第1話『現実と一歩』
ーまどろみの中で小さな揺れを体に感じ、小さく瞳を開く。辺りはスーツや学生服の人々で溢れ返っていた。その光景は、見慣れた帰りの地下鉄の車内。
しかし、奇妙な事に辺りの音はまるで聞こえない。話し声や電車の走る音、一切の音が耳に入ってこない。
『次は~、~です』
唐突に響くアナウンス。どうやら次が下車する駅のようだ。異様に気だるく重い体を椅子から引き剥がすように立ち上がり、次の瞬間、強い衝撃が全身を襲った。
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「ッ‼…ハァ…ハァ…」
彼は勢いよく体を起こすと辺りを見回した。そこは暗い空間だった。四方を黒い石造りの壁に覆われ、窓はなく、辺りは湿ってなんとなく洞窟のような雰囲気だ。自分は壁に吊るされるように作られた木製のベッドに寝かされており、外とは鉄格子で隔てられている。
つまり、ここは牢屋のなかだ。
壁に備え付けられた蝋燭だけが光源の薄暗い中で自分の右腕を見る。そこには綺麗な包帯が巻かれてあり、痣が隠されている。彼は小さくため息をついた。
「…夢じゃないのか」
神妙な顔で彼は意識を断たれる前の出来事を思い出す。
あのヘドロはなんだったのか?あの場所は?あの少女は?なぜ言葉が突然分かった?そもそもここは何処なのか?分からないことだらけで収拾がつかず、思考がぐちゃぐちゃになっていく。
そんな思考を断ち切る様に甲高い擦れるような音の後、こだまするような足音の反響が響き渡った。
鉄格子の向こうで足音が止まり顔を向けると、鋭い眼光を彼にぶつける蒼眼金髪の少女。その後ろに左目に傷を負った白髪をオールバックにかきあげた初老の男性。
二人は揃って黒いワイシャツに白いスーツ姿。
格好は違うが少女は間違いなく彼を救ったその人だ。
「おい、まずは名前を…」
「教えてくれ‼ ここはどこ!君は誰!あの場所は何!あのヘドロはー」
捲し立てる彼の顔に柵の間を抜けてきた拳が入り、彼は勢いよく湿った床を転がる。
「ちょっと黙れ、まずは私が質問する。名前は?」
「ッてて…宮野 蒼真、君は?」
彼ー蒼真は鼻を擦りながら立ち上がって答える。
「私はアリシア、アリシア・エルフリーデ。レイヤードの近衛騎士団の団長を勤めている」
まっすぐな瞳で蒼真を見ながら少女ーアリシアは答えた。
しかしその答えは、蒼真の頭に混乱を投じたに過ぎない。
「あの、レイヤードって…ここはいったい…」
「ここはイリス大陸の北部に位置する大国“レイヤード”の城のなかだ」
蒼真の質問に答えたのはアリシアの後ろにいる初老の男性だ。穏やかで深みのある暖かな声だった。
「貴様はどこから来た。なぜ腕輪が発動しなかった?」
「え?腕輪って…」
アリシアに咎められるようにそう言われて蒼真が右手首の腕輪を見ると、意識を失う前とは違いぼんやりと発光して、数秒後に消える。
「これは…」
「貴様、共和の腕輪を知らないのか?」
アリシアはこの世のものではない者を見たように目を見開いて驚いていたが、蒼真自身はなんの話をしているのやらさっぱり分からなかった。
「その腕輪は相手の言葉を自分の理解出来る言葉や単位に変えて伝えてくれる」
男性が丁寧に説明してくれたお陰で蒼真の疑問が一つ解消された。どうやら腕輪の力で意識を失う瞬間、アリシアの言葉が理解できたのだ。
しかし、更なる疑問、何故最初から腕輪が作動しなかったのか。その答えはアリシアがくれた。
「あり得ない、腕輪が作動しないということは魔力を持っていないということだ…そんなこと、この世界ではあり得ないぞ」
魔力とはなんなのか。それは分からないがどうにも蒼真にはそれがない、いや腕輪が今は作動している以上今は持っているのか。ではいったい何故なかったものが今はあるのか。疑問はつきないが、今一番の悩みを蒼真は打ち明ける。
「なぁ、ここは地球じゃないのか?」
「チキュウ?貴様、何を寝ぼけている。ここはアークライ、そしてイリス大陸のレイヤードだ」
アリシアは呆れたような調子でそう言うが、蒼真はアリシアの言葉が受け止められない。
今自分の置かれている状況が理解できないでいる。
ーアークライ?レイヤード?地球じゃない?どういうことだよ…
「彼は恐らく、禍の徒によって導かれた異邦の民だ」
蒼真が頭を抱えていると、男性は答えを突き付けてきた。そう、つまりは異世界に飛ばされたのだ。しかし導かれたとはどういうことなのか、蒼真が頭をあげ質問する前にアリシアが食って掛かった。
「いい加減なことを言うなジェクト!そんなことが…」
「だが、それなら彼に魔力がないことや虚の祠が見つかり封印が解けたことの説明がつく」
「しかし…」
男性ージェクトの説明にアリシアはぐうの音もでないようで困惑したような表情で下を見つめた。
ジェクトはそんなアリシアを放置し、自ら牢の鍵を開けて中へと入る。
「アリシア、彼には私から説明する。いいな?」
「…任せる」
ジェクトの問いにそう答えると、アリシアはツカツカと足早にその場から立ち去っていく。
その後ろ姿を見送って、ジェクトはベッドに腰掛け蒼真に横に座るよう促す。
蒼真は恐る恐るベッドに近付き、ジェクトからは距離をとって座る。
「さて、何から話そうか」
「あの、俺の開けてしまった箱っていったい…」
蒼真が言うと、ジェクトはシワの入った眉間に更にシワを寄せ、ゆっくり目を閉じ小さなため息をついた。
しばらく考えていたのか沈黙が続き、唐突に切り出し始めた。
「あれは約150年前、人間を滅ぼしかけた魔族の王だ」
ジェクトはひどく深刻な顔でそう答えたが、蒼真にはいまいちピンとこない話だった。魔族の王、つまりは魔王だということだろうが、魔王なんて物はゲームのボスキャラ位しか知らない。ゲームの中の架空の存在を危機として認知することが、どうにも蒼真にはできなかった。
しかし、蒼真がどう感じようとこの世界には魔王がいて、人間を滅ぼしかけたという事実は変わらない。
ジェクトの表情だけがやたらと魔王のリアリティを蒼真に伝えてきた。
「150年前、禍の徒と呼ばれた魔族の王、カイゲンは異邦の民、セイシュウが率いる一向によってこの地に封じられた。そして、彼はここに小さな村を作った、カイゲンを封じた虚の祠を守るためにな。その村はやがて国となり、今のレイヤードを作ったのだ。本来虚の祠は魔力を持つ者には見えないよう魔法がかかっていたのだが…」
「俺には魔力がないから、見つけられた」
蒼真が言うと、ジェクトは小さく頷いた。
「カイゲン(あれ)の復活は再び魔族との戦いが始まってしまうということだ。そしてソウマ、君にはカイゲンを解放してしまったという大罪が課せられている。刑は死刑、明日執行される予定だ」
「えっ!死刑って、そんな…」
「当然だろう、君は世界を滅ぼすかもしれない存在を解き放ったのだからな」
ジェクトの言い分はもっともだが、だからと言ってそんなに簡単には頭に入ってなどこない。
異世界に飛ばされ、魔王に襲われ、気絶して目が覚めたら明日死刑。こんな現実を受け止められる高校生などいるはずはない。
頭が真っ白になり目を丸くして口を開け閉めするだけの蒼真に、ジェクトは更に言葉を続ける。
「もう一つ君に伝えなくてはならないことがある。その右腕のことだ」
ジェクトの言葉に蒼真は恐る恐る自分の右腕に視線を写す。
痛々しい包帯の下には恐らく、魔王から受けた傷があるのだろう。
「君が受けたのは“呪い”だ。カイゲンは自らの体の一部を君に取りつかせた。その呪いはゆっくり君を蝕み、やがて君を殺す」
容赦のないジェクトの言葉に、蒼真はノックアウト寸前だった。つまりはそう遠くない未来に自分は死ぬ。明日か、明後日か、いつかは分からないがどうあっても逃げられない。
蒼真にはもう、うなだれる以外に選択がなかった。
ジェクトに食って掛かったところで仕方ない。泣いたって喚いたって結局は死ぬ。明日死刑になるか、明後日呪いで死ぬか、手詰まり過ぎて笑いすら込み上げてくるような状況に、しかし笑えるほど錯乱しているわけでもない自分が恨めしい。
いっそ恐怖で狂ってしまえたらどれ程に楽だろう、そんなことしか考えられなかった。
「意外だな、もっと取り乱すと思ったが」
「いや、もう何て言うか、わけ分かんなすぎて…取り乱す余裕もないっていうか、まぁ見た目ほどれいせいじゃないですよ」
「ならば一つ。君が助かる唯一の方法だ」
ジェクトの言葉に、しかし蒼真は目線だけをジェクトに向けた。
その目も光を映しておらず、いかにも諦めしかない瞳だった。
「…俺に魔王を倒せって言うんでしょ」
蒼真の返答に、ジェクトは心底意外と言いたげな表情を浮かべた。
「よくわかったな」
「馬鹿にするなよ。アンタの話はつまり魔王を生き返らせた罪の死刑か、魔王の呪いでゆくゆく死ぬか。どっちもキーワードは“魔王”で、ここに来ての俺が助かる方法って言ったらもう魔王を倒すしかない」
そう言って蒼真は呆れたような表情で肩を竦めた。
一介の高校生に魔王を倒せとは、なんとも酔狂な話だと笑う蒼真。
そう、彼は一介の高校生に過ぎない。魔王がどれ程に強いのかは分からないが、ただの17歳に倒されるほど弱くはあるまい。
それにどこにいるかも分からない、いや、仮に分かっていたとしてそこまでの道中に命の危険もあるのだろう。
どう転んでもつまりは命の保証などないのだ。
いつ死ぬか分からない恐怖に怯えて生きるより、いっそ明日死刑になった方がいいのではないか、そんな自暴自棄になる思考を止めることができない。
「俺はただの学生で兵隊じゃないし、特別何かを習っていたわけじゃない。どれをとっても死ぬしかないんじゃ選びようもない」
「つまり、明日の刑をただ待つということか?」
ジェクトの問いに蒼真は無言を返した。
それが何よりの答えだ。
ジェクトは小さくため息をつき、立ち上がる。
「責任の取り方は人それぞれだ。だが、もし捨てた命と思っているなら力を貸してくれないか?」
振り向き蒼真に視線を向けて話すジェクトに、うつむいたままやはり無言の蒼真。
その表情は降りた前髪によって阻まれ伺うことができない。
ジェクトは牢の扉を開き外へと出る。
「ここの鍵は開けておく。もし考えが変わったら出てくるといい、レイヤード軍戦略顧問兼指南役、このジェクトが君に私の持てる全てを教えよう」
そう言って笑うとジェクトは扉を開けたまま去っていった。
ジェクトが去ったあと、蒼真はベッドへ横になり薄暗い真っ黒な石造りの天井をぼんやり眺めた。
あとどのくらいの時間で自分の命が潰えるのかは分からないが、ひどく頭はクリアだった。
どうにも諦めると冷静に物事が見えてくるらしい、と自己分析しながら今までの人生を思い返してみる。
ー…まぁ、特別なんてことない人生だったように思う。幼稚園から中学まで別段受験したわけじゃなし、地元の良くも悪くもない小中を卒業して、やっぱり良くも悪くもない高校に入って…なんか薄っぺらかったなぁ
小さくため息をついて横を向く。
ありふれた人生の最期が異世界でなければ本当に平凡な、波風のない人生だったのだろう。
そして、ふと家族を思い出す。
ー…父さんと母さん、心配してるかなぁ…あれ、そういえば色々あって忘れてたけど、俺もし生き抜けたら帰れるのかな…でもそんな“もし”なんて…
そこではじめて、自分の中の諦めが揺らいだのを蒼真は感じた。
もし生き抜けたら、それは甘い戯れ言かもしれない。でも、もとの世界には自分の帰りを心配して待っていてくれている人達がいることを彼は思い出した。
しばらく横を向いたまま虚空を見つめる蒼真。
そして、おもむろに体を起こすと開かれた扉を潜り廊下へと出る。
ジェクト達が進んだ方向に向けて少し歩くと階段が見え、その先にはボロボロの木製の扉。
蒼真は階段を一歩、また一歩、踏みしめて登る。
錆び付いた鉄の取っ手を掴み、押戸を開く。
一瞬外の明るさに目を細め、次第に定まる焦点。
そこは牢屋とは真逆の純白の大理石の様な石でできた廊下だった。
そして蒼真の目の前、そこに壁へ寄りかかり腕を組んで目を閉じているジェクトの姿があった。
ジェクトは壁から背中を剥がし、組んでいた腕をおろして暖かい瞳を蒼真に向けた。
「来てくれると思っていた」
「俺は、帰らなきゃいけないんです。こんなところで死ねません」
蒼真のそう言った瞳を見て、ジェクトは小さく笑う。
「さっきとはまるで別人のようにいい目をしている。これからよろしく頼むぞ、ソウマ」
「はい!お世話になります!」
蒼真は力強く返事を返す。
必ず、どれだけの時間がかかっても、必ず生きて戻る。
彼を支える強い柱が固まった。
はじめまして、作者です。
一応話が始まってからごあいさつと思いましたが、全く進んでないですね(笑)自分でもビックリです。
次回からはテンポよく…ヨク………行きたいと思いますので、また次回お会いできれば嬉しく思います!!
ありがとうございました。




