ボスママVSブレーメンの音楽隊
文令真君が区民会館の軒下に駆け込んだとき、鉛色の空から大粒の雨が降り出していました。
都会から田舎町に引っ越してきて三ヶ月。小学四年生の令真君には、まだ友達と呼べる子が一人もいませんでした。今日も一人で下校する途中、突然の雨に見舞われたのです。
軒下で雨をやり過ごそうと立っていると、区民会館の中から楽しそうな笑い声が聞こえてきました。窓から覗くと、お年寄りたちがお茶会をしています。
令真君は目を伏せました。どこにも自分の居場所がないのだと、改めて感じたからです。
「あら、ずぶ濡れじゃない」
ドアが開き、七十代後半の女性が顔を出しました。
「ぼく、どこの子?」
「三丁目の文です」
「まあ、新しく越してきた子ね。さ、中に入りなさい。風邪ひくわよ」
女性は但馬さんといいました。元は小学校の教師だそうです。
中には他に三人のお年寄りがいました。元大工の犬井さん、元民謡歌手の猫田さん、元消防団長の大鳥さん。四人とも令真君を温かく迎えてくれました。
お茶とお菓子を頂きながら、令真君は不思議な気持ちになりました。学校では誰も自分に話しかけてくれないのに、ここには笑顔で接してくれる人がいるのです。
「また来ていいのよ。毎週水曜日、ここでお茶会やってるから」
但馬さんの言葉に、令真君は小さく頷きました。
令真君が学校で孤立している理由は、はっきりしていました。PTA会長でもある鬼塚さんが、母親たちに令真君を避けるよう指示していたのです。
「あそこのご両親とも、お医者さんでしょう。奥さん、一度も集まりに顔を出さないのよ」
鬼塚さんの言葉に、母親たちは誰も逆らえませんでした。彼女に睨まれたら、この町で暮らしていけない。そう思っていたからです。
「うちの子たちがあの子と仲良くなって、変な影響を受けたら困るわ」
こうして、子供たちは親から「文君とは遊んじゃダメ」と言い聞かされていました。
一方、お年寄りたちも町で居場所を失いつつありました。
「もう時代が違うんですよ。お年寄りのやり方じゃ、若い世代は残りませんって」
町内会の会議で、働き盛りの男性がそう言い放ちました。老人会の予算は削減され、意見は聞かれなくなりました。
但馬さんは言います。
「もう誰も私の話なんて聞いてくれないのよ」
犬井さんもため息をつきました。
「祭りの舞台も、業者に頼むんだって。わしの腕じゃダメなんだとさ」
猫田さんは歌うことをやめていました。
「コロナ以来歌わないから、声が出なくなってね」
大鳥さんは寂しそうに笑います。
「朝の見回り、不審者と間違われるからやめろって言われた」
四人とも、すっかり元気を失っていました。
翌週の水曜日、令真君は恐る恐る区民会館を訪れました。
「令真君、来てくれたのね!」
但馬さんたちは心から喜んでくれました。
「令真君、ちょっと手伝ってくれるか?この棚、持ってくれる?」
犬井さんに頼まれて、令真君は「必要とされる」感覚を味わいました。
「久しぶりに若い子が来てくれたな」
大鳥さんの目が輝いていました。
お年寄りたちも、久しぶりに笑顔になっていました。
それから令真君は、毎週のように区民会館に通うようになりました。
但馬さんは昔の遊びを教えてくれました。犬井さんは工作を教えてくれました。猫田さんは少しずつ歌を歌い始めました。大鳥さんは町の歴史を話してくれました。
「来週、公民館の掃除があるんだけど、令真君、手伝える?」
そう誘われて、令真君は別のグループのお年寄りたちとも知り合いました。
「あら、あなたが令真君ね。但馬さんから聞いてるわよ」
夏祭りの準備、花植えのボランティア。令真君が参加するたび、お年寄りたちの輪が広がっていきました。
そして、お年寄りたちも変わっていきました。
「但馬さん、最近元気ね」
「犬井さん、また工作してるんですって?」
令真君の存在が、お年寄りたちに活気を取り戻させていたのです。
やがて令真君の評判は、町の有力なお年寄りたちにも届きました。元町長、元校長、老舗の主人、寺の住職。
また、大鳥さんは地元企業の部長・大鳥雄介さんの父親でした。
「いい子なんだよ。父さんなあ、久しぶりに楽しいよ」
息子の雄介さんは、父が元気になったことを嬉しく思っていました。
夏祭りの日、令真君はお年寄りに混じって、朝から準備を手伝っていました。
子供たちが遊びに来ました。健一君が令真君に話しかけたそうにしていましたが、母親が制止します。
「ダメよ」
鬼塚さんが、鋭い目で見ていたからです。
「あら、あの子がいるじゃない。みんな、子供たちを近づけないでね」
それを聞いた老舗和菓子店の主人が、鬼塚さんたちを奥座敷に呼びました。そこには町の有力なお年寄りたちが揃っていました。
元校長が口を開きます。
「鬼塚さん、あんた、文令真くんのこと、どう思っている?」
「それは…都会から来た子で、この町に合わないかと…」
元町長が静かに言いました。
「わしはこの町で五十年、人を見てきた。令真くんほど礼儀正しく、働き者の子は久しぶりだ」
但馬さんが続けます。
「私は教師を四十年やってきました。あの子はとても優しい心を持っているわ。仲間外れはかわいそうよ」
犬井さん、猫田さん、大鳥さんも、次々と令真君について語りました。
しかし鬼塚さんは動じませんでした。
「お年寄りの皆さんには分からないんですよ。あの子と関わるのは、この町の子供たちに悪影響ですから!」
しかしその夜、事態は思わぬ方向に動きました。
鬼塚さんの夫が、会社から青い顔で帰ってきたのです。
「…大鳥部長に呼ばれた」
大鳥雄介部長。彼は夫の直属の上司でした。
「『ある子供が学校でいじめられてるという話を聞いた』って。お前が他の母親たちに言って、文くんを孤立させてるって。本当か?」
鬼塚さんは言葉に詰まりました。
「部長の父親が文くんと仲良しで、全部知ってるって。『君の奥さんがいじめに加担してるなら、私は父に顔向けできない』って」
夫は珍しく強い口調で言いました。
「お前、何やってるんだ!明日すぐに母親たちに連絡しろ。子供たちは文君と遊んでいいって!」
翌日、母親グループに鬼塚さんから連絡が入りました。
「文くんは、子供たちと遊んでいいです」
メッセージは短く、それだけでした。子供たちは喜びました。
「令真!やっと一緒に遊べる!」
健一君が駆け寄ってきました。他の子供たちも集まってきます。
令真君は、転校して初めて友達に囲まれました。
秋になり、元校長が小学校に提案しました。
「世代間交流プログラムを始めませんか」
昔遊び教室、田植え体験、郷土料理教室、戦争体験を聞く会、伝統芸能の継承。
PTA会長として鬼塚さんも、この提案を承認しました。
そして初めての昔遊び教室の日。
体育館には子供たちとお年寄りたちが集まっていました。但馬さん、犬井さん、猫田さん、大鳥さんが、けん玉や竹とんぼを教えています。
その片隅で、鬼塚さんは他の保護者たちと一緒に、大人しくお茶の準備を手伝っていました。お年寄りたちの呼びかけで、今まで母親に任せきりだった父親たちも、多くが参加しています。
鬼塚さんは、時折、笑顔で遊ぶ子供たちを見つめ、小さく息をつきます。
令真君のお父さんとお母さんも、今日は仕事を休んでお手伝いをしています。
「鬼塚さん、お湯沸きましたよ」
「ええ、ありがとう」
「いつもPTAの仕事をお任せして申し訳ありません。仕事の都合がつく時は、私達もお手伝いしたいです」
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
鬼塚さんは、静かに微笑みました。
会場では、猫田さんが久しぶりに大きな声で民謡を歌っていました。子供たちが拍手をしています。
大鳥さんが令真君に声をかけました。
「令真君、君が来てくれて変わったんだよ。わしらも、この町も」
令真君は頷きました。
体育館の窓から、秋の日差しが優しく差し込んでいました。
先生と子供たちの笑い声、お年寄りたちの温かい声、そして保護者たちの穏やかな会話。
区民会館から始まった小さな出会いが、町全体を包み込んでいました。
令真君は友達の健一君と一緒に、但馬さんから教わったけん玉に挑戦しています。
「できた!」
「すごいじゃない、令真君」
但馬さんが目を細めました。
彼女もまた、自分の居場所を見つけたのでした。




