第二十一話 新たな勇者
滅多に人が立ち寄らない山が不発弾の起爆により周辺の街に小規模の地震が起こり、山の形を変えてしまったニュースは二ヶ月も前となる。
しかし不発弾の破片が残っていない事やそれだけとは思えないような山の異変に宇宙人が攻めてきたという諸説が流れたが、不思議と人々の関心は徐々に無くなっていった。
現場を一目見ようと訪れていた野次馬ももういない。
ただ一人、琴羽愛叶を除いて。
山は立ち入り禁止となっており、入ることはできない。
山の麓でただ山を見上げているだけの十分間。
この山は二ヶ月前に愛叶の幼馴染の統間秋人がロスト・ブレイブの構成員、ジェナ・イドマ。アスタロトとベルゼブブの七大悪魔二体と死闘を繰り広げた地だった。
それを愛叶は知る由もないが、ここは秋人が関わっている事を確信していた。
愛叶の肩に小さな妖精がちょこんと座る。
「毎日飽きずによく遠くまで通うことができるね」
その妖精の名前はエルミカという。エルミカの言葉に愛叶は視線を真下へ下ろした。
「………………もしかしたら秋人がひょっこり帰ってくるかもって思って」
「………………そうか」
普段空気を読まない発言が多いエルミカだが、今回は何も言わなかった。
「でも、もう帰るよ。おばあちゃんとおじいちゃんが心配するからね」
そう言って自転車のサドルを跨ぎ、ペダルをこいだ。
これが愛叶の日課となっていた。
秋人が行方不明となって二ヶ月が経っている。
当初はどれだけの時間を待っても帰ってくることのない秋人を想い、ただ哀しみに暮れていた。
それから十日後、エルミカは突然愛叶の前に現れた。
そして、秋人の生存を告げられた。
聖力を扱う者は聖力を扱う者を感知することはできない。しかし、例外があるらしく、他者に自身の聖力を注入したり、分け与えることによって聖力が結び付き、精度は低いがある程度の感知が可能になるらしい。
愛叶には理屈はわからなかったが、少しばかりの希望を見出だせた。
それからというもの愛叶は秋人が少しでも立ち寄った事のある場所を巡り続けていた。
しかし、収穫は何もない。
愛叶には待つ事しかできない。
それを歯痒く思っていた。
帰宅した愛叶はいつも通りの日常を過ごし、ベッドに横になった。
両親を亡くし、孤児院で過ごしていた頃と比べ、自身は十分幸せある。
それは自覚していた。
血の繋がった祖父母が当たり前のように家に居て、共に食事をしたり外出したりして、バチが当たるのではないかと心配になるほどである。
しかし、やはり足りない。
この幸せを手に入れられたのは、後押しをしてくれたのは秋人である。
まだその恩返しをしていない。
なにより好いている人を放っておく事などできない。
そのために、愛叶は出きることをやると決めた。
「愛叶、今夜も現れたよ」
「………………うん、わかった」
エルミカからの宣告され、愛叶は改めて決意を固め、衣服を着替えた。
夜中の二十三時過ぎ頃、祖父母は既に就寝中で、愛叶は起こさないようにそっと家を出た。
愛用の自転車を跨ぎ、エルミカが案内する方へペダルをこぐ。
「君のように積極的だと助かるよ」
「今の私にはこれしかすることができないもの」
それから十分も経たずに目標の一戸建てに辿り着いた。
中は真っ暗で、外の虫の音の方がうるさく感じる程静かだった。
外から見ると何も変哲はなかった。
「ほんとにここであってるの?」
「間違いないよ。
歪んだ魔力を確かに感じる」
エルミカがそう言う以上、愛叶はそれを信じるしかない。
緊迫した雰囲気の中、エルミカは愛叶の出で立ちを見つめ、尋ねる。
「………………始めの頃に一度確認したけど、本当にその格好でなくてはいけないのかい?」
「え?」
その姿とは、巫女装束だった。
愛叶曰く、気合いが入るらしい。
「漫画とかで着なれた服やユニフォームに着替えるだけで精神が安定する描写があったりするけど、実際にあるみたいなんだよね。
所謂勝負服ってやつだよ」
「君がそれでいいと言うのなら私はもう何も言わないよ」
と言いつつエルミカは未だに怪訝そうな顔をしている。それもそうだろう。明らかに動きづらいだろうし、自転車に乗ってここまで来るのだけで一苦労だったのだ。
そんなエルミカの表情に気付かず、意を決してドアノブに手を掛けると、鍵は掛かってなく、なんの抵抗もなく開いた。
玄関の目の前には二階へと続く階段があり、その横を進むと二つ部屋があるようだった。
片方の部屋は玄関から目視でき、異変はない。
しかし、もう片方の部屋からは物音がした。
軽く深呼吸し、わざわざ靴を脱いで上がり、物音がした部屋へ進んでいく。
愛叶は四方の警戒を怠らなかった。
その為、真上を天井を突き破って現れた悪魔の攻撃に気付き、回避することに成功した。
驚きはしたものの、すぐに呼吸を整え、状況把握を瞬時に行った。
全身には爬虫類を連想させる鱗を持ち、長い尻尾で女性を縛りつけていた。悪魔の顔は既に半分ほどリザードのように変化していた。
「キサマ………………誰ダッ!!」
悪魔にはまだ憑依体である男の意識があるようだ。
悪魔と憑依体の利害が一致した場合、稀にこんな風に意識が残っている場合がある。この場合だと悪魔は特に憑依体から魔力を供給しやすいらしく、強力となることが多い。
それを瞬時に気付いた愛叶は気を引き締めた。
捕まっている女性に意識はないが、まだ生きているようだ。
「え、エルミカ! お願い!」
「やれやれ。
一人立ちはまだ遠いね」
愛叶のすぐ横を飛ぶエルミカ。
二度、三度深呼吸を繰り返し、愛叶は左手に聖力を集約させた。
二ヶ月前のレヴィアタンの騒動の後、愛叶は魔力に侵食され、死にかけた。しかし秋人がありったけの聖力を注入したおかげで一命を取り留めた。
それによって愛叶は聖力に目覚め、愛叶と秋人の聖力が結び付くという副産物を産んだ。
秋人が行方不明となってエルミカが起こした行動は秋人の捜索だった。
そのために利用したのが、愛叶だった。
愛叶が勇者へ進化すれば秋人との結び付きはより強力となると考えたのだ。
エルミカに利用されている事は愛叶も承知の上だった。
秋人と再会するためなら手段を選ぶつもりは毛頭なかった。
その覚悟で放たれた真紅の聖力は『勇者の武器』を造り出す。
始めに握りが形成され、その真上の鳥打の部位には真紅の玉が埋め込まれていた。握りと玉から鳥の翼を模したような胴と姫反が伸びる。上下の結藤からは弦が伸びた。
その姿は弓だった。
「奴は種族的にも近接戦闘に長けている。
君との相性から考えてまず距離を取るのを勧めるよ」
「ありがとう!」
愛叶を勇者にした際にエルミカは一つ誤算があった。
それは愛叶の戦闘能力の無さだった。
いや、普通一般の人間ならば突然戦えと言われても恐怖心などで戦うことなどできたりはしない。
聖力を与えられ、即興で力を使いこなし、悪魔を撃退した秋人が異常だということは説明するまでもない。
幾分冷静でいられるが、だからといって戦闘が実際に出来るかどうかは別の話だ。
戦闘能力と経験が不足している愛叶の助け船としてエルミカがサポートすることによって辛うじて戦闘をこなしている。
愛叶が弓を出現させた途端、悪魔に異変が起こった。
まだ人の腕だったものに頑丈そうな鱗が浮かび上がり、鉤爪が伸びる。
肩甲骨からは申し訳程度の翼が肌を突き抜けた。
愛叶の武器を見た悪魔はそれを自身の命を脅かす危険分子と断定し、その憎悪から憑依体の侵食を更に進める事により、強化を謀ったのだ。
悪魔にとっては強化に成功し、口元を緩くした。
しかし、それはエルミカにとっても同じ事だった。
「愛叶。矢を放つんだ」
愛叶は真紅の玉から矢となる聖力を造り出し、弦に矢筈を掛け、エルミカが指を差す箇所へ矢を放った。
放たれた矢は真っ直ぐと悪魔の左胸を捉えた。
しかし、矢は命中した途端に崩壊する。
微かに傷はあれど、とても倒せるほどのものではない。
「き、効かないよ!?」
「予想通りさ」
慌てふためく愛叶に冷静なエルミカ。
今回で五回目となる悪魔との戦闘だが、いつだってエルミカの指示は結果的に正しかった。ただし、戦闘中ということを差し引いても説明は一切なく、愛叶には勝算などまるで見えていない。
調子に乗り出した悪魔は周りにあるものを切り刻みながら愛叶へと近付く。
この狭い空間では回避することは困難だ。
しかし、エルミカはそれを鼻で笑う。
何故なら愛叶の後ろは玄関であり、そこから離脱すればいいからだ。
「逃げ道のある状況でそれは愚かとしか言い様がないね。
愛叶、一度後退するんだ」
「ダメ」
エルミカの指示を無視し、愛叶は弓を引いた。
普段表情を崩さないエルミカだが、この時は眉をひそめた。
「あの悪魔の後ろに捕まってる人がいる。
助けなきゃ」
「それは後からでもどうにでもなるさ。
何故今でなきゃならない?」
「あの女の人を顧みていないからだよ。
このままじゃ傷だらけになっちゃう」
確かに愛叶の言うとおりだった。
興奮状態にあることと対峙している敵がいるという状況で悪魔は後ろの女性にまるで気が配られていない。
今はまだかすり傷程度だが、このままエスカレートしてしまえば救うことができても一生の傷を残してしまうかもしれない。
それを許せる愛叶ではなかった。
こうなってしまったらテコでも動かないのはエルミカはわかっていた。やむを得ず、エルミカは別の方法を模索する。
しかし、愛叶はそれを待たずして矢を放った。
愛叶の勇者の武器の名は『衝の鏃』。対象を粉砕する『衝』撃を与えることのできる矢であり、精神攻撃も可能な能力である。
本来のエルミカの策では、能力を付加せずに矢を放ち、たいしたことのないものと思わせ、隙を突き胸を『衝の鏃』で貫くというものだった。
愛叶はその策の要であった『衝の鏃』を女性を縛る尻尾を射抜いたのだ。
尻尾は貫くどころか触れた部分が消滅し、悪魔は驚愕した。
その驚愕の隙を突き、愛叶は悪魔の懐に潜り込み、尻尾から解放された女性を確保した。
「なんて馬鹿なことを!」
これで『衝の鏃』は警戒され、一筋縄ではいかなくなった。
「キサマ………………ソノ女ヲ返セ」
「ごめんなさい。そういうわけにはいかない。
これ以上一緒にいるとあなたはこの人を殺してしまう」
「黙レ! 返セ!!」
逆上した悪魔はより鋭くなった爪を振りかぶる。
意識のない女性を背負い、先程の攻防で壁に穴が空いており、そこから愛叶は脱出し、
「返してほしかったら寄り道せずにちゃんと私を追ってきてね」
と、言い残した。
「ウガァァアアアアアアアアアアア!!!」
悪魔の怒りの咆哮。まるで夜空に浮く月まで届くかのような勢いだった。
小さな翼では飛ぶことができず、それに歯痒く思う悪魔は家の壁を破壊し、愛叶を追う。
それに気付いた愛叶は内心苦笑する。
これからどうしよう、と。
新章開幕です。




