表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/46

鷹ノ巣山物見砦 その一

一 鷹ノ巣(たかのす)物見砦(ものみとりで)


 東国(とうごく)(ゆう)郷巻(さとまき)興嶽(おきたけ)は、子飼(こが)いの供回(ともまわ)りだけを連れて都に(のぼ)った。その知らせは、十日としない内に仇敵(きゅうてき)一縄(いちなわ)正虎(まさとら)の知る所となっていた。正虎(まさとら)はすぐさま、配下の武将達を集めた。だが、集められたのは昼日中(ひるひなか)、それも一縄(いちなわ)の屋敷ではなく、一縄(いちなわ)氏代々の菩提(ぼだい)(とむら)う寺の本堂の中だった。

 本堂の奥、薬師如来(やくしにょらい)の掛け軸を背に胡坐(あぐら)()いて座す大男がいる。彼と向かい合う形で居並(いなら)ぶ諸将を見回して、何が気に入らないのか、(しき)りと舌を鳴らしている。彼こそ、一縄(いちなわ)棟梁(とうりょう)一縄(いちなわ)正虎(まさとら)偉丈夫(いじょうぶ)の多い東国の中でもひと(きわ)大きい。彼を初めて見る者は、まずその大男ぶりに驚き、次に、(いか)つい体躯(たいく)には似つかわしくない、丹精(たんせい)な顔立ちに目を奪われるに違いない。

 彼の前に居並ぶ武将の数は、両手の指にも満たない。彼等は所謂(いわゆる)家人(けにん)と呼ばれる者達だ。夫々(それぞれ)幾許(いくばく)かの自前の領地と一族、郎党(ろうとう)を持ちながら、正虎(まさとら)と主従関係を結んでいる武士集団の(かしら)達になる。先代一縄(いちなわ)(いかづち)の最後の(いくさ)百足原(むかではら)合戦(かっせん)で、興嶽(おきたけ)の先代、郷巻(さとまき)青鷹(あおたか)に敗れて以来、家人(けにん)の数はめっきり減った。それでも、敗戦後の混乱を収拾し、ここまで一縄(いちなわ)氏を盛り返して来たのは、正虎(まさとら)本人の力と、敗戦後の混乱の中でも一縄(いちなわ)氏を見捨てなかった、家人(けにん)達の努力の結果だった。それだけに彼等の(きずな)は固い。百足原(むかではら)の合戦時、十三歳だった正虎(まさとら)は、今や三十三歳。居並(いなら)ぶ武将は当時から家人(けにん)だった者ばかりなため、(ほとん)どが正虎(まさとら)よりも年上だ。

「都かぶれの山猿が、寒さしのぎに都見物に出掛けおった。」

 正虎(まさとら)が大声で()き捨てる。武将達の間から(わず)かに声が()れる。だが、一縄(いちなわ)双璧(そうへき)とも(しょう)される二人の武将、笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)土薙(つちなぎ)忠隆(ただおき)(まゆ)一つ動かさずに、武将達の一番前に並んで座し、正虎(まさとら)の顔を見つめている。正虎(まさとら)は、武将達の反応を確かめると、フンと(さら)不機嫌(ふきげん)そうに鼻から息を吐いてそっぽを向く。

「親方、こんな好機はねぇ!郷巻(さとまき)一泡(ひとあわ)吹かせてやろうぜ。」

 正虎(まさとら)の様子をみて、土薙(つちなぎ)忠隆(ただおき)前屈(まえかが)みになって声を上げる。()り上がった太い(まゆ)に、顔の下半分が黒々とした(ひげ)(おお)われた()せた男。常に何か(たくら)んでいそうに(せわ)しく周囲を見回す様子は、見る者に嫌悪(けんお)(いだ)かせる。

 こうして皆を呼び集めたのだから、正虎(まさとら)が何か始めるつもりなのは誰でも分かる。それを承知で、この発言をする忠隆(ただおき)魂胆(こんたん)がいやらしい。

 見た目でも忠隆(ただおき)対照(たいしょう)をなす笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)は、小太りで丸顔、つるりとした凹凸(おうとつ)の少ない顔をしている。ふくよかな姿は、それだけで相手を油断させる。宇木正(うきまさ)は、並んで座っている忠隆(ただおき)に冷たい視線を投げかける。

忠隆(ただおき)、お前、何か案があるか。」

 正虎(まさとら)は、意地悪(いじわる)そうな顔を忠隆(ただおき)に向ける。

郷巻(さとまき)の集落まで攻め入って、散々(さんざん)()き回してやったら良い。奴等(やつら)びっくりして(あわ)吹くぜ。」

「お前は、いつも威勢(いせい)ばかりだな。」

 初めて正虎(まさとら)相好(そうごう)(くず)す。面白そうに忠隆(ただおき)を見る。

 だが、忠隆(ただおき)の提案は、(あさ)はかさが丸出しだ。領主が不在となれば、郷巻(さとまき)側だって警戒していて当然だ。そう簡単に攻め入る事などできはしまい。

 笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)は思わず、苦笑(にがわら)いを浮かべる。

宇木正(うきまさ)、お前はどうだ。お前ならどうする。」

 正虎(まさとら)矛先(ほこさき)宇木正(うきまさ)に向く。

「相手の腹が(わか)りませんと何とも。我らを誘い出す(わな)の可能性もあり()ます。有利な地におびき出して、一気に(かた)を付けようと、手ぐすね引いて待ち(かま)えているやも知れません。」

「けっ、()まらねぇ…」

 土薙(つちなぎ)忠隆(ただおき)(ひざ)を一つ(たた)いて、首を横に振る。

「これも宇木正(うきまさ)らしい…、だが、奴等(やつら)の事ならば、もう調べてある。」一縄(いちなわ)正虎(まさとら)は満面に如何(いか)にも満足気(まんぞくげ)()みを浮かべる。「山猿は本当に都に向かった。留守(るす)を頼まれた奴等(やつら)は、こっちの動きにピリピリしておる。」

 クククと含み笑いをして居並ぶ武将を見回す。自信たっぷりな正虎(まさとら)だが、話の内容は驚きに(あたい)しない。(みな)黙って正虎(まさとら)の様子を見つめる。

「ではやはり、迂闊(うかつ)に動くと、からめ取られますな。」

 宇木正(うきまさ)が静かに言う。フンとつまらなそうに正虎(まさとら)が鼻で笑う。

「それで怖気(おじけ)てどうする。」正虎(まさとら)宇木正(うきまさ)の方に身を乗り出す。「頭を使え、頭を。それが宇木正(うきまさ)の取り()だろう。」

 宇木正(うきまさ)の隣で、忠隆(ただおき)がにやりと笑う。

「親方、降参(こうさん)でございます。」

 宇木正(うきまさ)は、()ぐに頭を下げる。彼は、郷巻(さとまき)興嶽(おきたけ)が不在になった話を、今さっき聞いたばかりだ。一方の一縄(いちなわ)正虎(まさとら)は、興嶽(おきたけ)不在の報に触れた後、間者(かんじゃ)を放って、郷巻(さとまき)領内を周到に調べてからこの場に(のぞ)んでいるのだろう。情報量が違い過ぎる。ここで宇木正(うきまさ)が思い付きで何か話しても、容易に正虎(まさとら)にやり込められてしまう。そうやって、正虎(まさとら)は自分の優越(ゆうえつ)を楽しみたいのかも知れないが、そこまで棟梁(とうりょう)に付き合ってやるつもりは宇木正(うきまさ)にない。

「ふん、歯応(なごた)えの無い(やつ)よ。」正虎(まさとら)は、ぼそりと(つぶや)くと一つ息を大きく吸い、声を張る。「鷹ノ巣(たかのす)山の物見砦(ものみとりで)を落とす。」

 これも一同に驚きは無い。状況から言って、順当な目標だからだ。だが、どうやって?誰もが、そこを疑問に思い、次の正虎(まさとら)の言葉を待っている。

 鷹ノ巣(たかのす)山の物見砦(ものみとりで)。それは、一縄(いちなわ)領と郷巻(さとまき)領の間にそびえる鷹ノ巣(たかのす)山の頂上、一縄(いちなわ)領を見下ろす位置に設けられた、丸太で組まれただけの簡素な(とりで)だ。先代同士の戦いに勝った郷巻(さとまき)(ぜい)一縄(いちなわ)領を監視するために設けた。領地境(りょうちざかい)の山地の中でも、ひと(きわ)高く、急峻(きゅうしゅん)鷹ノ巣(たかのす)山。その(とりで)からは、眼下に広がる一縄(いちなわ)領が一望できる。ここに見張りの兵を置けば、一縄(いちなわ)領内で起きている事は、手に取る(よう)に把握できる。(わず)か二十名(ほど)(こも)る小さな(とりで)だが、郷巻(さとまき)にとってその価値は絶大だ。逆に一縄(いちなわ)勢にとっては、目の上のできもの、昼夜(ちゅうや)山の上から見張られ、戦支度(いくさじたく)に多くの兵を動かせば、たちどころに露見してしまう。せめて物見砦(ものみとりで)を落とせれば…。一縄(いちなわ)の者ならば、誰でもそう考える。だが、それは簡単ではない。だから、今も鷹ノ巣(たかのす)山の上に郷巻(さとまき)の兵が(こも)っている。

「俺は動かん。」正虎(まさとら)は、(とぼ)けた顔で言う。「俺が動けば、必ず物見(ものみ)奴等(やつら)が感付く。俺は動かない事で奴等を安心させる。」正虎(まさとら)の目が輝き出す。「少人数の二つの隊で事を()す。一つの隊は」視線を笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)に向ける。「宇木正(うきまさ)(にな)え。感付かれない(よう)に数を絞れ。宇木正(うきまさ)郎党(ろうとう)の中から()りすぐりの者で隊を組織しろ。宇木正(うきまさ)の隊は、夜半、鷹ノ巣(たかのす)山を登って(とりで)急襲(きゅうしゅう)する。…里が静かなら奴等(やつら)は安心している。一気に(おそ)って奪い取れ。」

「…はい。」

 宇木正(うきまさ)は、余計(よけい)な事を口にせず(うなず)く。

「もう一つの隊は、忠隆(ただおき)正虎(まさとら)は視線を土薙(つちなぎ)忠隆(ただおき)に向ける。「お前が(にな)え。」

「は。」

 細かい説明をされる前から忠隆(ただおき)は頭を下げる。

「隊は、忠隆(ただおき)郎党(ろうとう)で組織しろ。事を起こす前から物見(ものみ)奴等(やつら)気取(けど)られぬよう、いつもお前の屋敷に居て、かつ、信用できる者だけで隊を作れ。けっして数を増やし過ぎるな。」正虎(まさとら)は、更に言葉を継ぐ。忠隆(ただおき)には細かい注意を忘れない。「忠隆(ただおき)の隊は、夜半過ぎ、鷹ノ巣(たかのす)山の(ふもと)を大きく迂回(うかい)して鷹ノ巣(たかのす)山と郷巻(さとまき)本領を結ぶ山道の途中で防備を固め、物見砦(ものみとりで)の急を聞いて寄せて来る郷巻(さとまき)の軍勢を押し返せ。」

「何でぇ、親方。それじゃあ、おらぁ、守るだけじゃねぇかい。そんなのより、俺に物見砦(ものみとりで)を任せると言ってくれなきゃ。あの目障(めざわ)りな奴を燃やし尽くして見せまさぁ。」

忠隆(ただおき)…」宇木正(うきまさ)が口を挟む前に、正虎(まさとら)が、如何(いか)にも面倒臭(めんどくさ)そうな顔をして話し始める。「これは俺が決めた事だ。お前を見込んで任せようと言うのに、何が不満だ。」

「いやぁ、その…、別に逆らおうって言うんじゃねぇが…。」

 簡単に忠隆(ただおき)威勢(いせい)()がれる。その様子を見て、正虎(まさとら)()みを浮かべる。

「良いか、忠隆(ただおき)物見砦(ものみとりで)の敵勢は、二十程度だろう。お前は、そんな雑魚(ざこ)の相手で満足できるのか。郷巻(さとまき)からの援軍は(けた)が違う。百、いや、千の単位で押し寄せて来るぞ。物見砦(ものみとりで)を落としたと言う知らせが宇木正(うきまさ)から届けば、()ぐに支度(したく)をして、俺が手勢(てぜい)を連れてお前を加勢(かせい)しに向かってやる。それまで見事(みごと)郷巻(さとまき)を跳ね返して見せろ。」

「お、おう。」

「良いか、馬を使うな。途中でいななきでもされたら、元も子もない。」

「そりゃ、勿論(もちろん)…」

「良いか、忠隆(ただおき)甲冑(かっちゅう)もやめておけ。」

「え、甲冑もかい?」

「甲冑一つが(こす)れる音など大した事は無いが、何十となれば、離れていても聞こえる。まして夜中となれば、(とりで)まで聞こえるやも知れん。」

「へい…。」

 何だか(うら)めしそうな顔で忠隆(ただおき)正虎(まさとら)を見ている。

「どうした、さっきの威勢(いせい)は。郷巻(さとまき)の猿は手下も腰抜けだ。急坂をよじ登って来るところを、坂の上から残らず射落としてやれ。」

「おう。」

 忠隆(ただおき)が力強く(こた)える。

「今夜決行だ。良いか、お前達。宇木正(うきまさ)忠隆(ただおき)以外の者は、けっして動くな。郷巻(さとまき)気取(けど)られてはならん。俺も、この寺を出たら、屋敷に戻っていつもの(よう)に寝てしまう。…良いか、明日の夜明けまでに鷹ノ巣(たかのす)山を一縄(いちなわ)のものにしてみせろ!」

 最後に一縄(いちなわ)正虎(まさとら)から発破(はっぱ)をかけられて、寺の本堂で行なわれた評議は終わった。寺を後にし、自分の屋敷まで戻る道すがら、笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)は腕を組んで考えた。

 何としても、(あざ)やかに(とりで)を落としてみせたい。あんな粗野(そや)土薙(つちなぎ)忠隆(ただおき)といつまでも同列に見られているのは我慢(がまん)ならない。だが、課せられた使命はそう簡単ではない。

 宇木正(うきまさ)は、歩きながら鷹ノ巣(たかのす)山を見上げる。一縄(いちなわ)領を見下ろしてそびえる鷹ノ巣(たかのす)山の頂上付近、雪でもちらつきそうな灰色の雲を背景に、物見砦(ものみとりで)が小さく見える。今もあそこから、郷巻(さとまき)の兵がこの里を見下ろしているに違いない。鷹ノ巣(たかのす)山はブナの林で(おお)われている。本来、頂上までブナで覆われていたのを、(とりで)を作る際、郷巻(さとまき)が頂上付近の木を(すべ)伐採(ばっさい)してしまった。切った木は(とりで)の材に使ったのだろうが、目的はそれよりも、物見の視界を確保し、(とりで)に近付く者が姿を(さら)さずにはいられない(よう)にするためだ。夜襲(やしゅう)を掛けるとしても、大人数が寄せれば、気付かれずには済まされない。その上、(とりで)は丸太を立て並べた高い防壁でぐるりと囲われている。出入口は郷巻(さとまき)側と一縄(いちなわ)側に夫々(それぞれ)一つずつあるが、分厚(ぶあつ)(とびら)が取り付けられ、いつも固く閉ざされている。(とりで)の内は二十やそこらの手勢(てぜい)だとしても、攻める側も少人数では、(とりで)の壁に取り付く事すらできないだろう。正虎(まさとら)は、人数を絞れと言ったが、具体的にどのくらいにしろとは言わなかった。(とりで)を落とすとなれば、どうしたってそれなりの人数が必要だ。土薙(つちなぎ)忠隆(ただおき)には事細(ことこま)かに指示を出した一縄(いちなわ)正虎(まさとら)だったが、笠階(かさかい)宇木正(うきまさ)には、物見砦(ものみとりで)を攻め落とす(よう)下知(げち)しただけで、細かい指示をしなかった。正虎(まさとら)にも、具体的な方策は浮かんでいないのかも知れない。いずれにしても、どうやって落とすかは自分で考えろと言う事だろう。

 さて、どうしたものか。

 吹き過ぎる一陣(いちじん)の風に、宇木正(うきまさ)(えり)()き合わせる。

 風が出てきた。きっと今夜は木枯らしが吹き荒れるだろう。風が強ければ、草木の(ざわ)めく音に(まぎ)れて、一人、二人ずつなら(とりで)に近付く事はできそうだ。ならば、それを上手(うま)く利用して落とす算段をしよう。

 宇木正(うきまさ)は、屋敷に着く前に早くも腹を決めた。

「お帰りなさい。」

 宇木正(うきまさ)を出迎えたのは、息子の和正(かずまさ)だった。二十歳を過ぎた若者は、親の欲目(よくめ)もあって、宇木正(うきまさ)には頼もしく見える。将来は、宇木正(うきまさ)(よう)に小太りに腹が出てくるとしても、今はまだ、小柄ながらも若々(わかわか)しい肉体を持っている。

「話がある。郎党(ろうとう)の中から、身のこなしが軽いものを七、八人選んで部屋へ連れて来い。」

 宇木正(うきまさ)は、そのまま自室に急ぎ、閉じこもる。

 和正(かずまさ)が選んだ郎党(ろうとう)が部屋に会すると、宇木正(うきまさ)は声を押し殺して話し始める。

「今夜、鷹ノ巣(たかのす)山の物見砦(ものみとりで)(おそ)う事になった。」

 誰も言葉を発しないが、聞く者達の目の色が変わる。

「お前達は、日没後に山に入り、山の中を郷巻(さとまき)側に回り込んで、(とりで)の裏手に出ろ。けっして途中で気取(けど)られるな。アカゲラが先に(とりで)に忍び込み、中から門を開ける。忍び込んだら、本隊が一縄(いちなわ)側から登るのを見付けて奴等(やつら)が騒ぎ出すまで、(とりで)の中のどこかに(ひそ)んでいろ。奴等が騒ぎ出して、こっちの本隊を迎撃(げいげき)する準備を始めたら、背後から奴等を(おそ)え。」

 宇木正(うきまさ)は一気にそこまで話すと、居並(いなら)郎党(ろうとう)の顔を見回す。どれも真剣な眼差(まなざ)しで、固唾(かたず)()んで宇木正(うきまさ)の言葉を聞き()らすまいとしている。

「何か、言いたい事は有るか。」

 宇木正(うきまさ)の問いに誰も声を発しない。

甲冑(かっちゅう)は付けるな。太刀(たち)だけを背負っていけ。…いいな。」

 郎党(ろうとう)達は、黙って(うなず)く。

「アカゲラを呼んでくれ。」

 郎党(ろうとう)達が部屋を出て行くと、和正(かずまさ)に向けて宇木正(うきまさ)は言いつける。和正(かずまさ)が出て行き、部屋に宇木正(うきまさ)一人になると、腕を組み目を閉じて、一つ深く息を吐く。

 程無(ほどな)くして、部屋の外から声がかかる。

「お呼びで。」

 低く太い男の声。誰か話していれば、聞き逃してしまいそうな(ほど)静かに響く。

「ああ、入ってくれ。」

 部屋の板戸が(すべ)(よう)に開き、黒い筒袖(つつそで)を着込んだ男が、音もなく部屋に入って板戸を閉める。背の高い若者。油皿(あぶらざら)灯心(とうしん)(とも)る炎の発する明かりが男の顔を照す。黒々と(うず)を巻いて盛り上がる髪、太い(まゆ)。何より、眉の下にある目は、常人のそれより一回り大きく、更にその中の黒目は、気味悪(きみわる)さを憶える(ほど)の大きさだ。男は、黙って宇木正(うきまさ)の前に腰を下ろす。

「今夜、鷹ノ巣(たかのす)山の物見砦(ものみとりで)(おそ)う事になった。お前にも特別な役目をしてもらう。」

 ここで、宇木正(うきまさ)は言葉を切ったが、男は口を開かず、表情も変えずに、次の言葉を待っている。

「日が暮れたら、郎党(ろうとう)から選んだ者達を連れて、鷹ノ巣(たかのす)山に登れ。山の中で郷巻(さとまき)側に回り込んで、郷巻(さとまき)側から(とりで)に近付くんだ。林が途切(とぎ)れる所まで来たら、郎党(ろうとう)(ども)をそこに待たせ、お前は一人で先に(とりで)の中に忍び込み、郷巻(さとまき)側の門の門番を始末(しまつ)して門を開け、郎党(ろうとう)(ども)(とりで)の中に誘い込め。郎党(ろうとう)(ども)は、時が来るまで(とりで)の中で(ひそ)む。お前は門から郎党(ろうとう)を招き入れたら、一人で(とりで)の本丸に忍び込み、郷巻(さとまき)頭目(とうもく)を見つけ出し、騒ぎが起きる前に始末(しまつ)してしまえ。…いいな。」

 男は黙って一つ(うなず)く。

「俺は、(ひそ)かに手勢(てぜい)を率いて一縄(いちなわ)側からまっすぐ山を登る。林が切れる手前で時を待ち、夜半過ぎに松明(たいまつ)に火を(とも)して一気に(とりで)に押し寄せる。それまでにお前の仕事を終えておくのだ。俺達の炎を見て、(とりで)の兵は騒ぎ出す。それを合図に(ひそ)んでいた郎党(ろうとう)共は、郷巻(さとまき)雑兵(ぞうひょう)に切って掛かる。お前は、混乱に乗じて内から一縄(いちなわ)側の門を開けて逃げろ。俺は手勢(てぜい)を率いて、お前の開けた門から(とりで)の中に突入する。」

 一縄(いちなわ)(ぜい)襲撃(しゅうげき)に気付けば、(とりで)の兵は警戒する。潜伏(せんぷく)した郎党(ろうとう)達が無事で済む可能性は低い。アカゲラと呼ばれたこの男が、(すべ)ての任務を無事に果たして逃げおおせる可能性はもっと低いかも知れない。()(かく)郷巻(さとまき)側の門さえ開けてくれれば…。最悪、(とりで)に沿って郷巻(さとまき)側に回り込めば、(とりで)の中に突入できる。それでも何とかなるだろう。宇木正(うきまさ)は腹の中でそう思いながら、おくびにも出さない。

「今夜は風が強い。(とりで)に近付く物音をかき消してくれると思うが、太刀(たち)はやめておけ。」

「承知。小刀一本でお役を果たします。」

 男の太い声が、地を()(よう)(ひび)く。

「分かったら、支度(したく)をしろ。」

 アカゲラと呼ばれた男は、宇木正(うきまさ)に軽く頭を下げると、すっと立ち上がり、現れた時と同じ(よう)に、音を出さずに板戸の外に姿を消す。宇木正(うきまさ)は大きく一つ息を吐くと立ち上がり、一族郎党(ろうとう)(ひそ)かに集める準備に取り掛かった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ