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沢渡の意地

小太郎の足取りは、さっきまでとは打って変わった軽やかな物になっていた。


少し離れた後ろに颯太を感じる…、あの大らかな眼差しに包まれる様な安心感があった。

会話さえも必要無い…、ただ居て欲しい。

いつか、颯太が勝負を挑み、その手に掛かる日まで…………、ただ傍に居て欲しい。





颯太は薄笑いを浮かべて、小太郎の背中を見つめている。


人生とは皮肉な物だ…………。

初めて愛した人は男だった……。

しかも、いつか獲りたいと切望して止まなかった男だ。

命を獲る為に近付いた男に、今では命を差し出せる。

どれ程想っても結ばれる事は無い……。

だから、いつか勝負しよう。いつか…、あの手に掛かって…、死にたい。

それまでは、この胸の甘く切ない痛みに堪えて、あの愛おしい背中を追って行こう。

俺には、この道しか無いのだから……。









その日は、途中の宿場町で宿をとった。

目的の村には、どう急いでも、着くのは明日の夕方以降だ。

何で馬を使わせてくれなかったのだろう…、馬なら、今頃は手紙を届けて帰路についてる。


急ぎの筈なのに……。


小太郎の胸には、その矛盾が引っ掛かって離れなかった。




風呂に入り、颯太と酒を酌み交わしながら夕飯をとり、ふと村を想った。

今頃は提灯に灯が燈り、皆、櫓を囲んで踊っているのだろう。


沢渡流は、代々、一帯の領主を勤める、秋山家に仕えている。

しかし、この日ばかりは全ての仕事を休み、村人全員で祭を祝うのがしきたりだった。



小太郎の脳裏に、又、矛盾が頭をもたげた。

年に一度の祭の日に出立させる程急ぐのに、なぜ…。



目を伏せ口をつぐむ小太郎の顔に、颯太が箸の先で酒をひっかけた。


「何をする」


「お前…、俺に抱かれてえのか。前に言ったよな、しけた面見せんなって…。

何か心配事でもあんなら言え」


言いようは、かなり乱暴だが、颯太なりの気遣いだ。

小太郎は、その気持ちを素直に受け止め、朝から、どうしても拭えない矛盾を話した。




「ふぅむ…。確かにな…、馬を使わせられねえ理由があるのか…、祭にお前がいちゃ都合が悪いのか……。

ただ単に、急ぎとは言っても実はそうでもねえとか……?

わかんね。とにかく明日、手紙届けりゃ何かわかんだろ」


言え、と偉そうだった割には、結局、わかんね、で済ますこの男…、それも又、颯太なのだ。

どちらかと言えば、考え過ぎるきらいのある小太郎は、颯太のこの軽さにかなり救われる事が多い。



(颯太の言う通り、今は手紙を届けるしかない……。

皆もご馳走を食べているだろう…。

俺は颯太とここで祭を祝おう)


小太郎は盃の酒を飲み干した。









その頃、沢渡の櫓の周りで人々は、泣き崩れ、怒りに拳を震わせ、愛する者を抱きしめていた。




「すまねえ……、皆。

全部俺の責任だ…。俺を怨んでくれ」


悲痛な表情の善吉が土下座して、地に頭をこすりつける。



沢渡の村で、今、未曾有の悲劇が起ころうとしていた。









数日前、善吉は主君・秋山兵庫に呼び出され、その広い屋敷へと赴いていた。



兵庫は、細い無表情な目を向けて言った。


「善吉、喜べ…。

今回、わしは徳田様の配下に加えて頂く事になった……。庇護に(あずか)れるのじゃ…、我が代は安泰じゃ」




善吉は呆然として言葉を失くした。


徳田は、破竹の勢いで勢力を拡大する、中央の国主であり、今や兵庫の近辺にも、その触手は伸びつつあった。



(御屋形様は…、戦わずして白旗を上げられた)



善吉はむしろ、いよいよ戦かと奮い立つ血に気を引き締め、勇んで馬を駆って来たのだった。

沢渡の総力あげて、最後の一人まで秋山家に尽くし戦う覚悟だった。





兵庫が機嫌よさ気な笑みを浮かべる。


「お前達沢渡の村は間もなく秋祭であろう……。

そこでじゃ…、今回の配下入りを記念して、わしから秋祭の馳走を遣わそう」


「はい?」


善吉の顔が蒼白になったのを見て、兵庫が、薄い唇を歪めてニヤリと意味ありげに笑う。


「遠慮せずともよい、村人全員で…、食すがよい」


「有り難き…」


言葉の先は出なかった。










頭が痺れた様で何も考えられず、いつの間にか自宅に戻っていた。

まだ歩き始めたばかりの末の孫が、背中に小さな手をかけてくる。


「おお…、よしよし」


孫を抱き、あどけない顔を見つめて涙を滲ませた。






(御屋形様は、我等に死ねとおっしゃった……)


徳田の元には、沢渡とは比べものにならない大規模な忍組織・相生(あいおい)流があるのだ。

その配下に入る以上、兵庫は沢渡との関係を解消する必要がある…、しかし、ただ関係を解消するには、沢渡は兵庫の秘密を知り過ぎていた。



(すなわ)ち、沢渡は消される。




いにしえの時代より、秋山と沢渡は運命共同体…、世情がどう変わろうともその絆が断ち切られる事は無い筈だった。




皆で逃げるか…………、いや無理だ、逃げ切れる筈がない。

相手はもはや兵庫ではない、徳田であり相生なのだ。多勢に無勢…。

一部の者だけでも……、誰を……、皆、大切な村の仲間だ。ふるいになどかけられる訳が無い…………。

もはやこれまで……、万事休す、打つ手無し。










憎々しいくらいに晴れ渡った秋の星空の下、赤や黄色の提灯が揺れる。

櫓の下には、兵庫から届けられた酒樽や饅頭、鯛の尾頭付き、にぎりめし、色鮮やかな砂糖菓子までが並べられた。



それらを前に、善吉は皆に全てを打ち明け、それらが毒入りであろう事を告げ土下座したのだ。






どれくらいの時が経っただろう。

訳の分からない幼子達は、既に砂糖菓子を握りしめている。

一人の父親が涙声で我が子に言った。


「さあ! 食っていいぞ……、たくさんあるからな!」




それを機に、皆が箸や盃を手にして口々に言う。


「よぉし! 飲むぞ」


「ああ…、お腹空いたねぇ…。たんと召し上がれ」


子供達は饅頭やにぎりめしを頬張りながら、この日の為に練習を重ねたお囃子を披露する。



若い女は、生まれて間もない赤子に砂糖水を含ませた。


「ほぅら…、美味しいよ」



ある者は仲間と酒を酌み交わす。


「さあ飲め! お前には世話になった」


「俺の方こそ…、よく助けられた…。次の世でも頼むな」


男が涙を拭って笑う。


「もちのろんだ!」


顔を見合わせて笑った。


どの顔も涙に濡れる笑顔だった。



小太郎の義兄も、女房の少し膨らんだ腹に頬を当てる。


「すまねえなぁ…、お前の顔も見てやれねえ」


「あんた…、小太郎は…?」


義兄は、弟・小太郎を案ずる、不安げな女房の手を両手で握りしめた。


「あいつが一番辛えかもしれねえなぁ…、全て一人に託された。でも、あいつにしか出来ねえんだ」


二人は、ひしと抱き合い涙した。






やがて、若い女が悲鳴をあげる。


「いやぁぁ!」


腕の中の赤子が息をしていないのだ。



次々と人が倒れ伏し、血を吐き胸を掻きむしりのたうちまわる。

お囃子の音も、いつしか途切れ、聞こえるのは苦しげに愛しい名を呼ぶ多くのうめき声だった。



既に息絶えた善吉の幼い孫達、その顔は眠る時と変わり無い。涙と血の痕を除いては。



爪が剥がれる程に地を引っ掻き、もがき苦しむ女がいる。

善吉は直ぐさま太刀を抜いて駆け付けた。


「美津…、楽にしてやろうな」


それは、小太郎の母・美津だった。

美津が、苦しみに歪む顔で頷き、善吉は一思いにその喉を掻き切った。


「後は、小太郎が…」


善吉の言葉に、美津は僅かに頷き微笑みながら息を引き取った。



そうして全員の最後を見取った善吉は、ついに刀身を自らの首に押し当てた。

涙に唇を震わせ、渾身(こんしん)の力を込めて太刀を引き絞る。


「うっ…」


鮮やかな血が霧の様に噴き出し、太刀を振り捨て(うつぶ)せに倒れた。




先祖代々、忠義を尽くした主君だった。

死ねと言うなら死んでやろう……、消えろと言うなら消えてやる…………。

それでも一矢(いっし)報いたい……。

その想いの全てを託した、小太郎……、哀れな小太郎…………。

その心が受ける衝撃と傷はいかばかりか……。

それでも、いない…………、小太郎しかいないのだ。




「小太…郎……、頼…む」




沢渡流、最後の頭目、井筒善吉、涙ながらの末期の言葉だった。










やがて、兵庫に遣わされた男が数名現れた。

あまりに残酷な光景に、声の出る者が無い。




「ここまでせねばならぬのですか…」


一人の若い男は、いたたまれずに背を向けた。



年輩の男が、他の男達に向けて言う。


「全五十八名、数を確認せよ! そして全て焼き尽くせ! 御屋形様に係わる物、何一つ残さぬ様…、全てを焼き尽くすのじゃ!」


「はっ!」


男達は、松明を手に散らばって行った。









その様子を、木陰から寂しげな眼差しで見つめる、一人の男が居た。

男は、事の一部始終を見ていたのだ。



やがて、その姿は人知れず闇に消えた。










その頃小太郎は、酔って大いびきをかく颯太の寝顔を眺めていた。


「颯太…、お前の事、頭に話した…。認めてくれた…、嬉しかったよ」


小太郎は、一人穏やかに微笑んでから、布団に入り目を閉じた。



颯太の目が、パチッと開き、隣の小太郎を見て、又穏やかな笑みを浮かべてから目を閉じた。









沢渡の惨劇を小太郎が知る(よし)は無く、颯太との別れが近い事も、もちろんまだ知らない。











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