9.伝説の幕開け
9.伝説の幕開け
翌年、志田が社長として赴任してきた。それを受けて良介の元に亨から連絡があった。
「志田さんが社長で来るのなら、俺ももう少し我慢していればよかったかな」
亨は以前、志田とコンビで仕事をしていたことがある。何かと敵を作ることが多かった亨だが、志田だけはその時の仕事ぶりから認めていた。そんな志田が社長として赴任してきた。
「今からでも戻ってくれば?」
「それは無理!今、楽しいもん」
会社を辞めてから亨は若い時にいろんな国を渡り歩いた経験を活かして、主に東南アジアを中心とした旅行の企画とインストラクターの仕事をしている。1年のうち、半分は日本に居ない。
「でも、志田さんが来たのなら会社もこれから雰囲気良くなるんじゃないか」
「僕は彼のことはよく知らないけれど、そうなればいいかな」
亨とは辞めた後も彼が日本に帰って来たときには酒を飲んでいる。弘子や純にも声を掛けて。
「ところで、週末辺り一杯どうだ?志田さんにも声を掛けてくれよ」
亨にそう頼まれて良介は志田に声を掛けた。即答で承諾してくれた。
メンバーは良介に亨に志田。そして、名取、佐々山知美。入社したばかりの須藤今日子。それから…。
席に着いた亨が開口一番こう言った。
「あれっ?呼んでもいない人が居るんだけど」
「悪かったなあ!俺はこいつの保護者としてついて来たんだ」
それが自分のことだと自覚して井川がそう言った。
「お前ら初対面じゃないよなあ?」
志田が井川と亨に向かって言った。
「もちろん!」
亨と井川が声をそろえて応えた。そして、しっかり握手した。
「おい、日下部!井川さんが居るなんて聞いてないぞ」
「そうだっけ?井川さんも花火デビューしたし…。そっか!今年は来なかったんだっけ?」
「今年はボルネオに居たよ」
「なんか面白いな仕事をしてるんだって?」
志田が亨に聞いた。良介は「あっ!」と思ったが遅かった。そこから亨のマシンガントークが始まった。亨とは初めて会う今日子は亨の話を感心して聞いている。
「話半分くらいに聞いといたほうがいいよ」
知美が今日子にささやいた。
「えっ?それって作り話ってことですか…」
「全部本当だから!」
今度は今日子に矛先が向いた。今日子は延々と亨の体験談を聞かされることになる。
亨の話も一段落ついたところで、志田が席を立った。自宅が遠いので元々長居はできないと言う条件で同席してもらっていた。
「今日はわざわざ来てもらってありがとうございました。あと一言だけ行っときますが、こいつは遊びの段取りだけはピカイチだから可愛がってやって下さいよ」
志田は解ってると言い残し帰って行った。
「さて、これからが本番だな」
井川はそう言うと、日本酒の熱燗を頼んだ。
「日下部さん、ヤバイっすよ」
名取が良介に耳打ちした。
「なにが?」
「井川さんって、日本酒を呑み始めると急に癖が悪くなるんですよ。おかげで花火の時はひどい目に会いましたから…」
それから名取は花火の後のことを話し始めた。
解散した後、名取は井川に誘われて近所の居酒屋に行った。席に着くと井川はすぐに日本酒を頼んだ。名取が酌をすると、ご機嫌な顔で杯は進めた。最初は普通にそれぞれの家族のことなどを和気あいあいで話していたのだけれど、次第に雲行きが怪しくなってきた。説教じみた話が始まると、最後まで名取をバカだチョンだと罵った。勘定は井川が払ったのだけれど、その時点で井川は腰が抜けていた。一人では歩けないほど酔っぱらっていたのだ。名取は井川を抱えて外に出ると、タクシーを拾って井川を詰め込んだ。ようやく解放された。そう思った時には深夜の1時を回っていた。
井川は亨と昔の話で盛り上がっている。知美と今日子が絶妙な相槌を打ってくれるので、増々調子に乗って来た。既にろれつが怪しくなっている。
「まあ、最悪、置いて行けばいいよ」
「えっ?ここにですか?」
「ああ!伝票も一緒にな」
「マジっすか?」
「マジっすよ!大丈夫ですかねえ?」
「大丈夫さ!そう言うキャラだと思うよ。この人は」
驚いている名取をよそに、良介も4人の会話に加わった。心配そうにしている名取にウインクをして、お前も加われと言った。
そして、これが、小林商事における井川の伝説が幕を開ける瞬間だった。




