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マッチ売りの少女、炎上する

「今日はとても寒いです。ごはん、食べてません」


 アンナはスマートフォンに向かって、震える声で呟きました。


 まだあどけない少女が、薄汚れたパーカーを着て、小さな部屋の隅に座っています。背後には洗濯物が積まれ、壁紙はところどころ剥がれかけています。

 

 そして、彼女の前には段ボール箱が。中には、たくさんのマッチ箱が詰まっています。


「お母さんに、これ全部売ってこいって言われました。でも、誰も買ってくれなくて……」


 アンナはマッチ箱を一つ手に取り、カメラに向けました。100円均一で買える安物のマッチです。


『かわいそう』『応援してるよ』『投げ銭送った!』


 コメント欄が流れていきます。画面右上の数字が跳ね上がりました。五百円、千円、三千円。


「ありがとうございます……」


 少女の目に涙が浮かびます。


「みなさんのおかげで、今日はコンビニでおにぎり買えます」


 配信が終わると、アンナは表情を変えました。スマホを置き、冷蔵庫を開けました。昨日買った弁当がまだ残っています。電子レンジで温めながら、彼女は獲得ポイントを確認しました。今日は二万三千円分。悪くない成果です。


 マッチはもちろん、本当に売るものではありません。アンナの母親がドン・キホーテで大量に買ってきた小道具なのです。


「これ持って配信すれば、もっと同情されるんじゃない?」


 アンナの母親のアイデアでした。


 小学六年生のアンナがこの「仕事」を始めたのは、半年前のことでした。


 母親のスマホを勝手に使って配信アプリを開いたのがきっかけです。最初は遊びのつもりでした。でも、汚れた部屋を映し、「お腹すいた」と呟いただけで、見知らぬ大人たちが次々と投げ銭をくれました。


 それからアンナは、毎晩「貧困少女」を演じるようになりました。マッチという小道具が加わってから、投げ銭の額は倍にもなりました。視聴者は「現代のマッチ売りの少女だ」と盛り上り、楽しんでいるようにも見えました。


 アンナはお腹いっぱいご飯を食べられるようになりました。以前は貪るように食べていた、学校の給食を残すようにさえなりました。


 さて、事件が起きたのは、十一月の半ばのことでした。


 いつものように配信していたアンナが、ふと窓の外を映してしまったのです。   

 ほんの三秒ほど。

 しかし、その映像には特徴的な建物——駅前の大型ショッピングモール——が映り込んでいました。


 配信終了後、コメント欄が荒れ始めました。


『今の建物、○○駅前じゃね?』

『あそこのドン・キホーテでマッチ大量に買ってる親子見たわ』

『嘘松確定www』

『マッチ売りって演技かよ』

『詐欺じゃん。通報したわ』


 さらに、一人の視聴者がスクリーンショットをSNSに投稿しました。


「#マッチ売り少女 #炎上 #詐欺配信」というハッシュタグとともに。


 このことは、瞬く間に拡散されました。


 まとめサイトが記事にしました。


「『マッチ売りの少女』を名乗る配信者、実は裕福? 視聴者を騙して投げ銭荒稼ぎか」


 匿名掲示板では、アンナの「特定」が始まりました。


『○○市内の小学校だろ』

『制服から△△小学校って特定されてる』

『親の顔が見てみたいわ』

『児相案件だろこれ』


 アンナが事態を知ったのは、翌日の朝のことでした。母親が血相を変えて部屋に入ってきました。


「ちょっと、あんた何してくれたのよ!」


 スマホを突きつけられるアンナ。画面には、自分の配信が切り取られ、「詐欺」「嘘泣き」「毒親」といった言葉とともに拡散されていたのです。


 アンナは凍りつきました。


 学校に行くと、クラスメイトの視線が刺さりました。誰かが囁く声が聞こえます。「あれ、ネットで炎上してる子じゃない?」


 担任の先生が異変に気づいたのは、その日の午後でした。


「アンナさん、ちょっといい?」


 アンナは俯いたまま、保健室に付いていきました。そこで担任の先生は、アンナがネット上で「特定」されかけていることを知りました。


「これ、あなた?」


 先生が見せたスマホの画面には、アンナの配信のまとめ記事がありました。顔にはモザイクがかかっていましたが、部屋の様子や声で、知っている人なら誰だかわかるものでした。


 アンナは何も答えられませんでした。ただ、涙がこぼれました。


「わかった。今は話さなくていい。でも、これは大人が対処しないといけない問題だから」


 担任の先生はすぐに校長先生と相談し、その日のうちに緊急の家庭訪問を実施しました。


 アンナの母親のアパートを訪れると、部屋は荒れていました。洗濯物の山、散らかった雑誌、ゴミ袋。そして——部屋の隅に積まれた、大量のマッチ箱。


「先生、すみません……」


 母親は泣きそうな顔で言いました。


「もう、どうしたらいいか……」


「まず、状況を整理させてください」


 担任の先生は冷静に言いました。


「アンナさんは、配信で何をしていたんですか?」


 母親は観念したように話し始めた。娘の配信、マッチを使った演出、月に数十万円の収入。そして、炎上。


「でも、別に嘘はついてないんです」


 母親は主張しました。


「本当にお金なかったし、マッチだって本当に売れないし」


「でも、演出はしていた」


「……それは、まあ」


 担任の先生は深く息を吸いました。


「今、アンナさんはネット上で特定されようとしています。学校にも、問い合わせが来るかもしれない。このままでは、アンナさんの安全が守れません」


 母親は、今更ながら青ざめました。


 校長先生は翌日、市の児童福祉課に通告しました。


 ケースワーカーが動き出したのは、すぐでした。アンナの家庭を調査し、母親と面談。配信の実態も、ネット上の炎上も確認されました。


「これは複合的な問題です」


ケースワーカーは学校に報告しました。


「児童労働、経済的虐待、ネグレクト。そして今、デジタルタトゥーとネットいじめのリスクがある」


「アンナさん、学校に来られなくなってます」


 担任の先生は言いました。


「クラスメイトの目が怖いって」


 ケースワーカーは頷きました。


「まず、配信アカウントを削除します。次に、拡散された情報の削除依頼。そして、母親へのカウンセリングと経済支援」


 ですが、一度広がった情報を完全に消すことは不可能でした。まとめサイトは記事を削除しましたが、スクリーンショットは匿名掲示板に残り続けました。


 アンナは一週間、学校を休みました。


 担任の先生が家庭訪問すると、アンナは部屋に閉じこもっていました。


「先生……私、もう学校行けない」


「どうして?」


「だって、みんな知ってる。私が嘘ついて、お金もらってたって。クラスのLINEグループにも、私の配信のスクショが回ってた」


 担任の先生は胸が痛みました。


「アンナさん、あなたはまだ子供で、大人に守られるべき存在なの。配信をさせたのは、お母さん。責任は大人にある」


「でも……」


 アンナは言葉を詰まらせました。


「私も、お金欲しかった。だから、嘘ついた。『お腹すいた』って言ったけど、本当はコンビニ弁当食べてた。みんなを騙してた」


「それは、子供が生きるための手段だったんでしょう? 大人が、あなたにそうさせたんだよ」


 アンナは声を上げて泣きました。


 ケースワーカーは、学校全体での対応を協議しました。


 まず、クラスで「デジタルリテラシー」の授業を実施。ネット上での拡散や特定行為が、どれほど人を傷つけるかを教えました。直接的にアンナの名前は出しませんでしたが、子どもたちは何を指しているか理解していました。


 次に、アンナの母親に対しては、生活保護の申請を支援。カウンセリングも継続しました。母親自身が、過去の虐待経験と貧困の中で、娘を「商品」にしてしまったことに気づき始めました。


 そして、アンナ本人。担任の先生とスクールカウンセラーが、週に一度の面談を続けました。


 それから三ヶ月。


 ネット上の情報は、少しずつ風化していきました。新しい炎上案件が次々と現れ、人々の関心は移っていきました。


 アンナは学校に戻りました。最初は辛かったけれど、担任の先生や友人たちの支えで、少しずつ日常を取り戻していきました。


 ある放課後、担任の先生はアンナと二人で話していました。


「最近どう?」


「まあまあです。給食も、ちゃんと食べてます」


アンナは少し笑いました。


「それはよかった」


 沈黙が流れます。


「ねえ先生、私の配信見た人たち、今どう思ってるのかな」


「さあね。でも、もう気にしなくていいんじゃない?」


「そうですね」 


 アンナは頷きました。 


「あの人たちは、『マッチ売りの少女』が好きだっただけ。私には興味なかったんです」


「でも、今のあなたを見てくれる人は、ちゃんといる」


 アンナは先生を見て、小さく笑いました。


「はい」

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