第十話 銀行強盗
まことに遺憾ながら、エルミカの忠告は的中してしまった。
家を出て十数分。大型ショッピングモールに行く前に愛叶は「あ、銀行に寄っていいかな?」と言った。
そう言えばと俺の財布の中身が寂しかった事を思い出し、特に異論なく「ほいよ」と銀行へ向かった。
銀行に到着して間もなく、セーラー服を着た女子に肩をぶつけられ、「悪いっ」と簡単な詫びで済まされ、先を越されてしまった。まぁ別にいいか、これは。
それからATMの順番待ちをしていると、突然ガガガガッ!! と耳を塞ぎたくなるような爆音が銀行内に響き渡った。
銀行内にいた人々は反射的に屈み込み、大声を上げた。ちなみに俺は恐くても声が出ない派だ。
銀行にたった一つしかない出入口は防災シャッターが下ろされ、退路は断たれた。
閉じ込められた人々は恐怖した。まさに阿鼻叫喚と言ったところだ。
閉じ込められた十数人の中の三人はまったく動じていなかった。
何故なら、この騒動は彼らが起こしたからだ。
マスクやサングラスで顔を隠し、銃火器を装備していた彼らはどこからどう見ても銀行強盗だった。
↑今ここ。
さて、どうしたものか。
彼らの目的は恐らく金銭だろう。それ以外の目的で銀行を狙うなんて他に考えられないからな。
ってことは俺達客側は巻き込まれた人間ってことになる。大人しくしていればまず殺されることはないはずだ。
一番危険は誰かと言ったら、やはり銀行局員関係者だろう。
「おい、お前金庫まで案内しろよ」
ピストルを男性局員の額に向けて銀行強盗の一人は言った。男性局員は当然ながら取り乱し、ゆっくりと立ち上がるが、足が震えていてうまく案内できるか不安が残る。
そして、後の二人は人質として中央広間に俺達を集めていた。
強盗犯はあくまでも強盗犯。
奴らを下手に刺激しなければ人を殺めることは簡単にはしないはずだ。
漫画の主人公ならこの時強盗犯をシバき、英雄的活動をするのだろうが………。
奴らに悪魔化している素振りはまだない。様子を見るべきか?
下手に介入して状況が悪化しても困るしな。
そんな事を考えていると、襟が後ろからずり落ち、首が締まり、「ぐえ」となった。
犯人は愛叶だった。
愛叶の体は震えていた。
俺よりも小さな体で、必死に恐怖と戦っていた。
泣き出してしまわないように、俺の上着の裾をギュゥッと握り締めていた。
何を考えてたんだ、俺は。
なまじ力を手に入れたから、俺は命までは奪われないと勝手に決断し、その気になればどうにでもできると驕っていたんだ。
客観視していたから、愛叶や他の人の恐怖心を見過ごしていた。
増長していたんだ、俺は。
聖力は悪魔を殺すためだけに存在しているわけではないはずだ。
人影に丁度隠れていた俺は見つからないように愛叶と向き合った。
「大丈夫だ、愛叶」
愛叶からすると何の根拠のないただの言葉。俺がレヴィアタンと戦った記憶を失い、聖力という力を手に入れた俺を知らない故に、俺の言葉は信じられるものではないだろう。
言葉では足りない。それなら、行動に移したらどうだろうか。
愛叶の手を優しく包み込み、愛叶の目を力強く見つめる。
大丈夫だ、という念を込めると、それが伝わったのか愛叶は手を握り返した。
愛叶を安心させるため、手は握ったままだが、脳をフルに使用し、強盗犯を倒す算段を練る。
広間には未だに強盗犯は二人居り、しかもマシンガンのような重火器を持っている。
迂闊には動けない。俺を狙った弾丸が愛叶や他の人間に当たらないとも限らないからだ。
分断させることができれば危険はググっと低くなる。各個撃破というのが一番の理想だ。
しかし、どうやって――――――
その時、ガガガガッ!! と激しい銃声が鳴った。
悲鳴が飛び交う中、耳だけは研ぎ澄ました。
床に薬莢が落ちる無機質な音と共に、それなりに重さのある有機的なものが落ちる音。
具体的に言えば、人が倒れるような音だった。
前にいた人をかき分け、目の前に広がった光景は白と赤の二色だった。
綺麗な白で統一された天井や壁は真っ赤な血で染められ、床は海と表現できるほどのものだ。
その血の海に横たわる、先程俺にぶつかったセーラー服を着た少女。表情は既になく、自分の身に何が起こったのか理解をしていないような、無惨な骸だった。
「おい、何勝手に殺してんだよ。
リーダーの作戦無視か?」
「見せしめだよ。
これでここにいる全員が俺達に逆らえなくなるだろ?
こんな肉塊にはなりたくねえだろうからなあ」
強盗犯の二人は人を殺したことに後悔などなく、躊躇いも容赦もない。狂っている。
これが人の死。
それを俺は知っていたはずだった。
死というのは何も生まず、ただ残酷な世界をより正確に学習させるだけのシステムなんだ。
『人間』というのは『悪魔』になれる。
この惨劇を作ったのは紛れもなく、『人間』なのだから。
自分の中で、枷が外れた。
――――――消えてしまえ
「はあ!?」
強盗犯の一人が慌てたように声を上げた。
突如として強盗犯の持っていた銃火器が部分的にまるで抉られたかのように分解された。
俺自身何が起きたかわからない。しかし、体はすぐに動き出した。
銃火器を無くした強盗犯の一人に近付き、力任せに右腕を突きだした。
その拳は強盗犯の顔面に刺さり、体重を乗せた一撃は大人の男の全身を地面にひれ伏させる程の威力を誇った。
「なっ、てめっ」
銃火器がまだ生きている方の強盗犯は俺に向けて躊躇いなく発砲した。
形状や連射し続ける特性から見てマシンガンだろう。人間を一瞬でただの肉塊に変える無数の弾丸は、即座に自分の周囲に張った聖力の盾によって塵にし、無力化した。
撃ち出された弾丸は肉眼では見れない。傍から見ると弾丸が撃ち出されていないように見えるんじゃないか?
「な、なんだてめえはあああ!?」
腹部に拳を叩き込み、痛みで身を屈めた強盗犯の顎を蹴り上げた。聖力による身体能力強化は一瞬で意識を刈り取った。
中央広間に残っていた強盗犯は二人とも沈黙した。
一瞬の沈黙の後、ワアアアア、と中央広間に集まった人質は一斉に動き出した。
俺を中心に集まり、各々賞賛の声を上げた。
しかし、そのどれもまったく耳に入らなかった。
俺の怠慢で、人を一人見殺しにしてしまっている。
俺はそれを阻止することは可能だった。
とてもじゃないが、この勝利を喜ぶ気分にはなれなかった。
いや、まだ終わりではなかった。
あと一人、残っている。
残りの強盗犯と人質の銀行員は裏へ行ったはずだ。
俺が行かなきゃ。
人をかき分け、裏へ進もうとすると、不意に後ろから手を引かれた。
愛叶だった。
愛叶は何も言わず、俺の目を見ていた。
その目には色々な感情が映っていた。
恐怖。困惑。憂慮。疑問。
レヴィアタンとの戦いを忘れてしまっている愛叶にとって、俺の行動は迂闊で、見ていて怖くて堪らなかったと思う。
しかし、俺の事を話す義務は、無い。
話せば巻き込んでしまう。俺が一番巻き込みたくない人は愛叶なのだから。
愛叶の目から反らし、握ってきた手を、放した。
俺は初めて自分自身の意志で戦いへ投じた。




