都詣で・都落ち その一
二 都詣で・都落ち
東国を発って、ひと月をかけて郷巻興嶽は都に到着した。東国を発したのは年の暮れであったから、旅の途中で年が変わり、都に着いた頃には松の内もとうに過ぎ去っていた。時間を要した原因の一つは、大量の手土産を背に載せた馬を連れていたからだ。手土産は、有力な公家に会って味方に付け、あわよくば官位官職への推挙を頼み込むための物だ。頼みになるのは、公家・安芸泉兼実。興嶽の父・青鷹の時代に親交があり、青鷹が郡司の役と、官位従五位の下を賜ったのは、この公家の力があったからだと興嶽は信じている。
さて、都に上って来たは良いが、着いて直ぐに興嶽は困り果てていた。都に知り合いは居ない。いきなり安芸泉の屋敷に行ける筈もなく、まずは、身を寄せる場所を確保して遣いを出し、相手が良いと言う日に訪ねなければ、礼をわきまえない愚か者として、門前払いにされてお終いだ。広大な領地を有し、東国で並ぶべき者の無い郷巻興嶽であっても、都に来れば知る人もいない田舎武士の一人に過ぎない。
興嶽にとって、これは二度目の都だった。百足原の合戦で父の青鷹が一縄雷に勝利して、東国の戦乱が治まった後、父に連れられて来て以来だ。あの時、都の華やかさに魅せられ、東国にも都の様に賑わう町を実現しようと努力してきた。だから無暗に戦を仕掛ける様な事をせず、朝廷の意に沿う様にして富を蓄えてきた。興嶽が暮らす郷巻の本領は、興嶽の代で大きく賑やかになったと自負していたが、こうやって都のそれを目の当たりにしてしまうと、雲泥の差である事を思い知らされる。
郷巻興嶽と言う男、その容貌からして都人の様にも見える。小柄で色白、凹凸の少ないうりざね顔をしているから、高価な服を着せて、牛車にでも押し込んでおけば、どこぞの貴族と間違われるだろう。興嶽自身がその容貌を自覚しているから、元は都の貴族につながる血筋と勝手に称して、土を手にする野良仕事は全て郎党達に任せ、自らは屋敷で蹴鞠や和歌の練習と、貴族の真似事に精を出している。そんな努力が、安芸泉兼実との面会で実を結ぶなら無駄ではない。
都は、父の青鷹に連れられて来た十五年前とは様変わりしている。微かな昔の記憶など当てにならない。都人の鮮やかな衣装や、見慣れぬ商品を売る店に目を奪われながら進み、供の郎党が通りがかりの人に声を掛けて道を尋ねるが、東言葉がなかなか通じない。終いには、白い目で見て、逃げ出す人まで出てくる。それでもなんとか宿屋の場所を訊き出し、腰を落ち着ける事ができた。
興嶽は、宿から安芸泉の屋敷に遣いを出した。父の代に世話になったが、久しくご挨拶にも伺わずに過ごしてしまい失礼をした。この度、都に来る機会が持てたので、ご挨拶にお伺いしたい、と書いてやった。遣いは直ぐに帰って来たが、主は所用で忙しいため、追って遣いを寄こすとの返事。そう簡単に事が進むとは思っていなかったが、それから一日、二日、と音沙汰なく、五日を過ぎた時に、漸く安芸泉兼実からの遣いと言う者が、次の大安の日に屋敷を訪ねて来られたしと言う旨の知らせを持って来た。
次の大安の日と言えば、四日先だ。結局十日にも及んだ待ち時間。ひと月もかけて都まで来たのだから我慢するしかないが、何もする事の無い日々は、興嶽の忍耐力が試されている様だ。日々溜まっていくイライラは、大安の日には限界に達していた。
「兼実でござる。遠路はるばる、よく来られた。」
安芸泉の屋敷を訪ね、更に半時待たされて漸く現れたのは、赤ら顔の小男だった。両頬だけでなく、鼻の頭まで赤い。男が部屋に入って来た時は、頭を下げていたから気付かなかったが、顔を上げて男と対面すれば、そこばかりに目が行く。この男に見覚えは無い。いくら小さい頃の記憶だったとしても、見た事があるかくらいは分かりそうなものだ。きっと、自分が父の跡と継いだ様に、この男もまた、先代の跡を継いだのだろう。と言う事は、父・青鷹が世話になったのは、この男の父親だったか。
「父、青鷹存命中は、懇意にして頂いたにも関わらず、長い間ご挨拶にも参らず礼を欠きました。」
最初は男の赤ら顔ばかりが気になっていたが、喋りながら興嶽は、兼実の両目がひどく離れていて、一体どこを見ているのか分からない事に気付いた。そうなると、今度はそればかりが気になる。相手の顔をまじまじと見続けている訳にもいかない。言い終わって、興嶽はもう一度深々と頭を下げた。
「ま、ま、そうかしこまらずに。こうべを上げなされ。…たいそうな土産を頂き、お礼申し上げる。」
兼実は、儀式で祝辞でも読む様に、感情のこもらない言葉を吐く。
「常より、我等の様な田舎者にも温情をかけて下さる安芸泉殿への心ばかりのお返しでございます。父の跡を継ぎ、郡司として務めて参りました。ご支援の甲斐あって、東国は平穏無事にございます。」
「ほう…、それは何より。」
この男、上の空で聞いては居まいか。少し、刺激を与えてやれ。
興嶽の中に溜まった鬱憤が、頭をもたげる。
「ところで、都の警備などは、いかがでしょう?」
「なに?」兼実は何やら不安気な声になる。「…何の話かの?」
「私の様な者は、戦の勝手ばかりが取り柄。平穏になれば、私は東国で無用の長物。もし、都の警備のお役に立つなら、恩返しもできようかと愚考した次第です。」
つまりは、都の治安維持を担当する検非違使に、自分を取り立てないかと言っている。先代の帝・若山路帝の時代、武者は重用された。西国の武将が検非違使の少尉に任じられた事は、当時幼かった興嶽も伝え聞いている。
「いやいや。」兼実が慌てる。「それには及ばぬ。都は至って平穏。郷巻殿のお力を借りるまでもない。」
「左様ですか。それ以外でも、何かお困りの事があれば、何なりと。」
「いや、特にこれと言って、今は何も無い。気を遣われるな。それより、久方ぶりに都まで来られたのであろう。冬は花も無く多少物足りなくもあろうが、ゆるりと都見物でもされて帰られるがよい。…私は内裏に行かねばならぬ故、済まぬがこれで。下人に宿まで送らせよう。」
そう言うと、安芸泉兼実は興嶽と目を合わさずに立ち上がり、使用人を呼ぶ。興嶽は、ここで無理に粘って兼実との縁が切れては元も子もないと、素直に安芸泉の屋敷を後にした。
安芸泉家の下人は帰り道、郷巻興嶽の乗った馬を牽きながら、徐に話し掛ける。
「お武家さんも、何かお頼み事があって来られたので?」
「なんだ、『も』とは、他にも良く兼実殿を訪ねて人が来るのか?」
下人の言葉を無視せず、馬上から興嶽は言葉を返す。
「へい、時折。…お武家さん、首尾はいかがでしたい?」
「ふん。良い様にあしらわれた。」
興嶽は警戒もせずに、ありのままを口にする。
「そりゃあ、お気の毒で。…でも、他にもお公家さんは沢山いる中で、何故、安芸泉様を頼りになさったんで?」
「もう、十五年も前になるな。俺の親父が安芸泉殿に世話になった。蔑ろにしたつもりはないが、間が空き過ぎたな。」
「十五年前ですかい。…その頃はようございました。先代の帝の頃の安芸泉様は、あっしの目から見ましても、ご活躍なされていらっしゃいましたから。今の帝が即位されてからは、どうも芳しくない様で。」
「そうか、帝の代替わりか。」
帝の崩御は、東国にも知らせが届く。とは言え、都から遠く離れた地だ。その重要性も影響も高が知れている。そんな知らせは、興嶽の頭の片隅にも残っていない。だが、直接関わる公家達にとって大問題なのは想像できる。きっと、微妙なバランスを保っていた朝廷内の力関係は、帝の死によって脆くも崩れ、劇的に変わる事もあるのだろう。その点は、武家にしても同じ事だ。父青鷹から興嶽に代替わりした折は、郷巻を支える一族郎党、家人達に混乱は無かった。しかし敵対する一縄は、百足原の合戦で一縄雷が急死すると、有力家人の離反が起きた。一縄正虎が配下を纏め直し、落ち着きを取り戻したのは、漸くここ十年くらいの事だ。恐らくこの両家の違いは、勝った者と負けた者の違いなのだろう。
話を帝と公家の関係に戻せば、つまりは先代の帝の元で安芸泉兼実は重用されていたが、今の帝の元では、軽んじられていると言う事なのだろう。
「先代の帝は、まだお若い方だと聞いとりましたが、ある日、安芸泉様が血相を変えてお屋敷に戻っていらして、それきりで。」
「安芸泉殿もご苦労な事だ。」
興嶽は、思わず言葉を漏らす。
「あっしにゃ、その辺は良く分かりません。」
これでは、安芸泉兼実を当てにできない。それが分かっただけでも、良かったとしよう。次の糸口を見つけるまで都で粘るか…。
「ならば、教えてくれ。」興嶽は、下人に更に問い掛ける。「公家の中で一番力があるのは誰だ?」
「そりゃあ、関白様たる各務織公望様でございましょう。今上帝の叔父上にあたられる方で、何事もこの方のお指図無くしては動かないと聞きます。」
「成る程。お会いするのは難しいのだろうな。」
「勿論でございます。関白様のお力をお借りしたい者は、甘い物に群がる蟻のごとくおります。既にお知り合いであるなり、どなたかの口添えがなければ、お目にかかる事すら、夢のまた夢。」
「ふーん。」
近道をしようとしても無駄と言う事だ。遠回りでも、力のある公家に縁故のある者に近付いて、知己になるところから始めるか。どうやってこの都で、そんな輩を見付けるかに知恵を絞ろう…。
郷巻興嶽の思惑が消し飛んだのは、思いも掛けない知らせだった。宿に戻ると、東国からの遣いが彼を待っていた。
「親方、急使にございます。」
興嶽の顔を見るなり、都まで馬を飛ばして来た郷巻の郎党は、興嶽の目の前で跪いて言上する。遠く都まで知らせなければならない様な内容だ。良い知らせな訳が無い。
「申してみろ。」
興嶽は腹に力を入れて、自らに活を入れる。
「一縄勢が鷹ノ巣山の物見砦を急襲、これを奪取しました。」
一縄正虎が動いたか。父親の雷が亡くなってから、ずっと大人しくしていたから、覇権を争う気など無いのかと思っていたが、興嶽の留守を狙うとは、周到に雌伏していたと言う事か。
「それで、叔父上はどうされた。」
「はい、門守様の指揮の元、鷹ノ巣山の中腹まで救援に出陣しましたが、既に砦は陥落…、私が出立して参りました折には、本領に戻って、防備を固めていらっしゃいました。」
よく言えば慎重、悪く言えば血生臭い戦で責任など取りたくない叔父・門守らしい対応だ。もし、その後、一縄勢が山から里まで攻め込んで来たとしても、郷巻勢を集結すれば、一縄に倍する勢力になる筈。軽率な行動をしなければ、一縄に攻め手は無いだろう。こういう場面こそ、叔父があの性格で良かった。
「知らせはそれだけか。」
「つきましては、親方には直ぐご帰還を賜りたく。」
「そんな事、言われなくても分かっている。…おい、もし俺が帰らないと言ったら、どうするつもりだった。」
「弱りましたな。そんな状況は、考えておりませんでした。」
「なんだ。言われれば、素直に応じると高を括っておったか。」
「いえ…、郷巻の大事を放っておかれる様な棟梁ではないと確信しておりました。」
「ふん、もっともらしい事を。そんな言い草は却って逆効果だと心得て置け。」
「恐れ入ります。」
とは言え、直ぐにでも…と、言い掛けて、興嶽はふと考える。
これは、もしかすると好機かも知れない。もし、一縄正虎が興嶽の不在を知って攻めて来たのならば、興嶽が帰って来る前に事を決してしまおうとするだろう。鷹ノ巣山の砦くらいでは、争乱と言うのには程遠いが、一縄勢が郷巻の領内深くまで攻め入って、守りに徹するであろう叔父の陣営と戦えば、簡単には決着しない。焦る一縄勢が激しく攻めれば、これはもう争乱だ。天下の平穏を乱す逆賊として、一縄を討つ大義名分ができるじゃないか。それで一縄を倒せば、領地が手に入る上に、興嶽は父と同じ、東国の争乱を鎮めた忠臣と言う事だ。その功績を引っ提げて、この都に戻って来よう。
興嶽は一人、ほくそ笑む。
「直ぐにでも、と言いたいところだが…」
興嶽は、目の前に跪く郎党を見下ろす。郎党は興嶽の心中など知らずに、主の次の言葉を待っている。
「宿を引き払わなければならん。お前も長旅、疲れただろう。これで取って返すとなれば、夜を日に継いでの旅となる。今日はここで骨を休めるが良い。」
興嶽は、呆気にとられている郎党の顔を面白そうに眺めていた。