みにくいアヒルの子と「ソーシャルスキルトレーニング」
――何で私だけ、みんなと違うんだろう。私だけがみんなと違って、醜い。
「は? 何で私が悪いわけ?」
高校一年生の白鳥さんの声が、相談室に響きました。彼女は、腕を組んで椅子に深く座り込み、睨むような目で大人たちを見回しています。
「あいつが先に馬鹿にしてきたんだから、私は悪くない」
三日前、クラスメイトの男子生徒が何気なく言った一言に激昂し、白鳥さんは椅子を投げつけました。男子生徒は右腕を骨折。救急搬送される事態となりました。
「白鳥さん、相手は怪我をしているんだよ」
担任の先生が諭すように言いますが、白鳥さんは鼻を鳴らしました。
「だから? 向こうが悪口言わなきゃこんなことになってないし」
隣に座る母親が、疲れ切った表情で頭を下げました。
「すみません、すみません……。家でも何度言っても、こうなんです。もう、私もどうしたらいいか……」
母親の目には涙が浮かんでいました。小学校から続く、同じパターン。注意しても、叱っても、何も変わらないのです。白鳥さん本人に反省の色はなく、母親だけが謝り続ける日々でした。
その日の夕方、会議室は紛糾していました。
「退学処分が妥当です。こんな危険な生徒を置いてはおけません!」
生徒指導主事が声を荒らげた。被害生徒の保護者からは、厳しい抗議の電話が何本も入っていました。
「加害者を野放しにするなんて、学校は何を考えているんですか!」
保護者の怒りはもっともでした。多くの教員も、厳罰を求める声に頷いていました。
その時、特別支援教育コーディネーターの阿比留先生が手を上げました。四十代前半の女性で、特別支援教育が盛んな学校から転勤してきたばかりの先生です。専門家らしい彼女に皆一目置いていましたが、その超然とした態度に懐疑的な目を向ける人もいました。
「お気持ちは理解します。しかし、罰だけでは問題は解決しません」
阿比留先生は、淡々とした態度で資料を配布しました。
「これは、中学校から引き継いだ白鳥さんの個別の支援計画です。小学校三年生から現在まで、同様の事案が十二件。そのたびに謹慎、反省文、保護者指導が行われました。結果はどうでしょう」
沈黙が広がりました。
「改善していません。彼女には発達特性があり、衝動のコントロールや感情の調整に困難を抱えているからです。罰は『してはいけないこと』を教えますが、『どうすればいいか』は教えません」
阿比留先生は、さらに続けました。
「彼女に必要なのは、懲罰ではなく支援です。具体的なスキルを身につけるトレーニング。それによって、行動を変えることができます」
「でも、被害者感情は……」
「もちろん、被害生徒とご家族への謝罪と補償は最優先です。警察へ被害届を出されると言うなら、それもいいでしょう。その上で、白鳥さんへの指導を、実効性のあるものにする。それが、教育的実践ではないでしょうか」
阿比留先生の論理的な説明に、会議室の空気が少しずつ変わっていきました。
結局、被害者は、警察には届けませんでした。男子生徒本人が、大事にするのを望まなかったそうです。
学校では、一週間の謹慎期間を設けることになりました。白鳥さんは毎日、相談室に通うことになりました。そこには、阿比留先生、スクールカウンセラー、保健室の先生、そして特別支援学校から協力に来てくれた専門の先生が待っていました。
「何これ。説教?」
阿比留先生の顔を見た白鳥さんは、たちまち不機嫌になりました。彼女は数日前、先生に楯突いたことを思い出していました。
「君、教科書を出しなさい」
「うるせえ、ババア!死ね!」
突然爆発した白鳥さん。クラスに緊張が走りました。
実は、昨日予習した時に、家に教科書を忘れてしまったのです。頑張ったのに注意されるなんて、納得できませんでした。
「うるさかったか。ごめん。でも、私の年齢と生死はどうにもできない」
白鳥さんは、肩すかしをくらった気がして、二の句が継げませんでした。
生徒たちは安堵し、ピントの外れたやりとりに笑いをこらえています。
阿比留先生は、白鳥さんの机上を一瞥し、教科書がないことと、予習ノートの取り組みを確認すると、表情を変えずに教科書の本文プリントを渡し、淡々と授業を進めました。
――嫌みな奴。あの時のことを根に持ってるに違いない。
「説教されると思ったのに来てくれたの?でも、説教じゃなくて、君が困らないための勉強をします」
阿比留先生は、白鳥さんの態度を気にもとめず、一枚のシートを見せました。顔のイラストが十個並び、それぞれに数字が振られています。
「これは『怒りの温度計』。今回、君が椅子を投げた時、怒りは何度だった?」
「は? 知らねーよ」
「多分、十度だね。最高温度。でも、十度になる前に、必ず低い温度の段階があるんだ」
スクールカウンセラーが、優しい声で説明した。
「例えば、イラっとした瞬間が三度。ムカついたのが五度。もう我慢できない、が八度。そして、爆発が十度」
「で?」
「三度とか五度の段階で気づければ、爆発しなくて済むんだよ」
「幼稚園児じゃあるまいし!」
白鳥さんは大声を出して怒りました。馬鹿にされていると思ったのです。
「そう!幼稚園児にも分かる、画期的な方法だよね!これは、アンガーマネジメントといって、企業でも取り組む方法なんだよ」
阿比留先生は、目を輝かせて言いました。白鳥さんは、予想外の反応に出鼻をくじかれました。他の大人たちは苦笑しながら見守ります。
「この前、校長先生の集まりでも教えてきたんだよ。高校生に試してもらうのははじめてなんだよねえ」
阿比留先生は上機嫌で続けます。
次に、保健室の先生がカードを取り出しました。
「これは『クールダウンカード』。温度が五度を超えたら、このカードを先生に見せて。そうしたら、保健室に来ていいから」
「逃げるってこと?」
「自分を守るってこと」
阿比留先生がニコニコしながら訂正しました。
「君は今まで、爆発するか我慢するかの二択しかなかった。でも、第三の選択肢がある。『その場を離れる』。それは逃げじゃなくて、対処法なんだよ。これが教育相談の手法。面白いでしょ?」
謹慎二日目。ロールプレイが始まりました。担任の先生が、わざとイラっとすることを言う役を演じるのです。
「白鳥、また遅刻? だらしないなあ」
白鳥さんの表情が固まります。
「今、温度は?」
阿比留先生が食い気味に尋ねました。
「……四、いや五」
「よし、気づけたね。じゃあ、どうする?」
「……わかんない」
「深呼吸してみて。ゆっくり、三回」
白鳥さんは、ぎこちなく息を吸って吐きました。
「それから、『今ちょっと落ち着きたいです』って言ってみて」
「……言えない」
「じゃあ、カードを見せるだけでもいい」
何度も、何度も、繰り返しました。最初は全く上手くいきませんでした。でも、阿比留先生は根気強く付き合ってくれました。と、いうより、なんだか面白がっているようでした。
謹慎三日目。認知の話になりました。
「あいつは私を馬鹿にした、って君は思ったんだよね」
スクールカウンセラーが聞きました。
「だって、そうじゃん」
「もしかしたら、そうじゃない可能性は?」
「は?」
「例えば、相手は悪気なく言っただけかもしれない。あるいは、冗談のつもりだったかもしれない」
「でも……」
「君の気持ちが傷ついたのは事実。でも、相手の意図と、君の受け取り方は、別のものなんだ」
白鳥さんは、黙り込んでしまいました。今まで、考えたこともありませんでした。
謹慎明け。白鳥さんは、クラスに戻りました。視線が刺さりました。
最初の試練は、すぐに訪れました。
「白鳥、マジで迷惑なんだけど」
誰かが呟きました。白鳥さんの中で、温度が上がる。五度、六度——。
深呼吸。カードを握りしめる。そして、静かにその場を離れました。保健室に駆け込むと、保健室の先生が待っていました。
「よく来たね。今、何度?」
「……七」
「すごいじゃない。十度になる前に来られた」
保健室で、白鳥さんは養護教諭と話しました。話題の中心は、阿比留先生です。
「何なの、あの人。私が怒ってても、何とも思ってないみたい」
養護教諭は笑いながら話しました。
「本当にね。私、すっかりファンよ。
阿比留先生、最近は、生徒指導主事とも仲良くなっちゃったの。」
「…あの偏屈オヤジと!?」
『内緒ね』と言いおいてから、会議室での出来事を可笑しそうに話してくれました。
「はっきり言おう、ワシはあんたが嫌いだ。嫌いな奴と仕事はできん!」
会議室の空気が、凍り付きました。生徒指導主事は、新参者の阿比留先生を目の敵にしているのです。
「なるほど。では、先生にとって好ましいメンバーを加えて相殺しましょう。どなたにしましょうか?」
阿比留先生は、職員名簿を取り出しました。違う、そういうことじゃない…参加者一同の声が聞こえるようです。
「あんたは専門家なんだから、ひとりでできるだろ!ワシを外せばいいだろうが!」
生徒指導主事は、はっきりと言いました。
「ダメです。この件には、先生の生徒指導の手腕が必要です。それが専門家としての意見です」
阿比留先生もはっきりと言いました。
「ふん、結局ワシがいなけりゃ、何もできないのだな!」
生徒指導主事が、嫌みたっぷりに言い放ちました。
「そうなんです!この学校に先生がいてくださって、本当にラッキーでした。こういうことがあるんですから、教育相談って、面白いですよね!」
阿比留先生は満面の笑みで答えます。
一瞬の静寂の後、会議室は爆笑に包まれました。生徒指導主事さえ笑っていました。阿比留先生だけが、きょとんとしていました。
「不思議な人よね…なんだか、私達とは次元が違うような」
白鳥さんも頷きました。
阿比留先生は、みんなとは違う。でも、醜くはない、と思いました。
それから二ヶ月。白鳥さんは、毎日放課後にトレーニングを続けました。失敗もありました。温度が十度に達して、物に当たってしまった日もありました。でも、阿比留先生は、嬉々として記録していました。
「ほら、すごいよ、長期的な目で見てごらん。良くなってるよ!」
そして、白鳥さんの中に、少しずつ「道具」が増えていきました。深呼吸、クールダウン、認知の切り替え、タイムアウト——。
三ヶ月後。白鳥さんは、相談室で阿比留先生と向き合っていました。
「先生。私、変わったんですかね」
「どう思う?」
「わかんない。イライラするのは相変わらずだし、温度も上がるし」
「うん。君の本質は、何も変わってないよ」
阿比留先生は、微笑んだ。
「でも、行動が変わった。感情をコントロールするんじゃなくて、行動をコントロールする。それができるようになった」
白鳥さんは、窓の外を見ました。校庭では、クラスメイトが笑いながら帰っていきます。
「…私、阿比留先生みたいになりたい」
「私に?」
阿比留先生は不思議そうに聞きました。
「……阿比留先生。前に、授業で酷いことを言ってごめんなさい。」
白鳥さんは、 心から反省していました。
「相談室で会ったとき、先生は仕返しをしにきたんだと思ってた。でも、先生は私を嫌ったり、腫れ物扱いしたりしなかった。あんな酷いことを言っちゃったのに、普通に接してくれた。どうやったら、先生みたいになれるの?」
「ちょっと待って、酷いことって?」
阿比留先生は、怪訝な顔で尋ねます。
白鳥さんは、俯いて、小さな声で言いました。
「…ババア、死ねって」
阿比留先生は、一瞬、目を丸くしてから、「…ああ」と、腑に落ちたように呟きました。
それから、しばらく考える素振りをした後、困った顔をしました。
そして、覚悟を決めたように言いました。
「…仕方ない、白状します。白鳥さんにはお世話になったし」
「白状…本当は怒ってた?私が嫌いだった?」
白鳥さんは、泣きそうな声で尋ねました。阿比留先生は、ゆっくりと首を振りました。
「…私には特性があってね。人の顔が覚えられないんだ。そうか、随分口の悪いお嬢さんがいるな、とは思っていたけれど…白鳥さんだったんだね。」
白鳥さんは唖然としました。
「私が誰か分からなかったから、態度が変わらなかった、ってこと?!」
「ごめん。失礼なことをしてしまったね。今は流石に識別できるよ。でも、すごく時間がかかる。それに…私は人の気持ちがよく分からない。自分の気持ちもよく分からないから、怒りや嫌悪を感じることも、うまくできなくて」
阿比留先生は申しわけなさそうに告白しました。先生は、怒らないのではなく、怒る力に欠けているのでした。
「それじゃあ、お世話になった、っていうのは?」
「私は、こんな風だから、人付き合いが苦手で…居場所がなかったんだ。けど、白鳥さんの支援をするうちに、仲間ができた。色々実験したり、話し合ったり…すごく楽しかった。白鳥さん、本当にありがとう」
阿比留先生は、深々と頭を下げました。
白鳥さんは、訳が分からなくなりました。支援者のはずの阿比留先生が、実は問題を抱えていて、問題児のはずの白鳥さんが支援したというのです。
「私にとって、みんなとつながる『方法』がこれなんだよ。…教育相談って、面白いでしょ?」
白鳥さんは、情けない顔の阿比留先生に、思わず吹き出してしまいました。
みんなと違っていても、正しい『方法』があれば、輝ける。阿比留先生は、それを教えてくれたのです。
その日の夜、 白鳥さんは、進路課題に取り組んでいました。
『興味のある学部を調べてみよう』
「教・育・学・部…」
白鳥さんは、スマホで検索ワードを入力しました。
教育相談って、面白い。白鳥さんは、そう思い始めていました。




