北風と太陽の生徒指導
「また遅刻か!今月三回目だぞ、佐藤!」
二十代後半の女性体育教師、北風麻衣は、生徒指導室の椅子に座る男子生徒を見下ろしました。短く刈り込んだ髪、引き締まった体つき、よく通る声、そして有無を言わさぬ眼差し。腕を組み、どっしりとした態度は存在感たっぷりです。
「…すみません」
高校二年の佐藤くんは、目を伏せたまま小さく謝りました。
「すみませんじゃない!反省文だ!それから、放課後の清掃当番を一週間追加。分かったか?」
「……はい」
佐藤くんが立ち去ろうとしたとき、生徒指導室のドアが開きました。
「あ、北風先生。ちょっといいですか」
男性国語教師の太陽日向先生が、穏やかな笑みを浮かべて入ってきました。三十代前半、柔らかな物腰と温かな眼差しで、生徒たちから慕われています。
「…何ですか、太陽先生」
北風先生の声は冷たいものでした。彼女は太陽先生の教育方針を快く思っていなかったのです。甘すぎる、と。
「佐藤くん、ちょっと話そうか。先に教室に戻っていいよ」
太陽先生は佐藤くんの肩を軽く叩きました。佐藤くんは驚いたように顔を上げ、小さく頷いて部屋を出て行きました。
「太陽先生、また私の指導に口を出すんですか」
「口を出すつもりはないですよ。ただ、佐藤くんの様子が気になって」
「気になる? 彼は単なる怠け者です。規律を守らせることが教育でしょう」
太陽先生は首を振りました。
「そうじゃないと思います。彼には何か理由があるはずです」
「理由? 甘いですね。理由があれば遅刻していいとでも?」
二人の間に、重い沈黙が落ちました。
翌週も、佐藤くんの遅刻は続きました。北風先生は反省文を増やし、罰則を厳しくしました。佐藤くんの表情はますます暗くなり、授業中も心ここにあらずの様子でした。
ある日の放課後、太陽先生は、佐藤くんを図書室に呼びました。
「佐藤くん、無理に話さなくてもいいけど、もし何か困っていることがあったら、聞くよ」
佐藤くんは俯いたまま、長い沈黙の後、ぽつりぽつりと話し始めました。
「うちの母が、病気で……。朝、どうしても起きられなくて、俺が朝食作って、洗濯して、妹を保育園に送ってから学校に来るんです。でも、間に合わなくて」
太陽先生は静かに頷いた。
「そうだったんだね。辛かったね、一人で抱え込んで」
「北風先生には言えなかった。言い訳だって思われそうで」
「分かった。一緒に考えよう。学校には相談できる制度があるし、地域のサポートもある。君一人で背負う必要はないんだよ」
佐藤くんの目に、初めて光が宿ったようでした。
太陽先生は、佐藤くんの家庭状況を学年主任に報告し、スクールカウンセラーや福祉機関との連携を始めました。一方、北風先生はこの話を学年主任から聞いて、複雑な思いを抱きました。
「私は……知ろうともしなかった」
職員室で、北風先生は太陽先生に声をかけました。
「太陽先生、この前は失礼しました」
太陽先生は驚いたように振り返りました。
「いえ、僕も言い方がきつかったかもしれません」
「でも、あなたは佐藤の心を開いた。私は……ただ押さえつけようとしていただけだった」
北風先生の声には、珍しく弱さが滲んでいました。
「そんなことないですよ」
太陽先生は首を振りました。
「北風先生の厳しさがあったから、佐藤くんは登校することができたんです。僕だけの甘さだったら、彼は学校を辞めていたかもしれない」
「でも……」
「規律は大切です。それを教えるのは、僕には難しい。でも、北風先生にはできる。一方で、僕は心の内側に寄り添うことができる。どちらも必要なんじゃないでしょうか」
北風先生は目を見開いた。
「役割分担、ですか」
「そうです。チームワークです。北風先生と僕、どちらか一方じゃなく、両方が必要なんだと思います」
その後、北風先生と太陽先生は、佐藤くんの支援について何度も話し合いました。北風先生は厳格さを保ちながらも、佐藤くんの努力を認める言葉をかけるようになりました。太陽先生は共感しながらも、佐藤くんに自立を促す助言を与えました。
「佐藤、よく頑張っているな」
ある日、北風先生が佐藤くんに声をかけました。佐藤くんは驚いて顔を上げました。
「母親の看病をしながら学校に来るのは大変だろう。だが、お前は諦めなかった。それは立派だ」
「北風先生……」
「ただし、遅刻は遅刻だ。だから、朝の時間が厳しいなら、放課後に図書室で勉強する時間を増やせ。分かったか」
「はい!」
佐藤くんの返事には、力がこもっていました。
放課後、北風先生は職員室で太陽先生と並んで書類を整理していました。
「北風先生、変わりましたね」
太陽先生が微笑みました。
「……あなたのおかげです」
北風先生は、頬を染めながら答えました。
「でも、僕も変わりました。規律の大切さを、あなたから学びました」
二人の視線が交わりました。そこには、互いへの敬意と、それ以上の何かがあるようでした。
「これからも、一緒に生徒たちを支えていきましょう」
太陽先生が手を差し出しました。北風先生は少し躊躇してから、その手を握り返しました。
「ええ、そうしましょう」
窓の外では、春風が桜の花びらを舞い上げていた。厳しい北風と、温かな太陽が、初めて手を取り合った瞬間でした。
三年生になった佐藤くんは、遅刻することもほとんどなくなりました。母親の病状も安定し、地域の支援を受けながら、家族で前向きに生活していました。
卒業式の日、佐藤くんは北風先生と太陽先生のもとへやって来ました。
「先生たち、本当にありがとうございました。二人がいなければ、僕はここにいませんでした」
佐藤くんが去った後、二人は校庭を並んで歩いていました。
「良い卒業式でしたね」
「ええ」
北風先生は空を見上げました。雲一つない青空が広がっていました。そして、何かを決意したかのように言いました。
「た、た、太陽先生、今日の夜、時間、ありますか」
北風先生の声は、緊張で上擦っていました。
「はい、大丈夫です」
太陽先生は驚きながらも、嬉しそうに笑いました。
「じゃあ、しょ、食事でも!…話したいことがあるんです」
「もちろん」
二人は顔を見合わせて微笑みました。北風と太陽は、もう対立する存在ではありません。互いを補い合い、支え合うパートナーになったのでした。




