実体験[2]
これだけだとただのオカルトですが、重要なのは天井に浮かんでいながら、俯瞰で部屋を見て「汚い部屋だ片付けよう」と思った事、「やばい、帰れなくなる、俺は死んだのか?」と思った事、そして現実感覚として落ちる体感があった事ですな。
この体験をしてから心は脳で考えるものなのか? という疑問が湧いてきた。
しかし、これだけだと只の夢じゃないのって言われてしまう…へっ…そうですよね、オカルトを否定する人にはそう突っ込まれる。
──じゃあ次は現実的な話し。
ある日館主は大学の図書館に行った。
大学名はTK大学とでもしておきますが、今ではインターネットがあるから直ぐに調べられますが、館主はその大学の前身がS短大で、そこから分離して四年生の大学になった事は全く知らなかった。
受験はいやはや大学名と学部だけ調べて選んだから(いわゆる滑り止め受験)前身がなんだかって調べもしなかったんですな、面倒くさいから…。
図書館でその大学の遍歴が書いてある書物を目にして始めて分かったんです、S短大がもともとの母体だったて事にね。
すると、突然高校一年生の頃に実家のテーブルで父の文藝春秋を読んでいる夏休みの一コマを思い出した。
その号は大学特集をやっていて、S短大の記事を読んでいたんです。
「ああーあの時読んだ学校だ」って咄嗟に思い出したんです。なんだか縁を感じつつ…。
似たような経験はお客様にもございましょう? 完全に忘れていた事を何かのきっかけに思い出す。
館主はその時思った『なんで突然思い出すんだ?…』てね。
「なんで思い出すのか、完全に忘れていた事を、文藝春秋を読んでいる時には、関連した大学で、学生生活を送るとは全く想像しなかった──全く脈略がなかった事を…」
医学的にどう扱われているか分かりませんが「突然思い出す」という行為、それも「完全に忘れていた事」
──考えてみると不思議ですよね。
もしも脳みその中にハードディスクみたいな記録領域があって、忘れるという行為が完全にデータを消去するものならば思い出せっこないです。
また、データは残っていて、そこにつながっている電気信号やら意識やらを遮断していて、それがつながって無い状態が忘れている状態ならば(パソコンのフォルダに何を入れたか忘れた状態)何かがそれをつながないといけない。
通常のパソコンを例にとるとフォルダの中はダブルクリックしてデータを表示させるでございましょう、そこにはダブルクリックしようという使い手の意思が働いてパソコンのプログラムが働くからフォルダの中味が見えるんです。
脈略も無い事を突然思い出すっていうのは、その意思を超越したところで発生している事になりませんか? つまり無意識に…。
思い出そうと思う意識があって、脳でもどこでもいいから関連したデータを探すなら検索プログラムと同じです。既存の関連したデータを意識的に探す。
そこには『何の脈略も無いものを突然』はないんです。
脳は物質的なタンパク質なんでございましょう、だとするともし脳の中にデータが入っていたとしても、それをつなげる何かによって引きださないと突然思い出すなんて行為はできないと思ったんですな。
そんな思いがこうつながった、S短大というキーワードに反応して何かが自意識以外の何かが、肉体がある自分とは別に無意識に引き出したものを、思い出したように脳内に再現している、そう考える方がしっくりいくとね。
思いだそうと思って思いだすんじゃなく、『突然』に思い出すという行為はなんで引き起こされるか?
それもまた、無意識という意識だとすると、意識は物質以外のものじゃないとおかしくはないか?
肉体に閉じ込められている物質の中にある自意識を常にカバーして、それでいて独立しているものじゃないと無意識というプログラムは作動する事ができないんじゃないだろうかと…。
簡単にいうとパソコンは動かす人がいて物理的に動かして電気信号で作動する。肉体もそれを操作する心があって始めて動く、それこそが心を持ったエネルギー体、つまり魂じゃないかと閃いたんですな。