぶりなさいよ」

ふてくされながら歩く僕の手を思いっきり引っ張ると母さんは、近くの奈良駅まで速足で歩いた。

「ふ~、良かった。汽車に間にあったわ」

駅で切符を買うと母さんと僕は、急いで改札口を通り抜けようとした。

「ああ、奥さん、奥さん、この子の切符は?」

駅員が止めた。

「この子?帽子見てから言うて!幼稚園やで」

「大きい子やなぁ。ぼくいくつや」

「いくつって、もう小学校やで」

そう言ったとたん、母さんは、僕の手を引っ張って猛然と汽車に走り込んだのだった。

「あんた、余計なこと言いなはんな。うちは貧乏やからあんたの分まで切符買う余裕ないの。まったくわからん子やね。今度あの駅員がいたら、切符買わんとあかんやないの!もう!」

ぷんぷん怒っていた。僕は母さんの横に座るのが嫌で、誰もいない車両のつなぎ目の幌の中に避難していた。

「桜井行き、発車しまーす。次は、京終」

車掌の声が車内に流れると、ホームにブザーが鳴り響き、ディーゼル機関車がブゥイーンと苦しそうな音をだして動き出した。車両のつなぎ目にある鉄の板は、線路の継ぎ目を過ぎるたびよく揺れた。僕は、鉄板から振り落とされないよう足元ばかり見ていた。鉄板の下で何かがモゾモゾと動いている。しゃがんでよく見てみると、ゴキブリだった。死にかけて髭だけがぴくぴく動いていた。

「うぁー」

飛び上がって、母さんの横に逃げ込んだのだ。

「どないしたん」

「ゴキブリや」

「そんなんで、びっくりするんやない、進駐軍に見られたら笑われるがな」

寝ていたおふくろは、起こされたせいで、また怒っていた。

家が少なくなって、田んぼが多くなりトンネルを何本か過ぎて一時間程汽車に乗ったころ榛原駅に着いた。駅前には、二件のおもちゃ屋が連なっている。店の前では、それぞれの店からおばさんが出て客の奪い合いをやっていた。

「ぼく、面白い鉄砲あるで。かあさんに買うてもらいな」

僕の目が銀玉鉄砲にくぎ付けになったのを店のおばさんは見逃がさなかった。

「また今度にさせてもらうわ」

笑いながらそう言うと、母さんは僕の耳を思いっきり引っ張った。足が超早足になり、僕は息を切らせながら走っていた。

おもちゃ屋の前を通り過ぎ、貸本屋を過ぎ、呉服屋を通り過ぎ、商店街のはずれまで来た時、「まねき」と書いた弁当屋の看板が見えてきた。日の長い夏でも山間の町は、すぐに日が暮れる。辺りは薄暗くなっていた。

     二

「雅か、ようきたなぁ、明日から手伝ってくれるんやて。ありがとさん」

店に着くとおばあちゃんが出迎えてくれた。いつの間にか、僕が店を手伝うことになっていた。おばあちゃんの弁当屋は、ウナギの寝床のように入り口から奥行きが深く、一階の入り口を入るとまずお客さん用にテーブルが二つ置いてあった。そこを過ぎると、皆がくつろぐ居間、更に調理場があって、薪を置く場所があって、トイレと続いていた。二階は、家族の寝る部屋が細長くつながっていた。

母さんが結婚するまでは、三人の妹や従業員もいて大変繁盛していた店だったが、母さんが嫁ぎ、姉妹が順番に嫁いでいったために、今は一番末っ子とおじいちゃん、おばあちゃんの三人で細々と店をやっているのだ。

母さんが実家に帰ると一人分の手伝いが増える。店に活気も出てくるのでおばあちゃんは喜んで歓迎してくれた。

家庭の夕食時間が過ぎれば、もう弁当を買うお客など来ない。夜の八時になる頃には店を閉めて、残った弁当の総菜をみんなで食べた。大きなテーブルに総菜の残りが、いろいろな皿に盛られて並べられていた。それを箸でつまみながら、今日の注文がどうだとか、ほかの店の評判だとか、近所の人の話とか好き放題にみんなしゃべりだすものだから、食事は長くなり、大人達の宴会は尽きなかった。僕が会話についていけずつまらなそうにしていると、

「雅、あんた、二階に布団敷いてあるから、もう寝なさい」

邪魔だといわんばかりに母さんが言った。

「なんで、まだ寝えへん。まだ眠たないもん」

「ええから、寝なさい」

おふくろと言い合いになりそうになった時、

「雅、明日、銀玉鉄砲買いに行くか」

おばあちゃんが間に入ってくれた。

「うん」

「そやったら、はよう寝なさい」

「わかった。おしっこして寝るわ」

僕は、立ち上がってトイレに向かったのだった。

     三

トイレは、店の一番奥にある。居間の壁に付いていた電気スイッチをパチンと入れると調理場の蛍光灯が点いた。調理場の中は明るくなったが、その奥の薪を置いてある所や後に続くトイレの方は、まだ暗かった。鍋やら器が置いてある台所を通り過ぎた所に奥の電気のスイッチが壁に付いていた。そのスイッチをパチンと入れると薪の積んであるのが見えた。見えたけれども、電球が小さいせいか、奥のトイレ方はまだ暗い。居間で話をする大人たちの声が小さくなっていた。僕は、ちょっと恐ろしくなってきた。トイレに行くには、薪の置いてある横を通り過ぎないとたどり着かない。辺りは、シーンとしていた。引き返したいけれど、おしっこもしたい……。

勇気をだして薪の横を速足で通り過ぎた。暗がりの中を通り過ぎる時、何か動いたような気がしたが、気のせいだと自分に言い聞かせた。

ようやく、トイレの前までたどり着いた。壁のスイッチを押すとぼんやりと白熱灯が点いてトイレの中が明るくなった。

「頼むから、何もいませんように」

祈るような気持ちでトイレの扉を開けた。扉のすぐ横に男子便器の朝顔が見えた。目をうっすらとだけ開けて何も見ないように、便器以外には視界が広がらないように集中した。ズボンの前を開けて用を足し始めると、勢いよく飛び出たおしっこの音に気付いたのか便器の横で、何かが動いた。ハッとして目を開いて見るとゴキブリだった。

「うっ」

僕は固まった。出始めたおしっこがまだ終わってない。

「お前動くなよ、すぐに終わるから」

ゴキブリに聞こえるか聞こえない位の小さな声を出して自分を落ち着かせた。おなかの力を思いっきり入れて残りの用を足し終えた。ぶるぶる体が震えた。ゴキブリは、長いひげを二本立てて、こちらの様子をうかがっている。うかつに動くとこちらに向かってくる。

ズボンのファスナーをそっと上げて、音を出さないよう、そーっと、そーっとトイレを抜け出した。

トイレを出ると思いっきり走った。薪のある所を抜け調理場を抜け居間まで駆け抜けた。

「か、かあさん、ゴキブリいた。ゴキブリや」

僕は大声で、母さんの腰に抱き付いた。そして、恐怖から解放された安心感で思わず泣きだしていた。

「あんた、弱虫やなぁ、どれ、どこに、場所教えて」

普段、小さい声のおばあちゃんが、大きい声で雅に言った。

「ほれ、雅、案内しいや」 

おばあちゃんに背中を押されて、僕は、再びトイレに向かった。今度は、おばあちゃんと母さんも後についてきた。おばあちゃんは、ハエたたきを持っていた。トイレの前まで来ると僕は指さして、

「この中におったんや」

そう言うとおばあちゃんはトイレの扉を開け、便器の周りを探しだした。上から下まで探したがゴキブリはいなかった。僕も、おばあちゃんの後ろからさっきの場所をのぞいて見たがゴキブリは見当たらなかった。

「ほんまに、さっき見たんやから」

言い訳がましく僕は小さくつぶやいた。トイレから出ようと扉を押すと下の方にでかいゴキブリがこちらを向いていた。

「うわっ」

あまりのショックに次の言葉が出なかった。のけぞって、僕は地べたに転んでしまったのだ。その時だった。ゴキブリが羽を広げた。そして、ブーンという轟音を立てると体を空中に浮かせて、僕めがけて飛んできたのだ。

「ギャー、助けて~」

今までの人生で一番大きな声を僕は上げていた。その時だった。僕の目の前に突然母さんの手が伸びてきたのだ。そして開いた手の平で飛んでいるゴキブリを叩き落したのだった。パチンという音がするとゴキブリが地べたに転がり落ちた。一瞬、意識を失ったように止まっていたゴキブリだったが、意識が戻ると猛然とトイレの奥の方に駆け出した。すると、そこに母さんの足が稲妻のように落ちてきた。バチン!サンダルの音が辺りに響いた。この二撃でゴキブリは息絶えたのだった。

「すごいっ!」

僕は、驚嘆して思わず叫んでいた。

母さんは、まだピクピク動いているゴキブリの髭を素手でつかみ、ごみ箱に捨てた。完璧に僕の負けだった。この一件以来、僕は、おふくろの言うことに逆らわなくなっていた。

     完


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