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短編

落ち葉

作者: F

 今日はいい風が吹くねと彼は言う。ええそうねと君が言う。私は傍らで聞きながら、またまた同じ話をしていることに笑ってしまった。今までずっと聞こえていないふりをしていたから、君たちは驚いて私を意識し、照れくさそうに「こんにちは」「どうも……」と君たちらしく挨拶した。


 君は明るく外交的で、すぐに私と握手を交わしたけれど、彼は内気で恥ずかしがりやさんだから、手を出すこともためらっていた。すでにそんなことまで読みとれてしまっていたから、そっけない態度を取られても、それを君がフォローしてもただただ予想通りで面白くて、私はくすくすと笑っていた。


 あれから何度目の季節が廻っただろう。君がはじける笑顔で去った病室にはいくつもの喜びと悲劇がめぐった。どちらかといえば喜びの方が多かったから、私も少し前向きになった。


 何よりも、君たちがたまに私に会いに来てくれるのがとてもとても嬉しくて、悲しいことも軽く感じられたんだ。


 彼が君を好きなのだろうことは初対面の時から私は知っていたけれど、君はなかなかそれに答えてくれなくて彼はとても悩んでいた。ちょうどそのころから彼は、もう知り合いは私しかいない病院に、恥ずかしがりながらも一人で来るようになっていた。


 私は君が、はっきり気持ちを伝えてほしいと思っていたことを知っていたから、それとなくそうするように仕向けたけれど、なかなか実行できない。あの手この手で遠まわしに伝える彼を君はのほほんと見守っていて、なんというやり手だろうと最初は思ったけれど、後からそうする気持ちが分かったんだ。なかなか最終段階までは進まなかった彼の姿は、見ている分には面白く、とても美しいものにも見えた。


 変化の努力の爪痕は、時には君に喜びの涙を流させ、私に感動の涙を流させた。あまりに一途な力強い思いは、悲しいことなど何もかも忘れさせて私まで幸せでいっぱいにさせてくれた。君は意地が悪いのかそれとも経過を楽しんでいたのか、彼の気持ちになど気付いていないそぶりだったけれど、彼をとても大切にしていたことは分かったよ。きっと彼もそれが分かったから君をあきらめずにいたのだろう。


 それから枯れ葉が何度落ち、何度新芽が芽吹いたか。君たちは私の知らないところでついに思いを通じ合わせて、輝く笑顔で報告してきた。なんだよもう、どうせなら私のいるところで告白すればいいのに。ふてくされる私に彼は笑って「それは無理だ」と君を大切に思って言う言葉と同じ力強さで断言した。いつまでたっても恥ずかしがりやさんめ。


 じわじわと私をむしばんでいた病気が、ついに耐えきれなくなった私に気付いてからの君たちの努力には本当に感謝している。

 今まで私はあんなにも大事にされた覚えはなかった。空が青く、陽が照っていることも、ここに生きていられるだけでも宇宙から大事にされている守られていることだから幸せだと感じていたけれど、君たちのそれはもっと強烈に、深く深く私の心を揺さぶった。まるで一人ぼっちで佇む肩に、小鳥がチチュンととまったように。


 ただ私には病を治す力がなかったから、その思いにこたえられないことだけが悲しかった。


 じくじくと体をむしばむ痛みに、徐々に耐えられなくて、私が君たちに別れの言葉を伝えようとした時はじめて私は君たちが怒った顔を見た。自分が病気だったときさえ笑って乗り越えた君と、恥ずかしがりながらも穏やかに私たちを見守っていた彼が怒る生き物なのだということを私はさっぱり失念していて、まいった、さして流暢(りゅうちょう)でもない口で何と説明すればいいのか思いもつかず、ごめんなさいしか言えなかった。


 ただ、その日からは諦めないことにした。


 私が頑張れば頑張るほどに、生きようとすればするほどに病は私を侵食する。けれど、私は人の可能性を信じることにした。諦めない君たちに影響されちゃったんだ。諦めていたせいなのか、年齢の割には小柄だった私は、それから少しだけ大きくなった。


 そして次の枯れ葉が落ちる前に、君たちが見つけ出してきた専門医により、私は君と握手した手と体の一部を切り取られた。


「ここまで浸食されていて回復するか、難しいところです。後は生命力次第でしょう」


 医師が言った。

 不安がる君たちの横で、私は腕と体がなくなったショックを抱えていた。体のバランスが悪くて倒れてしまいそうなのを、医師が用意してくれた杖が支えてくれた。切られた体は、病におかされても私にとっては二つとない大事なものだったから、喪失感は大きかった。それでも君たちを信じることにして、私は生きようと頑張った。そしてそうなった。


 彼が泣いたのをはじめて見た。


 今まで逆効果だった生きる力が、生きる力として機能していることが私は不思議でならなかった。生きようとすればするほど死へ進んでしまった病が、人の手が加わるだけで生きられる可能性に変わるなんて。なんという奇跡だろう。努力や知恵は私も自信があったけれど、不可能を可能にする医師のそれには劣るかもしれない。


 それからまた何度も季節がめぐり、私は生きようとする思いそのままに生きた。もう苦しいことはない。私は病院から離れることができないけれど、君たちは毎年必ず会いに来てくれて、結婚の際には報告に来てくれたし、妊娠した君はこの病院を選んでいつも私と一緒にいてくれた。私は励ますことが出来ることがうれしかった。


 そして生まれた子には、言葉を話す前から私を友達として紹介してくれたね。君に似て明るくちょっと意地悪な子と、彼に似て大人しい子がじゃれあい笑う姿は、とても温かかった。君たちが来ると、まるで空にかかっていた雲が晴れたように私は温かな幸せに満たされる。


 子供たちが大人になると、また子供が産まれ、君たちにとっての孫を私に紹介してくれる。そのたびに私の空にかかる雲は晴れた。それが続いて続いて、連続していく人の営みを感じることができたのは君たちのおかげだ。君たちに出会うことがなければ、私はここから動くこともできず、ただ生き死にしていく人々を見守って悲しんだり喜んだりしているだけだった。私を気にかけるひとなど誰もいない。それでも私はいいけれど。


 それがどうだろう。君たちが老いて病院に通うようになってからも、そして涙とともに君たちが肉体を離れても、子供たちが老いてからも、私は必ず誰かに怪我はないかと心配され愛されている。


 君たちのお陰で私はこれから何十年何百年と生きつづけるだろう。葉を茂らせ散らし、君たちの子孫と語り合うだろう。


 えぐり取られた幹の傷が、新しい樹皮に覆われて見えなくなっても、私は切り取られた枝の付け根を示し「あなたたちの先祖が、ここにあった病気を取って、助けてくれたんだよ」と、君に似たまんまるい目や、彼に似た四角い顔に、何度も語り聞かせるんだ。


 たまにあの専門医と同じ人が私のことをコンコン叩いてくることがある。くすぐったいのを我慢していると「大丈夫だね」と嬉しそうに笑うんだ。私も専門医のことを少しは理解するようになったよ。樹木医と言うのだってね。では人を治す医師は人間医かな。君たちの子供に話したら笑われちゃった。


「はははっ、なるほど。そう言うこともできるよね。面白いなぁ。そっか、人間にとって人間であることは当然のことだから、人間医とは呼ばないのかもね」


 じゃあ樹木医を、私は専門医じゃなくて医師と読んでいいんだね。

 言ったらまた笑われた。

 君に似たくりくりの目は、笑うと彼によく似る。君のように清々しく、彼のように穏やかな子だ。


 何年、何十年と私は話をした。私の声が聞こえない子もいたし、私に興味を持たない子もいた。とても好きになってくれる子もいたよ。


 体が大きくなりすぎて、私の新しく生えた手は君たちの子孫に直接触れることはできないけれど、代わりに葉を落とし、柔らかく小さな手に触れるんだ。そして私の声が聞こえる子にはいつも、まず君たちの話をする。


 人にしか出来ない奇跡に私がどんなに感動したか。そして同じく感動した子たちに、医師と君と彼を誉めてもらうんだ。


 すると私は君たちを思い出して、涙がはらりと落ちてしまう。


 人がよく言う、心がじんわりするとはこういう感じを言うのだろう。

 痛いのに心地の良い、不思議な涙なんだよ。


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