天駆ケル月ノ火
「おい、準備は良いか?」
狭苦しいコックピットの中、小型通信装置のマイクから技師の声が聞こえた。
「あー、問題ない……な。オーケーだ」
白髪混じりの壮年の男は、あちこちのスイッチやら何やらをチェックして技師に返事をする。
ふと、彼が目を向けた先の大きなモニターには澄み渡る青空と雲海が広がっていた。
「……また、この空を飛ぶんだな。相棒よ」
男は灰色のディスプレイをそっと撫でる。偶然、それに呼応したように機体が稼働し始めた。
重低音が鳴り響く中、彼は静かに目を閉じる。
ヒト型兵器<パーソン>。それが、彼が今搭乗しているものだ。
彼のパーソン……もとい相棒は<月火>と呼ばれており、腰部に本体と並ぶ程の長刀を差していた。
「よし……行くぞ」
目を見開いた男は素早くフルフェイスのヘルメットを被り、両側に付く操縦レバーに手を掛ける。
そして右メイン・ペダルを軽く踏み込んだ。
すると、<月火>は歩行を開始し、ゆっくりと前方へと歩いた。
技師連中は各々に散らばり、その背中を見送る。
「……死ぬんじゃねぇぞ!」
ある技師の声は、激しく吹きすさぶ風の音にかき消された。
※
艦から離れて、丁度その影が見えなくなった頃。
男は度々レーダーを確認しながら、機体を前進させる。
大型のフライト・ユニットを背部に装着したこの<月火>は音速を超える速さで雲の上を航行していた。
風の抵抗を減らすための両翼は、悠々と風を切ってゆく。
傍から見る分には何の危険も感じないが、男は緊張した面持ちで辺りを警戒していた。
幾らか時間も過ぎた頃。
突如<月火>のデュアル・アイ・センサーが何かを捉えた。
男はそちらに視界を回すと、黒い煙を噴き上げながらこちらに進んでくる物体を見つけた。
細長い円筒状をした物体は、あきらかな殺意を持って<月火>に向かってくる。……ミサイルだ。
「お出ましか……」
男は<月火>を急旋回させ、ミサイルの群れが真正面に見える位置に調整する。
数は八つ。おそらく、どれも誘導弾だ。<月火>目がけて迷うことなく突き進んでくる。
それに対し、男はレバー側部のトリガースイッチを親指で押し込んだ。
信号に反応した<月火>は胸部に装備された唯一の射撃武装”マシンキャノン”を起動させ所構わず
撃ち散らす。
黄色く光る火線はいくつかのミサイルを掠め、誘爆させた。
「ちぃっ」
撃ち漏らしに舌打ちした男はまた<月火>を旋回させ、今度はミサイルから逃げるような形になった。
そして左メイン・ペダルを力強く踏み込み、勢い良くスラスターを噴かす。
男は絶大なGの荷重に耐えながら、全速力で<月火>を雲の中へ突っ込ませる。
モニター一面が真っ白になったが、それはほんのわずかなことで一秒も足らずに雲を抜けた。
レーダーを確認すると、自機のアイコンのみが映っていた。どうやら振り切ったようだ。
ただ、ミサイルを撃ってきた敵の姿が見当たらない。
「遠距離からの攻撃……」
荒んだ大地の上を飛行させながら、男は呟いた。引っ掛かっていることがあるらしい。
「……まさか」
考えがついた男は瞬時に<月火>を左にずらした。
と、ほぼ同時に<月火>の右腕を何かが掠める。
がり、と装甲を抉る音がコックピットに響き渡り、男は額に汗を浮かべた。
それに遅れて損傷した箇所がディスプレイに表示される。
『右腕部損傷……機体ノ稼働ニ支障アリマセン』
男はほっと安堵のため息をつき、レバーをより一層強く握った。
頼れるのは、自分の腕だけだ。
そう言い聞かせて、敵のもとへと更に加速した。
※
高速航行している<月火>の遥か遠く。<月火>を狙撃した機体の姿がそこにあった。
本体を軽く超えた長さの”スナイパー・ライフル”を膝立ちで構えており、あちこちを補助器具やらで固定している。
その周りには、ドラム缶を縮めて角ばった形にしたようなものが3台。ホバリングしながら浮遊していた。アシスト・マシンだ。
「……外したか。勘の良いやつだ」
機体……<グライル・レオン>のコックピットの中。
青い地味なスーツを着たパイロットは、またスコープを覗きこみトリガースイッチを押した。
ぱぁん、と大きな破裂音が響き、反動で機体が小刻みに揺れる。
今度はフライト・ユニットの左翼に直撃した。<月火>は大きく態勢を崩す。
それを見て、パイロットは放熱を待たずに<グライル・レオン>に引き金を引かせた。
直撃すれば岩をも砕く大口径の弾丸が<月火>に向かって飛んでいく。
「っ」
男はすぐさまキーボードに”緊急回避”のコードを叩きこんだ。
すると<月火>は左半身にある全ての推進器を噴かして右方へ回転し、半ば強引に相手の攻撃を回避した。
「……くそっ」
今は完全に相手のペースだ。
だがあえて彼は<月火>を前進させた。敵機はもうレーダーに映っている。
後は、<月火>を最大限に活かせる距離に持ち込むだけだ。
そう考えながら男は、ディスプレイに表示された<月火>の唯一の主武装である超振動刀”陽炎”の起動制限を外した。
信号を受けた<月火>は、普通のパーソンではまずあり得ない人間と同じ位の可動で左腰に固定された”陽炎”の柄を握り込む。
と、同時に鞘のロックが解除され、機体の加速によってするりと鈍い銀に光る刀身が抜き放たれた。
更に取って付けたような柄頭が外れ端子が露わになり、そこへ右腕下部から射出された細長いチューブが接続される。
『超振動刀……装着完了シマシタ』
モニター右に装備されたデータを担当するディスプレイに”陽炎”の状態が表示される。
男はそれを確認すると、”パージ”のコードを叩き、両翼がぼろぼろになったフライト・ユニットを背部からロックを外す。
軽く火花を散らせた鉄の塊は重力に従って地上へと落ちていく。
そして、推進力を失った<月火>もまたその後を追った。
モニターに映る敵機…<グライル・レオン>は大型の”スナイパー・ライフル”から機械の手を離し、アシスト・マシンの溶断カッターで機体を固定するワイヤーを次々と剥がしていく。
そして、<月火>が地上に着地すると同時に、赤茶けた機体が立ち上がった。
青く発光するモノアイと深紅の双眸が互いに睨み合う。
先に動いたのは、<月火>だった。
男はメイン・ペダルを潰す勢いで踏み、<月火>を最大出力で走らせる。
一歩、一歩。
小さな巨体は噛みしめるように大地を駆け、抉ってゆく。
<グライル・レオン>も黙っておらず腰部に装着されたホルスターから”ハンド・ガン”を取り出し、
断続的に撃ち放った。
画面をマズルフラッシュが覆う度に、<月火>の紙っぺらみたいな装甲がぱすん、と音を立て風穴をあけていく。
「うぉぉっ!!」
男は雄叫びを上げ、操作レバーを思い切り前へ傾けた。
<月火>は”陽炎”を両手で握り、銃弾を受けてなおその刀を振り下ろした。
金属を爪で掻きたてたような音を撒き散らす斬撃は、<グライル・レオン>の分厚い装甲を引きちぎり左腕部を肩ごと持っていった。
首がもげそうなほど激しい衝撃が、パイロットを襲う。
それでもパイロットは何とか意識を保ち、同じくレバーを倒し込んだ。
<グライル・レオン>の不気味な青いモノアイが瞬き、粗大なスクラップの塊みたいな脚部をリミッターを無視して、持ち上げる。
鈍重ながらも勢いのついたその蹴りは、空を切り裂いて<月火>に命中した。
腰部の装甲が千切れて宙を舞い、脚の接続部がめためたに潰れて機能停止する。
さらに機体が倒れそうになったが、恐るべき可動で背部を反らせてぎりぎりの所で留まった。
機体も、パイロットも限界だった。
<月火>は機体にいくつもの穴が穿たれ、”陽炎”を握る手は千切れかけている。
<グライル・レオン>も左腕部が切り裂かれ、蹴りを決めた右脚部は辛うじて地に立っている状態だ。
「これが……」
「最後の一撃……」
朦朧とした意識の中、両者は各々に最後の行動をとった。
<月火>が微かに震えながら”陽炎”を持ち上げ、<グライル・レオン>は片方だけ残った右腕で”ヒート・ナイフ”を抜き放つ。
そして、一閃……