海音寺将吾の慟哭
彼、海音寺将吾郎忠時は、悪い夢の最中にあった。
燃えている、彼の眼前で燃えているのは、彼の住まう村であった。
一体何が起きたのか、いつからここに佇んで呆けていたのかも定かでなかった。
今だ朦朧とする意識を呼び戻して気を張り、海音寺は村に入った。
あたりは火の海、屍累々。しかし不思議なことに、火事で死んだと思われる遺体はただの一つもなかった。
みな、何者かに暴行されて死んだとみられる死体だった。
「お時! 正! おらぬのか!」
海音寺は家族の名を叫びながら村の奥、彼の家へと向かった。
海音寺はこの村にある寺の住職であった。
また、彼は本願寺衆に属する僧であったから、僧兵として武術、兵術にも心得があり、越前越後の国境に属し、越前朝倉、越後長尾の両方から臣従を迫られるこの村を守るため、村長が住職の居なくなった寺に海音寺を住まわせ、彼に村民の教育と武術兵術指南を頼んでいたのだ。
燃え盛る村を走り抜け、小高い山の上にある寺へと海音寺は走る。
そして海音寺は寺にたどり着いた。
村は燃えていたが、寺は無事だった。無事に見えた。
「お時、正!」
海音寺は逸る胸を抑え、門を開け、寺に入る。
彼が目撃したのは、折り重なるように倒れている彼の妻子であった。
「お時……正?」
返事はない。
おずおずと歩み寄り、彼は仰向けで倒れている妻のお時を見た。
その目は信じられぬものを見たかのように見開かれ、首筋にはかなりの膂力で絞められた痕があった。
そしてその隣には、息子の正が、その目はやはり見開かれ、表情は恐怖で固まっていた。
正の頭部はへこむように陥没しており、まるで鈍器で殴られて死んだようにも見えた。
『いかん……いかん!』
海音寺の胸が逸る。
『いかん! 気づいちゃ、いかん!』
内心そう思いながら、海音寺は息子の頭部のへこみと、おのれの握りこぶしを交互に見やる。
「まさか……そんなことは……」
そう呟きながら、今度は妻の、首の絞められた痕に手を添える。
その痕は、正しく海音寺の手の大きさと合致し――
そう、村人と彼の妻子を虐殺したのが、彼、海音寺将吾郎忠時本人に外ならぬことを彼に悟らせ、嗚咽と絶叫、そして得も得られぬほどの恐怖と共に、彼、海音寺を寺の外へ、村の外へと走らせた。
慟哭とともに。