春列車に揺られて
4月某日朝、私は高尾駅に居た。
これから中央本線に乗り小海線に乗り、終点小諸までの約5時間の鈍行列車旅に興じようというところであった。
何たる苦行と思う輩も居るだろうが、元来そういったことが好きな性質の私は、これから訪れるであろう至福の時間に胸をときめかせていた。
しかしさて列車へ乗り込めば、予想というものは往々にして外れるものである。
そしてそれは悲劇と言えよう。
世は連休初日。
天気の良い今日なれば、人は山へ行こうと思うらしい。
斯く言う私もその思考を持ち合わせるが、生憎今日は前々から良く計画した上の行動であるから、世の人々の一歩先を歩いているといえよう。
乗客諸君、真似をするな。
この良き日に、列車に乗り遠くへ行くのは私だけで良い。
私は一人静かな時間を楽しみたいのだ。
つまり何が言いたいかといえば、そう、車内は混んでいたのである。
そしてここでもう1つの悲劇、座席がボックス車では無かったのだ。
人の疎らな車内で、一人ボックス席で景色を楽しみたい。
しかしこれではなんとも首が疲れてしまう。
折角買った旅のお供も食べられるような状況ではない。
田園地帯を走る列車と言えど侮ることなかれ。
某局の番組のような優雅な旅が出来ると思えば、その実時間帯によっては都内に劣らぬ混み具合になるものだ。
それこそ、今日のような日は尚更である。
私は人の頭の横から覗く、これまた人の頭のような山並みをぼうっと眺めることしか出来なかった。
しかし、そういう問題は、得てして時間が解決するものである。
大月までの間で、乗客は大いに減った。
大体、東京駅から始まる中央線は、高尾までもそこそこ長い。
乗客はほぼ東京人である。
依って大月まで鈍行で行けば良い方だ。
そしてそれより先へ行く者は、特急を使った方が早い。
東京人は常日頃、時間に追われているようなものである。
休日であっても、心を急かせる何かが居座る。
東京人は何にでも早さを求めてしまうのだ。
この心を東京人的心と呼ぶことにしよう。
私も東京人であるが、そういった東京人的心の一切を捨て去るべく鈍行に乗っているのである。
働きアリの献身ぶり、働きバチの忠実ぶりを可哀想だと思うこと勿れ。
働き人間のほうが余程、可哀想なのである。
働く人間を当たり前だと、エライと思わないことこそ、東京人的心の最たるものである。
私はそういう東京人的心の洗脳から醒め、世の働き人間達に拍手を送るために列車に乗っているようなものだ。
さて、空いた列車が向かうは勝沼ぶどう郷。
この駅はなんとも景色が良い。
里山らしい山並みの後ろから、雲と見紛うまだ白き山々が隆々と、春の大気に霞んで見える。
それから、高台にある駅から見下ろす町並みもたいへん美しい。
此処らの日本三大車窓といえば、姥捨駅が有名だが、勝沼ぶどう郷から見る車窓も、そこに似ていて美しい。
何故分かるかといえば、姥捨駅の車窓を見たことがあるからである。
姥捨駅の高さから見る原風景のような町並みはそれはもう美しく愛しいものだ。
自分が山神にでもなったかのように愛しいものなのだ。
勝沼ぶどう郷も美しいが、やはりそれとは遠く及ばないからこそ三大車窓なのだという、堂々たる三大車窓ぶりなのだ。
とはいえ勝沼ぶどう郷の車窓も美しいことは確かである。
しかし、うっかり駅のすぐ下を覗き込まぬよう。
意外となだらかな傾斜であるので、若干のがっかり感が否めない。
甲府に近づくと、また乗客が増える。
甲府あたりは新しく洒落た建物が多く、そこに田舎的景色は望めない。
しかしそれもまた、良し。
そこを過ぎれば、眼前に雪を被った富士の山が顔を出す。
近くの山々のその後ろから、圧倒的な大きさで顔を出しているのだ。
そこから何駅かはずっと富士山が拝めるが、次第にその姿は小さくなり、最後は雲に紛れて消えていく。
そして今度は八ヶ岳連峰が近づいてくる。
富士の優美な裾野とは違い、切り立ち迫る八ヶ岳は、谷にのみ雪を残し、それがまた鋭さを一層際立たせる。
この頃には、もう乗客は私を含めて2、3人になる。
特に恥じることもないので車窓に駆け寄ってシャッターを切れば、木やら柱やらトンネルやらで、中々上手く撮れないのでお勧めしない。
列車での一人旅など退屈だろうと思う諸君、ご心配なく。
人の多さに辟易し、空いた車内で景色の良さをただ眺め、魅入る間にシャッターを切り損ね…
そうしているうちに、小渕沢へ至る。
私は小渕沢駅で中央本線に別れを告げて、2両編成の小海線に乗り換えた。
この小海線、失礼を承知で言うがたいへん寂れている。
それはもう、どうやって料金を支払えば良いのか分からない程度には寂れている。
東京から切符は買えず、ICカードも使えない。
JRから乗り換えれる際は改札がなく、車内に置いてある整理券機からは何も発券されない。
降車駅で払おうにも無人駅というのはざらであるし、車内で車掌に払おうにもワンマンであったりするのだ。
正に八方ふさがりである。
清里や松原湖を通る観光列車的な雰囲気だが、そのどこも今や廃れてしまったために、どこか打ち捨てられたような悲壮感を漂う駅が多い。
しかし林を縫い山を割いて進むこの列車、田舎好きには堪らない。
この時期は、少し遅い花盛り。
山桜やら何やらが自然の中で伸び伸びと咲き誇る様は筆舌に尽し難く、また川やら沢やら滝やらと、底の見える綺麗そうな水が流れては所々に白波を立て、その横に菜の花なんかが咲いているのが如何にも春らしい。
また大きなカーブを曲がる際、背の低い草花を搔きわけるように伸びる単線を拝むことができる。
これはずいぶん細い所を進むものだと感心する。
野辺山駅で、JR最高地点を迎えてからは、列車はいくつかのトンネルを通り、町へ降りてくる。
この時この列車の面白い所は、汽笛を鳴らす所である。
ディーゼル車らしいこの列車は、確かにエンジンの音がする。
そして、時たま薄黒い煙が上がるのだ。
だいたいトンネルに入る際は汽笛を上げるが、町へ降りればそれがなくなる。
少々寂しさを感じるが、町の景色は春めいて賑やかである。
川岸に咲く桜や、線路沿いの山吹、家の庭に咲く芝桜やチューリップなどの花々が目に鮮やかだ。
見渡す限りの田畑と少しの家。
その町の鮮やかな春。
この風景をどこか懐かしいという人間は少なくない。
私もその一人であるが、それはなんとも不思議なことである。
私は東京人であり、認めたくはないが東京人的心の持ち主である。
所謂田舎に住んだこともなければ、親戚がいるという訳でもない。
しかしそれでも、この風景を懐かしいと感じるのだ。
私の中の日本人的遺伝子が回帰本能を叫んでいるのだろうか。
もしそうならば、日本人はどうして東京に憧れ、東京に染まり、東京人的心を受け入れてしまうのか。
それもまた、謎である。
彼の小野妹子が唐に渡り、織田信長がマントを羽織り、明治の貴族がドレスをひらめかせ、戦後は欧米文化が普及した日本。
田舎を望む心が日本人的遺伝子なれば、新しいものに惹かれるのもまた日本人的遺伝子の所業なのか。
それは狭い列車内で考えるに当たっては、考えきれぬ哲学の境地である。
ともあれ列車は遅い春を乗せて、彼の藤村の愛した、小諸なる古城のほとりへと進んでいくのであった。