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都詣で・都落ち その二

 郷巻(さとまき)興嶽(おきたけ)都詣(みやこもう)でが、十五年前の帝崩御(みかどほうぎょ)の影響を受けて空振(からぶ)りに終わった頃、同じ十五年前の帝崩御(みかどほうぎょ)に思いを()せる男が、この都にもう一人いた。朝廷に関わる者達からは、柘植山(つげやま)殿と呼ばれる親王(しんのう)今上帝(きんじょうのみかど)五十条(いそじょう)帝の異母弟(いぼてい)に当たる。彼は、内裏(だいり)から離れた、都の片隅(かたすみ)にある離宮(りきゅう)で数名の女房(にょうぼう)女官(にょかん))にかしずかれて暮らしている。

 先代の(みかど)若山路(わかやまじ)帝の五番目の皇子(みこ)にあたる柘植山(つげやま)殿は、順番からしても、また、母親が身分の低い家の出である事からも、生まれた時から彼の皇位継承権(こういけいしょうけん)は、設定されてはいても形だけのもの。名門各務織(かがみおり)家出身の、若山路(わかやまじ)帝の正室が産んだ嫡男(ちゃくなん)五十条(いそじょう)殿とは雲泥(うんでい)の差。だが、最初からこれ(ほど)に明確な差があれば、気楽なものだ。皇位をめぐる争いに巻き込まれる心配はない。周囲もそれが分かっているから、柘植山(つげやま)殿に対する(しつけ)も教育も、嫌がる子を無理に言う事を聞かせてまでやろうとはせず、どうしてもおざなりになる。こうして、大人に厳しくされる機会は(ほとん)どなく、常に母の手元で甘えるだけ甘えて過ごす穏やかな幼少時代を送った。これと言った困難に出会わず、何不自由ない生活を送った幼少期が影響してか、彼は優しい顔立ちに華奢(きゃしゃ)な手足を持ち、中性的な雰囲気がある。性格もおっとりしていて、人と争う事をしない。それは、兄弟の中でも際立(きわだ)っていて、他の兄弟は、そんな柘植山(つげやま)殿を心の底では見下している。ただ、長男の五十条(いそじょう)殿だけは違っていた。

 五十条(いそじょう)殿とは七つの(とし)の差がある。幼い頃、たまに会う五十条(いそじょう)殿は、いつも優しく面倒(めんどう)を見てくれる良い兄貴だった。これだけ歳が離れていては、喧嘩(けんか)相手にはならない。柘植山(つげやま)殿の母が、五十条(いそじょう)殿の母を(した)って良く遊びに行っていたから、自然と二人は顔を合わせる。五十条(いそじょう)殿やその母にとっても、柘植山(つげやま)母子は、皇位継承争こういけいしょうあらそいを気にせずに話せる数少ない身内だったのだろう。

 そんな中で、突然に若山路(わかやまじ)帝が崩御(ほうぎょ)した。当時、柘植山(つげやま)殿は七歳。父親が亡くなったと言っても、彼にはさほどの哀しみは無い。それまでも、たまに顔を見て会話する程度で特に親しみを感じなかったし、父親が亡くなった後も、暮らしは(ほとん)ど変わらなかった。(ただ)、それまで仲良くしてくれていた五十条(いそじょう)殿と遊ぶ機会はなくなり、何かしらの宮中(きゅうちゅう)行事の(おり)に、形ばかりの挨拶(あいさつ)()わすだけの間柄(あいだがら)になった。

 七歳の柘植山(つげやま)殿には、父親の死が世の中にどういう意味を()すのか理解できなかった。だが、それから十五年が過ぎ、彼が生きている世界の仕組(しく)みが理解できてしまった今では、その出来事に関心が向かずにはいられなかった。

 死の直前まで父は元気だった。持病など勿論(もちろん)無い。三十代の父は、母と自分の所に来る時、いつも血色(けっしょく)の良い顔で、満面の()みを(たた)えていた。それが、何故(なぜ)急に亡くなったのか…。

 柘植山(つげやま)殿がその思いに(とら)われるのには理由がある。あれは恐らく父の葬儀(そうぎ)の時、帝代々(みかどだいだい)菩提寺(ぼだいじ)山寺(やまでら)の一室だった(よう)に記憶する。前後の出来事は、最早(もはや)記憶の彼方(かなた)に消え去って憶えていない。ただ、その一事、その一言だけが、彼の脳裏(のうり)にこびり付いている。

「毒に気を付けなされ。」

 寺の一室、七歳の柘植山(つげやま)殿は、母と並んで座っていた。そこに一人の僧が近寄り、母と一言二言、言葉を()わしたのち、僧が母に耳打ちする。

「毒に気を付けなされ。」

 母にだけ聞こえる(よう)に口にした言葉だったが、(そば)に居た柘植山(つげやま)殿にもその声は聞こえた。

 どく?どくって何?

 その時の柘植山(つげやま)殿は、何か子供には分からない、難しい話の一つとしか思わなかった。だが、何故(なぜ)かその(ひび)きが耳に残り、今も頭の中で反響し続けている。

 そして、充分に大人になり、諸事情を理解できる(とし)になった今なら、それが意味する所が想像できる。つまりは、まだ子供の彼自身が、暗殺されるかも知れないと母に警告したのだ。でも何故(なぜ)?父の(あと)は、絶対的有資格者、名門各務織(かがみおり)家の血を引く嫡男(ちゃくなん)五十条(いそじょう)殿で決まりだ。誰にも異論を(とな)える(すき)は無い。その第一継承者たる五十条(いそじょう)殿の身を案じるのなら分かるが、継承順位では末席、天地がひっくり返らない限り即位などあり得ない柘植山(つげやま)殿を(ねら)ったところで、(えき)など何もない。なのに何故(なぜ)あの時、僧は母にそんな事を耳打ちしたのか?何も懸念(けねん)が無ければ、そんな事は言わない。出掛ける人に『お気をつけて』と言うのとは(わけ)が違う。何か異常な事態が、つまりは恐ろしい陰謀(いんぼう)渦巻(うずま)いているのを察知した誰かが、母に警告を発したのに違いない。

 父はその陰謀(いんぼう)のために殺されたのではないか。

 そんな疑念が何となく、頭の中を去来している。柘植山(つげやま)殿は、いよいよこの問題に決着をつけようと思いたち、重い腰を上げた。

 まず最初は、母親に()いてみる事にする。耳打ちされたのは母親だ。事情を知っている(はず)だ。あれから十五年が()っている。その間一度だって、毒どころか危ない目に()った事すらない。つまりあれは、誰かの取り越し苦労だったか、勘違いだったと言う事だ。

三品(さんぽん)様、夕餉(ゆうげ)の用意ができました。」

 柘植山(つげやま)殿を探して女房(にょうぼう)の一人が離宮(りきゅう)の居間に顔を出す。名前で呼ぶのは(はばか)れるのか、女房(にょうぼう)達は、品位(ほんい)柘植山(つげやま)殿を呼ぶ。

「ん、ああ行く。」

「あれ、何か考え事ですか?」

「ああ、明日にでも、母上のご機嫌伺(きげんうかが)いにでも行こうかと思ってな。」

 柘植山(つげやま)殿は、女房(にょうぼう)に先導されて食事が用意された部屋に向かう。

「それは良い考えでございます。さぞ喜ばれるかと。」

「ああ、そうかな。梅も桜もまだ先だ。(いおり)(こも)って念仏三昧(ざんまい)の日々じゃあ、退屈だろう。」

 母親は、夫の冥福(めいふく)を祈るため、仏門に入った。山寺(やまでら)の境内の奥に(いおり)を設け、そこで暮らす毎日だ。

 柘植山(つげやま)殿が座る円座(えんざ)の前に(ぜん)()えられている。焼き魚に煮しめ。無意識に伸ばした(はし)が途中で止まる。

 『毒に気を付けなされ。』

 いや、無い無い。

 柘植山(つげやま)殿は思わず苦笑(にがわら)いを浮かべて、魚に(はし)を突き立てた。


 山寺(やまでら)の一室で親子は対面した。

「母上、お元気そうで何よりです。」

「お前の方こそ、また一段と立派(りっぱ)になった。」

 母と柘植山(つげやま)殿は一頻(ひとしき)り、互いの近況や身近な人の情報を交換し合った。頃合(ころあ)いをみて、柘植山(つげやま)殿は、本題を切り出す。

「父の墓前に線香を手向(たむ)けた(おり)に、思い出した事があるのです。父の葬儀(そうぎ)の日、母上と私、二人でこの寺の一室に居ましたよね。丁度、この部屋の(よう)な所に。」

 柘植山(つげやま)殿は部屋の中を見回す。同じ部屋と言う確信はないが、記憶の中にあるのも、こんな四方を板戸で仕切られた殺風景(さっぷうけい)な部屋だった。

「古い話ですね。そんな事があったかも知れません。」

 母は穏やかだ。

「母と私がいる所に一人の坊さんがやって来て、母上に言いましたよね。毒に気を付けろって。」

 母の表情は変わらない。

「あれ、どういう、意味だったんです?」

「おかしな事を言う。」母の顔にはうっすらと()みが浮かんでいる。「それはお前の思い違いでしょう。」

「いえ、確かに聞いたのです。」

「さあて、そんな事は…」

「一人の坊さんが、母上にこっそり言いましたよね。」

「何を馬鹿げた事を…」

「大丈夫ですよ、今ここには母上と私しかおりません。」

「おやめ。」

 母の声が変わる。幼い頃、悪い事をした時に(しか)る声のままだ。柘植山(つげやま)殿は口を結ぶ。

「良いですか。それはお前の妄想(もうそう)です。(たと)え根拠のない妄想の(たぐ)いだったとしても、そんな事を軽々(けいけい)に口にするものではありません。(わざわ)いを呼び寄せてしまいますよ。」

 母の目が見据(みす)えている。

「はい…。」

 これ以上話しても無駄だ。

 柘植山(つげやま)殿はそれ以上、その話を続けなかった。雰囲気が悪くなったまま別れるのは(しの)びない。違う話題で会話をし、親子の関係を修復してから、彼は山寺(やまでら)を後にした。

 あれは妄想(もうそう)なんかじゃない。確証はない。今日、山寺(やまでら)の中で()いだ(こう)(にお)い。その香の匂いがあの記憶をより鮮明にした。母にこれ以上粘っても無駄だ。あの人は、十五年も前の諫言(かんげん)にまだ(おび)えている。本当にそんな必要があるかどうかも分からないまま。そうだ、きっと父の死に不審(ふしん)な所があるから、母はいまだに(おび)えているのに違いない。

 まだ幼かった柘植山(つげやま)殿は、父がどうして死んだのか知らない。今からでもその状況を知りたい。それならば、父の死に(ぎわ)を見た人に()くのが良い。

「あのなぁ、父の時代に舎人(とねり)をしていた忠三郎(たださぶろう)と言う者に会いたいのだが、今、どうしているのか知らないか?」

 柘植山(つげやま)殿自身は、当時の者の行方(ゆくえ)を知る(すべ)がない。仕方(しかた)なく、離宮(りきゅう)で彼に(つか)える女房(にょうぼう)の一人に相談する。

「はぁ、では、調べて参りましょう。」

 そう言って、女房(にょうぼう)柘植山(つげやま)殿の前から下がった。女房(にょうぼう)は、さもない顔で忠三郎(たださぶろう)と言う男の居場所を翌日には仕入れて来た。

式部省(しきぶしょう)に勤めている息子に家督(かとく)(ゆず)り、最早(もはや)官職には()いておらぬ(よう)です。」

「ああ、そうか。まだ存命なのだな。」

「はい。その様に(うかが)っております。」

随分(ずいぶん)早く調べられるんだな。何か奥の手があるのか?」

「いえ、その(よう)なものは。」女房(にょうぼう)は口元を隠して笑う。「私共(わたくしども)下々(しもじも)の者は下々なりにお互い知り合いです。それで、これはと思う女房(にょうぼう)()いてみただけの事にございます。」

 彼女等には、横の(つな)がりがあると言う事だ。内裏(だいり)公家(くげ)の屋敷、市中の出来事、必ずどこからか(うわさ)()き出し、それが(またた)()に彼女達の間を走り抜けるのに違いない。女房(にょうぼう)を使用人と馬鹿にしてはいけない。柘植山(つげやま)殿は何かしら背筋(せすじ)に寒いものを感じる。

「すまないが、一度会ってみたいと先方に伝えてくれ。」

「それは急なお話で。忠三郎(たださぶろう)も、三品(さんぽん)様のお呼び出しとなれば驚きましょう。一体どのようなご用件でしょうか。」

「いや、ちょっとした気紛(きばぐ)れだ。父が亡くなったのは、私が七歳の時だった。何だか良く分からない内に葬儀(そうぎ)()り行われて、お(しま)いだった。当時の父の様子について()いてみたいと思ったのだ。」

左様(さよう)ですか。では、そのように伝え、近々(きんきん)(まい)(よう)に致します。」

 女房(にょうぼう)の動きは素早かった。数日のうちに忠三郎(たださぶろう)離宮(りきゅう)に参上した。

 忠三郎(たださぶろう)と言う男は、ぼさぼさの白髪頭(しらがあたま)で、老いさらばえて歩くのすらおぼつかない。内裏(だいり)参内(さんだい)していた頃の姿を想像するのすら難しい。しかし、柘植山(つげやま)殿の心配を他所(よそ)に、話し始めてみれば、受け答えはしっかりしている。

「遠い所、苦労を掛けた。」

「このように老いた身でも、お役に立つ事がございましたら、幸せです。」

忠三郎(たださぶろう)は、父の時代、舎人(とねり)であったのだな。」

「はい。お聞きしました、御父上様のお話を伺いたいとの事で。」

「ああ、その件だ…。」

「ご殊勝(しゅしょう)な心掛けにございます。亡き先代様の御威光(いこう)は、(わたくし)(よう)な者の言葉では表し尽くせませんが、できる限り、その偉大さを御前(おんまえ)にご披露(ひろう)してみたいと存じます。」

「済まないな、それで…」

(みかど)様は、歴代の中でも、とりわけ活力に(あふ)れていらっしゃいました。今の柘植山(つげやま)様の(とし)の頃には、若い力が(みなぎ)っていると申しますか、やる気が満ち(あふ)れているのが、(わたくし)の目にも(まぶ)しいくらいに映りました。どんな小さな件でも(おろそ)かにせず、ご自身で聴き、御差配なさらなければ納得なさらないと言いますか、御政道はこうあるべきと言う信念をお持ちでした。」

 隠居して話し相手がおらず、うずうずしていたのか、はたまた、先帝の話を聞きたいと事前に聞いてしっかり準備して来たのか、忠三郎(たださぶろう)は一度話し出したら止まらなくなった。柘植山(つげやま)殿の言葉など耳に入らない。

「新しい事も大胆に実行なさいました。それまでの仕来(しきた)りに縛られないと言いますか、周りの者の目など気にしないと言いますか…、その行動には、なにか確固たる信念の(よう)なものを感じました。そう、(たと)えば、それまで朝廷で実績のない、西国の武者を検非違使(けびいし)少尉(しょうじょう)に任命されたり、はたまた東国の武者に、ポンと従五位(じゅごい)()の官位をお与えになられたり…、どちらも、どんな(やから)なのか、公卿(くぎょう)様方を始め、内裏(だいり)の者で知る者は一人も居ない(よう)な状態で、各務織(かがみおり)様を始め、皆、(ひど)い驚き(よう)でした。(しま)いには、どこぞの野盗(やとう)とも知れぬ(やから)に貴族の階位を与えるのかと、騒ぎ出す方々もおりましたが、(みかど)は、それらを(すべ)て退けて、毅然(きぜん)としていらっしゃいました。いやはや、その行動力たるや、私共(わたくしども)は目をみはるばかり…」

忠三郎(たださぶろう)忠三郎(たださぶろう)。」

(あま)りに急なご裁量に私共(わたくしども)は、只々(ただただ)、ついて行くので精一杯で…」

忠三郎(たださぶろう)!」

「はい…。」

 (ようや)く止まった。柘植山(つげやま)殿に大声を出された忠三郎(たださぶろう)は、(はと)が豆鉄砲を食らった(よう)な顔をしている。

「お(ぬし)の父に対する思い、しかと感じ取った。つまり父は、何でも自分で決めようとしていたのだな。」

「はい。そう言えば、重陽節会(ちょうようのせちえ)(9月9日に催される饗宴(きょうえん))の(おり)にも…」

忠三郎(たださぶろう)!」

「はい…。」

「もう、分かった。…ところで、父の最期(さいご)をお(ぬし)は見ていたか?」

「…と、おっしゃいますと?」

「父は、宮中(きゅうちゅう)急逝(きゅうせい)したと聞いている。私が対面したのは、最早(もはや)亡骸(なきがら)になった父の姿だった。お(ぬし)は、父が(まさ)に死を迎える瞬間に立ち会っていたのか?」

「はい…」忠三郎(たださぶろう)は、肩を落として項垂(うなだ)れる。「その日の事は、思い出すのも()ろうございますので、思い出さない(よう)にしてきましたが、ご所望(しょもう)でございましたら()むを()ません。お話致します。」

「済まないが、聞かせてくれるか。」

「…柘植山(つげやま)様もご記憶かと思いますが、あれは、暑い晩でした。夕餉(ゆうげ)の後、程無(ほどな)くして急に倒れられました。食べた物を戻されて、あれよあれよと言う間に、言葉がおぼつかなくなられ、意識も遠のかれてしまいました。(とこ)の準備をして寝かしましたが、薬師(くすし)が到着する頃にはもう…。」

 忠三郎(たださぶろう)項垂(うなだ)れたまま、黙り込む。

「そうか…。あっけないものだな。」

 つい、柘植山(つげやま)殿もしみじみして(つぶや)く。

「それまでは本当にお元気で、明日は暑気払(しょきばら)いに出掛けようかなどと笑っておっしゃってられたのです。」

「うん、そうだったか。」

柘植山(つげやま)様」忠三郎(たださぶろう)不意(ふい)に顔を上げて訴える。「しかし、誤解なさりませぬよう。」

「ん?」

「先代様は、ご先祖を(おろそ)かにする(よう)なお方ではございませんでした。きちんと山寺(やまでら)に行かれて、菩提(ぼだい)(とむら)っておられました。決して(たた)りなどではございません。」

「うん、承知している。」

 忠三郎(たださぶろう)の言葉の背景には、若山路(わかやまじ)帝が崩御(ほうぎょ)した後、宮中(きゅうちゅう)に流れた(うわさ)がある。(いわ)く、若山路(わかやまじ)帝は、歴代帝の供養(くよう)(ないがし)ろにした。先々代の法要(ほうよう)を行なわずに花見に出かけた。先代の法要では、(きょう)を途中でやめさせてしまった。そうした先祖を大切にしない行ないを(いさ)めるため、(みかど)夢枕(ゆめまくら)菩薩(ぼさつ)様が立たれた。それまでの行ないを()いて、先祖代々、帝が行なってきた仕来(しきた)りを守り、(みかど)を思う忠臣を大切にせよと(いまし)めた。しかし、(みかど)は意に介さず、行ないを改めなかったために、(つい)天罰(てんばつ)が下った…。

 忠三郎(たださぶろう)に心配されなくても、そんな事、柘植山(つげやま)殿は信じていない。彼が(とら)われているのは、『毒に気を付けなされ』と言う一言だ。こうやって忠三郎(たださぶろう)の話を聞いてみて、柘植山(つげやま)殿自身気付いた事は、本当は誰かに柘植山(つげやま)殿自身が感じ続けている恐れを払拭(ふっしょく)して欲しいのだ。(たと)えば、忠三郎(たださぶろう)が父の死際(しにぎわ)について、『隠していたけれど、本当は重篤(じゅうとく)な病を持っていて、そのために亡くなった』と言ってくれれば、ああ、なんだ、自分の恐れは杞憂(きゆう)に過ぎず、何の心配も()らないんだと安心できる。本当は、そんな風な父の最期(さいご)の様子が忠三郎(たださぶろう)の口から()れるのを無意識に期待していた自分に気付かされる。だが、期待は裏切られた。忠三郎(たださぶろう)が話した父の最期は、毒を盛られたとしても充分に成り立つ。柘植山(つげやま)殿は、何だか落ち着かなくなってくる。

(みかど)の食事には、薬子(くすりこ)と言う毒見役(どくみやく)がいるのだよな。」

「はぁ、…はい。」

 急に話が飛んで、忠三郎(たださぶろう)生返事(なまへんじ)をする。薬子(くすりこ)後宮十二司(こうきゅうじゅうにし)の一つ、薬司(くすりのつかさ)女官(にょかん)の役目と決まっている。

「父の食事は、いつも薬子(くすりこ)毒見(どくみ)をしていたのだろうか。」

「はい、それは勿論(もちろん)でございます。」

「うん、そうだよなぁ。」

 毒見役(どくみやく)がいるのだから、食事に毒が盛られれば、()ぐに露見する。そんな浅はかな(たくら)みをする馬鹿は居ないだろう。

 忠三郎(たださぶろう)が帰った後、一人になった柘植山(つげやま)殿は頭を整理しながら、何とか自分を納得させようとした。だが、(かえ)って気になる。忠三郎(たださぶろう)の話した父の最期は、食事に毒が盛られていたとしても成り立つ(よう)な、いや、如何(いか)にも毒が盛られていたかの(よう)な最期だ。(かえ)って柘植山(つげやま)殿の不安は高まってしまった。

 数日して、柘植山(つげやま)殿は、また女房(にょうぼう)の一人を(つか)まえて、話し掛けた。

「先代の(みかど)の時に、薬子(くすりこ)をしていた者が誰か、知っている者はいないだろうか。」

三品(さんぽん)様、また何やらおかしな事をお考えになっていらっしゃる。内裏(だいり)に記録が残っているのと違いますか?」

「ん~、まぁ、そうだろうが、私が行って調べていたら、目立ってしょうがないだろ。」

「それは、そうですね。」

 女房(にょうぼう)はクスクスと笑う。

「すまないが、誰か調べられそうな者に、内緒(ないしょ)で調べてもらう事はできないだろうか。」

「たいそうなお話ですね。なにかご心配でも?」

「いや…。私のちょっとした()()らしだ。深刻な話ではない。」

()さですか。それなら、今度、各務織(かがみおり)様のお屋敷で(うたげ)(もよお)される(よし)にございます。お公家(くげ)の皆様がお集まりになり、盛大な(うたげ)になります。三品(さんぽん)様も出掛けられてはいかがでしょう。」

「こんな寒い時期にか。花がある(わけ)でもないのに、酔狂(すいきょう)な話だな。」

「さて、そればかりは分かりかねます。雪見の(うたげ)ではないでしょうか。」

「雪見か、()(ほど)。」

「都で人気の白拍子(しらびょうし)も呼んで、(はな)やかな(まい)を見せるとか。良い憂さ晴らしになりましょう。」

「宴か…」

 確かに、こうやって、離宮(りきゅう)の中に引き(こも)っているから、色んな妄想(もうそう)を抱いてしまうのかも知れない。華やかな宴の席でパァっと(はじ)けてしまえば、恐れなどどこかに飛んでしまいそうにも思える。

 だが。

 今はそんな気分になれない。これで、頭を悩ませている恐れが、単なる妄想(もうそう)だと片付いてしまえば、その時こそ、好きなだけ(はじ)けられる。

「やっぱり、今はやめておくよ。」

「そうですか…。私共(わたくしども)は、各務織(かがみおり)家の者から、宴の(おり)は人手が足りないから助けてくれと言われておりまして、三品(さんぽん)様が行って頂ければ、私共(わたくしども)(すけ)()(やす)いと思ったのですが、私共(わたくしども)と共に白拍子(しらびょうし)()に参りませんか?」

 要は、女房(にょうぼう)自身が白拍子を一目覗(ひとめのぞ)いてみたいのだろう。

「私に構わなくて良い、各務織(かがみおり)殿の宴なら、大層(たいそう)人が集まるだろう。みんなで助けに行ってやると良い。私は、離宮(りきゅう)留守番(るすばん)しているから。」

「それでは、私共(わたくしども)のお(つと)めが…」

「良い、良い。一日くらい何でもない。あ、夕飯の準備だけはして行ってくれ。そうしてくれれば、後はこっちで勝手にやるから。」

「では、誰かひとり残りましょう。」

「いや、本当に良いから。一人、和歌の創作に頭をひねっているさ。」

「そうですか、ありがとうございます。薬子(くすりこ)を調べる件、それでは、誰か適当な者を見繕(みつくろ)って調べさせます。」

「うん、そっちはしっかり頼むよ。」



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