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涙の最重要機密

「えっ…? 今…、何と?」


小太郎は我が耳を疑った。



翌日、善吉の矛盾が気になる小太郎は、どうしても歩調が速まり、夕刻には余裕を持って手紙の宛先に到着した。

そして今、その民家の玄関先で呆然と立ち尽くしている。


背の低いふっくらした女が、小太郎と颯太を座敷へと招き入れ、小さな仏壇の観音開きの扉を開けた。

位牌に目を向け言う。


「義父は三年前に病で亡くなっております…。

その後、善吉さんも一度訪ねて下さり、ここで線香をあげて下さいました……。

義父の死はご存知の筈です。義父宛ての手紙とおっしゃられても……、主人は旅に出ておりますし…」


女は明らかな戸惑いの表情を見せた。



思ってもみなかった事態に、小太郎も戸惑っていた。

最重要機密と聞いた…、本人以外に託すのは、(はばか)られる。


(どうしたものか)



「姉さん…、俺達、今夜の宿が無いんだが……、どこか知らないかなぁ」


颯太が肘で突いてきた。


「お願いします」


ハッとした小太郎が微笑みかけると、女は丸い頬をポッと赤らめ、伏し目がちに言った。


「あ…、うちでよければ…、離れがありますから…」


小太郎は、敢えて首を横に振る。


「いけません…。ご主人の留守中に、この様な美しい女性のお宅に泊めて頂くなど…」


「かまいません! 子供達が騒がしくしますが、宜しければどうぞ…」


女は、照れてもじもじ俯いた。

微笑んで見つめ合い、女を耳まで赤くさせた小太郎を、颯太は呆れる程感心して見ていた。


(は…、ここまでいくと神業に近い)



その夜、二人はただ宿ただ飯ただ酒に(あずか)った。





離れに酒を運んで貰い、ちびちび手酌で飲む颯太を尻目に、小太郎はずっと手紙を見つめている。


颯太が、たまり兼ねて言った。


「開けて読んでみろよ…」


「そうはいかん…、最重要機密だぞ…」


「だがな小太郎…、考えてもみろ…。死人宛ての手紙だぞ。

沢渡の頭目がボケたんでなけりゃ、それは確実にお前に宛てたもんだ……。

ここまで来させてから、お前に読ませる為の手紙だろ」


「しかし…」


颯太の言う事には納得のいくものがある…。

しかし、最重要機密なのだ。

このまま持ち帰ろうと言う気持ちが、まだ強かった。


「まっ…、好きにするさ…………。

だがな、小太郎。急ぎだと言った意味も汲んでやれ」


颯太は、小太郎の肩を軽く叩いてから床に入った。



間もなくして、小太郎も横になった。

眠れない…、急ぎなのに馬を使わせない理由…、死者に宛てた最重要機密……。

小太郎は、思いを他へ向けた。


さっき見た月は笠を被っていた。

天候が崩れる。明日は、雨の備えをしてから出た方がいいだろう…、とにかく村へ帰らなければ。









外が白み始め、障子越しに鳥のさえずりが聞こえる。


颯太はあくびをしながら小太郎に目を向けた。


「起きてたのか」


布団に上半身を起こしたままの、その背中は無言だった。


「小太郎?」


体を起こしてその顔を覗き込む…、見た事も無い表情があった。

呆然自失、戸惑い、混乱、不安と恐怖…。


「手紙…、読んだのか……、貸せ」


手紙を握りしめる様に、小太郎の指は強張っていた。

ただ事では無い…、颯太の胸も騒ぎ始める。


動かない…、いや、動けない小太郎の手から、慎重に手紙を取って読み始める。それは、まさに小太郎に宛てたものだった。



読み進めて行く颯太の顔色が失われていく。





手紙は、まず小太郎への詫びから始まる。

次に主君・秋山の沢渡に対する裏切りともとれる仕打ち…、全員で甘んずる覚悟、別れの言葉、小太郎に託した想い…………、そして、最後の任務。





『御屋形様を…討て』





読み終えて顔を上げた颯太を、小太郎が真っ直ぐ見つめる。

涙をたたえた無言の瞳が、多くを訴え叫んだ。


(どう言う事だ! 説明してくれ! 何が起きてる! 皆はどうなった! 何故こうなる! 俺はどうしたらいい?)


瞬きを忘れた目から涙が溢れ落ち、言葉を失った唇が震える。

颯太の腕をすがるように掴んだ手には、渾身の力が込められた。

小太郎の爪が、牙を剥く様に颯太の肌に食い込む。

颯太は、痛みに一瞬眉をひそめただけで、それを振り払う事もせずに受け止めた。


(酷い…………、一夜にして小太郎の全てが消えたと言うのか……。

その悲しみ怒り絶望……、全部俺に吐き出せ、受け止めてやる。

一人闇に閉じこもるな!

お前は一人じゃないぞ、小太郎!)







やがて小太郎の唇が小さく呟いた。


「颯太………………、俺は……」


その手の力が抜けた。


「村へ帰るぞ…、用意して表へ来い」颯太は着物に袖を通し、後ろ手に襖を閉めて出て行った。





颯太は、以前の参戦で見事に敵の武将を獲って、破格の俸禄を受けていた。

そして今、その全てを投げ打ち辺りを駆けずり回って、どうにか二頭の馬を譲り受けて来たのだった。

馬なら今すぐ出て夕刻には沢渡に着く。



朝飯の仕度をしていた女への礼もそこそこに、二人は沢渡の村へ向けて馬を駆った。










何もなかった。

焼け焦げて炭と化した木材と灰…、黒と白の殺伐とした世界が広がっている。


(ここは……、どこだ……)


呆然と立ちすくむ小太郎…、ふと、その目に唯一見覚えのある物が映った。仙太郎の名を書いた白い前掛けをした、辻の地蔵…………。

それは、ここが間違いなく沢渡の村である事を、まざまざと小太郎に知らしめた。



そこにしゃがみ込む母の背中が幻の様に浮かんで消える。


(どこへ行った……、お袋はどこだ…、控えめで物静かな俺のお袋は…。姉様は……、口うるさいが、いつも俺を気遣かってくれる姉様は…、腹の子に障らぬ様にと言ったのに…………。兄者は……、帰ったら一緒に飲む約束をした…。頭……。頭は……、穏やかで厳しい、尊敬して止まない沢渡の頭目……。皆……、どこだ……、どこへ行った……)






徐々に、小太郎の呼吸が荒くなる……。

込み上げる鳴咽が呼吸を邪魔し、思考を停止した脳は全身の力をも奪い去った。

ぺたっと座り込む…が、座っている事さえ難しく、次の瞬間その身ははたと平伏した。

後から後から溢れ出し、地に染み込んでいく涙は、既に熱を持たず冷たい……。

震えるばかりで、言葉も閉じる事も忘れた湿った唇に砂が纏わり付く。

きつく握りしめ、地に押し付けられた拳はわなわな震え、小指の関節を小さく傷つけ血を滲ませた。






ただ見守る事しか出来ずにいた颯太が、いたたまれずにその肩に手を置いた。その瞬間。


人肌の温もりにハッとした様な小太郎が、ガバッと颯太にしがみついてきた、(わら)にもすがる思いで………………。

颯太は、小太郎をひしと抱きしめた。



溺れもがいている……、全ての感情の波が、散り散りになったその心を押し流そうとしているのが、手に取る様にわかる…………。


(そうはさせるか!)


颯太は、震える小太郎を抱く手に力を込め、その荒れ狂う感情の波を僅かでも鎮め様とするかの様に、低く静かな息を細く長く耳元に繰り返す。

それはさながら幼子の寝息の様に、穏やかな安息を彷彿とさせる。


今の小太郎には、どんな言葉も意味を為さない事を颯太は知っていた。







朝からどんより立ち込めていた暗い雲が、やがて雨粒を落とし始めた。

それは、小太郎の流す涙と競うかの様に突然激しさを増し、痛い程に身体を打ち伝い流れて落ちる。



それでも二人は動かない…………、小太郎のずぶ濡れの重い心と身体を、颯太の必死の想いだけが、かろうじて支え起こしていた。







小太郎の心に届くまで………………それは永遠とも思える程、長い時間(とき)だった。







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