第11話『劣勢と問題』
ーカツンッ、カツンッと金属の錆び付いた螺旋階段を下る音が反響してはこだまする。
ガルゴのあとに続き蒼真は屋敷を出て少し離れた小屋のような建物に入った。
物置のようなその場所の奥にあった階段が修練場と呼ばれる場所に続いているらしいが、ジメリとした空気やカビの臭い、光源は手元の松明のみと何とも不気味な雰囲気漂うその空気が蒼真の緊張を掻き立てる。
これから戦いに行く剣闘士の心境というよりは、死刑場へと護送される死刑囚の気分の様だ。
永遠とも感じるような螺旋階段を下り終えたのか、不意にガルゴが足を止め松明を壁際に掲げる。
そこから火が乗り移り、瞬く間に壁を走り四方を囲んだ。壁に沿って燃え上がる炎が照らし出したのは、壁にかけられた数多の武具とリングのような正方形の石畳だった。
「ここが修練場だ。武器はここにあるもの全て好きなように使って構わん。この正方形の上が決闘の場となるが、範囲を出たからと言って負けではない。あくまで勝敗は“我に一太刀入れられるか”だ」
ガルゴは振り向かずにそう言いながら四角いリングの上に上がっていく。
その背中を見ながら蒼真はある疑問をぶつける。
「ガルゴさん、貴方の勝利条件は何なんですか?“いつもの仕事”ってやつと関係が?」
ローディスは蒼真の勝利条件は提示したが、ガルゴの勝利条件をガルゴ自身に伝えていない。
出立前に言ったあの一言のみだ。
ーほう…なかなか鋭い小僧だ
内心感心しつつガルゴは振り向いた。
その目に写った蒼真に、先程の怯えは見えない。
「いかにも」
「その仕事って?」
蒼真がそう聞くと、ガルゴは小さく口許を吊り上げる。
「分かりきったことを…そこまで考えが及んでいるならば自ずと答えは出ているはずだ。貴様も農夫に、仕事はなにか、とは聞かんだろ?」
ガルゴがそう言うと、蒼真は小さくため息をついた。
蒼真にもだいたいの察しはついていたが、つまりは“軍人”という職につくガルゴにとっての仕事など分かりきっているということだ。
ー…アイツ、最初から俺を殺すつもりだったわけだ…
蒼真の中の疑惑がハッキリしたところで、再びため息をつく。
最初から殺す気満々のローディスにまんまと乗せられた自分も情けないが、恐らく気付いていてここに送り込んだアリシアのスパルタぶりに最早恨み言を言う気も起きなかった。
ー…今更泣き言いっても仕方ない。俺は生きて元の世界に帰るんだ…!
自らを鼓舞するように心の中で呟くと、踏み締めるように一歩踏み出しリングへ上る。
少し距離をとってガルゴと対峙する蒼真。
腰に下がった剣をゆっくりと抜き構える。
「武器はそれでいいのか?」
「こいつが一番使い慣れてるんでね」
「よかろう、では我は…こいつだ」
そう言いながらガルゴは壁に近付き、壁に下がった武器を手にする。
それは巨漢のガルゴとそう変わらない位の柄の先端部に大きな鉄球と表面から無数に生える太く鋭い針が特徴的な、いわゆるモーニングスターと呼ばれるものだ。
モーニングスターを手に再び蒼真の眼前に立つと、武器を構える。
「改めて名乗ろう。バルディール遊撃隊千人隊長、ガルゴ・ルシアーノだ」
「宮野 蒼真です」
「では…いくぞ小僧!」
そう言い切るや力強く床を一歩踏みしめ飛び出すガルゴ。
弾丸の様な速さと共に勢いの乗った一撃を降り下ろす
。
ー…速い…!
紙一重で反応した蒼真は後ろに飛び退き、ギリギリで避ける。
しかし、床にヒビを入れる程の一撃を今度は掬い上げる様にしてガルゴが下から振り上げた。
鉄球が抉るような角度から蒼真の顎へ迫る。
そしてそのまま蒼真の体が宙を舞った。
数メートル上空へうち上がり、なんとか体勢を整えて着地する。
ー…ほぅ、咄嗟に左の籠手で顎を守ったか。
肩で息をする蒼真の左手の籠手を注視すると、確かに強く擦れたような跡がある。
ガルゴは少し口角を上げ武器を構え直した。
一方の蒼真は想像だにしなかった速さと衝撃にごっそり体力を持っていかれ、実力の差を痛いほどに感じていた。
息が自然と弾む。
呼吸を乱すなとジェクトやヨモナに散々言われたが、それを守れるほどの余裕はなかった。
しかし、その瞳に絶望の色はない。
蒼真は立ち上がり、剣を構えた。
そして飛び出す。
一気に距離を詰め、右下から左上へ切り上げる。
ガルゴは体を逸らすだけでそれをよける。
更に蒼真が放つ続けざまの連撃を、後退しつつガルゴは避けていく。
蒼真の燃料切れを狙っているのか、遊んでいるのか、ガルゴが攻撃を返すことは無かった。
蒼真にはどうも後者に思え、次第に切っ先に苛立ちが乗り始める。
しかし、ガルゴの狙いはまさにそれだった。
蒼真の動きが雑になり始め、力任せになった振り下ろしのまさにその瞬間、ガルゴは左腕をその斬撃の前に晒した。
ー…取った!
確信と共に振り下ろされた刃。
その刃はガルゴの左腕を切り付けたはずだった。
しかし、鳴り響く奇妙な不協和音。
次の瞬間、地面を叩いたかのような感触と共に剣は宙を舞い、手には衝撃によるジンとした鈍い痛みのような違和感だけが握られていた。
それを見ると、ガルゴはニッと笑い、蒼真の体へ手にする鉄球を叩きつける。
「かはっ」
全身を襲った衝撃と共に勢いよく力の働く方向へと飛ばされる蒼真。
地を跳ね、転がり、滑っていく。
その力が止まっても、蒼真が体を起こすことは無かった。
「我が一族は魔族の中でも三戦族と呼ばれる戦闘種族“オーク”だ。その最たる特色はこの皮膚の硬さにある。半端な武器の、まして力任せに振り回すだけの刃になどではけして断つことはできん…っと、もう聞こえてはおらんか」
そう少し残念そうに言いながら、ガルゴは蒼真に背を向け壇上を降りようと歩き出した。
しかし、背筋を刺すような寒気を感じ、振り返る。
そこにはゆらりと体を床から引き剥す様に立ち上がる蒼真の姿。
大きく肩を揺らしながら、しかし垂れた前髪の隙間から覗くその眼光はより鋭い光を宿しガルゴを睨んでいた。
蒼真はゆっくりと右手を翳し、唱える。
「 …我…魔導書の盟約の名の元に、汝を求めん………我が声に、答えよ………ー沈められし大蛇 ……」
瞬間、ガルゴの感じた寒気はより強さを増した。
そして次に感じたのは背後の生き物の気配。
ガルゴは素早く左に身を引き、その場を離れた。
そこへタッチの差で現れた白銀の大蛇。
ガルゴのいた場所へ飛び出し、ガルゴがその場にいれば間違いなく噛み付かれていただろう。
大蛇は素早く体をくねらせ蒼真の落とした剣を咥えると、蒼真の元へと剣を届ける。
剣を手にし、再び構える蒼真。
「まだ…やれるぜ…」
そう言うと、蒼真は口元を吊り上げた。
******
ー「失礼します。紅茶をお持ちしました」
蒼真とガルゴが修練場へ向かってから数分後、アリシア、リシル、ローディスの待つ部屋に燕尾服を着たシワの目立つ初老の男性が細かな装飾の施されたワゴンにティーポットとカップを人数分運んできた。
彼はポットからカップへ丁寧に紅茶を移し、円卓に座る三人へカップを配っていく。
ローディスは紅茶に口を付け、満足げに頷いた。
「…やはり茶葉はゾンディール地方の物が一番ですね。香りが違う」
「それでローディス。お前の集めた情報を詳しく聞きたいのだが…」
アリシアがそう促すと、ローディスは小さく頷き燕尾服の男性に目配せする。
すると、それを受け取り男性は紅茶を運んできたワゴンの下から綺麗に丸められた数枚の紙を取り出しローディスへと渡した。
「私の放った密偵の報告によれば、バルドトル辺境伯は各地のギルドに所属する魔族主義派の連中に声をかけ、少数ながら兵を集めている様子。また武器に関しましては行商人や他国との貿易の際、王都への報告よりも明らかに多い数を仕入れている様です。しかし、本当に問題なのは、こちら…」
そう言うと、ローディスはひときわ大きな1枚の紙をアリシアとリシルへ向けて円卓いっぱいに置いた。
それはなにかの設計図のようで、断面図や全体図などに事細かに指示が書かれていた。
どうやら大砲の類いのようだ。
「これはいったい…」
「まさかこれ…“トリシューラ”じゃ…」
「流石は神童よくお気づきです」
凍りついていたその場の空気とは場違いな程の笑顔でローディスは答えた。
アリシアは顎に手を当て小さく唸るように椅子へ深く座り、リシルは食い入るように設計図を見つめている。
「トリシューラ…かつての大戦で魔族側が使った一級禁忌魔道具。その威力は海を抉り山を穿ったとも伝えられていますが、この設計図を見る限りあながち流言というわけでもないのかも知れません」
そう言いつつ、リシルは舐めるように丁寧に設計図を解読していく。
「リシルはこの設計図を見たことがあるのか?」
「いえ。戦時中の禁忌魔道具に関する書物は大戦の折、全て消失したと聞いています。しかし、この魔力回路から推定される魔力密度とそれが放出された時の威力を考えると、今現存する魔道具は再現不可能です。可能性が最も高いのはやはりトリシューラしかないかなって…」
「ふむ、ではやはり奴がこれを持っていることそのものが問題だな」
「えぇ、十中八九バルドトル伯はカイゲンと、あるいはその手の者と接触しているでしょう。なにせ禁忌魔道具のほぼ全ては魔族軍の物ですからね」
アリシアの言葉に賛同するようにローディスが答える。
いかばくかの重い沈黙が場を制し、アリシアは口を開いた。
「悩んでいても仕方ない。ローディス、これの完成にはあとどれくらいの猶予がある?」
「一週間、といったところかと」
「では明日、私とアイツとリシルでバルドトルのところへ行き、王宮へ出頭命令を直に伝えてくる。最悪は強制連行だ。ローディスはもしもの際の準備をしていてくれ」
「それは構いませんが、あの男が生きていると本気でお思いなのですか?」
ローディスは嘲笑気味に口元を歪めて言う。
その言葉にアリシアは鼻で笑って返すと、一口紅茶を口に含んだ。
「…さっきも言ったが、ここで死ぬのならそれまでだ」
アリシアの鋭い眼光でリシルを横目に見ながらそう言った。
その目と言葉は早く蒼真の元へ、と言おうとしていたリシルへ釘を刺すように発せられていた。
ローディスとアリシアはゆったりとした午後のティータイムを楽しむように紅茶を飲み続けている。
ー…蒼真さん、どうかご無事で…
リシルは静かに、心の中で祈り続けた。