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サンサーラ・オブ・ディファレンティア  作者: 石野 タイト
序章
1/14

-PROLOGUE-

ー彼が目を開いた時、目の前にはどこまでも高く広がる青空があった。

しかし、それはおかしい。彼は今しがた学校からの帰りの電車に揺られていたのだ。見えるならせいぜい帰宅ラッシュの人の群れか、行き過ぎた先の知らない駅の看板のはずだ。

なのに、今どうにも青空のしたで横になっているらしい。

体を柔らかい風が撫でる。それにあわせてさらさらと草花の揺れる音。

いい加減意識もハッキリしたところで、体を起こして辺りを見回す。

一面に広がるのは、草原。北海道の大平原がちっぽけに見えるくらいの大平原が、そこには広がっていた。


ー…これは、夢?いや、夢だ。普段抑圧されたストレス社会に揉まれ過ぎて一種の自由という願望が俺に見せる虚構に違いない


彼はゆっくり立ち上がり、身なりを確認する。傷はない、服は学生服。通学鞄がなくなってる。


「やっぱり夢だな。鞄はきっと現実を思い出すから置いてきたんだ」


彼は呟き深呼吸し、新鮮な空気を肺に取り込む。

緑の匂いや土の匂いが鼻を抜け、妙なリアリティを感じさせる。

ふいに彼の上を何かの影が通りすぎた。

視線を空に向ける。どうやら鳥が通りすぎていったようだ。

のどか。平穏。都会の喧騒や雑踏から解放された緩やかな時間がそこには流れていた。


夢の中にしては感じる空気がやたらリアルな気はするが、きっと俺が凄いストレスに当てられ過ぎて疲れてるからだ、と、自分を言いくるめるように考えていく。

しかし、


「…んなわけない、か」


深い溜め息が漏れる。これは現実だ。草花や頬打つ風の質感がそれを彼に教えている。いくら現実逃避をしたところで現状がまさに“夢”のように改善されるわけではないのだ。まずはここが何処なのか、情報を集めなくてはならない。

思いの外冷静な自分に驚きつつ、彼は草原を歩き始めた。

少し歩くと傾斜の緩い坂を登り始め、耳に微かに聞こえ始めた細波の音が海の存在を彼に伝える。

その音は次第に大きくなり、頂上にたどり着くと目の前には何処までも続く真っ青な海と、それを写したような青空が無限に広がっている。


その景色に彼は一瞬、我を忘れて感動に浸り、瞬間でこれが現実であり自分の知る土地ではないと確信した。


「何がどうなってんだよ…」


癖の強い焦げ茶の髪をグシャグシャにかき乱し、頭を抱えて踞りながら今にも泣き出しそうな声を上げる。


そんなときだった。雑草を踏み分ける音が聞こえ、彼が振り返るとそこには金髪を腰まで伸ばした蒼眼の少女が険しい表情で立っていた。しかもただの少女ではない。全身を白い鎧で包み、肩を覆うように装着された白いマント。腰を守るスカートの様な形の白い腰当て。腰には鞘に収まった剣がぶら下がっている。

彼の認識的には時代錯誤な印象だが、今はそんなことを言っている時でない。


彼は立ち上がって話しかける。


「あの…すいません、ここって…」


「шчстрцхпстя?」


彼の言葉を遮って話された少女の言葉は、完全に彼の理解の範疇を越えていた。

彼自身日本語しか話せないし、他の言語は理解できないが、少女の話した言葉は明らかに聞き覚えのないものだった。

しかし面食らっているのは少女も同じなようで、驚いたように目を丸めている。


すると、なにか閃いたように少女はおもむろに右の手のひらを前に出す。


「япхцч…тсчпх…рятшс」


再び少女が言葉を発すると、少女の手のひらに光が集まり、消失する。

光の後には金のブレスレットが残されていた。

そしてそれを彼に差し出す。


「つけろ、ってことか? 」


彼は恐る恐る少女の手からブレスレットを受け取ると、手首につける。

キラキラと輝くブレスレットをしばらく見つめ、そこに見覚えのない文字が刻まれていることに気づいた。


「…これ何語だ? 」


彼が言葉を発すると、少女は再び険しい表情で彼を睨んだ。しかも、今度はかなり剣の柄に手をかけかなり警戒している。

彼は表情をひきつらせ、後退りしながら両手を少女の前に突き出す。


「ま、待て…なんだか分かんないけど燗に障ったなら謝る。だから…」


しかし、彼が次の言葉を紡ぐことはなかった。

彼の下がった先には道がなく、足を踏み外し砂利だらけの斜面を勢いよく転がっていった。


「イッテテ…」


彼は腕をさすりながら、全身を殴り付けられた様な痛みに耐えつつゆっくり立ち上がる。長袖のワイシャツとスラックスのお陰で怪我はしなかったが、袖口などいたる所に破けた穴が空いてしまった。


ふと振り返り自分の転がった傾斜を見る。70°位の角度があり高さは5メートル位の場所から転げ落ちたようだ。

流石にこれは上れないと思い、まだ上に先ほどの少女がいる可能性も考えられるため早めにその場を去ることにした。


傾斜の緩い斜面を少し下ると、真っ青な海と白い砂浜が視界いっぱいに写る。

どうやらさっき見た浜辺に来てしまったらしい。

辺りを見回しても人の姿や建物らしいものは見当たらない。

少女が迫っているかもしれないが、彼はゆっくりその場に腰を下ろした。


目の前の一見なにも変わらない海も、砂も、地面も、草木も、空も、全て同じように見えて違うものの様に感じる。自分の見てきたものと違うと五感の全てが訴えかけてくる。波の音と共に押し寄せる不安や恐怖、孤独感から耐えるように彼は膝を抱えた。


そんなとき、それは聞こえた。


ー助けて…


風に乗って耳に届いた微かな声。


ー助けて…


二度も聞いて聞き間違いもあるまいと、彼は頭をあげて辺りを見回す。

しかし、辺りにはなにも見当たらない。


ーこっち、助けて…


彼は立ち上がり、誰とも分からぬ救いを求める声の元へと歩き出す。彼の心にあるのは、安堵。助けを求めていたのは、彼の方だった。

知らない土地で知らない言語を話す少女に出会い、完全に孤独だと思っていた矢先の一縷の希望。

それが例え助けを乞うものだったとしても、助けを求める“誰か”を救うことができたなら、孤独ではなくなる。

砂浜を歩くその足は、いつしか駆け足になっていた。


そして、彼はそれを見つけた。

それは大理石の様な物で作られた神殿のような建物。


ーこっち、こっち…


声は間違いなく建物の奥から聞こえていた。

彼は建物の前に立ち、その全貌を眺めると、全体的に砂埃が積もり、石は長い年月をかけて削られている。ずいぶんと長い間放置されていたようだ。

彼は三段ある階段を一段ずつ慎重に上がっていき、大きく堅牢な扉に手をかける。


「うわっ、スゴい砂埃だな。誰も手入れとかしないのか?」


手につくざらついた砂の感覚を我慢して腕で押してみるが、ビクともしない。

彼は体を使って体当たりするような格好で再び扉に力を加える。すると、擦れる様な重たい音と共に少しずつ扉が開いていく。

体がなんとか入る位の隙間を開き、その隙間に体を滑り込ませる。


中は何処までも真っ暗闇だった。

扉の隙間から零れ入る外の明かりすら闇の中へ吸い込まれていってしまう錯覚を覚えるその深淵に、彼の頭は本能的に警鐘をならす。この先は危険だと。


「び、ビビんなよ、ただ暗いだけ…暗いだけだ…」


言い聞かせつつ、彼は恐る恐る足を伸ばし、その先を確かめて歩き出す。

懸命に恐怖心を押し殺し、壁づたいに歩くこと数分、突如明かりが点った。

そこは手狭な部屋だった。部屋を囲むように松明に突如火が灯り部屋全体を煌々と照らしている。

その部屋の中心に数段上がり箱のような白い物が見える。


ー助けて…開けて…


声はその箱から聞こえていた。

彼はゆっくり部屋へと入り、段を上って箱の前に立つ。

それは長方形をした、やはり砂埃を被った陶器の様な物質でできていた。


彼はその箱の蓋に手をかける。瞬間、言い知れぬ悪寒が背筋を駆け抜ける。

これは危険だ。開けてはいけない。いまだ彼に残された生物の本能が恐怖心を煽ると共に逃げようと気を逸らせる。しかし、そんな本能などこれまでの人生で経験したことのない彼にとっては信じるには値しない。理性がこれを開けろ、孤独は嫌だと告げている。

冷や汗が頬を伝う。足が震え、手が汗ばむ。心臓の鼓動がうるさい。カチカチと奥歯が鳴り止まない。ここまで全身が恐怖している。しかし、それでもー


「うあぁぁああ!!」


彼は勢いよく、その蓋を押し退けた。

重たい蓋が床に落ち、砕かれる。


「はぁ はぁ はぁ、た、助けに…」

『礼を言うぞ小僧、この我を解き放ったことをな!ヒッハハハハッ!!』


声は部屋全体から聞こえた気がした。その声と共に箱から現れたのは黒いヘドロのような液体。それはドロドロと箱の外へ漏れだし、黒い煙を立ち上らせている。


彼は後退りながら後悔した、自分の本能を信じなかったことを。これは開けてはならなかったのだ。本能が告げる。逃げろ、逃げろ、逃げろと。

しかし、それとは裏腹に足はすくみ、生まれたての子羊の様に震え続ける。汗が全身から吹き出し、心臓は信じられない程に高鳴り、涙で視界が曇る。

涙に歪む視界の向こうで、ドロドロのヘドロが徐々に人の形を成していくのが見えた。


『ふむ…150年じゃ体も持たんか…』


ヘドロが人の形となっていくにつれ、声の出所がそのヘドロであることに気づく。

彼は震える足で懸命に一歩ずつ後ろへ後退りながら人型のヘドロから距離を取ろうとする。


だが、不自然な位置から血走った瞳がギョロりと見開き、その異形の瞳に睨まれた彼の後退は止まってしまう。


『おい小僧、助けてくれた礼だ…貴様の体は我が使ってやろう!』


言葉と共にヘドロは腕と思われる部分が伸び、彼の腕へと巻き付く。


「ひぃっ!」


彼が咄嗟に巻き付かれた右腕を引くと、まるで力比べでもしているかの様に引っ張り返してくる。


『ふん、まるで力が入っていないな…』


ヘドロがそう言うと、巻き付いた触手に勢いよく腕を引っ張られる。

彼も踏ん張って抵抗するも、虚しく力の成されるがままに体を引きずられていく。


恐怖に顔を歪ませ、バタバタとのたうつ彼をヘドロの瞳が楽しげに眺める。

本来は一瞬で引きずり込めるであろうところをあえてズルズルと引きずって恐怖感を煽り、その表情を楽しんでいるようだ。

その思惑通り、彼は表情を歪めて涙目になり嗚咽を漏らしながら、懸命にその力に抵抗している。


その時だった。涙の向こうに煌めいた白銀の閃光。その煌めきと同時に体にかかっていた力が消える。

目を向けると、そこには先ほどの少女が立っていた。


ヘドロに鋭い眼光を向け、敢然と立ちはだかる少女。

その少女をヘドロの血走った瞳が品定めでもするかの様に上から下へ、文字通り“移動しながら”観察する。


『貴様、セイシュウの子孫だな?』


「сштряштср」


ヘドロの言葉に、やはり理解できない言語で返す少女。

すると、ヘドロはその瞳を細め辺りに流れていたヘドロを自分の体に集める。


『小僧、我の一部だ。受けとれッ!』


ヘドロがそう言った瞬間、彼の右腕を焼けるような激痛が襲う。


「ぃあぁぁぁあああぁぁぁッ!!」


絶叫が部屋を縦横無尽に駆け回る。

大粒の汗と涙、唾液が床に染み込み消えていく。

右腕を抱える様にしながら絶叫と嗚咽で痛みを散らしていく。今の今まで平和な暮らしをしていた彼にとっては、紛れもなく耐え難い痛みだ。


「ハァ…ハァ…」


痛みは次第に和らぎ激痛の元である右腕を見ると、シャツの袖口が焼け落ち、皮膚に焼けただれたような痣が出来ていた。

そして、少女からもらった金のブレスレットがうっすらと輝く。


『定着したな。ではまた会おう、遠き世界の同胞(はらから)よ』


そう言ってヘドロは勢いよく天井を突き破り姿を消した。


「待て!…クソッ、これは大変な事に…」


少女は天井を睨み付け焦った表情で呟く。

状況が掴めない彼だが、更に混乱することが1つ。


「あれ…?言葉が、分かる…」


突然の事が有りすぎて頭の中がパンクしてしまいそうな彼だったが、痛みによる疲労が彼の意識を確実に削り取り、混濁していく意識の中に少女の声を聞きながら暗転していく世界に身を委ねていった。

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