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計測、開始

 ポン操の訓練は仕上げ段階に入っていた。計測タイムも、平均して53秒前後を叩き出すようになり、安定してきている。仲野県指導員が口うるさく指導してきた「節度」も、ほぼ完璧にこなせるようになっている。

「後10日で、公開訓練を合わせた指導員講習会がある。能島の全分団が集まり、大会参加するポン操要員が初めて顔合わせすることになる。それに明日は、内海分団との合同訓練もある。これは練習じゃない。お前たちにとっては、これからの訓練の1回1回が本番なんじゃ。負け犬になりとうなかったら、限界に挑戦しろ。限界に挑戦して、それを乗り越えてみせろ。乗り越えたところにおまえらの未来がある」

 内海分団との手合わせは、仲野県指導員の肝いりだった。指導員講習会とは、ポンプ操法大会の前に開催される行事で、各分団の指導員がポンプ操法大会での競技規則を確認するためのものだ。この行事では、出場選手の大会規則確認も含めて行われることになっている。

 久し振りに尊大な態度の仲野県指導員が帰ってきたような気がする。しかし、以前のような反感は湧いてこない。これまでに乗り越えてきた壁が良行たちに自信をもたらせ、決意を固めさせていく。

 訓練へ参加してくる団員の数も日増しに増えてきた。出初め式の前までなら、せいぜい8人も集まればいいほうだった埴生分団が、幽霊団員として登録していた団員をも巻き込んで、平均すると15名近い動員数を出せるようになっていた。この人員は、本来ならば、実放水でのポン操訓練には最低限度必要なギリギリの動員数だった。それだけに、今まで三好さん、野島班長、智史さん、植野部長や保さん、大崎分団長がどれだけ殺人的な後方支援をしてくれていたかが実感できる。

 合い言葉は、

「出初め式の仇を討つ」だった。

その決意は徹底していた。

埴生分団では、これまで選手、役員を含めて7名ほどしか参加したことがなかった指導員講習会に、空前絶後の動員数として20名という目標を掲げている。さらに、本番の大会では、絶対参加しないと囁かれていた幽霊団員も動員させる計画が進行中で、もし実現すれば埴生分団の総員に近い30名が参加することになっていた。また、県大会出場を想定して、補欠メンバーも決められ、これには、経験者の保さんが指揮者、一番員に智史さん、二番員に野島班長、三番員は植野部長が選ばれた。ただし、この補欠メンバーの訓練には時間的な余裕がないため、ポン操大会終了後から開始されることになっていた。

それだけに訓練は熾烈を極めた。恥は、絶対にかけない。

 しかし、勢いはある。

訓練中、誰か一人でもミスすれば、新たに参加してきた豊富な参加人員にものを言わせて、たちどころに予備ホースが準備され、すぐに最初から本番さながらの訓練が再開される体制が整っていた。

「呼吸を合わせろ」

「みんな、おまえらのためにやってくれとるんじゃろうが」

「歯を食いしばれ、悔しさを思い出せ」

 良行は、放水停止線と小型可搬式ポンプ手前の伝令停止位置との間を、口から内蔵が飛び出しそうになるほど何度も激走して往復する。その間、仲野県指導員からは、情け容赦なく檄が飛ぶ。

 もう走れん。

 良行の集中力が切れそうになる。

「ここで限界を超えんかったら、いつ越えるんな!」

 ふがいなさに、悔しさが募る。

 だが、体中に乳酸菌が溜まって、息苦しさが限界を通り越したとき、突然良行はこれまで経験したことのないような爽快感に包まれた。それは不思議な感覚だった。

 これまで見えていた景色が急加速していく。SF映画に出てくるワープの瞬間のようだった。

 何回でもやっちゃらー。来いや!

 身体中の細胞が叫び、身体の隅々が、見えざる敵を挑発している。

「50秒!」

 ストップウォッチを持った仲野県指導員が走り寄ってくる。

「おまえらの最高タイムじゃ。どうな三島っ、限界を越せたか?」

大崎分団長が仁王立ちして、うんうんと頷いている。50秒というタイムは、ポン操大会の所用規準時間45秒というタイムからすれば遅いが、旧式の可搬式ポンプしか持っていない能島市全域の消防団からすれば驚異的なタイムだった。訓練を見守っていた団員たちから期せずして拍手が巻き起こり、良行たちを中心にして拍手をしていた団員たちが次々と集まってくる。橋本班長、松崎も大谷も、そして良行の目にも歓喜の涙が光っている。

最後に輪の中へ入ってきた大崎分団長が、静粛を求めた。どの団員も大崎分団長に注目している。

「もし、こいつらが大会で優勝したら、半年間、同じ訓練して県大会へ行かなにゃらんぞ。それでもええんか!」

 大崎分団長は静まりかえった団員に同意を求めているようだった。県大会への出場が決まると、消防学校への研修を含めて、約半年間の訓練期間が追加される。当然、後方支援もこれまで以上に必要となり、他分団からの支援も必要となってくる。そのためにも、団員が一丸となって決意する必要がある。

 松崎が真っ先に拳を振り上げて、

「やります!」と決意を示した。

「やるんか!」

「やります!」

「おまえらは、どうなんじゃ。やる気があるんか!」

 良行も拳を突き上げ、松崎と一緒に吠えた。

「やります!」

 大崎分団長は、もう一度聞いた。

「やるんじゃの」

 ポン操要員の4人は、そろって拳を突き上げ、

「やります!」と叫ぶ。

「よーし、他のみんなはどうね。こいつらだけにやらせとくつもりか?」

 副分団長の保さんが拳を突き上げて叫ぶ。

「ワシらもやるぞ!」

 顔を見合わせていた団員たちは、保さんの気迫に押されるように、雄叫びをあげた。

「オー!」

声の小ささを見て取った保さんが、他の団員を見回して、すかさず叫ぶ。

「ワシらもやるぞー!」

 その時、期せずして、参加した全団員は、腹の底から突き上げるような雄叫びを挙げた。

「ウォー!」

 その日、訓練が終了し、その日の講評に立った仲野県指導員は意外なことを話した。

「毎日の訓練、お疲れ様です。今日は埴生の決意を見させていただきました。しかし、指導員講習会でも、本番でも、そして普段の訓練でも、いつ、何が起こるか分かりません。特に、選手の皆さんには、くれぐれも事故に注意するようにお願いします。このチームは、やっとスタートラインに着いたばかりです。本当のゴールがどこにあるのか、皆さんはまだ知りません。これからの訓練は、その本当のゴールを知るための試練だと思って下さい。どうか、心して、取り組んで下さるようにお願いします」

 やっとスタートライン?本当のゴール?

 ポン操要員の4人は勿論、訓練に参加していた団員たちも、その言葉の真の意味が理解できていなかった。婚約して毎日のように松崎の訓練ぶりを見に来ていたノンちゃんは、帰り際に、良行たちポン操要員の会話に加わりながら真顔で言う。

「消防団って、思ってた以上に厳しい世界なんじゃね」

 改まって言われてみると不思議な感じがする。4人は顔を見合わせた。

「うちにゃあ、頼れる3番員がおるけーの」

 橋本班長がニヤッと笑って戯けて見せた。

「班長、ちょっとその笑いのニュアンス、別の意味で言ってません?」

「いや、別に……。ノンちゃんの気持ちを察しただけで、松崎は頼りになるなーと」

「嫌みったらしいのー」

 それでも松崎は、でへでへと脳天気に笑っている。しかし、その笑いには、以前のような無責任さが感じられない。

 良行は松崎たちと別れると、久し振りに基地へ行ってみようと思った。冴子にはしばらく会えないし、ポン操仲間としか接していない時期が続いたからだ。

 当分、顔を出してなぁーし、あいつら、どうしょんじゃろう。

 ポン友の英次の漁師小屋は、海の間近に見えるバス通りからは見えない奥まったところにある。英次が勝手に改装して使っている秘密基地は、埴生の漁師町にあって、漁師小屋ながら普通の家屋と同じような造りをしている。付近の住民は高齢者が多く、夜の8時過ぎには近くの住民で起きている人は誰もいない。そのため、漁師小屋の近くでは、いつも英次からバイクのエンジンを切って静かに通り過ぎてくれと注意されていた。

仲間が集まっているかどうか確認するためには、近くまで行って確かめてくるしかない。

 防波堤の側を貼りつくように民家が建ち並んでいる。深夜の港には、防波堤沿いに設置された水銀灯に照らされて、日よけのテントを張った漁船が幾艘も並ぶ。その漁船がチャプチャプと船底をさざ波に打ちつけ、冷たい風が出荷に使う発泡スチロールのトロ箱を煽る。民家の赤茶けたトタンの塀は破けて、冷たい風を切っていた。

 英次の漁師小屋が見えてきた。奥からは明かりも見える。

 良行は、いつもの場所にバイクを置いて、英次の漁師小屋に入っていった。小屋の手前は倉庫になっていて、漁船のエンジンを整備する工具や各種の漁具、それに碇を巻き上げるためのウインチなどが転がっていて雑然としている。小屋は二間あり、奥には薄汚れたトイレも設えてある。

 良行は、ドアの手前に立って、いきなり開けてやろうと思った。

 ドアを開けた瞬間、良行の目に飛び込んできたのは、敏明と千里が抱き合ってキスをしている場面だった。二人は、驚いたように良行を見ている。とっさに、何をすればいいのか分からなくなった良行は、慌ててドアを閉めた。

 動悸がする。

 良行はドアを背に、頭の中が真っ白になった自分を整理しようとする。

 ここは、英次の漁師小屋で、何で敏明と千里が一緒にいるんだ?オレが見たのは幻か?

 小屋の中からは息を潜めているような気配がある。

 良行は思いついたように、その場を離れた。小屋を出るとき、転がっていたウインチで躓きそうになった。

 自宅へ帰りながら、二人のキスシーンだけが目に浮かんでくる。

 どうなっとるんじゃ。二人ができとんは分かったけど。

 いつも身近にいる敏明と千里の恋など、良行にとっては考えられないことだった。千里に、いつも「鈍いんだから」と言われる良行は、その鈍さを痛感しないわけにはいかなかった。

 あいつら、ほんまに結婚するつもりなんじゃろうか。

 子どもの頃から見てきた千里が、急に遠い世界へ行ってしまったような気がした。そう思うと、急に冴子が恋しくなってくる。

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