第十九話 絶体絶命
七大悪魔の一体であるアスタロトによる不意討ちで秋人は倒れ、戦闘不能となってしまう。
しかし、ロスト・ブレイブの構成員であり、秋人と心を交わしたジェナ・イドマは秋人をアスタロトから匿い、聖方丸を服用し、傷の治療を試みた。
逃げ切る事は不可能だと悟ったジェナは、アスタロトを狙撃しようと身を隠すが、もう一体の七大悪魔であるベルゼブブの介入により阻まれてしまう。
心身共に疲弊している上に相手は七大悪魔の二体。状況は絶望的だった。
聖力を回復させる事の出来る聖方丸は残り二つ。それはつまり命綱のようなもの。
これが尽きれば勝ち目はない。
それを念頭に、策を思い付く。
まずはそれで、確実に一体は倒す。
ジェナはまだ死ぬわけにはいかない。
秋人を殺すわけにもいかない。
勝つしかないのだ。
必ず生き残り、秋人と話の続きをする。
気が付けば、それが心の支えとなっていた。
誓いを立てたジェナは先手必勝と言わんばかりに糾弾の銃を最速に調整し、ベルゼブブに向かい五発放った。
ベルゼブブには目にあたる器官は目視では見当たらなかった。しかし、微妙に弾速をずらした五つの弾を寸分の狂いもなく正確に噛み砕いた。
ジェナよりも二回りは巨体なベルゼブブの速度に身震いした。音速を超える速度の顎で噛み付かれてしまったら、間違いなく命は無い。
しかし、収穫もあった。発砲した瞬間、ベルゼブブの大きな鼻が揺れていた。弾丸の匂いを嗅いでいるのであれば、弾道の予測も可能なのだろう。
「おえぇぇぇ……………、やっぱりまずい………………。
アスタロトのはなしとちがう」
「聖力の弾丸を喰えばそりゃあそうなるだろうが」
「………………醜いわね」
ジェナの素直な言葉だった。
巨体に似合わず、ベルゼブブは奇声を上げながら軽快に跳躍した。
その飛距離は十メートルはあった。大きな口がニィっと不気味に笑い出す。
次の瞬間、ベルゼブブの巨体はまるで風船の空気が抜けていくようゆ一気に凝縮していき、子供と大差ない姿になってしまった。
それを見たジェナは一瞬動きを止め、すぐに驚愕する。
無邪気に笑い、星を掴もうとするように空高く右腕を上げると、メリメリと膨らみだし、塔と見間違える程の大きさとなった。
握り拳を開くと、そこにはバックリと裂かれた大きな口があった。
「つぶれろぉ~~~~~~~~~~♪」
ジェナからの視点ではまるで雲が地に落ちていくようだった。
これだけの質量を相手にちっぽけな弾丸はまるで無意味だと言うことは目に見えていた。脚力を強化し、攻撃範囲から逃れる事を優先した。
ベルゼブブの巨大な腕は森を深く抉った。木々は薙ぎ倒され、地面は掘り出され、宙を飛んでいった。
紙一重で回避したジェナはその余波に巻き込まれ、飛んできた枝などが身を削っていく。
余波が通り過ぎた頃には砂埃によって周囲の視界は最悪な状態となっていた。
間髪入れずに魔力を感知するが、ベルゼブブと思われる一つしか見当たらなかった。
一見ベルゼブブの考えなしの大技だが、ジェナから視界を奪うという意図があった。その隙にアスタロトは身を隠し、無防備な対象を駆除するという連携攻撃。長期戦を嫌うアスタロトが考案したものだった。
この連携攻撃で葬った勇者の数は多い。しかし、些か神経質気味なジェナは音に敏感だということと、今まで葬ってきた勇者とは違い、それなりの場数を踏んできた勇者だということをアスタロトは知らなかった。
翼を剣状に変化させ、真後ろから奇襲するアスタロトだったが、微かな音を感じ取ったジェナに防がれる。
糾弾の銃で受け止めた為に反撃は出来ず、体勢も悪かった為にアスタロトに力負けし、糾弾の銃を弾かれてしまう。
弾かれた際にアスタロトの剣はかわし、距離を取る。弾かれた糾弾の銃は一度消滅させ、その直後に手元に顕現させた。
「あなた、魔力の気配を消すなんてずるい能力を持っていたのね」
「能力じゃねえよ。
任務をサボってる内に身に付けた特技だ」
下らない原因のわりには有能な特技を習得したものである。
アスタロトの翼がグルグルと渦を巻き、剣状から鎌状へ変化させた。アスタロトの能力である『翼の形状変化』だが、あくまでも翼なので、肩甲骨部分と鎌の柄は直結していた。
アスタロトはそれを利用し、肩甲骨と鎌の柄を繋げる根の部分を形状変化させ、延ばし続けた。
それはまるで鎖鎌のような動きをし、あらゆるものを切り裂く。
これを受け止めるのは危険だとジェナは直感し、膝を折り、体勢を極限まで低くすることで鎖鎌をやり過ごした。
すると真上から大きな口を開けたベルゼブブが落ちてきていた。
ベルゼブブは頭が弱く、頭脳戦や駆引きなどに向いていないのは明らかだ。そのため食べる事しか考えていない化け物の先読みなど造作もないことだった。
糾弾の銃から弾劾の銃へ変形させていたジェナは銃口を向け、渾身の一撃を放った。
口内に直撃し、吹き飛ばされるベルゼブブ。その影から鎖鎌の刃がジェナを襲う。
弾劾の銃を放った衝撃を利用してその場からギリギリ退避し、鎖鎌の刃から逃れた。
鎖鎌は元の翼に戻り、水平に翼を延ばし、鉈のような形状へ変化させた。
通常の鉈の何倍の長さだろうか、それを軽々と片手で振り回した。
周囲を切り刻んでいくそれは、まるでカマイタチの嵐だった。
その嵐に人間のかわせるスペースは存在しない。
その事実に気付いたジェナの表情は一瞬強張り、すぐに覚悟した。
弾劾の銃を放つ。狙いは嵐の目であるアスタロト。
威力や弾速は最低レベルで、しかし聖力濃度は最高の弾丸。
その弾丸を翼の鉈で切り刻むが、簡単に消える事はなかった。
油断していたアスタロトにそれを回避する猶予はない。ちっ、と舌を打ち、ジェナを見た。
アスタロトは回避を諦め、腹部に喰らう。寸前に魔力を溜めていた為にダメージは大きく軽減され、致命傷は避けられた。それと同時に鉈を一閃した。
鉈の刃はジェナの左腕を抉られ、血飛沫が舞った。
左腕に走る激痛に歯を食い縛って堪え、ジェナはアスタロトを見続けていた。
濃密度の弾劾の銃の一撃でアスタロトの動きは著しく低下していた。致命傷を避けられた事はジェナも承知だ。しかしだからこそ、ここが狙い目だ。
脚力強化によりアスタロトに一気に詰め寄る。そして、最高威力の弾劾の銃を至近距離でお見舞いした。
その一撃にアスタロトの身体は耐えることが出来ず、右肩から右胸にかけて大きな風穴が空けられ、身体は崩れ落ちた。
ジェナが息を漏らした途端、左腕に強い衝撃が走る。
ベルゼブブの巨大化した腕だった。しかし、聖力を口内にぶつけられたダメージが相当残っているようで、中途半端な巨大化でしかなく、普通よりも少し大きい程度だった。
その為、直撃を受けたにも拘わらず致命的なダメージにはならず、木に叩きつけられただけに留まった。
げほげほと咳き込むジェナ。今ので左腕は折れてしまっていたが、既にアスタロトに切り刻まれ、戦闘には役に立たないものだと割り切っていた。そこにベルゼブブは無慈悲な一撃を放つ。
それは七大悪魔にのみ許される濃密度の魔力を放つ奥義―――――喰音だった。
今まででのものと比べるまでもなく、強力で巨大だった。
それに対し、ジェナは弾劾の銃の銃口を向けた。
対抗する為ではない。弾劾の銃には能力があった。
それを待っていたと言わんばかりに、ジェナは笑った。
「あなたの魔力………………借りるわよ」
放たれた喰音が弾劾の銃の銃口に触れた瞬間からみるみると吸い取っていき、やがて喰音は跡形もなく消滅した。
口から喰音を放ったベルゼブブは口をあんぐりと開けたまま絶句し、やがて激怒した。
悪魔は本来食事は必要としない。何故なら存在を保つだけなら魔力を摂取するだけで事足りるからだ。
魔界には魔力が蔓延しており、呼吸するだけで魔力を摂取し、存在を維持することができる。
つまり、悪魔にとって魔力とは命と同義なのだ。
悪魔に口が存在するのは、言葉を話す為と、古来から継承されてきた姿の名残だと言われている。
なら何故、ベルゼブブは食事をするのか。
それは命そのものを喰らうことが他の何よりも快感を伴うからだ。
喰べることに意味はない。命を摘み、喰べる事に意味を見出だしている。
故に、暴食。
魔力=命を消費して放った喰音を勇者などに奪われるなど、ベルゼブブに許せるわけがなかった。
全身から口が開く異形なベルゼブブを見て、ジェナは臆すことはなかった。
ベルゼブブの怒りを知る由もないが、予想外なことが多かったとは言え、ここまで策通りだったからだ。
ベルゼブブから吸収した魔力を聖力で包み、変換。自分の力と変えた膨大なエネルギーをベルゼブブへ放出した。
ベルゼブブには人間の言うところの幼児程度の知能しかない。喰べる事に全てを委ねた代償と言える。
故に学習能力は低く、脅威を知らない。
愚かにもベルゼブブはジェナが放出した膨大なエネルギーを喰らおうと立ち向かった。
結果は火を見るより明らかだった。
膨大なエネルギーの前に許容を大きく超え、まるで緑色の流星が通り過ぎたような、圧倒的なその速さと圧力の前では障害となるものなどなにもなく、いとも簡単にベルゼブブの上顎から先を吹き飛ばした。
しかし、まだ安心はできなかった。悪魔の弱点である心臓を潰すまでは。
即座にベルゼブブに近付くジェナは、吹き飛ばされた口の中に聖方丸を一つ手でねじ込んだ。
聖方丸は聖力が詰まったもの。それを糾弾の銃で撃ち抜くことにより、ベルゼブブの体内で聖力が爆散し、悪魔の弱点の一つである聖力が全身に送り込まれた。
ベルゼブブの身体は膨れ上がり、緑色の光に包まれ、消滅していく。
口を吹き飛ばされたベルゼブブに絶叫など許されなかった。
「あと………………一体」
一息吐く隙も見せずにジェナは最後の一つの聖方丸を服用し、回復させた聖力のほとんどを左腕の治療に消費していく。
折れた骨の完治には当然時間が掛かるが、切り刻まれた傷の止血は叶った。
しかし、それ以上の治療は断念せざるを得なかった。
右胸に風穴が開き、右腕を失ったアスタロトが立っていたからだ。
ベルゼブブが激怒したように、人間の負の感情を司る七大悪魔だが、一つの感情だけに支配されているわけではない。
あくまで力の源となり、強力となる感情なのである。
しかし、アスタロトには何の感情も見せなかった。
ただ坦々と、敵であるジェナを見ていた。
悪魔に仲間意識があると思っていないジェナだったが、次の瞬間身震いするほどの衝撃が走った。
底を感じられぬ程の怒り。
アスタロトの迫力は自身の死を連想させた。
湧き出るその感情をアスタロトは自覚していなかった。
雑念を消し、ベルゼブブを消し去る程の力を持つ目の前の敵を葬り去ることだけを考えていた。
蛇に睨まれた蛙の如く、ジェナは身体が固まってしまう。
動け動け! と念じているにも拘わらず、身体の硬直は解けない。
心の奥底では、恐怖心が勝っていたからだ。
勇者となって三年。人や仲間が死ぬ場面を何度も経験しているジェナは思い出していた。
あまりにも無情で無惨で、無意味だ。
死とは即ち、無なのだとジェナは悟っていた。
自分が死ねば、誰もそれに気付かない。覚えていても、いずれ忘れ去られてしまう。それはつまり、元々存在していなかった事と同義だ。
家族も仲間も友達も、既に手の届かない所にある。
自分という存在が結局無意味だったのだと涙した。
アスタロトが手を上げると、二対の翼は混ざり合い、ジェナの頭上に巨大な大槌が造り出された。
言葉にならない叫びと共にアスタロトが手を下ろすと、それはゆっくりと下降していく。
ジェナは最後に呟いた。
「なにも願い………………叶わなかったなぁ………………」
大槌が、大地を揺らす。




