裸の王様とスクールカースト
中学二年生の玲王君は、その名の通り、王様のように君臨していました。
身長は学年で一番高く、サッカー部のエース。明るくて面白くて、いつもクラスの中心にいます。彼が何か言えば、みんなが笑います。彼が誰かをからかえば、それは「いじり」になり、クラス全体が同調します。
そして、玲王君が標的を決めると、それは暗黙のルールになりました。今学期のターゲットは佐藤君という大人しい男の子でした。玲王君は佐藤君の消しゴムを隠し、教科書に落書きをし、「きもい」「うざい」と声をかけました。笑いながら、行為は次第にエスカレートしていきました。
みんなは見ていました。誰も止めませんでした。止めれば、次は自分が標的になってしまいます。それがこのクラスの「空気」であり、法でした。
玲王君は無敵に見えました。彼の周りには常に取り巻きがいて、彼の機嫌を伺い、彼の言葉に従おうとするのでした。
さて、二学期が始まって一週間後、転校生がやって来ました。
「池野 澄羽子です。よろしくお願いします」
背は低く、痩せていて、無表情。年頃の女の子らしさのない、地味な外見でした。
挨拶も淡々としていて、教室の「空気」に合わせる気が、まったくないようです。
玲王君はにやりと笑いました。新しい「おもちゃ」が来たからです。
その日の昼休み、玲王君は早速、澄羽子さんに絡みました。
「なあ、池野。前の学校で友達いたの? どうみてもいなさそうだけど」
周りが笑います。いつもの光景でした。
でも、澄羽子さんの反応は、みんなの予想外のものでした。
「うん、いなかったよ。君は友達が多そうだね」
玲王君は一瞬、拍子抜けしたような顔をしました。それから笑顔を取り戻して続けました。
「当たり前じゃん。俺、人気者だから」
「へえ。じゃあ、君がいない時もみんな君のことを褒めてるの?」
教室の「空気」が凍りました。
玲王君の顔から笑みが消えました。
「は? 何言ってんの」
「本当に慕われてる人って、その人がいない時も悪く言われないものだから。君の場合はどうなのかなって」
誰も声を出せませんでした。澄羽子さんの表情には悪意も恐れも見られません。ただ純粋な疑問があるだけのようです。
玲王君は顔を赤くして澄羽子さんを睨みつけました。
「テメェ、調子乗んなよ」
そう吐き捨てて、教室を出て行きました。
その後ろ姿を、澄羽子さんは不思議そうに見ていました。
それからも澄羽子さんは、玲王君の言動に対して毎回、まっすぐな反応を返しました。
玲王君が誰かをからかうと、「それ、面白いと思って言ってるの?」と、真顔で尋ねました。
玲王君が海外旅行で英語を話したと自慢話をすると、「すごいね。この前の英語のテストは何点だったの?」と痛いところを突きました。
玲王君がキレると、「ごめん、言われたくなかったんだね」と素直に謝罪しました。
また、誰かが澄羽子さんの持ち物を隠しても、当たり前のように先生に報告して大事にしてしまうので、おいそれと手出しができませんでした。
澄羽子さんはいつもこの調子で、「空気」を一切読みません。いや、あの悪気のない態度からして、「読めない」のかもしれません。そしてそれは、玲王君の「澄羽子さんだけが見えない鎧」を剥ぎ取る効果を持っていました。
玲王君が「王様」でいられたのは、みんなに「彼が王様だ」という共通理念があったからです。澄羽子さんのふるまいによって、その定義が少しずつ疑われるようになっていきました。
少しずつ、クラスの「空気」が変わり始めたのです。
玲王君のギャグに、以前ほど笑わない人が増えました。玲王君の命令に、即座に従わない人が出てきました。そして、誰かが小さな声で言いました。
「玲王って、本当は大したことなくない?」
その声は、すぐに広がりました。
そして、革命が起こりました。
玲王君の机に落書きが現れました。彼の靴が隠されました。廊下でわざと肩をぶつけ、誰も謝らなくなりました。
以前、玲王君にいじめられていた佐藤君は、今度は玲王君を無視する側にいます。玲王君の取り巻きだった連中は、さっさと別のグループに移りました。
そうして、玲王君は日に日に孤立していきました。
玲王君が学校を休み始めたのは、それから一週間後のことでした。
担任の先生が「玲王のことで話がある」とホームルームで言ったとき、教室は静まり返りました。
「お前ら、玲王をいじめてるだろ?あいつは今、登校拒否になっている。お前らが何をしたか、先生は全部知っているからな!」
先生の目は、厳しく教室全体を見渡していました。しかし、生徒たちの目は、ますます反発を募らせていました。
ただ一人、澄羽子さんだけが、先生の言葉に驚いていました。
放課後、澄羽子さんはクラスの連絡網で玲王君の住所を確認し、家を訪問することにしました。
玲王君の家は、いつも自慢していた「金持ち」というイメージには程遠い、古くて小ぶりな佇まいでした。
インターホンを押すと、玲王君のお母さんが出てきました。なんだか疲れた様子でした。
「玲王君のクラスメイトの池野です。少し話したいことがありまして」
お母さんは困ったような顔をしましたが、澄羽子さんを通してくれました。
玲王君の部屋のドアをノックすると、しばらくして小さな声が聞こえました。
「何」
「池野です」
沈黙。そして、ドアが少しだけ開きました。
玲王君は、別人のように小さく見えました。目は赤く腫れていて、髪はボサボサでした。
「何しに来た」
「分からないから、聞きたくて」
澄羽子さんが言いました。
「君は人気者なのに、なんでいじめられているの」
澄羽子さんの言葉は、いつもと同じようにまっすぐでした。
「お前のせいだろ」
「そうなんだ。ごめん」
素直に謝る澄羽子さんに、玲王君はため息をつきました。
「…嘘だよ。俺のせいだ。俺、クラスの色んな奴らをいじめてたから」
「なるほど、仕返しをされているんだね」
澄羽子さんは、納得したように頷きました。
「でも、なんで色んな人をいじめてたの?」
玲王君は黙り込みました。そして、ぽつりぽつりと話し始めました。
玲王君のお父さんは、彼が小学校五年生の時に出て行きました。それ以来、お母さんが一人で働いて家計を支えているのです。
それ以来、玲王君は「強くなければいけない」と思ったそうです。弱いところを見せたら、見捨てられる。そして、常に攻撃する側でいようと努めたのでした。
「一番怖かったのは、一人になることだった」
玲王君は震える声で言いました。
「だから、みんなを従わせてた。そうすれば、誰も俺を見捨てないって思ってた。バカだよな」
澄羽子さんは、顎に手を当てながら、静かに聞いていました。
「君がやったことは、社会的には間違っていたと思う」
澄羽子さんは、遠慮なく言いました。
「でも、君の恐怖は、間違っていない。怖いのは、生物として自然なことだから」
「生物って…お前、変だよな」
玲王君は笑いました。
「空気読めないし」
「よく言われる」
「でも……ありがとな」
玲王君は、素直にお礼を言いました。
「こちらこそ、話してくれてありがとう。状況がよく分かったよ。じゃあ、君が学校に戻れるように戦略を立てようか」
「戦略?」
それから、二人は何時間も話しました。玲王君がいじめた人たちに謝る方法。いじめを解消し、クラスに戻る方法。そして、これから「強さ」をどう定義するか。
図書館から借りてきたという、クラス経営、心理学、宗教学、動物行動学の本を何冊も並べ、澄羽子さんはデータを元に検討を重ねます。
「普通、いじめられて落ち込んでる奴と、こんなことするかよ」
玲王君は呆れてしまいました。でもそれは、とても論理的で、実践的で、鬱々とした気持ちを忘れてしまいそうな時間でした。
「戦略」を立てる澄羽子さんは、普段の表情に乏しい彼女とは別人のように、とても楽しそうでした。
初めて見る生き生きとした澄羽子さんの横顔に、玲王君は、思わず目を奪われました。
翌日、玲王君は登校しました。朝のホームルームで、彼はクラス全員の前に立ちました。
「みんな、ごめん」
彼の声は震えていました。
「俺、今までたくさんの人を傷つけた。特に佐藤には、本当にひどいことをした。言い訳はしない。ただ、謝りたい」
教室は静まり返っていました。
「俺は弱かった。怖かったから、強いフリをしてた。でも、それで人を傷つけるのは最低だった。本当にごめん」
佐藤君は黙っていました。許すとも、許さないとも言いませんでした。
その時、担任の先生が言いました。
「謝罪を受け入れるかどうかは、それぞれが決めることだ。でも、玲王が変わろうとしていることは、評価すべきだと思う」
クラスメイト達は、神妙な「空気」に飲まれていました。「玲王の件について、軽々しく扱ってはいけない」という、新たな法が現れました。
澄羽子さんは、その様子を自席で観察しながら、満足そうに微笑んでいました。
もちろん玲王君の言葉は本心ですが、場面、表情、口調、担任の先生のコメント…全て昨日二人で作り上げた、「効果的な謝罪の演出」なのでした。
そして、玲王君は行動も変えました。
以前のように大声で笑うことはなくなり、穏やかに話すようになりました。誰かが困っていたら、控えめに手を差し伸べるようにしました。
そして、少しずつ、クラスメイトは彼への態度を軟化させていき、玲王君は受け入れられたのでした。
時は過ぎ、卒業式の日。
式の後、玲王君は、澄羽子さんを校舎裏に呼び出しました。
「池野がいなかったら、俺、たぶんずっと王様のままだったと思う」
「そんなことないよ。いつか誰かが気づいたはずだから」
「でも、お前が最初だった」
「…二人で戦略を立てるの、楽しかった」
澄羽子さんは笑っていました。屈託のない、澄んだ笑顔でした。そして、寂しそうに呟きました。
「せっかく君と仲良くなれたのに、高校は別々だから、またひとりになっちゃう」
その言葉に、玲王君は胸が締め付けられました。
「高校に行っても、俺と仲良くすればいいだろ」
思わず、本音が口をつきました。その頬は、真っ赤に染まっていました。
「…付き合ってくれないかな」
一瞬の沈黙の後、澄羽子さんは首を傾げながら答えました。
「今から?いいけど、何に付き合うの?」
玲王君はがっくりと肩を落としました。それから、笑って言いました。
「とりあえず、今度映画でも行こうか」
その日の晩、家の電話が鳴りました。お母さんが呼んでいます。
「澄羽子ちゃん、阿比留 玲王君、ていう男の子から、お電話よ」
昔々、まだスマートフォンがなかった時代のお話です。
この出会いが阿比留先生を教育相談の沼に引き込む原点になるとは、まだ誰も知りませんでした。




