点という概念[2]
お客様、──中学生の時に教わったピタゴラスの定理は覚えていますか?
そうそう三平方の定理ってやつですな。
直角に隣接する線分abと対角線c。
aの二乗足すbの二乗はcの二乗。
a×a+b×b=c×c
3×3+4×4=5×5
つまりaが3センチでbが4センチならば対角線は5センチ。
──でも
1×1+1×1=2だからaが1センチ、bが1センチならば対角線は√2センチ。
√2=1.41421356…どこまでも割り切れなーい、しかし対角線は図形を書けば目に見える、つまりそこにあるじゃない! ──なんじゃそれ。
√3だってどこまでも続くーーーー。
円周率だってπ=3.1415…どこまで続くーーーーーー、はぁはぁ…おっと失礼古沸妖ともいうものがつい取り乱しました。
なんじゃそれ。なんじゃそれのオンパレードですが、実際近似値であっても円周率πが無ければ円がなりたたないし面積も円周も計算できない、図形を書けばその姿は見えるのに、数値としてはどこまでも計算できない──小学校や中学校で習うのに…。
しかし、大人になった館主はある事に気がついた、ある無しじゃなくて「人間が数値として表現しきれないだけ」なんじゃないのだろうか? ──とね。
「表現しきれない」
なんでだろうと考えた、そしてある事に気がついた、点つまりゼロを基準にしているからじゃないか? ──とね。
じゃあ点て何か、ゼロって何か?
ゼロなんて三次元のこの世界には存在しないですよね、ゼロつまり何もない状態は何も無いんです。
誰もがみな何もない状態を基準にして物を計り、計算をしてるんですな。
三次元には存在しないものを基準にしている。つまり、始まりから近似値なんだから──そりゃ重要なポイントでは近似値しかでてきませんわな。
何も置いていないテーブルがあってりんごを一つ置くと、りんごは一個。
ゼロ足す1は1。だからりんごは一個ある。
簡単ですな、この場合重要なのはテーブルの上にりんごが無いってことなんですな。つまりテーブルを見てりんごが無いと思わないとりんごが無いことにならないって事です。
じゃなきゃ「何も置いてないテーブル」であって「りんごが置いて無いテーブル」じゃないんですな。
何も無いテーブルにりんごを置こうと思った瞬間に「りんごが無いテーブル」つまり「りんごがゼロ個のテーブル」に見方が変わるんです。
物差しで長さを計る場合だって、起点をここにしようと決めるからそこがゼロになる。
重さを計る場合だって、何ものっていない状態をゼロと思うから何キロかが発生するんです。
つまりゼロはあるんです──どこに?
それは──「心」のなかにあるんです。
お客様、あ・な・たの「心」にあるんです。
決して三次元空間にあるわけじゃないんです、空間にゼロがあったらゼロじゃなくなる、心にゼロがあるからこそ「概念としての点」なんです。
概念──つまり「心」です。
点は心の産物です。
じゃあ「心」ってなんだ──って事になる…ねえ。