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「へ、陛下…」
なぜ、こうも会いたくない時に会ってしまうのだろうか。
会いたい時には会えない事の方が多いのに。
神様は酷だ。
「イリス、そなたが今している事はどんな事か分からないわけではないな?」
「待ってください陛下!これは違います!」
「言い訳など見苦しいぞ。今余の目に映ったものこそ真実であろう?」
「違います!彼は私の護衛です!陛下が思っているような人などでは決してございません!」
「はっ。余を侮辱するのもいい加減にしろ。見損なった」
「そんな…っ」
やはり、私はどうでもよかったのだ。
ただちょうどいい結婚相手が私だったっていうだけであって、彼にとっては駒、いや、お飾りにしか思われていない。
つまりお飾りになるのならば誰でも良かったという事になる。
やはりあの時の言葉は嘘だったのだ。
あれは私に対する、彼なりの慈悲なのかもしれない 。
そう考えると、もうどうでもよくなった。
所詮政略結婚だったのだ。
最初から愛も慈悲も何もない、形だけの夫婦。
それが、今日でお終いになるのだから。
イリスは諦めたようなため息をつくと、弱々しく言葉を紡ごうとした。
が。
「私―「お言葉ですが陛下、貴方は今までイリス様の何を見てこられたのですか?」
勝手かもしれないけれど、もう見向きもされない妻でいる事の辛さに耐えられそうにない。
離縁していただきたい、と言葉を紡ごうとしたらユアンが割って入ってきてあろう事か喧嘩を売るような口調で陛下に物申した。
「ユアン…っ」
不敬罪ともとれる言動に、イリスは顔面を蒼白にさせながらユアンの止めに入った。
だがユアンはそんなイリスをやんわりと制し、鋭い眼光を主の夫に向けて冷たく言い放つ。
「今までイリス様は貴方に何をしてきましたか?その表情は?言動は?きちんと見ておられましたか?」
「何を今更。イリスは余の妻だぞ。見てないわけがなかろう?」
妻、という言葉に諦めたはずの心がドクン、と悲鳴を上げる。
「そうでしょうか。では貴方はなぜイリス様がこのような状態になっているとお思いになられます?」
「そんなの余の知った事ではない。ただの貴様らの痴 話喧嘩だろう?」
「やはり何も分かっておいでではないのですね。」
「貴様…余に楯突くという事がどういう事なのか分かっているのであろうな?」
「勿論でございます。それも覚悟の上でこうして話をさせていただいているのです」
「はっ。戯け言を」
「貴方はなぜイリス様に理由をお聞きになられないのですか?常に上から抑えつけ、一言も言わせようとはしない。
押し付けだけが愛情だとは思いませんが?」
「貴様には関係なかろう」
「いえ。大いに関係あります。イリス様は私がお仕える大事な主。そんな主が悲しみにくれているのを黙って見ている護衛がどこにいるのでしょうか?」
「・・・」
「陛下、貴方が今までイリス様にしてきた事を、イリス様が気にしないとでもお思いで?
全てを自分中心に考えていると、本当に大切な物を失う事になりますよ?」
「貴様に言われる筋合いはない」
「いつも逃げてばかりで彼女と向き合おうとした事は一度もないのでは?」
「…っ」
陛下が一瞬だけ目を見張ったのを見逃さなかった。
それはユアンも同じのようで、更に畳み掛けていく。
「余計なプライドなど、愛しい者の前では邪魔にしかならないのですよ、陛下」
「貴様っ!それ以上余計な事を話すと今この場で反逆罪で捕らえるぞ!」
「それはお断りしたいですね。捕まってしまったらイリス様をお守りできませんから。ですので、私から最後にひとつだけ言わせていただきます」
「なんだ」
冷静さがなくなってきている夫を見て、イリスはこんな表情もするのかと驚き同時に嬉しくも思った。
いつも無表情で氷の王と呼ばれる人がこんなにも取り乱している。
初めてみる無表情以外の感情に涙はいつの間に止まってた。
「私は決してイリス様を傷つけたりはいたしません。貴方よりも幸せにすると騎士団長の名に懸けて約束しましょう」
「何をふざけた事を…」
「私は本気です、陛下。ですから彼女は戴いていきます」
「へ?」
「は?」
ユアンは二人のすっとぼけた声を聞いてクッと口の端を上げると、軽々とイリスの身体を持ち上げた。
「きゃっ、ユアン!?」
イリスを横抱きにしたまま、クルリと陛下に背を向けるユアン。
「…私は素直になった方がいいと思うのですがね。ま、今更言っても仕方のない事です。兎に角、イリス様は我が国へと連れ帰らさせていただきます」
「え!?ユアン!?」
唐突すぎるユアンの発言にイリスは目を丸くしどういう事かとユアンに問いかける。
だがユアンは優しく微笑み、
「ご安心くださいイリス様。貴方を悲しみから解放させるだけです」
それだけ言うと、制止する陛下の声も聞かずに城を飛び出したのであった。
*・*・*・*・*
ユアンに抱えられるようにして馬に乗って連れてこられた場所は国境近くにある今は使われていない教会だった。
聖母メイア像が奉られているこの教会は使われなくなったといっても定期的に掃除をしているのか目立った汚れはひとつもなく、ユアンは参拝者の座る長椅子に私を優しく下ろしてその場に跪いた。
「…ユアンは本当に無茶をするのね」
「今更ですか」
「いいえ。昔からユアンはそうだったわね」
「こんな私は嫌ですか?」
「嫌だなんてそんな事あるはずないじゃない!」
「それなら良かった」
ふわりと微笑んだユアンにいつになく胸がざわざわして、咄嗟に目を反らしてしまう。
だって、夕陽のせいもあってなのか、知らない人みたいなんだもの・・・。
そう思い恐る恐る視線をユアンに戻すと、ユアンは窓の外を見て何かを思案しているようで、こちらが見ている事にも気付いていないようだった。
「ユアン?外に何かあるの?」
イリスが声をかけるとハッとしたようにこちらに振り返り、いつもの笑顔を浮かべた。
「…いえ。特に何もありませんよ。そうだ、お腹はすきませんか?」
うまくはぐらかされたような気もするが、言われて気がついた空腹感の方が勝り気にする事はなかった。
「そういえば…お昼がまだだったわ」
「では今何か軽食になるものを持ってきましょう。一応危険はないと思いますが、万が一の事もありますのでイリス様はここを離れないで待ってていただけますか?」
そう言って立ち上がり傍を離れようとしたユアンの袖を掴み、「行かないで」と懇願した。
振り向いたユアンの顔は驚きに満ちていて、だけど誰も知らないような所に一人でいたくないからその表情は無視して涙で潤んだ目をただひたすら向ける。
それが幸をそうしたのか、やがてユアンは諦めたような、重いため息をつくと膝をつき身を屈めた。
―チュ。
「ほぇ?」
幻のようなあまりにも一瞬の出来事で思わず素っ頓狂な声を上げる。
「…これで我慢して」
額に柔らかいものがあたり、それが唇だと認識するまでの間に逃げるようにしてユアンが教会を出ていった為、一人残されたイリスはその後ろ姿を額に手を宛ながら呆然と見つめる事しかできなかった。