第5話『城下と魔導書』
ーアリシアのあとに続くこと数分、蒼真の目の前に大きな門が現れる。
堅牢で重厚なその門が、城と城下町とを隔てる壁となっているようだ。
「城下町は“混合区”“人間特区”“魔族特区”に分けられ、塀で仕切られている。私達はこれから混合区の魔導書店に向かう…この辺りならいいか」
そう言うとアリシアは蒼真の手を掴む。
「え?」
「面倒だから“飛ぶぞ”。目を閉じておけ、気分が悪くなるかもしれん」
アリシアに言われ目を閉じる。
瞬間、言い知れぬ浮遊感を感じ、次いで頭を振られたような感覚が襲う。
「…うっ…」
「ついたぞ、目を開けろ」
促され目を開けると、そこは門の前ではなく、薄暗い路地裏だった。
頭の整理がつかぬまま辺りを見回すと、路地の向こうに明かりと人混みが見えた。
「行くぞ」
アリシアは光に向かって歩き出す。
小走りにそれを追いかけると、そこは商店の立ち並ぶ露店街だった。
そこで商いをするもの、商品を品定めするもの、行き交う人々、そこには蒼真のような“人間”もいれば、肌の色が違ったり角のある“魔族”と瞭然な者もいた。
“混合区”とは、つまりそういうことなのだ。
審議会の時にも遠目には見たが、魔族をまともに見たのはシナ以来初めてだった蒼真はジロジロと辺りを見ては行き交う人々に怪訝な顔をされていた。
「おい、いい加減にしとおけ。行くぞ」
「あ、おう」
人混みを掻き分け今度は町並みを歩きながら眺めてみる。
レンガ造りの家や建物、そして石で舗装されたその道から、昔見たヨーロッパの町並みに近いものを感じた。
路地からでて10分程度歩くと、アリシアは真新しい白いレンガ造りの建物のドアを叩いた。
「いるかバルア」
入るなりアリシアが声をあげる。
中は入ってすぐに木目調のカウンターがあり、その後ろには沢山の本がところ畝ましと並んだ本棚が永遠と奥に続いている。
蒼真が物珍しげに辺りを見回していると、カウンターの向こうから足音が聞こえてきた。
「おや、これは団長殿。珍しいですね、どんな本を御所望ですか?」
現れたのは青いローブに身を包んだ銀髪眼鏡の青年。一見人間に見えるが、耳が異様に鋭く尖っていて魔族なのだと判別できる。
本の整理でもしていたのか、数冊の本を抱えて本棚の奥から現れた。
彼は青い瞳で蒼真を見つけると、悟ったように目を細めた。
「…なるほど、御用なのはそちらの御仁ですね?」
「あぁ、こいつの魔力がどうも召喚型のようでな。魔導書が欲しい」
「よ、よろしくお願いします」
アリシアに並び立つ蒼真が緊張気味に頭を下げる。
そんな蒼真に彼ーバルアは優しく微笑む。
「そんなに緊張なさらず。ではこちらへ」
言いながらバルアはカウンターの右端を跳ね上げて、中へ入るように促す。
カウンターへ恐々、一歩一歩進む蒼真。
内側へ入ると跳ね上げていた板を下ろし、バルアが先に薄暗い本棚の間へ歩き始める。
「あれ?アリシアは入ってないんですね」
「えぇ、魔導書との契約時は契約者の方が御一人で行わないといけないので」
そう説明され、なるほどと納得してバルアのあとに続く。
そんな話をしていると、まもなく部屋の行き止まりを示す壁が現れた。
「あれ、行き止まり…」
蒼真が呟くと、バルアは一度振り向き、横顔だけをみせて小さく笑う。
そして壁に向き合うと壁に手を触れる。
「我、導くものなり」
小さくバルアが呟く。瞬間、壁は音もなく消え去りさらに奥へと繋がる道が現れた。
バルアは蒼真に向き直り、白紙の紙切れを蒼真に差し出す。
「ここから先は御一人でお進みください。奥の広間についたらこの紙に魔力を込めて、現れた文字を読み上げてください」
「あの…」
「それから、戻るときは紙をその場に捨ててきてください。では、いってらっしゃいませ」
そう言うとバルアはニッコリと笑う。
顔は笑顔だがその様子はこれ以上の質問を許さないといった感じだ。
仕方なく蒼真は紙を受け取り、現れた道へ足を踏み入れる。
それと同時に入り口は閉ざされ、微かな灯りすら無い完全な闇が訪れた。
「えっ!…進むしかない、か」
一人呟き、蒼真は壁づたいに廊下を歩き始めた。
しかしその完全な闇は、この世界に来た時の、あの祠の廊下を連想させる。
ー…こっちだ…
ふいに声がして振り向く。
だがなにも見えない。
ー…早く来い、遠き世界の同胞よ
「クッソっ…幻聴、だよな」
辺りからこだまするような、耳の奥から響くような、薄気味悪い声を振り払うように呟き歩みを進める。
暗闇が引き出すほんの1ヶ月前の記憶。
それが頭のなかでフラッシュバックし、蒼真の理性を削りきるのにそう時間はかからなかった。
呼び起こされる恐怖。フラッシュバックと共に響く笑い声。
狂いそうになる意識を保つため、逃げ出すように蒼真は駆け出した。
永遠とも思える暗闇をひたすらに走り続け、気付けば廊下とは違う空間についたことに気づいた。きっかけは踏み締めた“何か”。
しゃがみこみそれを拾い上げると古ぼけた紙切れであることがわかった。
視線をその先に向けると、そこには床が見えない程にばらまかれた無数の紙が散在している。
「ここが、そう…なのか?」
蒼真は数歩前に出ると、バルアに渡された紙切れをポケットから取り出す。
それを右の手のひらに開き、魔力を込める。
すると、青白い文字が浮かび上がってきた。蒼真は一度深呼吸し、読み上げる。
「我、汝を欲する者なり。我が声の届きし者よ。我が声に答え、盟約を交わさん」
蒼真が読み上げた瞬間、足元の紙の山の隙間から漏れ出す強烈な青白い光。
次に蒼真を中心に吹き上げる風が紙を渦のように巻き上げ、床に描かれた魔方陣が露となる。
その風は蒼真から紙切れを奪い去り、代わりに何処からともなく現れた一冊の古ぼけた本が細かな燐光を散らしながら蒼真の手の中へ降りてくる。
それを蒼真が掴みとると、魔方陣の光は消失しピタリと風が収まった。
「これが…魔導書?」
それは文庫本程度の大きさで、年期の入った皮の表紙がつけられていた。見た目としては手帳に近い気がした。
蒼真はゆっくりと本を開く。だが、そこには何もかかれておらず全てのページが白紙だった。
「なんだこれ?どうなって………待てよ…」
何か閃いたように蒼真は手のひらで開き、魔導書に魔力を込める。
すると先程の紙切れと同じく文字が浮かび上がった。
「我、魔導書の盟約の名の元に汝を求めん。我が声に答えよ―――」
蒼真が読み上げると同時に、青白い輝きが蒼真を下から照らし上げた。
******
―蒼真を送り十数分、アリシアとバルアはカウンターで雑談をしていた。
と、ゆっくり近付いてくる足音に二人が本棚の奧へ視線を向ける。
「やっと来たか」
「あぁ、お待たせ」
本棚の奥から現れたのは蒼真。その手には本が握られている。
「成功したみたいですね」
「お陰様で」
「では、お代の方を」
「それは私が払う」
そう言うとアリシアはズボンの腰についたポーチから小袋を取り出す。
「銀8枚です」
「…む、銀がない…金1枚でいいか?」
「はい、では今お釣りを」
言いながらバルアは一度蒼真とすれ違うように奧へ消えた。
カウンターの板を跳ね上げてアリシアの横に戻った蒼真。
「アリシア、金1枚ってどのくらいの価値なんだ?」
「銅貨10枚で銀1枚、銀10枚で金1枚だ。金が一番価値が高い」
「なるほど。じゃあお釣りは銀2枚か」
そんな会話をしていると程なくしてバルアが戻ってくる。
「はい、銀2枚です」
「ふむ、世話になった。またな」
「ありがとうございます」
アリシアと蒼真が挨拶すると、バルアはにこやかに頭を下げる。
二人はそのまま店をあとにした。
店の玄関でてすぐ、アリシアに蒼真が声をかける。
「これからどうするんだ?」
「私は仕事が残っているのでこれで帰る。お前はどうする?」
「俺は、町中を見ていっていいかな?」
「仕方ない…お前、武器は何処に置いた?」
「えっと、ベッドの横に…」
「彼の物の剣よ、我が元へあれ」
アリシアが手をつきだし呟くと、手のひらが輝き光の粒子が収束する。それはやがて剣の体をなし、粒子が拡散するとその手には蒼真の剣が現れる。
「すげぇ、今のが転移魔法?」
「まぁな、盾はいるか?」
「いや、ヨモナさんにお前は盾がない方がいいって言われてから使ってない」
答えながら剣を受け取り、腰にぶら下げる。
「そうか。気を付けろよ、路地に入ると要り組んでいるから迷うぞ」
「おう!ありがとな!」
「チッ、ではな」
そう言うとアリシアは光に包まれ、光の粒子が霧散するとアリシアの姿も消えていた。
アリシアを見送り、宛もなく歩き始めた蒼真。
町中を活気に溢れ、笑い声や町の住人の笑顔に溢れていた。
降り注ぐ太陽のもとに種族の隔てなく子供たちは一緒に遊んだり、店主と主婦が交渉合戦を繰り広げていたり。
蒼真の中の“人間対魔族”の構図は完全に人よりな、偏見の塊立ったことに気づいた。
きっと魔族にも人間と同じように、色々な価値観を持った者達で溢れている。戦いを求めるものだけでなく、平和や平穏を愛するものもいるのだ。
そして気づいたのは、自分の仕出かした事の大きさだった。
近い将来、魔族との争いが再び起こるかもしれない。その時、今こうして笑い合っている者たちは、それでも笑顔でいられるだろうか。
それは、恐らく難しいと蒼真は思う。悲劇が起きたとき、きっと相手を“個人”としては見れなくなり、“魔族”や“人間”と大別してしまう。その者が誰かを傷付けていなくとも、自分とは違う人種は敵として見なしてしまう。
ー…そうなったら、ここは…
考えるだけで蒼真は身震いを覚える程に恐ろしくなった。
自分がマイナス思考なのかもしれない。しかし、どうあっても楽観的に考えることができなかった。
「…やっぱ俺、大変なことしちゃったんだな」
起こしてしまった事への罪悪感に押し潰されそうになり、思わず俯いてしまう。
下向きになる気持ちを振り払うように頭をあげると、あることに気づいた。
「…え…ここ、どこ?」