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「はっ。余があの女を妃に?馬鹿馬鹿しいのにも程がある。
第一あの妃は余には相応しくない。それにこちらは冷たくあしらっているんだ。その内諦めて自国に帰るであろう」
・・・え。
出しかけていた手を慌てて引っ込め、咄嗟に物陰に隠れた。
今出ていかなくて本当に良かったと思う。
イリスは手に持っていた先ほど拾った彼のハンカチをきつく握りしめ、顔面を蒼白にさせた。
「陛下が、私の事をそうお思いになられていたなんて…」
百合の姫と謳われた可憐な顔をくしゃりと歪め、零れでそうになる涙を必死にこらえるイリス。
―なんで気付かなかったのだろうか。
…いや、気付かなかったんじゃない、気付かない振りをしていたんだ。
どんなに冷たくあしらわれても、初夜に寝室に訪れなかったとしても、目を合わせようとしなくても、それでも立場上は王の妃。
王妃として振る舞い、常に夫である陛下をお支えしてきた。
政略結婚ではあったが私は一目見て彼を好きになったし、この人となら燃えるような恋はなくとも幸せな家庭を築いていけると思っていた。
そう、思っていた。
少なくとも今この時のこの台詞を聞くまでは。
「…馬鹿みたいね。あの時の言葉を未だに信じているだなんて」
思わずフッと自嘲してしまう。
イリスはつい半年前の出来事に思いを馳せた。
あの時とは私達の結婚式。
身分も釣り合い、容姿も陛下と見劣りしなかったらしい私は自国の王族だけでなく、彼の国の王族にも大いに祝福された。
彼も誓いの言葉の時、決められた台詞の他に付け加えるようにしてこう言ってくれた。
"余はそなたをよくは知らない。だが寂しい思いだけはさせない。
どのぐらい時間がかかるのか分からないが、必ずそなたを愛し守る事を誓おう"
政略結婚で愛のない生活を送るのだと覚悟していた私にはその言葉はあまりにも嬉しすぎるもので、思わず流れ落ちた涙を彼は優しく指で掬ってくれたのだ。
あの時の彼の優しさは偽りだったというのだろうか?
「きっと、一人大国に嫁いできた私を安心させる為に言ってくださった言葉だったのね…。そんな事、気付きたくなかったな」
こらえていた涙は制する間もなく次から次へと流れ落ちていく。
ドレスの裾でその涙を拭うが、涙は止まる事を知らないようでとめどもなく溢れてくる。
「イリス様!?」
嗚咽を聞かれないように口を抑えていた時、よく見知った顔の青年が驚きの表情を浮かべながらこちらに駆けてくるのが見えた。
彼はイリスの大切で大事な幼馴染の護衛騎士だ。
イリスを一人で他国に嫁に行かせるわけにはいかない、と率先してイリスの嫁入りについてきたイリスの数少ない心を許せる知り合いである。
そんな青年にイリスは思わず駆け出しその広い胸に飛びこんだ。
「ぅっ…ひっく、ユアンっ」
「!?」
ユアン、と呼ばれた青年は命を懸けてでも守り抜くと誓った主の突然の行動と泣き腫らした顔に驚き目を見開くも、すぐにいとおしいものをみるような柔らかい笑みに変わり柔らかくウェーブががった薄紅色の髪に指を通した。
「如何なさいましたか?」
優しく頭を撫でられ、その気持ちよさと心配してくれるあまりにも優しすぎる声に、涙は止まる所か更に溢れてきてしまう。
「本当にどうなさったのですか?泣いておられるのはイリス様らしくありませんよ」
「ユアンぅっ、」
相変わらずユアンの胸に顔を埋めたまま、イリスは嗚咽を交えながらたどたどしく事のあらましを伝えた。
*・*・*・*・*
「そうですか…。陛下がそのような事を…」
「私もっう、どう、したららいいのか…っ」
イリスの話を最後まで聞いたユアンしばらく考えこむような仕草をした後、イリスの頬に優しく触れ顔を上げさせた。
涙でくしゃくしゃになった不細工な顔が幼なじみの麗しい青年に晒されてしまい、イリスはこれ以上にないぐらいに頬を紅潮させると忙しなく視線を泳がせた。
ユアンはそんなイリスを優しい眼差しで見つめながら指の腹で涙を拭い、耳元に唇を寄せ言い聞かせるようにそっと囁いた。
「イリス様、陛下は…「こんな場所で堂々と逢い引きか?」
え、と顔を上げて声のした方へ向ければ、そこには怒りを隠そうともしない陛下姿があった。