ロミオとジュリエットのいじめ対応
きっかけは、中学二年の体育祭でした。
「絶対におかしいって。あの最後の得点、審判が間違えたんだよ」
A組の男子生徒、真樹は、怒りに興奮した様子でSNSに書き込みました。優勝はB組。僅差での敗北でした。
「まあまあ、真樹。結果は結果だろ」
親友の澪が宥めましたが、真樹は勢いよく反論しました。
「でもさ、明らかにB組びいきだったぜ。B組の千穂って女子、審判に何か言ってたし」
投稿を見たB組の生徒たちは、すぐに反応しました。千穂は特に激しく反論しました。
「A組、負け惜しみひどすぎ。実力不足を認めなよ」
SNS上での応酬は日を追うごとに激しくなり、やがてクラス全体を巻き込んだ対立へと発展していきました。
さて、 A組の澪とB組の樹里は、以前から同じ学習塾に通っていました。二人は塾の帰りに時々話をする間柄で、お互いに淡い恋心を抱いていました。
「澪くん、最近クラスの雰囲気、変だよね」
ある放課後、図書室の奥の席で、樹里が小さな声で話しかけてきました。
「うん……正直、疲れた。なんでこんなことになったんだろう」
澪は苦笑いを浮かべました。クラスメイトの手前、B組の生徒と仲良くすることはできません。でもこの図書室では、二人だけの時間がありました。
「みんな、止まらないんだ。一度始まったら、誰も引けなくなっちゃって」
「私も同じ。千穂ちゃんとか、すごく攻撃的になってる。あんな子じゃなかったのに」
二人は週に数回、図書室で会うようになりました。お互いのクラスの様子を報告し合い、この不毛な争いを終わらせる方法はないか、密かに考えていました。
しかし、これが最悪の結果を招きました。
「裏切り者がいる」
真樹のSNS投稿は、瞬く間に拡散されました。図書館で二人を見かけた誰かが、澪と樹里の関係を暴露したのです。
「澪、お前B組のやつと何してんだよ」
「樹里、まさかスパイのつもり?」
両方のクラスから非難を浴びた二人は、孤立しました。そして、攻撃はさらにエスカレートしていきました。
真樹が樹里の家族のことをSNSに書き込んだのは、ある月曜日の朝でした。
樹里の父親の職業、母親の旧姓、住んでいる地域。個人情報が次々と晒されました。中学生にとって、それがどれほど危険なことか、まだ十分には理解していませんでした。
「やめろよ、真樹! そこまでやる必要ないだろ!」
澪は必死に止めましたが、真樹は聞きませんでした。
「うるさい。お前が樹里を庇うからだろ!」
翌日、今度は千穂が反撃に出ました。澪の小学校時代の出来事を、どこからか調べ上げて投稿したのです。友人とのトラブルで一時期不登校になっていたこと、それが理由で少し離れた学区のこの中学校を選んだこと。澪が新しいスタートを切ろうとしていた過去でした。
「千穂、お前……」
その日の放課後、廊下で二人は鉢合わせしました。
「何よ、文句ある? 先にやったのはそっちでしょ」
千穂の言葉に、澪は怒りを抑えきれませんでした。押し問答の末、澪は千穂を突き飛ばしてしまいました。千穂は転倒し、手首を軽く打撲しました。
通りかかった先生がすぐに二人を引き離しましたが、もう後戻りはできませんでした。その日のうちに、保護者が呼ばれました。そして、聞き取りをするうちに、深刻ないじめの状況が学校と保護者の知るところとなりました。
樹里は学校に来なくなりました。SNS上での誹謗中傷に耐えられなくなったのです。
そして澪も同様に、登校できなくなりました。
真樹は、自分のしたことの重さに気づき、教室で泣き崩れました。
学校では、警察の少年課、スクールカウンセラー、そして教頭先生を中心とした調査チームが結成されました。SNSのログが詳細に分析され、関与した生徒の数は、A組B組合わせて五十名近くに上ることが判明しました。
書き込みをしていない生徒も、それを見て「いいね」を押したり、グループ内で話題にしたりしていました。
緊急保護者会は大荒れでした。
「うちの子は被害者です! まだ中学生なのに、こんな目に遭わせて!」
「そちらのお子さんが先に手を出したんでしょう! うちの娘は怪我をしています!」
互いに責任をなすりつけ合う保護者たち。その混乱を静めたのは、担任の先生が持ってきた二通の手紙でした。
一通は樹里が書いたもの。もう一通は澪が書いたもの。担任の先生がその内容を読み上げました。
「私は、A組のみんなも、B組のみんなも、好きでした。修学旅行も文化祭も、みんなで楽しかった。でも、誰も争いを止めようとしなかった。私と澪くんが止めようとしたら、私たちが攻撃された。みんなが正しいと思ってやっていることが、こんなに人を傷つけるなんて……生徒のみなさん、先生たち、保護者のみなさん、お願いします、皆が仲良くなれるよう、助けてください」
「僕は争いを止めたかった。でも、誰も理解してくれなかった。僕は樹里さんを守れなかった。真樹も止められなかった。そして、千穂さんを突き飛ばしてしまった。僕は自分のしたことに、責任を持たないといけない。でも、ごめんなさい。もう、僕はどうすればいいかわかりません。みなさんの力を貸してください。」
保護者会の会場は、静まり返りました。
そして、樹里の母親が口を開きました。
「私は、学校を責めることばかり考えていた。でも、それじゃ何も変わらないんですね」
澪の父親も、重い口を開きました。
「…実は、私たち夫婦は離婚の話をしていました。息子には言っていませんでしたが、子どもは敏感です。きっと、気づいていた。家庭が不安定な中で、息子は必死に学校で戦っていたんですね」
それから、長い道のりが始まりました。
澪には、千穂への暴力の指導として、毎日、先生やスクールカウンセラーとの面談が義務づけられました。真樹と千穂にも同様の対応がされました。加害生徒への指導であるとともに、支援という意味合いもありました。
面談の中で、千穂の家庭には深刻な問題があることが明らかになりました。母親からの精神的虐待、過度な期待とプレッシャー。スクールカウンセラーにより、千穂の攻撃性との関連性が見立てられました。学校は児童相談所とも連携し、千穂と母親の両方への支援が組まれました。
A組とB組を含む全生徒には、外部から専門家を招いてのSNSリテラシー講座が実施されました。
「皆さんは、画面の向こうに本物の人間がいることを、忘れていませんでしたか」
講師の方は、優しく、しかし厳しく語りかけました。
「いじめは、加害者と被害者だけの問題ではありません。見ているだけの人、『いいね』を押した人、話題にして笑った人。みんなが、加害者になり得るのです」
そして三ヶ月後、新学期が始まる少し前に、樹里が教室に戻ってきました。春休み中の補習という形での、静かな復帰でした。
「おはようございます」
小さな声でしたが、はっきりと聞こえました。教室にいた数名のクラスメイトたちは、一斉に頭を下げました。
「おはよう、樹里さん」
「ごめん、本当に」
新学期が始まると、澪も登校を再開しました。三年生への進級を前にした、新しいスタートでした。
真樹が真っ先に駆け寄りました。
「澪、ごめん。本当に、ごめん」
「いいよ。僕も、もっと早く止めるべきだった」
千穂も、カウンセラー同席のもとで澪に謝罪しました。そして初めて、自分の家のことを話しました。母親からの暴言、「完璧でなければ意味がない」と言われ続けた日々、その怒りをぶつける相手を探していたこと。
学校は、継続的な取り組みを開始しました。月に一度、学年全体でのホームルーム。生徒が主体となった対話の場です。最初は誰も発言できませんでしたが、次第に、小さな声が上がり始めました。
「私も、本当は止めたかった」
「でも、自分も標的にされるのが怖かった」
「ごめん、って言っていいのか分からなかった」
中学生たちは、不器用ながらも、言葉を紡ぎ始めていました。
「僕は、みんなに『まあまあ』って言うだけで、本気で止めなかった。それも、加担したのと同じだったんだと思います」
生徒全員が、今回の騒動を振り返りました。
桜の季節が巡ってきました。
澪と樹里は三年生になり、別々のクラスになりましたが、今も図書室で時々話をします。でも今は、隠れる必要はありません。
完全に元通りになったわけではありません。心の傷は、そう簡単には癒えません。樹里は今も、大勢の人がいると緊張してしまいます。澪も、時々フラッシュバックに悩まされます。千穂は、母親との関係修復に苦しんでいます。
しかし、確実に変わったことがあります。
対話をすること。相手の痛みを想像すること。助けを求めていいのだということ。そして何より、自分の行動に責任を持つこと。
澪と樹里の傷つきによって、皆、大きな学びを得たのでした。




