第二十八話
嫌な予感がして足を止めていなければ、死んでいた。
ジア・タンバーンの凶刃は容赦なく琴羽愛叶の首の頸動脈を狙っていた。それを殺す気でなければなんだというのだろう。
愛叶の動悸は激しく、呼吸も上手く出来ない。完全に血の気が引いていて自分が今、ジアの目の前で無防備にも尻餅を付いている事を認識すらしていない。
そんな様子を見て、ジアは不快そうに舌を打つ。
「なんだぁ? 少し脅かしただけだろうがよ。いつまでへばってんだ」
その声にハッとなり、愛叶はようやく自身の無様な姿勢を思い出す。下唇を噛み、精一杯の力を使って立ち上がる。
「………ジア………さん。い、一体、どういうおつ、もりですか」
振り絞った声は掠れてしまうようだった。
愛叶の声にジアは鼻で笑い、答える。
「ただのテストだよ。お前がロスト・ブレイブに相応しいかどうかのな」
ジアの真意はわからない。しかし、まだ裏切りがバレていないという希望が愛叶の脳裏を過ぎる。
もちろんジアの言葉をそのまま鵜呑みにするのは危険すぎる。これがただのテストだと言うが、下手すれば命を失っていた。気に入らないといってもさすがにバイオレンスすぎやしないか。
ジアは品定めするように愛叶を眺める。その目つきは女性であれば嫌悪感を抱くようなものだったが、恐怖感と緊張感に心を塗りつぶされている愛叶は気付かない。
「戦闘力は不合格だ。お前なんかすぐ死んじまうよ」
その言葉で愛叶は身構えた。不合格なのだとしたら、一体どうするつもりなのか、思い付く答えは一つだった。
「おいおい、早合点してんじゃねえよ。戦闘力"は"って言ったろ」
「………言ってる意味が、わかりません」
「俺が守ってやるよ。その代わり―――」
ジアは愛叶の顎をくいっと上げ、ぐっと手で腰を引く。
「俺の女になれ」
背筋がゾッとした。ジアに触れられている部分がどんどん汚されていくような、そんな悪寒に愛叶を襲った。
必死に引き剥がそうとするも、愛叶の腕力ではジアを引き剥がさない。
ゆっくりと顔を接近させる気配に気付き、己の無力さに涙が溢れた。こんな男などとても許容できない。今すぐにでも離れてしまいたい。
そこで愛叶は捨て身の策を思いつく。
全身から神聖力を放出する。扱いに関しては愛叶は未熟で、残念ながら総量でもジアとは大きく劣っている。
ただし、神聖力の性質変化は比較的難易度は低く、戦闘中でも容易く行える。
全力で放出した神聖力を電気へ性質変化させたらどうなるか。
「てめ……っ!?」
バチンッ、と青白い閃光が迸った。
瞬時に愛叶から離れたジアだったが、油断しきっていた為に無傷ではいられず、左手を抑えていた。
もちろん、愛叶も無傷ではなかった。同時に神聖力の防御膜を張っていたとはいえ、自爆技であることには変わらない。
全身の鋭い痛みに耐えながら、愛叶は不敵に笑う。
「ぜ…………ったいに! お断りです……!」
これがジアを本気にさせてしまった。右手から鎌を顕現させ、その切っ先を愛叶へ向ける。
「多少根性はあるみてえだな。命までは取らねえつもりだったが気が変わったよ。斬首刑にしてやる」
ジアとまともに戦ったとしても、勝てるわけがないのはわかっていた。だから、愛叶には逃げることしかできない。
予め用意していた三つある神聖力を回復させる神聖丸を一つ服用し、尽き掛けていた神聖力をある程度回復させる。
ジアの武器である『浮遊の鎌』の力で浮き、まるで死神のような形相で愛叶へと迫る。
愛叶は牽制の矢を射る。ジアの左腕を狙ったそれは、舌を打ち、大きく体を傾けて回避した。ここで愛叶はジアの左腕がまだ本調子でない事に気付く。
目前まで近づいて来たジアに対し、愛叶は神聖力の性質を変化させ、眩い光を作り出した。
「なっ!?」
ジアの意表を突いた光はジアの目を一時的に晦ました。
その隙に愛叶は少しでも遠くへ走る。その際に愛叶は壁に右手を当て、擦りながら走っていた。
「待てやコラアアアアア!!」
ジアの怒号と共に真っ直ぐ愛叶へと距離を詰める。恐らく神聖力によって目を回復させたのだろう。
愛叶の予想通りだ。
「お願いっ!」
右手が神聖力に包まれ、手を当てていた壁へと浸透していく。性質変化によって壁の性質を柔らかくし、愛叶の思い通りに操作する。
ジアの進路を阻むように次々と壁が崩落していくが、その一つ一つを捌く。
その隙を愛叶は弓矢で狙う。
放った矢は真っ直ぐにジアへと飛ぶが、既に見破られており、浮遊の鎌で難なく弾く。
「があああああっ!!?」
バババババッ!! と再び迸る青白い閃光。それは先程よりも強力だった。
その威力は凄まじく、矢に込めた電撃は文字通りジアに一矢報いた。
ただし、これでもまだ安心などできない。視界を遮るように壁を次々と生み出し続けながら駆ける。
いや、駆ける事は出来なかった。
気付いたら愛叶自身も、愛叶が作った遮蔽物も全て地面に平伏していた。
……!? ッ!?
あまりの重圧に声を出す事すら出来ない。体は地面に張り付いたように動かす事が出来ない。
そんな歪な空間の中で、ただ一人動いている者がいた。
がががが、と相当な重量をもつ何かを引き摺りながら、ジアは愛叶へ近づいた。
ジアのそれは鎌ではなく、大きな鎚だった。
愛叶の身に起きたその現象は、確実にその鎚が発生させているのだと理解できた。
これは勇者の武器に隠された力である第二段階。ジアの『浮遊の鎌』は姿を変え、新たに重力を操作する『重圧の大鎚』へと成った。
「…………ちっ、てめえ如きにこいつを使う事になっちまうとはな」
第二段階はいわば奥の手とも言える。油断していたとは言え、出し抜かれたジアのフラストレーションは最高潮へと達し、確実に屠る為に発動した。




