招かれざる客 その一
十二 招かれざる客
東国、笠階宇木正への勅使は、直ぐに準備が整えられ、九月に都を発った。一行は、二十人を超す多人数になった。勅使そのものは一人だ。だが、みすぼらしい修行僧一人の旅とは違う、貴人の旅だ。途中で賊に襲われないよう警護の武者が数人、勅使と武者の世話をする下人、貴人の生活に必要な物を運ぶ人足、更に食事を作る係…。街道整備と治安が不充分な時代、長距離の旅は一大事業だ。
勅使は馬で行くが、日頃は都で暮らしているだけの軟弱な体、少し進んでは休憩、少し進んでは食事と、まるで進まない。都暮らしに慣れて、自分が行きたい訳でもない辺境へ遣いに出された勅使は、始終愚痴をこぼしてばかりいる。これでは随伴する者達の気力も削がれて、歩みが進む筈もなかった。
悟正はずっと悩んでいた。五十条帝の言うままに笠階宇木正と山吹を都に連れて行けば、良い事は一つもない。名誉欲に支配されている郷巻興嶽は、自分を差し置いて笠階宇木正が帝に謁見するなど、我慢できないに違いない。山吹にしても、想い人がいるにも関わらず、都に行けば宮仕えを強要される。帝は宇木正や本人にその意思があればと言っていたが、帝が薦める事を誰が拒否できるだろう。側室してしまうかは微妙だが、娘盛りの上に、帝が興味を持った常人にない能力を持っているとなれば、きっと帝は自分のものにしたいと思うに違いない。いや、既にそのつもりなのだろう。それが分かっていて、自分は不幸を呼び込む使者として遣わされている。何とか、八方うまく収まる方策は無いものか。勅使一行が亀の歩みなのは幸か不幸か。悟正が悩み抜くのに充分な時間はあるが、答えが出ない悩みを抱える時間がそれだけ長くなっているに過ぎないとも言える。そうして、気の重い旅は二ヶ月に及んだ。
悟正が重い足取りで東国を目指している頃、遥か北の痩せた大地で、谷子呂は漸く土薙忠隆の居場所を突き止めていた。夏の終わりに始めた探索だったが、既に秋が深まり、北の地では紅葉から冬枯れへと山の装いが変わり、木々は雪に備え始めている。
海にへばりつく様に連なる幅の狭い平地に、切り倒した木をそのまま組み合わせて骨組みとし、周囲を獣の皮で覆った粗末な造りの家が固まって建っている。数百人が暮らす蝦夷の集落だ。冬の到来を予感させる強い北風に晒される集落は、如何にも侘しい。吹き晒しの平地を避け、近くの森の中から谷子呂は集落の様子を窺う。
海は荒れているが、食うために漁に出たのだろう。数艘の小舟が、波に翻弄されながらも浜辺へと近づき、陸に乗り上げる。浜辺で舟を待ち構えていた集落の住人達は、ぞろぞろと舟に近付いて行く。舟に乗っていた者も加わり、丸く輪を作って、足元の釣果を見下ろしている。暫く何やら輪の中でやりとりをしていたが、一人二人と、輪を離れて自分の家に戻って行く。手には取れた魚介類の分け前を抱えている。その中の痩せた中年の女が一人、小さな魚を数匹手に提げて、谷子呂が隠れている森に一番近い家へと向かって来る。女は家に向かって何やら声を掛けている。その声に応じて男が一人、家の中から現れる。頬骨が出た顔の、頬から下が髭で覆われている。髪の毛は白髪が目立ち、手足は骨と皮だけの様に痩せこけてしまった。一縄の家人だった頃の周囲を威圧する雰囲気が消えうせ、すっかり老いぼれている。だが、間違いない。あれが土薙忠隆だ。
忠隆と女は、寄り添って家の中に消える。漁の獲物を分け終えたのか、一人残らず舟を離れ、浜には引き揚げられた舟だけが残される。寒風吹きすさぶ屋外に残る者は居ない。みな夫々の家の中へと消え、集落は静まり返る。
それらを見届けてから、谷子呂は森を出た。風で枝から引き剥がされた落ち葉が吹き溜まり、谷子呂が足を踏み出す度にザクザクと音をたてる。それに構わず、忠隆が消えた家の前に回り込むと、一気に扉を開けて中に踏み込む。家の中は地面の上に直に筵を敷き、更にその上に獣の毛皮を敷いてある。毛皮と布で覆っただけの粗末な家では絶えず火を焚いていなければ、寒さに耐えられないのだろう。中央には焚火が赤々と炎を上げている。薄暗い家の中で忠隆と女は焚火に向かって座っていた。
突然踏み込んで来た谷子呂を見て悲鳴を上げたのは忠隆だった。反射的に背後においていた太刀に飛びつく。そうはさせじと、谷子呂が駆け寄り、太刀を足で蹴り飛ばす。女は突然の出来事に驚いて動く事もできずにいる。太刀を取り損ねた忠隆は、四つん這いで飛ばされた太刀を求めて這う。谷子呂は大股で忠隆に追いつくと、先に太刀を取り上げてしまう。
「ひいぃ。」
忠隆は向きを変え、転げる様に家を飛び出す。左手に取り上げた太刀を提げて、谷子呂も忠隆を追って外に出る。
「う、宇木正の刺客だな。頼む、頼むから命は助けてくれ。」
忠隆は強い風が吹き抜ける冷たい大地の上にひれ伏す。一縄正虎の家人としての威勢はどこに消えたのか。無様に命乞いをする姿を谷子呂は仁王立ちで見下ろす。
「お前の答え次第だ。俺の知りたい事を教えろ。包み隠さず話せば、殺しはしない。」
「あ?」
訳が分からず、忠隆が顔を上げて谷子呂を見上げる。晴れた空が目に入り眩しそうにしている。
「ここでは寒いだろう。部屋で話そう。」
谷子呂は顎で出てきた家を指す。忠隆はまだ状況が理解できない。下手に気を許せば、切られてしまわないかと、疑心暗鬼になって谷子呂を見上げている。
「…おめぇ。」
谷子呂の目が常人よりも大きい事に漸く気付き、震える人差し指を谷子呂の顔に向ける。
「さあ、さっさと戻れ。」
谷子呂は左手に持った太刀の鞘で忠隆の尻を叩き、元居た家へと追い立てる。
「おめぇ、やっぱ、宇木正の刺客だな。」家へと追い立てられながら、忠隆が口にする。「ユニ族の男が笠階の郎党にいると聞いとった。」
「今、笠階は関係ない。お前と俺が話している。命が惜しいなら、全て話してしまう事だ。」
「何の事か知らねぇが、不意打ちを食らわすたぁ卑怯だぜ。」
「お前が言えた事か。そもそも殺し合いに卑怯も高潔もない。どうやろうが、勝った者が正義だ。」
「やっぱ、俺を殺す気か。」
「さっきも言った。殺しはしない。但し、俺の聞きたい事を正直に話せばだがな。」
家の中に入り、忠隆を戸口から見て左側に座らせる。谷子呂は戸口を背に座り、忠隆の逃げ道を塞ぐ。腰に付けた蕨手刀を左手で抜けば、直ぐに忠隆に切りつけられる位置を取る。忠隆から奪った太刀は、家に入る前に遠くに向かって放り投げた。女は訳も分からず、戻って来た忠隆の背後にすがり付く。蝦夷の女だ。忠隆と谷子呂の言葉が分からないのかも知れない。忠隆は座っているが、如何にも居心地が悪そうだ。
「話ってなんだ。何が訊きたい。」
忠隆が喧嘩腰に言い放つ。
「昔、ユニ族の村を焼き討ちしただろ。」
「そうか、その話か。成る程…、おめぇ幾つだ。ずっと宇木正に、良い様に騙されてたんだろ。そんでこんな所まで俺を追って来たってか。ご苦労な事だぜ。」
「詮索などしても役に立たないぞ。」
「言っとくが、やったんは俺じゃねぇぞ!」
「言い訳は良い。」谷子呂は蕨手刀の柄に手を掛ける。「村を襲う事になった経緯を詳しく話せ。」
谷子呂の黒い大きな目に見据えられて忠隆が語った経緯は、次の様な物語だった。
一縄正虎がユニ族の村の焼き討ちを言い出したのは、百足原の合戦で一縄が負け、師谷上野の乱があってから八年も経った年の事だった。
「ユニ族の隠れ里を潰す。」
居並ぶ家人を前に若き正虎は言い放つ。突然、何の繋がりも無く出た言葉に、家人達は戸惑う。
「何故、急にその様な事を?」
皆の疑問を代表して、笠階宇木正が質問する。
「奴等は、師谷上野親子の逃亡を助けた。その罪には報いが必要だ。」
そう言われても、家人達の間で合点のいく者は居ない。その上、八年も前の出来事だ。未だにその恨みを正虎が抱き続けていた事も、家人達を驚かせる。
本当にユニ族が逃亡を手助けしたのだろうか?ユニ族は他の人間と関わる事を嫌い、山奥に隠棲している部族だ。師谷と親交があったと言う話など聞いた事も無い。だが、それを正虎に問い質せない。少しでも疑問を挟む様な事を言えば、きっと激高するだろう。
「漸く軍勢も整ってきたところ、郷巻との対決に集中してはいかがでしょう。」
宇木正が静かに言う。
「ああ、そう。」珍しく土薙忠隆も同調する。「そんな、なんもできねぇ様な奴等放っといて、はええとこ郷巻をやっつけようぜ。」
「馬鹿者!一縄に仇なす者に与すとどういう目に遭うか、知らしめておくのだ。郷巻との一戦より前に、禍根を絶つ。」
忠隆は眉を上げて黙る。宇木正はそれでも食い下がる。
「ユニ族は、常人では見えない闇夜でも見る事ができると言います。郷巻との戦いを前に、屠ってしまうのは勿体ない。仲間に引き入れてはいかがでしょう。」
「宇木正、どうやって奴等を説得する?ユニ族は、迫害を避けて山に入ったそうじゃないか。そんな連中が、おいそれと味方に付く筈は無い。」
「ですが、もし手足となれば、郷巻に夜襲を掛けられます。郷巻の寝首を掻くのも可能でしょう。」
「ユニ族を万一仲間にできて、連中が活躍したとする。周囲の者達は、一縄は仇敵を助けた輩を簡単に赦し、しかも重用していると噂するだろう。それは、たとえ一時一縄に反しても、改心さえすれば後で赦されると言った間違った考えを広める事になる。それ程易々と取り込まれる正虎ではない!そう巷に知らしめるのだ!」
正虎は眉を吊り上げて、宇木正を睨む。
これでは議論にならない。遂に宇木正も黙り込んだ。
「良いか、徹底して討ち取れ!女子供も容赦するな!家と言う家を焼き尽くせ!宇木正。」正虎は再び、宇木正を睨み付ける。「お前が先陣を切れ。」
宇木正は黙って、頭を下げる。
「忠隆。」今度は忠隆を睨み付ける。「お前も出陣しろ!」
「へい。」
たかが山あいの寒村にそれだけの兵力が必要とは思えない。そこには、正虎の強い恨みが滲んでいる。
宇木正と忠隆はそれぞれに兵を興し、列を成して山を越え、遠いユニ族の村を目指した。ユニ族に兵力は無い。だが、襲撃すれば、それなりに農具を武器に換えて抵抗するだろう。軍は最後の峠を越える前に物見を出し、村の様子を探らせた。
「村はのどかなものです。子供達が村の広場で遊び、女達は、近くの小川に集まり、洗濯をしながら世間話をしています。男達の姿は少なかったのですが、恐らく山に猟に出ているか、少し離れた畑に行っているのでしょう。」
物見から戻った雑兵の報告からは、何の懸念も感じ取れない。最後に雑兵は付け加える。
「本当にあの村を攻める必要があるのですか?一縄領から遠く離れた地に住む者など、放っておいても問題ないのではないでしょうか。」
報告を受けて、宇木正と忠隆は協議した。
「見張りすらいない村だ。」先に忠隆が意見を言う。「そもそも、戦をする気が無い。そんな村、放っといて帰ろうぜ。親方にゃ、首尾よく済ませたって言っとけば良いだろ。奴等が俺達に関わらねぇ以上、分かりゃしねぇ。」
「我等の障害になる様な村ではないが」宇木正は真剣な顔で反論する。「ここまで来て、何もせずに帰っては、連れて来た武者達をどうする。人の口に戸は立てられない。何もしなかった事が、いずれ親方の耳に入るぞ。」
「そんじゃ、呑気に暮らしている連中を血祭りにあげんのか。」
「仕方ない。それが親方の御指示だ。」
「おりゃ、やめた。武芸の稽古にもなんねぇ。やりたきゃ、おめぇん所の武者でやんだな。」
「さっきも言ったが、人の口に戸は立てられない。俺が言わなくても、お前が何もしなかった事は、いずれ親方の知る所になるぞ。」
「構いやしねぇ。お前が目的を果たしてくれりゃ、役目は終わる。怒られはすんだろうが、大事にゃなんねぇさ。」
忠隆はカラカラと笑って見せる。
次に攻め方を決める。夜襲は、夜目の利くユニ族にむしろ有利だ。日中は畑や山に出ている者がいて、討ち漏らしが出る。日中に峠を越え、村人達が帰って来る夕方を期して攻め込む。宇木正の軍で村を二方向から攻め、忠隆の軍は畑や周囲の山の中に散開し、残っている村人を村に追い立てる役を担う事になった。
山あいの窪地に村はある。次の日の夕方に、村が見える山の斜面に兵を展開した。宇木正の合図で一斉に騎馬武者が斜面を駆け下る。何の警戒もしていなかった村に、易々と入り込む。突然現れた騎馬武者に驚いている村人達を、片っ端から切り殺していく。相手を選別する必要は無い。動いていると認識した者には、容赦なく刃を突き立てる。徒歩の雑兵は、家々に火を点けて回る。家の中に逃げ込んで隠れた者は、家と一緒に焼かれる運命だ。これは戦ではない、単なる殺戮だ。夜になれば、目の良いユニ族に有利になる。村の中に打ち漏らした者がいないか確認して、日が沈み切る前に村から引き揚げた。峠から振り返れば、村に放たれた炎が天高く燃え上がり、周囲を明るく照らしていた…。
「宇木正は真面目な男だ。」忠隆は、敷かれた毛皮の上で胡坐をかき、上体を前に倒した姿勢で淡々と話す。「親方に命令されりゃあ、手を抜く事をしねぇ。それであんな結果になったってこった。…話はこんなとこだ。」
忠隆はそこまで話して、口をつぐむ。
「詳しい話が聞けて助かった。」
谷子呂は焚火の炎を見つめて呟く。
「そういやぁ、おめぇはどうして生き残った。」谷子呂に殺意が無い事で安心したのか、忠隆の口は軽くなる。「あんな、こてんぱんにやられた村で生き残れる所なんざねぇだろう。…そうか、おめぇはあの村におらんかったか。いや、だとしたら、どうして宇木正なんかに使われとる?」
「お前が気にする事じゃない。」谷子呂は冷たく言い放つ。「その上、お前は一つ嘘をついた。」
谷子呂は視線を忠隆に向ける。大きな二つの目が忠隆を咎めている。そのまま徐に背中から蕨手刀を抜く。
「な、なんだ、おめぇ、俺は正直に話したぞ。殺さねぇ約束だろが!」
忠隆は、右手を前に突き出して、女もろとも後ずさる。
「周囲の山に散開して村の襲撃に参加していなかった割には、傍で見た事の様に襲撃の様子を話すじゃないか。第一、お前は人を殺せるって時に、傍で黙って見ていられる様な性格じゃない。」
谷子呂が抜き身の蕨手刀を左手に握り、ゆっくりと立ち上がる。
「ほ、本当だ。本当におらぁ山ん中で、村人がいねぇか探してたんだ。」
「山狩りにお前の兵全部は必要ない。一部の兵に命じて、探らせただけだろう。」
「違う。一人も残しちゃならねぇと、俺の郎党総出で山狩りを…」
「俺は襲撃が終わった直後に村に入った。村までの山に兵は一人もいなかった。それに、俺以外にも山に隠れていて助かった者がいる。」
「そんな、あの村で生き残れるなんて…」
谷子呂が蕨手刀を一閃、振り下ろす。忠隆が叫び声をあげて、自分の右腕を引き寄せる。断ち切られた右腕の手首から先が宙を舞い、部屋の隅でボトリと鈍い音を立てて落ちる。その様子を見た女は、悲鳴を上げて忠隆を離れ、部屋の隅へと転がる様に逃げる。
「ぐわぁ…」
忠隆は左手で己が右腕を掴み、激痛に悶絶する。
「その女に手当てしてもらえ。お前も、運が良ければ、俺の様に助かるだろう。」
谷子呂はそう言い残すと、滑る様に戸口を出て姿を消した。




