パンを巡る小さな事件
朝のパン屋ユウトは、今日も香ばしい香りで包まれていた。
「はい、焼きたてだよ。気をつけてね〜」
ユウトは、笑顔の老婆にバスケットを手渡す。ミレナは棚を整理し、セレスティアは接客の見習いとして奥で練習中。
「ここのパンは、ほんとに村一番だねぇ。いや、世界一かも!」
「世界は広いですよ、おばあちゃん……」
セレスティアが思わずつぶやき、ミレナがくすくす笑う。
朝はこうして、平和に始まるはずだった。
けれど——
「ユウト! 大変だ!! パンが……盗まれた!!」
玄関の戸が乱暴に開き、村の少年タロが転がるように飛び込んできた。
「……は?」
ユウトは、一瞬聞き間違いかと思った。
「うちの納屋の前に、配達されたパン籠があったんだ。でも……今朝見たら、中身が全部消えてた!」
「誰かが……盗んだってこと?」
ミレナの声に、セレスティアが眉をひそめる。
「でも、ここはリトベル村ですよ。盗みなんて……」
「その、ありえなさが事件なんだよ!!」
タロの訴えに、ユウトは頭を抱えた。
「ったく……せっかく平和にパンを焼いてたのに」
「……よし。パン探偵、出動だ」
「え、誰それ!?」
「俺だ」
「ユウトさん、ちょっとノリが軽すぎませんか!?」
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パン屋の裏手、森のはずれ。
そこに、小さな足跡と……パンのかけらが落ちていた。
「これは……ウサギ?」
「いや、違う。これは——」
グラムがぽつりとつぶやく。
「アロークの足跡だな。森の中に住む、イタズラ好きの小獣だ。パンの香りには目がないって昔から言われてる」
「アローク……って、あの伝説の?」
セレスティアが驚いた顔で言うが、ユウトは肩をすくめる。
「伝説っていうか、ただの食いしん坊だな。よし、ちょっと探してみよう」
「パンの匂いをたどれば……なんとかなるかも?」
ミレナがパンを一切れ取り出し、ちぎってぽろぽろと森の道にまいていく。
「これ、パンを使ったトラップ?」
「いいえ、パンの道標です!」
「いやトラップだろ、それ」
と、そんなふざけた会話を交わしながら、三人は森の奥へと歩いていった。
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やがて、小さな洞穴を見つけた。
「この中に……」
セレスティアが息をのむ。ミレナはこっそり背後からユウトにしがみつき、ルヴァンは勝手に穴に突っ込んでいった。
「おい、ルヴァン!」
「……ニャー……」
中から、微かに鳴き声が聞こえる。そして——
「きゃん!」
小さな鳴き声とともに、フワフワとした毛玉のような動物が現れた。大きな耳、丸い目、パンのかけらを抱えた前足。
「こいつが……アローク?」
その姿は、驚くほどかわいかった。
ルヴァンの頭をぺしぺし叩いているが、猫は微動だにしない。
「パン、食べたかっただけなんだな……」
ユウトは、ぽつりとつぶやいた。
その小動物は、パンを口にくわえ、申し訳なさそうな目で見つめてきた。
「しょうがないな……腹減ってたんだろ。次からはちゃんと店で待ってろ」
ユウトは、ポケットのパンをひとかけらちぎって手渡した。
小動物は、それを大事そうに抱えて、ぺこりと頭を下げ——
「ピィ!」
と鳴いて、森の奥に帰っていった。
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「結局、盗みじゃなかったんだね」
「うん。ただの……パン好きの訪問者だった」
「でもすごいですよ! ユウトさん、パンで事件を解決したじゃないですか!」
「なんだよ、パン探偵認定か?」
「パン探偵、バッチリです!」
その日の夕方、パン屋ユウトの店先には新しい貼り紙が増えていた。
《パンの香りにつられた動物が来ることがあります。食べすぎ注意!》
ユウトは、それを見てふっと笑った。
「ま、パンが世界を救うわけじゃないが……少しだけ、誰かを満たすことはできるんだな」
「……でも、次に来たときは料金いただきますよ?」
セレスティアがまじめに言い、ミレナが「動物には無理だってば〜!」と笑う。
パンの香りと笑い声。
そして、ほんの少しの事件が、今日のスローライフに彩りを添えてくれたのだった。