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実体験[6]

 結局よくわからないのです…はい。

 そして最後に行き着いたのが「寿命」

 そう「寿命」です。

 すると、あとはもう実体験を信じるしかなくなる「寿命」とはやることやって魂があの世にかえる瞬間の事じゃないかと思えてくる。

 心と生命エネルギーの源である魂が身体から抜けた瞬間に、現世の器だった肉体は必要なくなる。だから、必然的に動きは停止する──のではないのかと。


 もし魂が現世に学びに来て、社会の中で相互作用で経験を積んでいるとすると、二つの行為をする事になる。それは課題の克服と課題の提供です。そう考えるとどんな死に方であろうと死のきっかけはどこにあろうが、死の全てが「寿命」と解釈できる。

 だが、ただ一つだけ認めてはいけない死に方がある、それは「自殺を含めた殺人」です。それは後ほど考えましょう、今は心についてです。

 そして館主の祖父は肉体から抜けて困惑していた時に、孫に死んだと言われて、納得したから昇天したんです、つまり魂に心があったという事ですな。見える見えないは別として魂には心があるという証明にもなりましょう。更に、肉体がなくなっても魂はなくならないという証明でもあります。


 さて、ここで思いだしてもらいたいんです、世の中は作用と反作用、相反する性質のものが釣り合うように動いているのがありきで宇宙が始まったという考えが、この妄想宇宙論の基本であるという事を…。

 それに照らし合わせて考えると、死のある世界があるとすると死のない世界がないと釣り合わないでしょう。

 もしも死のない世界が今生きている物質世界、つまり、この世にあるとこの世は滅茶苦茶になる。人は死があるからこそ一生懸命生きるんです。これもある意味必然です。

 食べなくても死なないなんて事になれば誰も働かないし、一日中好きな事だけやってる。それだけの人生だと精神的な成長は何にもない。

 死のない世界、つまりあの世には一体何があるか? そこの住人こそがこの世とは全く違うエネルギーを持った心、つまり魂が集う世界なんでしょう。そこは物質界でないからには肉体や死はない、つまり全く負荷がない。これもまたある意味必然です。

 それじゃ成長がないから、


 ──この世にやってきて負荷を与えて成長しようとする──


 ──ほら生命の誕生まで見えてきましたぞ。


 死、それがこの世での魂の最大の負荷ですな。


 ──そこで新たな疑問が湧きます。


 じゃああの世で魂はどんな状態を目指して成長してるのか?

 「人はなぜ生きるか?」…へっへっへっ…それは次の章で──日常の全てが宇宙の発生につながります。


 ──お客様さま、最初に「ぶっ飛んでる」「常識をお捨てになって」と私古沸妖がお伝えしたのは覚えていますでしょうか?

 それは決して無謀な事ではないんです、経験した日常を疑問を持って別な角度から見てみるという事なんです…混乱してくるかも知れません、最後までお付き合い頂けたら光栄です。

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