1・Endless of the nightmare
赤い土の上に敷かれたアスファルトを一人の少年が息を切らしながら走っている。
服装はマラソン選手が着るユニフォームだった。
前髪が目にかからないようにワックスで上に立ててある。
襟足も短く揃えてある。
顔もそれなりに整っている。
そんな少年は、永遠とも思えるこのアスファルトを延々と走り続けていた。
途中、石ころにつまずき、転んだ。
その瞬間、少年の周りには、大勢の人が立っていた。
人ごみは少年を責める。
何で転けたんだ、大事な場面で、期待していたのに残念だ、と。
「やめろ……やめて……やめてくれぇぇぇぇ!!!」
少年の叫びは彼らには届かなかった。
叫びは小さな部屋に響くのみ。
少年は、ハッとして我に返った。
「……ゆ、夢……か。また……」
寝汗でシーツはぐっしょりと濡れていた。
「……ここ一週間、連続だ……おかげで……気分が……」
本来、体力を回復するための睡眠で逆に疲れている。
今の少年はそんな感じだ。
少年の名は、片白幹也。
高校2年生。
部活には所属していなかった。
幹也は額に手を当て、熱はない、ということを確認する。
「はぁ~。もう……」
渋々といった表情でベッドから起き上がり、部屋を後にした。
「行って来まーす」
幹也は先程までとは違い、元気な様子で家を飛び出した。
右手には鞄の取っ手が握られていた。
幹也は通学路を走る。
歩いても十分に間に合う時間だったが、いつも走って通学していた。
理由は特に無かった。
いつもと変わらない通学路に幹也は内心、ほっとする。
あんな夢を見たんだ。現実は爽やかがいい。
そう思った。
10分ほど走り、学校に到着した。
私立神柳高等学校。
それが幹也の通う高校の名だ。
全校生徒600名。普通科と特別進学科の学科があり、普通科は5クラス、特別進学科――通称、特進は1クラスで構成されている。
幹也は普通科の2年2組に所属していた。
「……」
無言のまま、教室のドアをガラッと開ける。
今日も1番か? と頭の中をよぎる。
幹也はいつも最初にこのクラスに入る。友達と一緒に入る時もある(その時でも、友達より先に足を踏み入れる)が、大抵はひとりで、1番先に入室していた。
それ故、挨拶などしなかった。むしろ、後から入ってくるクラスメイトにおはようと言う立場である。
しかし、今日は違った。
「おはよう。片白くん」
「! お、おはよう?」
人が居るとは思わなかったので、疑問形で返してしまった。
「――卯月さん。今日は早いね……」
地味に2年生になってから、毎朝、1番に登校しようと記録を自分で付けていたのに……と少しショックを受ける。
今日、自分より早く入室していた人物は、卯月楓。
校内でも美人と評判の人物である。
ポニーテールの髪を揺らしながら、彼女は幹也に近づいた。
「ねぇ、知ってる? 今日、転校生が来るんだって」
「そ、そうなの? こんな時期に珍しいね」
今日は確か5月20日と記憶していた。
親の都合かな、と幹也は思う。
「どんな子が良い?」
楓は少し笑って幹也に訊く。
「どんな子……って……不良は嫌だな……」
美人にこんな近くに迫られるのは、ちょっと……と思って、少し後ずさりながら、言う。
幹也の答えに楓はクスと笑い、「そうね……」と言った。
「……不良……じゃなきゃね……」
「?」
何やら意味深な発言だったな、と感じたが伏せておいた。
下手に首を突っ込んで嫌われるのは嫌だった。
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが鳴ったホームルームの始まりだ。
(転校生……か。どんな子かな?)
楓に聞いた話を思い出して、幹也はホームルームに臨んだ。
「えー諸君、今日もいい天気だ。ということでおはよう」
こう挨拶したのは担任の空草翠先生だ。
黒いショートカットの女教師で、美人先生として校内でも人気を博す人物だ。
「えー……今日は転校生を紹介するぞー。入ってきたまえー」
廊下に居るらしい転校生に空草は、そう告げる。
そして、ガラッ! と勢い良くドアが開けられた。
「よし!! 紹介するぞ! 夢藤樹君! みんな、仲良くするように!!」
空草がそう告げた生徒は、驚くほど小さかった。
上にピンと伸びたアホ毛が特徴的で、小さい体に良く似合っている。
身長150センチに満たないであろうその生徒は、開口一番こう告げた。
「夢藤樹、17歳!! 好きなモノは女子!! 嫌いなものは男だ!! 女子生徒の諸君!! ぜひ仲良くしよう!!」
幹也は思った。
僕の爽やかな朝は終わったな、と。
「キャー!!! カワイイー!!」
クラス中から女子の黄色い声援が上がる。
それもそうだろう。
こんな17歳がいるのだから。それも言うことがぶっ飛んでいる。
「樹くーん! こっちの席空いてるよー!」
「抜け駆けしないでよ!! 私の隣の男子と代わってー!」
など様々な声が上がる中、樹は幸せそうな表情を浮かべていた。
(フハハハ!! 女子高校生、最高ッ!!)
「えーとぉ、どぅしよぅかなぁ……」
と樹は可愛く演じ、さらにクラスの熱が上がる。
(ぬふふふ……最早、このクラスの女子は掌握したッ!!)
樹はそう思っていたが、ひとりの女子によって、その考えは消えた。
楓である。
窓際最後尾にいる女子生徒、卯月楓が、自分の隣の席を指さして、来い! と無言のまま言っていた。
樹はそれを見て、凍りついた。
(し、しまった――!! あいつの存在を忘れていた――!!)
チッと誰にも分からないように舌打ちし、空草に言った。
「う、卯月さんの隣で……いいです……」
樹に対するクラスの黄色い声援は消えたが、視線が代わりに集まる。
それはほとんどが女子のものだが、男子からの憎しみの視線も混ざっていた。
樹は女子の視線は目聡く感じ、笑顔で応える。
そんなことを繰り返していると、隣から低い声で、「……いっくん……」と聞こえてきた。
「は、はい……」
樹は思わず凄み、体を縮ませる。
「目的……忘れてないよね?」
「勿論だ。で? どいつだ?」
「あの子」
楓は視線で逆サイドの廊下側の最後尾に座る片白幹也を示す。
幹也は下を向いて、何か読書をしていた。
「……あいつか……」
放課後。
幹也が校門を出て、自身の下校ルートに入ったとき、道の脇からひとりの人物が飛び出した。
「だ、だれっ!?」
幹也は思わず後ずさりし、少し身構える。
「……片白幹也……16歳。生年月日は1994年9月10日。血液型はA型」
自分のプロフィールを淡々と述べるのは転校生の夢藤樹だった。
「! き、君は……夢藤くん?」
樹は幹也の反応を気にせず、紹介を続ける。
「――帰宅部。好きなモノはカレーライス、嫌いなものは特に無し。家族構成は父と母、それに妹の四人家族。中学は神柳中学校。所属していた部は陸上部。校内マラソンで一位、全国駅伝に選ばれる実力の持ち主だった……ふぅ……単刀直入に言うが、お前、まだ走り足りないんだろ」
幹也は最後の言葉に反応する。
「……そんなことないッ!! だ、だいたい、何で君がそんなことに首を突っ込むんだ!!」
「おいおい……最後のセリフは、まだどうにかしたい、って思ってるヤツが言うセリフだぜ?」
樹は外見とは反し、若干大人びたセリフを口にした。
「!! ……ち、違う! 僕はもう! もう……!」
「見てるんだろ? 悪夢」
「う、五月蝿い!! 君には関係ない! 君には……うっ!」
幹也は口を抑えた。
突然の吐き気が彼を襲った。
地面に蹲り、吐き気を抑えようとする。
その時だった。
幹也の背中から何やら黒い闇のような色をしたモノがずるずると出てくる。
それは、完全には出ずに、幹也の背中から突き出たような感じで姿を留める。
ぐにょぐにょと動いて、姿を安定させる。
そして最終的にはカマキリのような鎌を持った生物へと形を変える。
「……出たな……ナイトメア!!」
樹の手には先程までは持っていなかった銃が握られていた。