鷹ノ巣山物見砦 その一
一 鷹ノ巣山物見砦
東国の雄、郷巻興嶽は、子飼いの供回りだけを連れて都に上った。その知らせは、十日としない内に仇敵、一縄正虎の知る所となっていた。正虎はすぐさま、配下の武将達を集めた。だが、集められたのは昼日中、それも一縄の屋敷ではなく、一縄氏代々の菩提を弔う寺の本堂の中だった。
本堂の奥、薬師如来の掛け軸を背に胡坐を掻いて座す大男がいる。彼と向かい合う形で居並ぶ諸将を見回して、何が気に入らないのか、頻りと舌を鳴らしている。彼こそ、一縄の棟梁、一縄正虎。偉丈夫の多い東国の中でもひと際大きい。彼を初めて見る者は、まずその大男ぶりに驚き、次に、厳つい体躯には似つかわしくない、丹精な顔立ちに目を奪われるに違いない。
彼の前に居並ぶ武将の数は、両手の指にも満たない。彼等は所謂家人と呼ばれる者達だ。夫々は幾許かの自前の領地と一族、郎党を持ちながら、正虎と主従関係を結んでいる武士集団の頭達になる。先代一縄雷の最後の戦・百足原の合戦で、興嶽の先代、郷巻青鷹に敗れて以来、家人の数はめっきり減った。それでも、敗戦後の混乱を収拾し、ここまで一縄氏を盛り返して来たのは、正虎本人の力と、敗戦後の混乱の中でも一縄氏を見捨てなかった、家人達の努力の結果だった。それだけに彼等の絆は固い。百足原の合戦時、十三歳だった正虎は、今や三十三歳。居並ぶ武将は当時から家人だった者ばかりなため、殆どが正虎よりも年上だ。
「都かぶれの山猿が、寒さしのぎに都見物に出掛けおった。」
正虎が大声で吐き捨てる。武将達の間から僅かに声が漏れる。だが、一縄の双璧とも称される二人の武将、笠階宇木正と土薙忠隆は眉一つ動かさずに、武将達の一番前に並んで座し、正虎の顔を見つめている。正虎は、武将達の反応を確かめると、フンと更に不機嫌そうに鼻から息を吐いてそっぽを向く。
「親方、こんな好機はねぇ!郷巻に一泡吹かせてやろうぜ。」
正虎の様子をみて、土薙忠隆が前屈みになって声を上げる。吊り上がった太い眉に、顔の下半分が黒々とした髭で覆われた痩せた男。常に何か企んでいそうに忙しく周囲を見回す様子は、見る者に嫌悪を抱かせる。
こうして皆を呼び集めたのだから、正虎が何か始めるつもりなのは誰でも分かる。それを承知で、この発言をする忠隆の魂胆がいやらしい。
見た目でも忠隆と対照をなす笠階宇木正は、小太りで丸顔、つるりとした凹凸の少ない顔をしている。ふくよかな姿は、それだけで相手を油断させる。宇木正は、並んで座っている忠隆に冷たい視線を投げかける。
「忠隆、お前、何か案があるか。」
正虎は、意地悪そうな顔を忠隆に向ける。
「郷巻の集落まで攻め入って、散々に掻き回してやったら良い。奴等びっくりして泡吹くぜ。」
「お前は、いつも威勢ばかりだな。」
初めて正虎が相好を崩す。面白そうに忠隆を見る。
だが、忠隆の提案は、浅はかさが丸出しだ。領主が不在となれば、郷巻側だって警戒していて当然だ。そう簡単に攻め入る事などできはしまい。
笠階宇木正は思わず、苦笑いを浮かべる。
「宇木正、お前はどうだ。お前ならどうする。」
正虎の矛先が宇木正に向く。
「相手の腹が判りませんと何とも。我らを誘い出す罠の可能性もあり得ます。有利な地におびき出して、一気に片を付けようと、手ぐすね引いて待ち構えているやも知れません。」
「けっ、詰まらねぇ…」
土薙忠隆は膝を一つ叩いて、首を横に振る。
「これも宇木正らしい…、だが、奴等の事ならば、もう調べてある。」一縄正虎は満面に如何にも満足気な笑みを浮かべる。「山猿は本当に都に向かった。留守を頼まれた奴等は、こっちの動きにピリピリしておる。」
クククと含み笑いをして居並ぶ武将を見回す。自信たっぷりな正虎だが、話の内容は驚きに値しない。皆黙って正虎の様子を見つめる。
「ではやはり、迂闊に動くと、からめ取られますな。」
宇木正が静かに言う。フンとつまらなそうに正虎が鼻で笑う。
「それで怖気てどうする。」正虎は宇木正の方に身を乗り出す。「頭を使え、頭を。それが宇木正の取り柄だろう。」
宇木正の隣で、忠隆がにやりと笑う。
「親方、降参でございます。」
宇木正は、直ぐに頭を下げる。彼は、郷巻興嶽が不在になった話を、今さっき聞いたばかりだ。一方の一縄正虎は、興嶽不在の報に触れた後、間者を放って、郷巻領内を周到に調べてからこの場に臨んでいるのだろう。情報量が違い過ぎる。ここで宇木正が思い付きで何か話しても、容易に正虎にやり込められてしまう。そうやって、正虎は自分の優越を楽しみたいのかも知れないが、そこまで棟梁に付き合ってやるつもりは宇木正にない。
「ふん、歯応えの無い奴よ。」正虎は、ぼそりと呟くと一つ息を大きく吸い、声を張る。「鷹ノ巣山の物見砦を落とす。」
これも一同に驚きは無い。状況から言って、順当な目標だからだ。だが、どうやって?誰もが、そこを疑問に思い、次の正虎の言葉を待っている。
鷹ノ巣山の物見砦。それは、一縄領と郷巻領の間にそびえる鷹ノ巣山の頂上、一縄領を見下ろす位置に設けられた、丸太で組まれただけの簡素な砦だ。先代同士の戦いに勝った郷巻勢が一縄領を監視するために設けた。領地境の山地の中でも、ひと際高く、急峻な鷹ノ巣山。その砦からは、眼下に広がる一縄領が一望できる。ここに見張りの兵を置けば、一縄領内で起きている事は、手に取る様に把握できる。僅か二十名程が籠る小さな砦だが、郷巻にとってその価値は絶大だ。逆に一縄勢にとっては、目の上のできもの、昼夜山の上から見張られ、戦支度に多くの兵を動かせば、たちどころに露見してしまう。せめて物見砦を落とせれば…。一縄の者ならば、誰でもそう考える。だが、それは簡単ではない。だから、今も鷹ノ巣山の上に郷巻の兵が籠っている。
「俺は動かん。」正虎は、惚けた顔で言う。「俺が動けば、必ず物見の奴等が感付く。俺は動かない事で奴等を安心させる。」正虎の目が輝き出す。「少人数の二つの隊で事を成す。一つの隊は」視線を笠階宇木正に向ける。「宇木正が担え。感付かれない様に数を絞れ。宇木正の郎党の中から選りすぐりの者で隊を組織しろ。宇木正の隊は、夜半、鷹ノ巣山を登って砦を急襲する。…里が静かなら奴等は安心している。一気に襲って奪い取れ。」
「…はい。」
宇木正は、余計な事を口にせず頷く。
「もう一つの隊は、忠隆」正虎は視線を土薙忠隆に向ける。「お前が担え。」
「は。」
細かい説明をされる前から忠隆は頭を下げる。
「隊は、忠隆の郎党で組織しろ。事を起こす前から物見の奴等に気取られぬよう、いつもお前の屋敷に居て、かつ、信用できる者だけで隊を作れ。けっして数を増やし過ぎるな。」正虎は、更に言葉を継ぐ。忠隆には細かい注意を忘れない。「忠隆の隊は、夜半過ぎ、鷹ノ巣山の麓を大きく迂回して鷹ノ巣山と郷巻本領を結ぶ山道の途中で防備を固め、物見砦の急を聞いて寄せて来る郷巻の軍勢を押し返せ。」
「何でぇ、親方。それじゃあ、おらぁ、守るだけじゃねぇかい。そんなのより、俺に物見砦を任せると言ってくれなきゃ。あの目障りな奴を燃やし尽くして見せまさぁ。」
「忠隆…」宇木正が口を挟む前に、正虎が、如何にも面倒臭そうな顔をして話し始める。「これは俺が決めた事だ。お前を見込んで任せようと言うのに、何が不満だ。」
「いやぁ、その…、別に逆らおうって言うんじゃねぇが…。」
簡単に忠隆の威勢が削がれる。その様子を見て、正虎が笑みを浮かべる。
「良いか、忠隆。物見砦の敵勢は、二十程度だろう。お前は、そんな雑魚の相手で満足できるのか。郷巻からの援軍は桁が違う。百、いや、千の単位で押し寄せて来るぞ。物見砦を落としたと言う知らせが宇木正から届けば、直ぐに支度をして、俺が手勢を連れてお前を加勢しに向かってやる。それまで見事、郷巻を跳ね返して見せろ。」
「お、おう。」
「良いか、馬を使うな。途中でいななきでもされたら、元も子もない。」
「そりゃ、勿論…」
「良いか、忠隆、甲冑もやめておけ。」
「え、甲冑もかい?」
「甲冑一つが擦れる音など大した事は無いが、何十となれば、離れていても聞こえる。まして夜中となれば、砦まで聞こえるやも知れん。」
「へい…。」
何だか恨めしそうな顔で忠隆は正虎を見ている。
「どうした、さっきの威勢は。郷巻の猿は手下も腰抜けだ。急坂をよじ登って来るところを、坂の上から残らず射落としてやれ。」
「おう。」
忠隆が力強く応える。
「今夜決行だ。良いか、お前達。宇木正と忠隆以外の者は、けっして動くな。郷巻に気取られてはならん。俺も、この寺を出たら、屋敷に戻っていつもの様に寝てしまう。…良いか、明日の夜明けまでに鷹ノ巣山を一縄のものにしてみせろ!」
最後に一縄正虎から発破をかけられて、寺の本堂で行なわれた評議は終わった。寺を後にし、自分の屋敷まで戻る道すがら、笠階宇木正は腕を組んで考えた。
何としても、鮮やかに砦を落としてみせたい。あんな粗野な土薙忠隆といつまでも同列に見られているのは我慢ならない。だが、課せられた使命はそう簡単ではない。
宇木正は、歩きながら鷹ノ巣山を見上げる。一縄領を見下ろしてそびえる鷹ノ巣山の頂上付近、雪でもちらつきそうな灰色の雲を背景に、物見砦が小さく見える。今もあそこから、郷巻の兵がこの里を見下ろしているに違いない。鷹ノ巣山はブナの林で覆われている。本来、頂上までブナで覆われていたのを、砦を作る際、郷巻が頂上付近の木を全て伐採してしまった。切った木は砦の材に使ったのだろうが、目的はそれよりも、物見の視界を確保し、砦に近付く者が姿を晒さずにはいられない様にするためだ。夜襲を掛けるとしても、大人数が寄せれば、気付かれずには済まされない。その上、砦は丸太を立て並べた高い防壁でぐるりと囲われている。出入口は郷巻側と一縄側に夫々一つずつあるが、分厚い扉が取り付けられ、いつも固く閉ざされている。砦の内は二十やそこらの手勢だとしても、攻める側も少人数では、砦の壁に取り付く事すらできないだろう。正虎は、人数を絞れと言ったが、具体的にどのくらいにしろとは言わなかった。砦を落とすとなれば、どうしたってそれなりの人数が必要だ。土薙忠隆には事細かに指示を出した一縄正虎だったが、笠階宇木正には、物見砦を攻め落とす様に下知しただけで、細かい指示をしなかった。正虎にも、具体的な方策は浮かんでいないのかも知れない。いずれにしても、どうやって落とすかは自分で考えろと言う事だろう。
さて、どうしたものか。
吹き過ぎる一陣の風に、宇木正は衿を掻き合わせる。
風が出てきた。きっと今夜は木枯らしが吹き荒れるだろう。風が強ければ、草木の騒めく音に紛れて、一人、二人ずつなら砦に近付く事はできそうだ。ならば、それを上手く利用して落とす算段をしよう。
宇木正は、屋敷に着く前に早くも腹を決めた。
「お帰りなさい。」
宇木正を出迎えたのは、息子の和正だった。二十歳を過ぎた若者は、親の欲目もあって、宇木正には頼もしく見える。将来は、宇木正の様に小太りに腹が出てくるとしても、今はまだ、小柄ながらも若々しい肉体を持っている。
「話がある。郎党の中から、身のこなしが軽いものを七、八人選んで部屋へ連れて来い。」
宇木正は、そのまま自室に急ぎ、閉じこもる。
和正が選んだ郎党が部屋に会すると、宇木正は声を押し殺して話し始める。
「今夜、鷹ノ巣山の物見砦を襲う事になった。」
誰も言葉を発しないが、聞く者達の目の色が変わる。
「お前達は、日没後に山に入り、山の中を郷巻側に回り込んで、砦の裏手に出ろ。けっして途中で気取られるな。アカゲラが先に砦に忍び込み、中から門を開ける。忍び込んだら、本隊が一縄側から登るのを見付けて奴等が騒ぎ出すまで、砦の中のどこかに潜んでいろ。奴等が騒ぎ出して、こっちの本隊を迎撃する準備を始めたら、背後から奴等を襲え。」
宇木正は一気にそこまで話すと、居並ぶ郎党の顔を見回す。どれも真剣な眼差しで、固唾を呑んで宇木正の言葉を聞き漏らすまいとしている。
「何か、言いたい事は有るか。」
宇木正の問いに誰も声を発しない。
「甲冑は付けるな。太刀だけを背負っていけ。…いいな。」
郎党達は、黙って頷く。
「アカゲラを呼んでくれ。」
郎党達が部屋を出て行くと、和正に向けて宇木正は言いつける。和正が出て行き、部屋に宇木正一人になると、腕を組み目を閉じて、一つ深く息を吐く。
程無くして、部屋の外から声がかかる。
「お呼びで。」
低く太い男の声。誰か話していれば、聞き逃してしまいそうな程静かに響く。
「ああ、入ってくれ。」
部屋の板戸が滑る様に開き、黒い筒袖を着込んだ男が、音もなく部屋に入って板戸を閉める。背の高い若者。油皿の灯心に灯る炎の発する明かりが男の顔を照す。黒々と渦を巻いて盛り上がる髪、太い眉。何より、眉の下にある目は、常人のそれより一回り大きく、更にその中の黒目は、気味悪さを憶える程の大きさだ。男は、黙って宇木正の前に腰を下ろす。
「今夜、鷹ノ巣山の物見砦を襲う事になった。お前にも特別な役目をしてもらう。」
ここで、宇木正は言葉を切ったが、男は口を開かず、表情も変えずに、次の言葉を待っている。
「日が暮れたら、郎党から選んだ者達を連れて、鷹ノ巣山に登れ。山の中で郷巻側に回り込んで、郷巻側から砦に近付くんだ。林が途切れる所まで来たら、郎党共をそこに待たせ、お前は一人で先に砦の中に忍び込み、郷巻側の門の門番を始末して門を開け、郎党共を砦の中に誘い込め。郎党共は、時が来るまで砦の中で潜む。お前は門から郎党を招き入れたら、一人で砦の本丸に忍び込み、郷巻の頭目を見つけ出し、騒ぎが起きる前に始末してしまえ。…いいな。」
男は黙って一つ頷く。
「俺は、密かに手勢を率いて一縄側からまっすぐ山を登る。林が切れる手前で時を待ち、夜半過ぎに松明に火を灯して一気に砦に押し寄せる。それまでにお前の仕事を終えておくのだ。俺達の炎を見て、砦の兵は騒ぎ出す。それを合図に潜んでいた郎党共は、郷巻の雑兵に切って掛かる。お前は、混乱に乗じて内から一縄側の門を開けて逃げろ。俺は手勢を率いて、お前の開けた門から砦の中に突入する。」
一縄勢の襲撃に気付けば、砦の兵は警戒する。潜伏した郎党達が無事で済む可能性は低い。アカゲラと呼ばれたこの男が、全ての任務を無事に果たして逃げおおせる可能性はもっと低いかも知れない。兎に角、郷巻側の門さえ開けてくれれば…。最悪、砦に沿って郷巻側に回り込めば、砦の中に突入できる。それでも何とかなるだろう。宇木正は腹の中でそう思いながら、おくびにも出さない。
「今夜は風が強い。砦に近付く物音をかき消してくれると思うが、太刀はやめておけ。」
「承知。小刀一本でお役を果たします。」
男の太い声が、地を這う様に響く。
「分かったら、支度をしろ。」
アカゲラと呼ばれた男は、宇木正に軽く頭を下げると、すっと立ち上がり、現れた時と同じ様に、音を出さずに板戸の外に姿を消す。宇木正は大きく一つ息を吐くと立ち上がり、一族郎党を密かに集める準備に取り掛かった。