ソルシエールお姉さんと天才師団長
生い立ちは不明で、親も不明。彼の過去は謎に包まれている。
彼は最年少――十二歳という異例の若さで、この国の『師団長』の地位を確立している。
類い稀なる才能を遺憾なく発揮し、その彼が率いる『師団』の活躍は目まぐるしいものがある。
戦績優秀、市民からの信頼も厚く、防衛策の強化から領地の奪還等々――数多の戦果を誇る。
それが十二歳の天才師団長――『ソワテ』の経歴と、彼が率いる師団の情報。
以上のことを踏まえて私――『レノ・マント』は、師団長ソワテとその師団へ派遣されることになった。
――対象の不穏分子の有無。
その調査こそが私に与えられた仕事。私の持つ肩書き、
――『ソルシエール』の仕事である。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――あれから二ヶ月が経った。
仕事のことは当然、極秘。そのため、私には用意された立場がある。師団長ソワテをサポートをする『副師団長』の立場。だから、ソワテちゃんに付きっきりでも怪しまれないし、何も問題ないってわけ。
ソワテちゃんは体が小さく、目が細い。はたから見たらボケっとしてるように見えるわね。それでいて髪はいつもボサボサ。自分の背丈より一回り大きい服を着こなしている。
ソワテちゃんは自分の見た目を全く気にしないタイプよ。
うわさに名高い天才師団長――ソワテの姿を初めて目の当たりしたあの日のことは、よく覚えてる。私はびっくりしてた。だけど、今はそこがいい。まるで小動物のようでとっても愛くるしい。かわいい。
こういうのを何て言うのかな?
――母性?
心くすぶられるというか、何というか――つまりはね! 手のかかる子ほどかわいく見えるってことよ!
「おはよう、ソワテちゃん。昨日はよく眠れた?」
「……ん。――おはよう」
いつものように執務室に入って、朝のあいさつをした。
ソワテちゃんはイスに座っている。私に気がつくと見上げてきて、小さくあいさつを返してくれた。
ソワテちゃんは一日のうち、大半は部屋にこもって資料や本に目を通している。そしてあまり自分からしゃべろうとしない。相づち、会釈が基本で、話を振らないとずっと静か。それでも話す時はちゃんと話すし、怒る時は怒る。目を合わせて来ないのはご愛敬よ?
そんないつも通りのソワテちゃんだけど、私は大事なことに気がついた。
「……ねぇ、ソワテちゃん? 一ついいかな?」
「……なに?」
「ちょっと確認だけど、まさかまた机で寝てた――何てことはないわよね?」
隣の部屋。執務室と繋がっているソワテちゃんの寝室のベッドが、いやにキレイだったのを私は見逃さなかった。見逃すわけがない。だってそこは昨日、キレイに掃除をしたから。塵一つないほど完璧な寝室を作った。
ソワテちゃんはそんなことしない。片付け何てそんなこと、するはずがない。散らかすだけ散らかす。
――ソワテちゃんはそういう部屋が好きだから!
「……」
「黙ってても駄目よ? 言い訳するならちゃんとお姉さんにそう言いなさい。怒らないで聞いてあげるから」
それでもソワテちゃんは何も言い返してこない。後ろめたいことがあると、すぐに本で顔を隠す。今もそうしている。
一応、優しく言い聞かせてるつもりだけど……もう少し距離を詰めた方がいいわね。
ソワテちゃんに近づく。屈んで目線を合わせる。本をどける。
「お姉さんはソワテちゃんの体を心配して言ってるの。休む時はしっかり休まないと疲れが取れないし、変な癖が付いちゃったら大変よ? ――今日からは、お姉さんがお布団に入るまで付き合うことにするわ」
「……え? いや……別に……いいよ」
本当に嫌そうな顔をされる。ちょっと悲しいけど、ここは心を鬼にして、
「ダーメ。そう言って昨日の約束を破ったのはソワテちゃんの方でしょ? ここはお姉さんの言い分に従ってもらいます。――いい?」
「……好きにすれば」
「ふふ、ありがと」
これで話しは終わりだと思ったのか、ソワテちゃんは本を手繰り寄せようとするが、そうはさせない。私は立ち上がってその本を天へと近づけて、「――それじゃあ早速だけど、朝ごはんの時間よ」とついでに本を上の方の棚へとしまう。ソワテちゃんじゃあ、イスに乗らないと届かない。
「……もう食べた」
そんなことはない。ソワテちゃんが一人で食堂に行くなんてあり得ない。
何かとかこつけてご飯を拒否しようとするのも慣れたもので、「――大きくなれないわよ?」と小さな体のことをイジワルしてあげると、ソワテちゃんは素直にイスから立ち上がった。
「……トイレしてから」
「お姉さん、手伝おうか?」
「……」
ソワテちゃんはそのまま私を無視して、黙ってお手洗いに行ってしまった。
執務室はお手洗いも完備している。寝室とは逆の方向。バタンと閉まった。
――ソワテちゃんがいないうちに少しでもお掃除しておこっかな。
今さらだけど、執務室はバリバリに汚い。昨日キレイにしたはずなのに、本は散乱。紙は飛び散り、もうめちゃくちゃ。ある意味それも才能なのだろうけど、それに比べて寝室はキレイなのだから、好き嫌いがはっきりした子と言える。ちなみにソワテちゃん、トイレの使い方はキレイよ?
「……あ、しまった!」
私はある重要なことに気がついた。が、しかし。一歩遅かった。すぐに振り返ったけど、お手洗いの扉は閉まっている。
片付けを取り止め、お手洗いの扉を叩きながら、
「ソワテちゃん! 今、本持って入ったでしょ? お姉さん見逃してないからね!」
そう問い詰めるが、返事はなかった。当たり前ね。
ソワテちゃんは籠城作戦を発動し、朝食をすっぽかすつもりなのだから。
これは私の落ち度。油断が死を招く戦場だったら終わっていた。朝食の時間と場所は決まっている。私はすぐに時計を確認した。
――今は六時五十三分。
食堂は別の建物にあるため、ここから普通に歩いても三分。ソワテちゃんのことを考慮すると、五分はかかると思っていいわね。それに連れ出す時間も考慮しないと。
抱えて走るなんてことはできない。ソワテちゃんの尊厳を守りつつ、何としても朝食を食べてもらう。
――なら、奥の手を使うしかない。
「来いっ! し――」
あの名前を呼ぼうとした矢先、ガチャリお手洗いの扉が開いて、
「……行こ」
と、見上げてくる目の冷たさが、私の心に突き刺さって、
――それはもうかわいすぎる。
……。
……。
……って、浸っている場合じゃない。追いかけなくちゃ。
私は執務室を出て、ソワテちゃんのあとを追いかけた。
「ご、ごめんねソワテちゃん。お姉さん勘違いしちゃったみたいで……」
「……別に……慣れてるから」
真っ先に謝ったけど、冷たく返される。
素っ気ない態度は悲しいけど、私を見てくれている意味が含まれている言葉で、ちょっとうれしい。けど、どっちつかずの二つの感情に振り回されて、結果的に会話が途切れてしまった。
ソワテちゃんは歩きながら本を読んでいる。歩きながらは危ないのだけど、それを取り上げると、ソワテちゃんは口を聞いてくれなくなる。だから仕方なく許している。
――仕方なく、よ!
「ねぇ、ソワテちゃん。今日の朝食は何が出ると思う?」
「……さぁ」
「き、今日は『風向き』がいいのかしらねー。『瘴気』も少ないと思わない? ねぇ、ソワテちゃん?」
「……そうだね」
「……お、お姉さん、もっとソワテちゃんと話したいんだけどなぁ」
「……冷めるよ」
廊下、外、そして食堂。場面、場面で話題を振ってもフラれ続けた。
食堂は広い。普通なら兵たちで溢れてるけど、今は閑散としている。それも、時間が時間のために仕方ないことだけどね。
私たちは時間内ならいつでも食事ができる。だけど兵たちは決まった時間がある。なにぶん大所帯。スムーズな流れを作るための師団の決まりごと。
ソワテちゃんはそこを避けている。食事を気嫌っているのもそのため。大勢の場所は合わないみたい。だから食事はいつもギリギリになる。
「ごちそうさまでした」
私の方が先に食事を終える。あとはソワテちゃんが終わるのを待つだけ。
この時間がいい。食事に集中するソワテちゃんは私だけに魅せてくれる――、
「た、大変です! ソワテ団長! レノ副団長!」
――イラッと来た。
一人の兵が慌てた様子で駆け寄ってくる。しかも大声で。
この時間がいいのに。それなのにいったい何をしてくれる。この兵は――、
「……どうしたの?」
私は立ち上がってその兵に問いただした。ソワテちゃんの前だ。怖いお姉さんにならないように、心を落ち着かせないと。
兵はパニックになっている。「ま……ま……」と口がその名を出すまいと震えているけど、「――状況報告!」と私が一喝すると、震えは止まった。
「こ、この基地に、『魔物』の侵入を許してしまいました……」
「――――!! ソワテちゃん!」
「……ん。行こう」
パパっと口にパンを詰め込む姿がまたかわいい。膨れた頬にうっとりしつつも、「――よし、行きましょう」とすぐ現実に戻る。ソワテちゃんを背負って、「こちらです」と言う兵の先導を受けた。
食事時間を邪魔したことを後悔させてやる。あと私の有意義な時間も合わせて、償わせてあげる。
――そこの兵ちゃんにもねっ!
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私には剣術の心得がある。
私には自分を守れる力がある。
――ほ、ほんのちょっとだけだけど……。
そんぬ胸を張って言えるものじゃない。私はまだまだ未熟者。自分を守るので精一杯で、ホントに弱い。『ソルシエール』の一人として、もっとしっかりしなくちゃ、置いていかれる。もちろん『副師団長』としてもそう言えるわね。あとお姉さんとしても、よ。
私たちは急いで現場に向かった。
ここまで来ると、ソワテちゃんはもう師団長。「……もういいよ」との命令に私はすぐに応えて、残念だけど下ろす。
――もうちょっとおんぶしておきたかった。
ソワテちゃんは小さな歩幅で、先頭を行く。戦況報告を歩きながらに受けて、その時と並列ながら資料に目を通すソワテちゃん。真剣な眼差し。いつも見せてくれる顔とは全然違う。勇ましい。
目で見て、耳で聞いて、頭で考える。当たり前のことだけど、私たちとソワテちゃんとではその速さが違う。
「……そっか……正門……」
歩いて七歩目。立ち止まったソワテちゃんは深く考え込んでいる。「どうしたの? ソワテちゃん」と声をかけると、ソワテちゃんは振り返って「……ごめん。俺のせいだ」と急に私たちに謝った。
何かが見えたのかも。それで自分のせいだと……私は屈んでソワテちゃんの頭に手を置いた。そして優しく、「そんなことない」と頭を撫でてあげた。
「今は落ち込んでいる場合じゃないわソワテちゃん。お姉さん頑張るから、どうしたらいいか教えて欲しいな」
「……うん。――正門に向かってほしい」
「そっか。分かったわ」
「……お願い、レノさん」
「うん! お姉さんに任せて。――大丈夫だからね、ソワテちゃん。何も気に病むことはないわ。お姉さんだって全然気づかなかったし、それにね――」
頭を撫で終えて、私は立ち上がる。辺りをキョロキョロと――そして私の目的の武器を持つ兵に、「あ、これ貸してくれる?」とそれは先頭してくれた兵。その子とやり取りをしつつ、貸してくれた刀を受け取って振り返り、
「――すぐに終わらせれば何とかなるわ。だからそんなに落ち込まないでね? ソワテちゃんはソワテちゃんの出来ることをして。他のみんなにしっかり指示を出して。その間に、お姉さん頑張ってくるから! こっちのことは任せて」
ソワテちゃんを励まして、私はその場から正門を目指して走り出した。
「……気をつけて」
その言葉への返事は出来なかったけど、手を振って、ソワテちゃんからの気持ちはしっかり受け取った。
ここからの私は優しいお姉さんではいられない。『ソルシエール』としての私。冷徹に、残虐に、慈悲など与えることなく、『魔物』を殲滅するだけ。
――戦場では油断が死を招く。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そもそも、ここ師団本部が襲撃に遭うこと事態珍しいことだ。ここも一応、最前線なことには変わりないけど、本当の最前線はここよりもさらに奥。それでも『風向き』と『瘴気』の影響でたまにこういうことは起こるれど……。
師団本部にはいくつかの『魔物』対策がある。
まず一つ目として、師団本部は大きな壁で囲まれている。これにより侵入経路を制限している。四方には大きな扉があって、そこから私たちは出入りをしている。
二つ目。扉を抜けると防衛ラインが三つほどある。もちろん四方、それぞれに。そこを抜けられると、本部の心臓部。そうなればつまり、
――この師団は終わりってことよ。
今は周りのことを考えてる場合じゃない。落ち込んでいるソワテちゃんのために、私にできることを精一杯やる。そのために正門に向かって走るだけだ。
「副団長殿っ!」
「――戦況はどうなの?」
「はっ! 何とかここで食い止めている状況であります!」
私が到着すると、兵が駆け寄ってきて、最新の現場状況を報告してくれた。
防衛ラインは二つ目まで後退している。もうここまで押し込まれているのは流石に想定外。ただ、諦めるわけにはいかない。絶対に。
「ここらか何とかみんなで前線を押し上げましょう。――私が先頭で行くから、あなたはみんなに大声でその事を伝えて」
「分かりましたっ! ――副団長が来られたぞー!!」
指示を受けた兵はすごい大きな声で――士気が上がったように思える。
――私、そんな大層なものじゃないのだけれど……。
とりあえずみんなの邪魔にならないよう前線に出ようと、前へジャンプ。その間に刀を引き抜く。そして鞘を捨てた。
――答えは簡単、邪魔だから。
「……あ! 間違えた!」
落下していく鞘を見ながら――ついつい、いつもの癖が出ちゃったけど、まあいいわ。ここは冷静に――そう報いと思え。ソワテちゃんとの時間を邪魔したあの兵への報いだ。
刀など滅多に支給されないから、手に馴染むこの感覚に、もしかしたら少し興奮してるのかも。
――あの刀を使う必要はまだない。
「……だから貴様らは幸運だと思えっ!」
上から見下ろして狙いを定める。まずはあの巨大な『魔物』。それを倒せれば多少は前線を押し上げられる。
「グルルッッッッ!!」
「――死を味わいながら死ねるのだからなっ!」
落ちながらに狙いをつけた『魔物』へと、私は刀を思いっきり振り落とした。
私は刀を持つと人が変わるな、などとよく言われる。
何故私が『ソルシエール』の一人なのかは、あの刀と私の左眼の二つが大きく関わっている。
ソワテちゃんには教えられない私の秘密。
――『紫雨』と呼ぶ刀身が紫色の刀と、左目の『魔眼』のことだけは絶対に……。
私はそのあとも先頭で戦った。自分のことで手一杯で、後ろのことなど構っていられないほどの『魔物』たちの攻撃だった。
「これで終わりか……」
それでも何とかどうにか凌ぎきれたみたい。正門への道は開けた。
最後の『魔物』の息の根を止めて、刀の血痕を振り払うと、やはり最後にやっぱり鞘がないと締まらないなと思った。
とりあえずそのまま正門へと向かった。そこにたどり着くと、思いの外、魔物の勢いがない。さっきので最後かと、振り返るとそこには『魔物』の死体が山のように築き上げている。
――みんな頑張ってくれたみたいね。
それでも顔が引きつってしまう。頭を抱えさせられる。
「はぁ……後始末が面倒なのよね」
「おおっー!! 流石レノ殿ですなっ! あの『魔物』共も木っ端微塵。天下無双の活躍ぶりではないですかっ! あっはっはー!!」
駆けつけにきたみんなが、死体を見て騒ぎ立てている。
あれのどこが木っ端微塵なのか。たかが石ころ程度の大きさのどこが、
――やるならもっと、こう……形すらないくらいにお見舞いしてあげなきゃ。
「――レノ副団長ー!!」
突如、私に大声で駆けて寄ってくる一人の兵に対して、「どうしたの? そんなに慌てて」と私はとりあえず、その兵が息を整え終わるのを待つことにした。
「そ、ソワテ師団長から言伝が……外の様子を確認してもらいたいとのことであります!」
その兵は息を整えると敬礼して、「分かったわ」と私はそれを受け取った。それと同時に、「――あと、ソワテちゃんに一先ず終わったって、伝えてきて欲しいわ」とこちらからも言伝を頼んだ。
私は言伝を頼んだ兵を見送ると、早速ソワテちゃんの指示通り、ぴょんぴょんと壁を駆け上がって外の様子を窺った。
残念だけど、見張り番は全滅している。見るに耐えない血痕だけが乱雑し、死体はどこにもない。
手を合わせて祈りを捧げる。
――どうか安らかに。
見渡す限り、外の様子について特筆すべきことはない。
『魔物』の姿は無し。地平線まで続くように、緑色の大地が広がって、青い空に、白い雲。そして太陽。
こんなことがなければ、清々しい朝の光景なのに、全くもって台無し。血生臭さが漂う。へばりついた血痕と浄化の証の煙柱が立っている。
「ここにソワテちゃんが望むとものがあるの? ……お姉さん、分かんない」
ありのままを伝えればいいのか。けど、そうするしかない。
――特に異常はなかった、と。
「――――!! なるほど! そういうことね、ソワテちゃん! お姉さん分かったわ!」
私はこの事件の背景を理解した。そして一つの答えを抱えて、ぴょんぴょんと壁を降りた。
――異常がないこと。それが異常なのだ。
兵たちみんなへ上の惨状を報告。また祈りを捧げた。
重い空気だけどこれは仕方ない。こうなることをみんな分かっている。明日は我が身、だ。だからたとえ嘘でも明るく、元気に、普段通りに振る舞う。そうでなくては、逝った者たちへ申し訳が立たない。
「前々から思っていたのですが、レノ副団長はどういう身体能力をしているのですか?」
一人の兵が私に聞いてきた。「ん? どういうこと?」と私は普通。特段、褒められるほどの能力とは思わないのだけれど……。
「あの外壁、7メートルはくだらないと思うのですが……」
そんなに疑問に思うことなのか。
壁を見てみる。確かに高いけど、やれないことはないと思う。流石にソワテちゃんには難しいと思うけど、私とみんなは同じぐらいの年齢だし、みんなしっかり訓練を積んでるし、そして何より、
「人に不可能なんてないのよ! ――あ、そうだ! なら今度、みんなで訓練しようか? お姉さんが教えて上げるわよ?」
パンっと手を叩いて、提案してみた。
いいことを思いついた。私ができて、みんなができないはずがない。ならみんなもできるようになればいい。できるように訓練に励もう。そうすればきっと、全ては巡り巡ってソワテちゃんのためになる。
「よーし! 仕事するぞー!」
「「おおー!」」
だけど、みんな私の提案を無視した。各々仕事に取り掛かり始めるように離れて行く。
「ちょっと、お姉さんの話を聞きなさいよー!」
「……副団長はなぁ、キレイで、エロくて、少し抜けててかわいいんだが、まんまと話に乗せられると、確実に病院送りになるから気を付けた方がいいぞ」
聞き捨てならない言葉は、結構な確率で耳に入る。
「……今、私に色目を使ったやつは前に出ろ。――斬り捨ててくれる!」
いいところに刀が落ちてるものだ。蹴り上げて構えると、一瞬にして青ざめて、兵たちは逃げ出した。
仕事だけは真面目に済ませているから、仕方ない。ここは許そう。追いかけるのはやめてあげる。
私もソワテちゃんのもとへ行く。その道のりには、浄化される『魔物』たちの放つ火柱。それらを尻目に、私は少しずつ炭化して行く様を見て、少しだけ哀れんだ。ほんの少しだけ。百中、七ぐらい。これでも多いくらいだ。
――『魔物』とはいったい、何のために生まれて、何の目的で人を襲うのだろうか。
それこそ、未だに分からないことの方が多い。
『魔物』は穢れを運んでくる。その穢れこそが『瘴気』と呼ばれる。霧に似た黒い空気。
『瘴気』は、土地を腐らせ、海を汚染し、空を閉ざす。そうなってしまったところは人が住めなる。だから死体は火で浄化させる。魔物は存在するだけで『瘴気』が発生するからだ。
『瘴気』を運ぶのは主に風。そのためにここ最前線では、『風向き』の変化に敏感にならざるを得ない。
特に夜は危険で、『風向き』変化に対応できず、一晩で壊滅的被害を受けた師団もあるという。
ソワテちゃんが落ち込んでいたのは、そんな状況をすぐに理解したからかな。 一先ず、片付いたことをソワテちゃんに報告。労いの言葉をもらって、私の役目は一旦、終わる。これから忙しくなるのはソワテちゃんや兵たちみんなの方だ。しばらくの間、この基地は警戒態勢が続くから。
――また机で寝る日々が続きそうね。
的確なソワテちゃんの対処の結果、基地も師団も大事には至らなかったわけだけど、確かな現実もある。
被害は決して軽くないこと。犠牲があったこと。そして傲りがあったこと。
「……俺が油断したせいで、見張りのみんなを犠牲にした……ごめん」
ソワテちゃんは近くの兵たちを集めた。そしてみんなの前で頭を下げて謝った。
誰も何も言わない。みんな分かっている。だからこそ、
「……頭をあげて、ソワテちゃん。ソワテちゃんのせいじゃないわ。悪いのは魔物の方よ」
優しく励まして、「――今日の失敗は次に生かしましょ?」付け加えると、「そうです!」「そうだ」「そうですよ」と兵たちみんなが同調する。ソワテちゃんの頭があがる。
「――さ、まだ終わってないわ! ソワテちゃんの指示通りに取りかかっていくわよ!」
「「「おおー!!!」」」
私が促すと、みんな一斉に散って行く。
「――私たちも行こっか」
「……うん」
見回りも兼ねて、これから謝罪行脚が始まる。
ソワテちゃんはいつもそうしている。自分の失敗により犠牲者が出ると、兵たちを集めて頭を下げる。しかし今回のことは自分の不甲斐なさではないのに、理不尽なことなのに、それも恐らく分かっているはずなのに――。
――だから私はソワテちゃんに惹かれたのよ。
天才であることを棚にあげず、常にみんなのことを考え、みんなに寄り添い、みんなに応える。
誰よりも師団のことを想う師団長が、不穏分子なわけがない。
だけどそうなると、私もそろそろ――。
「……安心してソワテちゃん。あとはお姉さんがやっつけてあげるから」
「……何か言った?」
「うんうん。何も言ってないわ」
そう。まだ終わりではない。
――この襲撃事件はまだ、全て解決していない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その日の夜のこと。
「――お姉さんの言うことを聞きなさい!」
「……」
日付が変わった今も、ソワテちゃんはイスに座ってベッドに向かってくれない。ただ黙って資料をまとめている。
「話を聞きなさい!」
「……もうすぐ終わるから」
「ソワテちゃん? そう言ってるけど、もう何度目か分かってるのよね? ――七回目よ、七回目! また今日もベッドで寝ないつもりね? いいわ! お姉さんと根比べよ! 寝るって言うまで動かないからね」
イスをドンッと、わざと音を立ててソワテちゃんの前に置いて座って見せる。怒った顔を作って見つめる。
「……」
それでもこっちには目もくれない。けど、真剣な表情がまたいい。ずっと書類とにらめっこしてて、こっちに気づいてくれない。
「……暇なら――」
「――お姉さん、暇じゃありませんよ!」
ここは鬼になる。ぷいっと顔を逸らす。
本当は手伝ってあげたいけど、それをしちゃうとソワテちゃんずっとこのままだから――、
「……俺が寝るためには仕事、早く終わった方がいいんじゃないの?」
「――――!! そ、それもそうね!?」
――確かに。これじゃあ、本末転倒じゃない。
「……じゃあ、これ」
ソワテちゃんを覆い隠すぐらいに積み重なった書類の山が、机の下からいくつも現れて、「……判子押すだけだから。あとはよろしく」と仕事の全部押しつけられた。
「さ、流石にこれはあんまりよソワテちゃん」
泣きたくなっちゃう。けど頼られるのはうれしい。だから気持ち的には半分半分。
「……俺の判子は押してあるから」
「……え? じ、じゃあ何で?」
「……全部押されてるか見て欲しい。俺、目が疲れて……押し忘れ、あるかもしれないから」
「わ、分かったわ! その代わり、お姉さんとの約束は守ってね?」
「……うん。――おやすみ」
「おやすみ、ソワテちゃん」
トコトコと寝室に向かってくれた。
しっかりベッドに入ってくれただけで、やる気が満ちる。
「よーし! やろうかな」
ソワテちゃんのイスに座って、まずは一枚目――問題なし。二枚目――早くも問題発生。
「な、なにこれ!? 全部白紙じゃない!?」
二枚目から下全部が白紙。真っ白な文字もない紙切れ。つまりそれは、判子の確認がないことを意味している。
「……お姉さん分かんない。ソワテちゃんはいったい――!!」
山になった書類の一番上から、判子が押されていないものを見つけた――その時、
「……せっかくいいものを見つけたって時なのに!」
何故か短剣が飛んできた。何とか受け止めて、それが飛んできた廊下へ飛び出すが、もう誰もいない。
「……舐めた真似をね!」
痕跡が残っている。まるで来いと言っているようで、
――いいわ。その挑発、買ってやる!
私は急いでその跡を追いかけた。外へ出て、しばらく走ると、痕跡が途絶えていて、またも飛んできた短剣を何とか回避する。
「……舐めないで! お姉さんの眼から逃げられると思ってるの?」
辺りは真っ暗闇。それでも見えているのは眼のおかげで、また避けられたのもそのおかげだ。
私の真実を突きつけると、二人の男は姿を現した。
すぐに現れたのは、私の眼のことを知っているからだと思う。普通なら、何のことか分からない。だから、こちら側の関係者。そう裏づけられる。そして何より、真実を教えたのは手短に済むからでしかない。
――この二人が黒幕だ。
「……流石は『ソルシエール』様。全てお見通しのようで」
「しゃべらなくていいわよ? ――来いっ! 『紫雨』!」
私の愛刀は名を呼ぶとすぐに手元に現れる。そのまま鞘ごと刀を捨てた。
鞘ごと捨てるのは、腰に備えるのが面倒だから。『紫雨』は私に勝手に引き寄せられて、腰に携わってくれる。戻れと言わない限り、私の腰元にあり続ける。いわば一心同体の友だ。
「私の目の前でソワテをこけにしたお前たちに慈悲などない。欠片すらなっ!」
「お、お待ちを。我々は何も、あなた様に敵対心を抱かれる所以など――」
「――所以など無くていい。お前たちの存在自体が悪でしかない」
今すぐ殺してやりたいのは山々だけど、あの技には隙がある。こちら側の関係者なら、私より優れていてもおかしくはない。当たるかどうか……。
逃げられては面倒だから、まずは足を止めることに集中する。そして構える。
――居合の構え。
柄に手を当て、態勢を低く。そして刀を引き抜いて、思い切り振って――、
「――『紫縮』!」
一度納めてまた構える。それから二発目を繰り出す。
一連の動作はただの居合術でしかない。訓練をしなくても、みんなができる芸当。そんな大層なものじゃない。
『紫縮』は『紫雨』から繰り出せる、私の攻撃の中で一番早い剣技。斬ったところの自由を奪えて、それに痛みはない。
「……あぁ! これだぁー!」
「な、なんだ!? あ、足が……この距離、だぞ」
「……どうやら決まったようだな。――『紫縮』でお前たちの足を止めた」
足は落さない。こんなところで血溜まりができるのはあまりにも不自然すぎる。
――と言っても、本音は離れていたからそもそも当たるかなって思った。
とりあえずは当たったみたい。二人とも動けていない。それに足を落としちゃうと、叫ばれてみんなが来ちゃうから、そういう意味で『紫縮』は使い勝手がいい。だから好き。
ゆっくりと近づく。だけど油断大敵。もしかしてまだ何かあるのかもしれないから。
「さ、流石は『ソルシエール』様だぁ……すばらしい!!」
「何、とろけてやがるっ! ――お、お前! 我々に手を上げるとは……反乱分子として報告するぞっ!」
一人の男の脅しに、私の足は止まった。何故かもう一人の方は気味悪く笑っている。
――こわい……。
「……お、脅しても無駄よ! あなたたちはもう動けないはず。それでどうやって報告するって言うのよ!」
「……結構効いてるな。――ならお前が連れていけ」
「お、お姉さんがあなたたち二人も背負えるわけないわ! だいたい、そうやってお姉さんの首を取るつもりでしょ。――油断も隙もない」
柄に手を当てて、臨戦態勢を取る。
まんまと口車に乗せられそうになった。危ない危ない。これ以上近づくのは危険。それに本当はまだ動けるのかも。だから強気なのかもしれない。関係者なら逃げる手段の一つや二つ……それよりも、もう一人が不気味すぎてこれ以上、近づきたくない。
「――足を元に戻せ! 『ソルシエール』ならそれぐらいわけないだろ!」
――やっぱり、当たってたのね。
これで脅しには屈せずに済みそうだけど、気は緩めない。決してね。
「それはできない。私は奪ったものを元通りになんてスゴ技、あの人たちじゃないと……でも、お前たちが悪いのには変わらない。だからお気の毒としか言えない」
殺した者たちは戻らないし、奪ってしまったものもまた同じこと。だけど、それが出来そうなのが『ソルシエール』――私以外の『六人』ならもしかすると――。
「――なら、知り合いに治せそうな人がいるが、紹介しようか? それで手を打つのもありだ。今日のことをなかったことにしてくれるなら、そちらとしてもありがたい話だろ」
「――――!! な、なんのことだ」
「今日は『瘴気』も『風向き』も問題なかった。ソワテが見張りを少なくしたのもそのためだ。それなのに『魔物』がこの基地まで来るということは、明らかに人為的な工作がなされているのは、明白な事実。――何か言い訳があるか?」
「証拠がねぇだろ」
「証拠はないが、私のこの眼はお前たちが黒幕だと言っている」
見せつけるように、『魔眼』で二人を照らす。
そんな力なんてない。光はただ『紫雨』に反応しているだけのもの。
「――それにだ。『ソルシエール』である私と、お前たちとでいったいどちらが信頼されていると思っている」
本命はこっち。私は信頼されていないと思うけど、他の六人の『ソルシエール』の信頼は厚い。私がもしも『ソルシエール』ではなく、この二人と同じ関係者の立場なら、間違いなく『ソルシエール』を信頼する。
――当然、私以外のね。
「……へへっ。アッハハハハ!!」
その男は狂ったような笑い声を出した。気味の悪い声に、私はさらに怖くなった。二人揃っての不協和音が怖い。すると突然、「……あぁ、ご名答だぜ『ソルシエール』」と不適な目付きに変わって、
「――俺が犯人だ」
「……やはりそうか。ならば死は免れないぞ」
あっさり自供した言葉を受けて、私は躊躇う理由がなくなった。少しずつ近づき、とうとう刃の届く範囲まできた。
――その時だ。
『紫雨』を鞘から引き抜こうとしたその時だ。
「――だがなぁ! お前は俺たちを殺せない。――知ってるかぁ? 俺たちはお前を見張っていた。なんだぁ? あのガキとの癒着ぶりはよぉ! よーく見させてもらったぜぇ!」
ニヤリと、挑発しているつもりのようだが、今の私には効かない。怖くない。それにこういう時のために、ある剣技がある。
「……安心しろ。今から繰り出す私の技は、お前の存在そのものを散らす」
「ぁ? 殺ってみろよ! んなこと出来るわけ――」
「――ならば受け取れ! はからずも散って逝った命の弔いに、お前の命の灯火で、彼岸の道しるべの手向けとなれっ!!」
「――――!?」
「――『紫散咲』!」
『紫散咲』は、『紫雨』からだけ放てる剣技。刀身を当てた相手を、この世の全ての者の記憶か消し去る。もちろん命も抜かりはない。当たれば最後、滅多なことでは使わない。
その男はここにいなかったことになる。誰も死んでないことになる。そして誰も覚えていないことになる。だから最初からここには、一人の男しかいなかったことになる。
「――――」
「……散れ。そして咲くといい――あの世でな!」
刀を納めると、私は何故抜刀したのか思い出せなかった。それでも残るこの感覚は、『紫散咲』のあとだと分かる。
「……お前はいつまで笑っている」
鞘に手を当て構えながらに問い詰める。
距離が近い。怖い。本当なら躊躇っている理由はない。今すぐ斬り捨てたいがこの男、『紫縮』が当たったのか分からない。ずっと笑っている。それに、
「ソワテのためにお前には自白を勧める。そうすれば足は治してやる。この条件では不服か?」
この男、意外にも話が通じそうだと思った。笑う表情はよく見ると喜びに近い。それはそれで気持ち悪いけど、この男は『ソルシエール』としての私のことを褒めてくれた。ちょっとうれしい。だから譲歩を促した。
しかし、「……駄目、ですよ『ソルシエール』」と急にその男は冷静に話しを始めた。
「――何のために私があの痕跡を残したか、お分かりですかぁ?」
「痕跡……それがどうした」
「まだ分かっていないようですねぇ……ほらっ、ご覧なさい」
私の後ろを指差して、思わず釣られて見てしまう。すると私の眼がこちらに近づく小さな一つの影を写し出した。
「まさか!? お前、それでわざとあの痕跡を!?」
「……えぇ。えぇ、えぇ!! やっと気づきましたか!」
――やられた。あの痕跡は私を誘うものじゃない。
「……っ、何が望みだっ! 早く言えっ!」
切羽詰まった。まともに考えている余裕がない。もしここに――そんな最悪の想定で頭がいっぱいだ。
何と言い訳すればいい。このままだと、私が『ソルシエール』だとバレてしまう。そうなれば、私はもうここにはいられない。その前にこの男を殺すか。多分それが最善手。『紫散咲』なら何もなかったことにできる。だけど、それだと――それだと、
――今日の襲撃事件の発端が、ソワテちゃんのミスとなってしまう。
『紫散咲』といえど、全てを完全に消せるわけではない。
改めて整理しろ。『紫散咲』の能力を踏まえろ。
今すぐこの男を殺しても、今日の事件は消えない。こいつが『魔物』を引き連れてきた、という証言、証拠、証明が消失する。すると辻褄を合わせるためのしわ寄せが、ソワテちゃんに向かう。
『魔物』はやって来て、それによる被害が出て、私が対処をして、原因を突き詰めると、見張りの不足が浮かび上がる。それを行ったのがソワテちゃん。それは傲りと言える。だけど悪いことじゃない。そもそも、被害ゼロで『魔物』を対処しようなど、おこがましい話だ。上に立つ者なら、それも計算して、勝つための策を練るのが普通。
結局のところ、ああだ、こうだ言っているここが、私の弱い部分だ。
切り捨てられない。それが戦場でどれだけ足を引っ張るか、分かっているはずなのに――、
――お姉さんはそれがいやなのよ!
「あぁ……『ソルシエール』様よ! 私を殺して下さいませ! 私はあなた様――いいえ、『ソルシエール』様の手にあやかり、そして召されたい! あぁ……『ソルシエール』様は私の想像以上に素晴らしい……アハハ。アハハハ」
「……っ、気持ち悪いやつ」
思わずたじろいでしまう。こいつは頭のネジが吹っ飛んでる。手遅れに近い。頬を手で掻いて、狂ったように、「アハハ」と何度も薄気味悪く、それでいてにやけているのがいけすかない。
――こいつ……『ソルシエール』なら誰でもよかったのか。
なら何で私のところに――他の六人なら、あっという間に片付けてるのに――今の私にはできない。このままこいつの思い通り……何かもっといい対処の仕方があるはずだ。
――駄目だ。頭が回らない。
ソワテちゃんなら一瞬で思いつくはずなのに……何で私は思いつかない。
「どうしましたぁ? 間に合いませんよ、『ソルシエール』様ぁ」
私はその男を睨み付けた。私の切羽詰まった状況を見て、ニヤニヤと死を促してくる。
こいつは本当にいけすかないやつだ。それでいて策士。私にもっと頭があれば、こいつを殺さずに済むのかもしれない。
迷っている暇はない。すぐにソワテちゃんが来てしまう。
刀を構え、ただそれでもどうしてもあと一歩が……。
――私は『ソルシエール』だ。
私は私に言い聞かせる。まず何を置いても、私は『ソルシエール』――なら、使命を果たせ。ソワテちゃんのことは忘れろ。師団のことは忘れろ。そのために私は――私は――、
「……っ、お前の望み、叶えてやるッ!」
――私は弱い。
これでいいとは思いつつも、本音はそこにない。
――私は私が見えない。
本当に弱くて、弱くて――情けないお姉さんでしかない。
……。
……。
――私はいったい、こんなところで何をしていたのだろうか。
「……戻りなさい」
手元にあった『紫雨』を私はすぐに元に戻した。何故なら、私の眼が建物の影からこちらを見ているソワテちゃんを捉えたから。
見られてはいないと思う。今来たように見えていた。
「――寝てなかったの? ソワテちゃん」
私は優しく言葉を掛けた。私に気づかれて、びっくりしてる。それでもすぐこっちに来てくれた。
「……ご、ごめん。お、俺……その……」
「ど、どうしたの!? ソワテちゃん、急に……こ、怖い夢でも見たの?」
急に泣き出したソワテちゃん。袖で涙を拭ってる。
かわいいけど流石に状況が一大事。私は屈んで抱きしめて上げた。
「……れ、レノさんが、その……と、飛び出して行ったから……お、俺、いなくなると思って……ごめん。うまく言えてない……」
「……そうだったの。大丈夫。大丈夫よーソワテちゃん。上手く言えてるし、お姉さんどこにも行かない。――つまりこういうことでしょ? お姉さんがいなくて寂しかったってことでしょ? どう? 当たってる?」
「……そ、そうじゃなくて。書類、見てたから……それで……その……」
きっぱり断罪されて、ソワテちゃんの涙声が途端に消えて、さらには冷静にさせてしまった。
――そ、そっちかぁ……てっきり寂しくて追いかけてきてくれたのだとばかり。
「と、当然知ってたわよ!? だってお姉さんだもの! お姉さんが知らないことなんてないわ!!」
見当違い、的外れだったけど、ここはお姉さんとしての威厳保つ。それが今、私にできる精一杯だったけど、
「――ただ、ね? ソワテちゃんがそれで落ち着いてくれるかなって……」
何とか振り絞って――私ながらにうまく見繕えた気がする。
「……ありがと。落ち着いたから、離して」
「あ、はい」
残念。もう少し抱いていたかった。
軽く持ち上げて、立たせてあげた。涙は確かに消えている。いつものソワテちゃんだ。
「……答え、聞かせて」
「もちろんオッケーよ」
ふたつ返事で答えた。だけど早すぎたのか、「……考えた?」と疑心暗鬼にさせてしまったようで、疑いの眼で見られる。
「ちゃんと考えたわよ? お姉さんはソワテちゃんの――いいえ、ソワテ師団長! 私はあなたの師団の一人になりたいです」
私は真っ直ぐソワテちゃんの目を見て伝えた。
私の意思は最初から決まっていた。これだけは嘘じゃない。
ソワテちゃんの表情が少しうれしそうに見えた。
「――でも私なんかで本当にいいの? お姉さんうれしいよ? うれしいけど……」
私は改まってソワテちゃんに確認した。
私はうれしかった。ソワテちゃんとこの師団が好きで、だからあの書類を見た時も本当にうれしかった。
ただそれでも、私には隠していることがある。
本当の私はこの師団の厄介者、邪魔者で、みんなを監視するためにここにいる。そんな理由も話せないぐらい弱い者。
本当はここにいてもいいのか、少し迷っている。
「……うん。レノさんは俺のこと、見てくれるから」
ソワテちゃんの言葉は私を貫いた。私の苦い過去を思い出させる。ずっと一人だったあの時のことを――。
けど、それからソワテちゃんは天才と呼ばれる者の苦難と葛藤を、隠すことなく全て語ってくれた。
「……俺は親に捨てられて、ある師団が拾ってくれて、それで恩返ししたくて、師団に入ったんだ」
「うん」
「……でも俺はまだ子供で、剣も持てなくて、体力もなくて、何も出来なくて、足引っ張って、でも出来ることをって俺なりに考えて……」
「うん」
「……それで頭を使うことだって。俺なりに頑張って……それでいつの間にかみんなの上に立ってて……俺、まだ子供なのに……そうなりたかった訳じゃないのに……」
「うん」
「……みんな煙たがって……それで、少しずつ変わらなきゃって……俺がみんなの命を守る立場、だから……食事の時間だって、寝る時間だって、俺の出来ること、全部捨てて……やって、それでみんな着いてきてくれるようになって……」
「うん」
「……レノさんは、俺に無いもの全部持ってる」
「そんなことない。ソワテちゃんこそ、お姉さんに無いもの全部持ってる」
「……違う。レノさんは強くて、慕われてて、みんなを引っ張ってくれる存在なんだ。俺にはそんなのないし……本当は、俺の代わりに師団長、してもらいたいけど……」
「それは出来ないわ。ここの師団長はソワテちゃん。たとえお姉さんがソワテちゃんの代わりに師団長になっても、誰も着いてきてくれないわ。ここにいるみんな、ソワテちゃんが師団長だから頑張ってるのよ。そういう存在に、ソワテちゃんはなったの。――もっと自信を持って」
「……もっと頑張ろうって思うけど、多分これ以上は、俺が駄目になる、と思う。――俺ことはいいんだ。けど、みんなが困るのが嫌で、でもこのままじゃって時に……その……レノさんが来てくれて……」
「そうだったの……」
「……ら、楽になったんだ! か、勝手かもしれないけど、俺……レノさんがいてくれれば……もっと色んなことが出来るような気がして……」
「……それで? 天才師団長さんは、お姉さんにどうして欲しいのかな?」
「……この師団は俺が支えるから……レノさんが俺を支えてくれたらなって……駄目かな?」
「あら? 愛の告白ってこと?」
「……そういうの、今いらない」
「ひ、ひどいわよソワテちゃん! お姉さんの心を蔑ろにする気?」
「……レノさんは俺のこと、好き……なの?」
「好きよ。大好き!」
「……」
「か、勘違いしないでね! た、確かにソワテちゃんは好きだけど……あ、あれ? 好きなんだけど、それは普通の好きの意味の好きとは違くて……あぁ、でもソワテちゃんのことが好きなことには変わりなくて……あ、あれ?」
「……レノさんのそういうの、俺、好きだよ」
ソワテちゃんの真っ直ぐな目が、慌てた私の心の火をポッと点灯させた。熱いくて、熱くて顔を背けてしまった。
多分だけどソワテちゃんの好きはあの好きとは違うと思う。
――私の好きはどっちなのかしら……。
「……大丈夫?」
「……う、うん。今のお姉さん、すっごい隙だらけだったね」
「…………」
ソワテちゃんのしかめっ面。かわいいけどいったい何が――、
「――――あっ! ち、違うからね!? 偶然! 偶然だから!? ――な、何か反応してよソワテちゃん!」
――さ、流石は切れ者。天才の名は伊達じゃない。
……ち、違うと思うけど。
「し、仕切り直しましょう。お姉さんはソワテ師団長にこの身を捧げる覚悟よ。まだまだ至らないお姉さんだけど、精一杯あなたに尽くす。――ソワテちゃんはお姉さんが守ってあげる。どんなことをしても必ずね」
「……俺も守る。レノさんも、みんなも」
「――ならこれからもお姉さんをよろしく頼むわね? ソワテちゃん」
「……ん。よろしく」
その時交わした小さな手との握手。他の誰の手よりも温かったのを、私は一生忘れることはない。その時の少しばかりの笑顔の光りも、そして――、
「……俺、も、見てるから。レノさんのこと」
「――――!!」
ソワテちゃんが私には全てを話してくれた意味が、何となく分かった気がする。だから私はソワテちゃんに惹かれたんだと思う。ほっとけないんだと思う。守って上げたいんだと思う。
――私は、ソワテちゃんを見ていたい!
スッキリした。心のどこかにあったモヤモヤが、晴れた気がする。
雲が晴れて、月がよく見える。
「あぁ……今日は月がキレイね、ソワテちゃん」
「……そうだね。――俺、死んでもいい……かも」
今の言葉は流石の私も聞き捨てならなかった。「ソワテちゃん!」と大きく声を張り上げると、ソワテちゃんはビクッとした。
「……撤回して」
「……な、何? い、いきなり……」
「――何じゃないわ! 撤回してって言ったのよ! そういうこと、冗談でも言うなんて、お姉さん許さないんだから!」
困惑するソワテちゃんの表情が全てを物語っている。何も言い返しては来ない。つまりそれは、ソワテちゃんの言葉が真意でしかないことを意味している。
――まさか本当に死にたいと思ってるなんて……。
「お姉さんの言うことが聞けないのね……いいわ! そういうことならお姉さん、もうソワテちゃんと口聞いてあげないんだから! 勝手にしなさい! ふんっ! だ」
ぷいっとソワテちゃんから反旗を翻して、私は帰路に向かう。もう知らない。
――ソワテちゃんのバカ!
それでもトコトコと着いてくる足音には、少し安心する私がいる。
「……抜けてる。本当に」
「抜けてないわよ!」
振り返って再度、聞き捨てならない言葉に声を上げると、再びビクッとしたソワテちゃん。
私たちを照らす月明かりが消えたのはその直後だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
事件の顛末としては、『魔物』の侵入を許したという、極々普遍的な事件として処理された。ソワテちゃん的には、もっと対処出来ることがあったんじゃないかって、日々頑張っている。そんな『師団長』を支えるのが私の務め。
――そう。私はあの事件からしばらくの後、正式にソワテちゃんの師団に迎えられたの。
『ソルシエール』と『副師団長』――その二つのわらじを履くことになった。
裏では前代未聞だって言われたけど、ソワテちゃんはそれだけ天才なのをみんな知っているし、それにソワテちゃんって欲がないみたいで……だから許してもらえたのも、ちょっとはあるのかも。
今はすごく楽しい。やることが山積みで、その時間に追われる日々に明け暮れている。
「おはよう、ソワテちゃん」
「……ん。レノ……さん、おはよう」
「あぁ! また机で寝てたわね、ソワテちゃん! この前お姉さん許さないって言ったわよね? ねぇ、聞いてるの?」
またいつものソワテちゃんに戻っていた。
過酷な世界でも、当たり前に訪れる毎日。そんな世界でも、私は私を見てくれる人がいる。シンプルなことだけど、それってすごく大事なことなんだって――だから私は、私を見てくれるあなたを誰よりも近くで見ててあげる。ずっとあなたのお姉さんであり続ける。だから、
「あなたの成長、お姉さんにしっかり見せてね? 約束よ?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
余談だけど後日、ソワテちゃんに壁登りの訓練のことを進言してみた。
ソワテちゃんは呆れて、見事に却下された。だけど、壁下りの方ならと、そっちの方で訓練が始まった。
ワイヤーを使っての落下。見張りからの情報伝達が格段に向上したのは言うまでもなく――後に、滑車の原理を用いた技術とソワテちゃんのアイデアが合わさり、『昇降機』なる物が具現化することになるのは、ここからもう少しだけ未来のこと。
読んでいただきありがとうございます。
活動報告にこの短編の設定などを載せてます。
よければ覗いてみてください。