8話 シャンメリー
そのあと、メリーさんからの電話はしばらくかかってこなかった。メリーさんは私を嫌ってしまったのだろうか。
うん。これでいい。怪異に好かれたって何もいいことないんだから、これが正常なんだ。
そう思っていた、とある休日の夜のことだった。
「私、メリーさん。今、あなたの後ろにいます」
背後からメリーさんの声が聞こえてきた。なんで。
でも、絶対振り返ったらいけない。そうしたら最期、メリーさんに殺されるらしい。
「メリーさん。なんで私の家へ来たんですか」
恐る恐る尋ねる。すると、メリーさんが小さく笑った。
「だって、私とモモコさんはもうお友達でしょう。私はモモコさんにずっと会いたかったんです。ねえ、早く振り返ってください。モモコさんに私を見てほしいんですよ。シュールストレミングの香りもちゃんと落としてきた、綺麗なメリーさんですよ」
メリーさんは面白そうに言ってくる。私にとっては全然愉快じゃないが。
「私はメリーさんと友人関係になったつもりはありません。それに、私は振り向きたくありません。私がメリーさんを見てしまったら、メリーさんは私を殺すのでしょう。そんなの嫌です。私は生きたいんです」
私は冷たく言い切った。正直言って怖いけれど、はっきりと拒否しなきゃ駄目だと思った。
「なんでそんなこと言うんですか。私はモモコさんを美しいまま終わらせたいんです。だって、このままモモコさんが生きていたら、きっとモモコさんはもっと幸せになって、私のことなんてどうでもよくなるでしょう。私はモモコさんに忘れられたくないんです」
メリーさんは意味不明なことを言ってくる。この怪異は何を言っているんだ。
「メリーさんは私のことを友達と思っていていると言いましたよね。なのに、メリーさんは私の幸せを奪うんですか。それって友情ですか。違うでしょう。ただの独占欲とかじゃないですか。正直言って、すごく気持ち悪いですよ」
あえて攻撃的な発言をしてみる。メリーさんとの会話が本当はちょっと好きだったなんて、絶対伝えない。
しばらく、沈黙ばかりが流れた。無音すぎて耳が痛かった。
「確かに、私が感じていたのは友情なんかじゃなくて、独占欲とか、優越感とか、嫉妬とかだった可能性はあるでしょう。それでも、私はモモコさんと話していて、本当にとっても楽しかったんです。その気持ちは本物です。今までありがとうございました。さようなら」
メリーさんはそう言って、黙った。メリーさんの気配自体が消えた気もする。
でも、振り返る勇気がなかった。だから、私は一時間くらい固まっていた。
「メリーさん、もう本当にいないかな。後ろを見たら最期、メリーさんが私を殺したりしないかな」
そんな心配をしつつ、背後を鏡で確認することにした。鏡の中には、メリーさんらしき姿はない。
「よし」
覚悟を決めて、私は振り返った。すると、そこには誰もいなかった。自分の家が広がっているばかりだった。
そのあと、メリーさんが来ることは一度もなかった。よかった。平和が訪れたんだ。でも、やっぱり何となく寂しくって、時々悩んでしまう。
「メリーさんと話したくない。会いたくもない」
そう言いながら、メリーという文字が入っているというアホらしい理由で、シャンメリーなんかを買って飲んだ。甘いのにどこか苦かった。
「なんだか物足りないな。でも、これでよかったんだ。だって、私は生きているし。今、私は幸せだ」
気分が悪いのに、どこか安心できて。ものすごく奇妙な感じだった。生ぬるい幸福がありがたくはあった。




