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鷹ノ巣山物見砦 その二

 時折(ときおり)強く吹く風が、葉のすっかり落ちたブナの枝を振るわせる。ブナ林を抜けた風は、物見砦(ものみとりで)との間に広がる草原(くさはら)の枯れた(すすき)をざわつかせて()け抜けていく。重い雲に(おお)われ月の()()(さだ)かでない空の下、ブナ林の(はし)の木の(かげ)に立ち、アカゲラと呼ばれた男は、物見砦(ものみとりで)の様子を(うかが)っている。昼間と同じ黒い筒袖(つつそで)で身を固めているが、顔には、一面泥が塗られ、それが乾いて、細かいヒビ割れが無数に入っている。黒い大きな目だけが(わず)かな光を反射する。(またた)きをする(たび)に、季節外れの二匹の蛍が光を点滅させている(よう)だ。

 風に吹かれて火事になるのを恐れてか、(とりで)松明(たいまつ)の火は見えない。明かりと言う明かりが消えうせた漆黒(しっこく)の中でも、アカゲラは(すべ)ての物をその眼に(とら)えている。こんな雪が降り出しそうな(こご)える夜に(おそ)って来ないと(たか)(くく)っているのか、(とりで)物見台(ものみだい)の上にも兵の姿は無い。

 これなら、上手(うま)く事が運ぶかも知れない。

 ブナ林を出た後の動きを頭の中で組み立て終わると、アカゲラは行動を起こす。吹き抜ける風でざわめくのに合わせて、草原(くさはら)に身を踊り込ませ、ザワザワと騒ぐ枯れ(すすき)の音の中を一気に(とりで)の真下まで進む。丸太を組んだ砦の壁に体を添わせて動きを止めると周囲を(うかが)う。思い出した(よう)に、風に騒ぐ(すすき)の葉だけが大きく動いている。砦の中からは物音一つ聞こえて来ない。

 アカゲラは、砦の壁から少し離れて壁の頂上を見上げ、高さを目測する。先端(せんたん)鉄鉤(てつかぎ)が付いた(なわ)を肩から降ろし、縄を持って、くるくると鉄鉤を振り回し、壁の頂上目掛けて投げ上げる。首尾(しゅび)よく鉄鉤が引っかかったのを確認すると、鉤縄(かぎなわ)を伝って、するすると壁をよじ登る。壁に沿って(とりで)の周囲に巡らされた物見台(ものみだい)の上に降り立ったアカゲラは、様子を(うかが)う。人影はない。壁に沿って半周した反対側の物見台(ものみだい)に小屋が設けられていて、その板の隙間(すきま)から(わず)かに明かりが()れている。恐らくあの中に見張りの兵達が(こも)っているに違いない。物見を(まな)けているのか、寒さを(しの)ぐために一定間隔で外に出て来て見回るのかは分からない。いずれにしても、このまま物見台(ものみだい)の上に居るのは禁物(きんもつ)だ。

 物見台(ものみだい)から(とりで)内の地上に降りる梯子(はしご)を見付けて素早(すばや)く近付き、するすると地上に降り立つ。壁の丸太の凹凸(おうとつ)によってできた、より一層暗い物陰(ものかげ)に身を(ひそ)める。彼の両の(まなこ)だけが、薄青白く闇の中にぼうっと浮かんでいる。

 (とりで)の中を見るのは初めてだ。思ったよりも狭い。明かりが無くとも、アカゲラには左手、()ぐ近くに郷巻(さとまき)側に通じる門が見える。門の近くには、粗末(そまつ)な小屋。ここも板の隙間(すきま)から(わず)かに光が()れている。砦の反対側にも門が見える。一縄(いちなわ)側に通じる門。砦の中の兵が一縄(いちなわ)に向かって打って出る時に使う門だ。その(わき)にも小屋が見える。他には、砦の中央に兵舎と(おぼ)しき建物がある。きっと常駐する雑兵(ぞうひょう)(ども)がそこで眠っているに違いない。頭目(とうもく)も、これらの何処(どこ)かに居るのだろう。

 まずは、こっちの門の門番からだ。

 アカゲラが壁際(かべぎわ)(やみ)から踏み出そうとしたその時、物見台(ものみだい)の上から足音が聞こえて来る。アカゲラは乗り出しかけた体を闇の中に沈める。一人の男が物見台(ものみだい)の小屋を出て、梯子(はしご)を降りて来る。(おり)しも、砦の外の(すすき)を騒がせた突風が、砦の中で一頻(ひとしき)(うず)を巻く。

「ううぅ、寒い寒い。」

 男は、梯子(はしご)を降りるなり背中を丸め、(わら)を詰めた着物の(えり)()き寄せる。そのまま周囲には目もくれず、小走りに兵舎の中へと消えていく。男の姿が消えても、アカゲラは様子を(うかが)い動かない。風に乗って(つい)に雪がちらつき始めた。この冬初めての雪だ。(しばら)くすると、用を足したのであろうさっきの男が、兵舎を出て元居た物見台(ものみだい)へと急ぐ。

「ううぅ~。」

 両腕を胸の前で組み、背中を丸め、何やら(うな)りながら梯子(はしご)の下まで行って天を見上げる。

「いやぁ、降ってきやがった。」

 男は一つ身震(みぶる)いをして、そそくさと梯子(はしご)を登って行く。そのまま物見台(ものみだい)の小屋には向かわず、時折(ときおり)吹く強い風に身を震わせながら、一通(ひととお)物見台(ものみだい)の上から周囲を見て回っている。アカゲラは濃い(やみ)の中に(たたず)み、男が元の物見台(ものみだい)の小屋の中に消えるまで、じっと動かずに待った。やがて、また人の気配はなくなった。風花(かざはな)(よう)な細かな雪を(ともな)った風が、(とりで)の中で(うず)を巻いているだけだ。アカゲラはゆっくりと足を前に出す。周囲に視線を飛ばしながら、門番の小屋に近付き、中の様子を(うかが)う。中からは男達の話す声が聞こえる。

「…そりゃ、オメエ、(なべ)に限る。豆や(ねぎ)と煮込みゃ、(たま)らんぞ。」

「そやろかぁ、おりゃ、焼いた方が良い。塩さ振って、表面ば、さーっと(あぶ)って、やっけえのが一番だぁ。」

 男は二人。何やらしきりに話し合う。アカゲラが板壁一枚向こうに(ひそ)んでいるなど、露程(つゆほど)も知らずにいる。アカゲラは右太ももに(くく)りつけた(さや)から蕨手刀(わらびてとう)を抜く。蕨手(わらびて)と呼ばれる、湾曲(わんきょく)した(つか)を持つ小刀だ。湾曲した(つか)の頭が丸まり、春に顔を出す(わらび)の芽の(よう)な形をしている。蕨手刀(わらびてとう)には、中世以降の日本刀の(よう)()りが無い。この(つか)の曲がりのおかげで、握れば、目で確かめずとも(やいば)がどっちを向いているか(おの)ずと分かる。アカゲラは蕨手刀(わらびてとう)を右手に握り締めて小屋の入り口ににじり寄り、突入する機会を(うかが)う。

「なぁに、鴨肉(かもにく)は煮込めばうんめぇ汁さ出るのに、もったいねぇ。」

「馬鹿言うなぁ、焼いた(かも)のあの()(ごた)えが(たま)らんねぇだろがぁ。」

 アカゲラの存在を他所(よそ)に、二人の会話は熱を帯びる。これなら、いつ飛び込んでも問題ない。アカゲラは板戸を勢いよく開けて飛び込み、板戸に背を向けて熱弁をふるっていた男のあごを、背後から抱きかかえて首筋(くびすじ)(やいば)(すべ)らせる。男の言葉が(つぶ)れる(よう)途切(とぎ)れるや(いな)や、血潮(ちしお)が首筋から吹き出す。アカゲラが手を離せば、男はその場にぐにゃりと(ひざ)から(くず)れ落ちる。

「ひやぁぁ!」

 切り株を椅子代わりにしていたもう一人の男が、悲鳴を上げて立ち上がり、おのれの背後に立て掛けてある(やり)に手を伸ばす。狭い小屋の中では、(やり)を手にしても壁が邪魔(じゃま)して扱い切れない。男の背中に飛び掛かり、アカゲラは素早(すばや)くこの男の首も()き切る。(かろ)うじて手にした(やり)を握りしめたまま、男はうつ()せに倒れて動かなくなる。アカゲラは、返り血を気にもせず、二つの遺体(いたい)を見下ろす。完全に(こと)切れているのを確かめてから一つ息をつく。

 (あわ)てた二人目が(やり)にばかり気を取られ、大声を上げなかったのは幸いだった。

 アカゲラは、()ぐに次の行動を起こす。蕨手刀(わらびてとう)(さや)にしまい、油灯(あぶらとう)の火から、小屋に置かれていた松明(たいまつ)に火を移し、それを手に門へ急ぐ。(かんぬき)(はず)し、門扉(もんぴ)隙間(すきま)を作って、外に身を乗り出すと、松明(たいまつ)をブナ林に向けてゆっくりと振る。ブナ林に一人、二人と、郎党(ろうとう)が姿を(あらわ)し、風に騒ぐ枯れ(すすき)をかき分けて(とりで)の門に寄せて来る。松明(たいまつ)の光に映し出されたアカゲラの返り血に気付いて、身を固まらせる者もいるが、(かろ)うじて声は出さずに(とりで)の中に散っていく。夫々(それぞれ)が隠れる頃合(ころあ)いな(やみ)の中に姿を消せば、アカゲラの一つ目の役割は終了する。

 次は頭目(とうもく)の首だ。

 (とりで)の中を横切り、兵舎の壁に身を添わせる。頭を板壁に付けて、中の様子を(うかが)う。吹き荒れる風の音ばかりがうるさい。兵舎の中は静まり返っている。用心深く、さっき見張り番の男が出入りした戸口に近付く。戸を開けた時に風に(あお)られない(よう)、気を付けなければならない。風と風の合間を(ねら)って、素早(すばや)く小さく戸口を開けると、首を突っ込んで中の様子を(うかが)う。広い部屋だ。土間から一段高い床の上に、人が二列に並んで寝転(ねころ)んでいる。四隅(よすみ)に油灯が()かれて、ぼんやりと部屋全体を照らしている。

 こっちを見ている者は居ない。

 アカゲラは素早く体を戸の内側に(すべ)り込ませて、ゆっくりと閉める。干し(わら)が詰まっているだろう布団の中で男達は寝息を立てている。板の間の両端(りょうはし)に沿って二列になって寝ており、()いた中央には、梯子(はしご)が一つ、天井に()いた四角い穴に向けて掛けられている。上にも何かあるのだろう。さっき(のぞ)いた時には気付かなかったが、部屋の向こう側の(すみ)で、二人の男が胡坐(あぐら)をかいて座っている。一人はこっちに背中を向けているが、もう一人は、左半身をこちらに(さら)している。どうやら、酒を()んでいる(よう)だ。ここで気付かれるのはまずい。騒がれて、男達が起き出せば、相手が寝起きの上に素手(すで)であっても、その上、酒を()んで酔っ払っていても、一人対二十人では(かな)わない。気付かれる前にあの二人を始末しようにも、距離が遠過ぎて気付かれずに近付けるとは思えない。かと言って、こうやって壁際(まどぎわ)でじっとしていても、いずれ見付かってしまう。

 どうするか。

 右手奥に馬小屋らしき部屋が見える。戸は付いていない。壁に()いた四角い戸口の向こうに、馬の尻が見えている。

 ひとまず、あそこに隠れよう。

 とは言え、土間(どま)壁伝(かべづた)いに部屋を半周しないと、馬小屋の入り口に辿(たど)り着かない。それは同時に、酒を()()わす男達に近付く事でもある。アカゲラは、(さや)に差したままで蕨手刀(わらびてとう)(つか)に手を添えて、そろそろを二人の男の様子に注意しながら、壁伝(かべづた)いに進む。幸い男達は、背中を丸め、(うつむ)きがちに黙々(もくもく)湯呑(ゆのみ)を口に運んでいる。アカゲラは立ち止まらずに、そのまま一気に馬小屋の中に入り込む。馬小屋の中で一つ深呼吸をする。馬は一頭。見慣れぬ侵入者に驚きもせず、黒い丸い目でアカゲラを見ている。アカゲラは、戸口から酒を()む男達を(うかが)う。さっきと同じ姿勢のまま、わき目もふらず湯呑(ゆのみ)を口に運んでいる。

 どうやら気付かれずに済んだ。さて、頭目(とうもく)はどこだ?

 二列に並んで寝る男達は(みな)同じ(よう)に見える。きっと雑兵(ぞうひょう)だけだ。頭目(とうもく)となれば、もうちょっと良い場所で寝ているに違いない。後は、あの梯子(はしご)の上の空間だけだ。だが、酒を()()わす男達に気付かれずに、あの梯子に近付き、上に登るのは到底(とうてい)不可能だ。ならば、外に出て外壁を二階登るか?馬小屋には馬を引き出す出入口がある。ここからなら引き返す危険を(おか)さずに外に出られる。だが、さっき(とりで)の外壁で使った鉤縄(かぎなわ)は、もう不要だと思って砦の外側に落としてしまった。それに、もし窓が無ければ、二階まで登っても侵入できない。

 入口の板戸が開閉する大きな音が(ひび)く。アカゲラは、飛び上がらんばかりに驚いて、広間の様子を盗み見る。

「いやぁ、とうとう降って来やがった。」

 衣を重ね着した見張り番と(おぼ)しき男が一人、両手で腕をさすりながら、酒を呑む男達に近付いて行く。

「こう、風が強くちゃ、やっちゃいられねぇや。」

 酒呑み男の一人が愚痴(ぐち)る。

「おい、そのくらいにしておけよ。物見台(ものみだい)から落っこちちまうぞ。」

 入って来た男が、愚痴(ぐち)を口にした男の肩をつつく。

「フン。」酒呑み男は、湯呑(ゆのみ)に残った酒を一気に(あお)る。「大丈夫だ。」

平左(へいざ)、オメエは、助左(すけざ)と交替だ。」

 黙ったままのもう一人の酒呑み男を見下ろして、重ね着男が言う。

「ああ。」

 言われた男は、ノロノロと立ち上がる。

「おい、大変だ!」

 戸口の板戸を突き飛ばして、もう一人、男が飛び込んで来る。会話していた男達の視線が戸口に向く。

「山腹に明かりが見える。一縄(いちなわ)奴等(やつら)が来るぞ!」

 飛び込んで来た男は、手に(やり)を持っている。寒さのせいだろうか、薄暗い油灯の光でも顔が青ざめて見える。

「本当か?」

「ああ、一つや二つじゃねぇ。奴等、もう、そこまで登って来ている。」

「何だって。」

「おい、みんなを起こせ。」

 騒ぎを聞きつけて、寝ていた男達の中からも起き上がる者がいる。これでは、いよいよアカゲラは動けない。明かりの無い馬小屋に(こも)って、事の()り行きを見守る。男達はわらわらと動き出す。部屋にはろくに武具がない。起き抜けで寒さに身を(ふる)わせながら、わらじを()いた者から外に出て行く。恐らくどこか他に武具の置き場があるのだろう。

「おらぁ、(かしら)に言って来る。」

 一人の男がそう言い残して、梯子(はしご)を登る。

 外から喚声(かんせい)が聞こえる。()せていた郎党(ろうとう)(おど)り出て、兵舎から出てきた雑兵(ぞうひょう)(おそ)い掛かっているのだろう。その声を聞いて、支度(したく)の遅れていた者達も、(あわ)てて外に飛び出して行く。兵舎の中は、もぬけの(から)になった。

 アカゲラが馬小屋の(やみ)から広間に出ようとした時、梯子(はしご)を降りる足が見える。アカゲラはまた、馬小屋の闇の中に身を隠す。さっき、梯子を上がって行った男だ。転げ落ちない(よう)に、一段ずつ踏みしめて降りて来る。その後ろからもう一人、梯子を降りる男の足が見える。降りるにつれ、男の姿が見えて来る。体格の良い、腕がアカゲラの足(ほど)の太さがあろうかと思われる大男。雑魚寝(ざこね)をしていた雑兵(ぞうひょう)(ども)より、少しは良い()()をしている。きっとあれが頭目(とうもく)に違いない。大男が板の間まで降りきる前に、アカゲラは馬小屋から飛び出す。先に出てきた男も、背中をアカゲラに向けていて気付かない。

 もらった!

 板の間に足を着けた大男が、気配に気づいて振り向いた時には、アカゲラがもう男に手の届く距離まで(せま)っている。腰高(こしだか)(かま)えた蕨手刀(わらびてとう)を男の脇腹(わきばら)目掛(めが)けて突き立てる。

「ふぅう…。」

 うめき声とも、(りき)み声ともつかないものが男の(のど)から絞り出される。脇腹を刺されたまま、男は腕を伸ばしてアカゲラの背中、腰のあたりの着物を(つか)んで持ち上げる。()せているアカゲラを片腕の力だけで持ち上げると、そのまま床の上に放り投げる。アカゲラの体が、床板の上で跳ねて転がる。大男は肩で息をしている。脇腹を刺した時、アカゲラは刀で内臓を()き回している。致命傷(ちめいしょう)になっている(はず)だ。それでも痛みに耐えて、仁王立(におうだ)ちしているだけでも、(すさ)まじい胆力(たんりょく)だ。

「ひぇぇ!」

 武器を持たないもう一人の男は、頭目(とうもく)とアカゲラの様子に縮み上がって、あたふたと兵舎から逃げていく。アカゲラは素早(すばや)く立ち上がり、大男と距離を取って蕨手刀(わらびてとう)(かま)える。まだ相手に力が残っている。恐らく(すさ)まじい怪力の持ち主だ。もう一撃(いちげき)しようと下手(へた)に近付けば、アカゲラも無事では済まないだろう。大男がゆっくりと足をアカゲラに向けて踏み出す。(あら)息遣(いきづか)いと共に、声が()れている。アカゲラは慎重に男との間合(まあ)いを取り直す。

 大男の力はそこまでだった。突然、がっくりと片膝(かたひざ)をつき、うめき声を上げる。

 これだけ(いた)んでいれば充分だ。(たと)え、結局この男が生きながらえたとしても、この(いくさ)では最早(もはや)戦力にならない。

 アカゲラは蕨手刀(わらびてとう)(さや)にしまうと、大男を一人残して兵舎の外に出る。

 雪はすっかり本降りになっている。風に流されて、斜めに降る白い粒が、視界を(さえぎ)(ほど)に空中を舞う。その中で郎党(ろうとう)(とりで)雑兵(ぞうひょう)が切り合っている。どちらも防具を着けていない。(やいば)が当たれば、()ぐに傷だらけだ。溶けずに地を白く染め始めた雪の中に、どちらの者とも分からない遺体(いたい)がいくつも転がっている。(かま)わずアカゲラは門に向けて走る。


 時間は少し巻き戻る。アカゲラが(とりで)に侵入した頃、笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)とその手勢(てぜい)は、鷹ノ巣(たかのす)山の急斜面を登り、(とりで)が目の前に見えるブナ林の中で時が来るのを待っていた。甲冑(かっちゅう)は着けていない。(ひそ)かに行動するためなのもあるが、道なき急斜面をブナの木の間を()って登る事など、甲冑を着ていては(かな)わない。皆、腰に太刀(たち)()き、弓の得意な者は弓を、そうでない者は、火の()いていない松明(たいまつ)を手に山を登った。夜半を過ぎた時、宇木正(うきまさ)松明(たいまつ)に火を点けさせ、一斉に(とりで)に攻め込ませる。ブナ林を出て、枯れ(すすき)の急斜面を砦目掛けて殺到する。砦に近付くにつれ、応戦の矢が降り注いで来る。だが、その数は思いの(ほか)少ない。アカゲラと郎党(ろうとう)の作戦が上手(うま)く行っている証拠だ。しかし、松明(たいまつ)を手にした者が(ねら)()ちにされ、確実に味方の兵が減って行く。

(ひる)むな!ここに(とど)まれば死ぬだけだぞ!」

 砦の門が見えて来る。遠い。必死に足を()り出すが、一向に近付かない。刹那(せつな)が永遠に感じられる。(ようや)(とりで)の壁の下に辿(たど)り着き、門を押す。だが、びくともしない。

 まずい、予定通りに計画が進んでいない。何か不具合があって、アカゲラは門を開けられなかったのか。砦の外では手も足も出ない。(ただ)弓矢の餌食(えじき)になるだけだ。

 宇木正(うきまさ)の頭の中を血が()(めぐ)る。

 迷っている暇はない。郷巻(さとまき)側の門が開いている事に()けて、砦に沿って兵を反対側に回そう。

 宇木正(うきまさ)が声を上げかけた時、門扉(もんぴ)が動き、アカゲラが内から姿を現す。泥を塗ったこげ茶色の顔に、べっとりと返り血を浴びている。

「それ、突っ込め!」

 太刀(たち)(つか)に手を掛けながら、宇木正(うきまさ)が叫ぶ。つわものどもは、一刻も早く矢の雨から(のが)れたい気持ちが(まさ)り、一気に門へと押し寄せる。我先(われさき)に門をくぐって砦の中に雪崩(なだ)れ込む。砦の中では、(ひそ)んでいた郎党(ろうとう)達の奇襲(きしゅう)を受けて、初めは劣勢(れっせい)にあった郷巻(さとまき)兵が、徐々(じょじょ)に冷静さを取り戻し、数を頼みに郎党(ろうとう)達を圧倒し始めていた。そこに笠階(かさかい)の本隊が雪崩(なだ)れ込んで来たとなれば、最早(もはや)勝負は見えた。(とりで)の兵の中でも()(さと)い者は、宇木正(うきまさ)の本隊を見るや戦いを放棄し、反対側の門から逃げ出す。物見台(ものみだい)の上で矢を射ていた者達に逃げ場はない。(しばら)くは、(とりで)内に雪崩(なだ)れ込んだ笠階(かさかい)本隊に向けて矢を放っていたが、梯子(はしご)を登った武者に追い詰められ、いずれも討ち取られた。

 頭目(とうもく)の大男は、結局兵舎のど真ん中、おのれの血でできた海の中に()()して(こと)切れていた。混乱の中で誰かが乗って逃げたのか、馬小屋の中の馬は、いつの間にか消えていた。笠階(かさかい)側の損害も大きかった。先に砦の中に潜入した郎党(ろうとう)達の中で無傷な者は一人もおらず、半数以上討ち取られた。

「ご苦労。」戦いが終わった(とりで)の中で、宇木正(うきまさ)は、逃げ出さずに残っていたアカゲラを見付けて声を掛ける。「お前は、帰って休め。」

 アカゲラは、返事もせずに、そのまま砦を後にした。

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