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春に散る花

二人の出会いから八ヶ月以上が経ち、初めて共に春を迎えた頃。

未だにお互いの身上等は話した事が無かった。

しかし、既にその信頼関係は深く根付き、小太郎の任務外でも共に過ごす時間が多くなっていた。






もうまる三日、雨が降り続いている。


せっかく満開に咲き誇った桜も、冷たい雨と風に、その薄桃色の花びらを剥ぎ取られてしまった。

地にへばり付いたそれらに哀れむ様な眼差しを向けながら、番傘を差した小太郎が、人気(ひとけ)の無い神社の鳥居をくぐる。


傘を閉じ、賽銭箱の前の石段にゆっくり腰掛けた。


霧の様に降り続く細かい雨粒が時折風に舞い、はためく白絹に見える。


「どうした…、今日はえらく大人しいな…」


小太郎の呟く様な問いに応えは無い。

暫く待って石段の陰の様子を(うかが)った。



「この時季の雨は嫌いだ」


力無く言った颯太がようやく姿を現し、のそっと石段を跨いで小太郎の後ろに腰掛ける。


「なぁ、小太郎よぉ…、お前…、津留賀(つるが)って聞いた事あるか?」


「津留賀? いや、知らねえなぁ」


「だろうな…、もう十年以上も前に失くなった小せえ村だからな」



小太郎は、初めて耳にする颯太の沈んだ寂しげな声色と村の話しに、その口が今から語るであろう事を察し、ただ黙って耳を傾けた。



「ちょうどこんな時季だった。

ちょうど…、今みたいに長雨が続いて…、村の裏山が地崩れしたんだ。

それが川を上流でせき止めて…、堪えきれなくなった川は、泥や木や岩…、村のほとんど全部押し流して……、俺の親父とお袋も飲み込んでった…。

お袋の腹には俺の弟か妹がいてな…、つわりが酷くて、俺は婆ちゃんちで世話になってて命拾いしたって訳よ…。

細々とだけど永く続いた津留賀流忍者もそこで絶えた。僅かに残った人達も、次々村を出てって…。

俺は四年前に婆ちゃんが死ぬまでそこに居た。

婆ちゃんが死んで町に出て、初めてお前の噂聞いたんだ。沢渡の小天狗小太郎……。若けえのに東西一と謳われてた…、これだと思ったよ…、身寄りも帰る場所も失くしてた俺は……、沢渡の小天狗を探そうと決めた。生涯かけても探し出して獲ろうと……」


颯太の言葉は、後を引く様な余韻を残して途切れた。





小太郎は衝撃を受けていた。

身寄りも帰る場所も無い、颯太。

日頃見せるその明るさと笑顔は、それを微塵も感じさせるものではなかった。


しかし反面、納得出来る部分もある。

そのとてつもない精神力だ。

何事にも動じない、ある意味開き直った様な飄々とした強さがあった。


それは失うものを持たない故のものだろうか…、小太郎は目を伏せたまま待った。

待つしか出来なかった。


先を尋ねるのが恐い。振り向いて颯太の顔を見るのはもっと恐かった。



背後から狙ってくるか…、いっそその方が楽だ。

しかし、そんな事は問題では無い。

小太郎の不安は別にあった。



人生の(しるべ)に掲げ、全身全霊で追ったであろう沢渡の小天狗。

今の自分に颯太は気落ちしたのではないか…、獲る気も失せているのでは…………。

噂があまりにも誇張された物である事は小太郎も知っていたからだ。




「小太郎」


呟く様な颯太の声に、小太郎はハッとした。


「ん…?」


「お前は噂に(たが)わねえ男だった…、俺…、決めてんだ。お前獲るぞ……。

俺が死ぬ寸前にお前獲ってやる…。

それまではこうやって付き纏って、お前見極めてやるからな…。覚悟しとけ」



小太郎は、ああ、とだけ応えて頬を緩めた。

颯太の力強い声色と言葉に、心が陽射しを浴びた様に明るく暖かくなるのを感じた。

そして強く思う。


(もっと…、もっと腕を上げてやる。

こいつが獲るに相応(ふさわ)しい沢渡の小天狗に…、俺になってやる)




颯太が背伸びしながら薄笑った。


「俺…、お前に会えてよかった……。それまでの俺の人生は屁みてえなもんだったからなぁ」


「お前なぁ…、言葉を少し直せ」


鼻で笑う小太郎の背中を颯太が軽く叩く。


「人の事言えんのかよ」


そして、立ち上がって雨雲を見上げ、しつけえなぁ…、とこぼす颯太には、小太郎の囁きは聞こえていなかった。


「俺もお前に会えてよかった…」





雨が小降りになり、風が雲を流す。

薄雲にぼやけながらも姿を現した陽の光が、穏やかな明日を予感させた。





しかし、二人で迎える春は、それが最初で最後である事を、小太郎も颯太もまだ知らない。










数日後の夜、浪人に成り済ました小太郎と颯太は、宿場町の飯屋に居た。ちびちびと酒を酌み交わしながら、時折肴(さかな)に箸を伸ばし、たわいもない会話を交わす。

しかし、二人の全神経は、(はす)向かいに陣取る二人の行商人に注がれていた。


今日は儲けた…、等と機嫌良さげに見せるその笑顔にも、小太郎と颯太は、同業の臭いをぷんぷん感じていた。

奴らも気付いている…、互いが様子を見ている状態だった。見えない神経の針が、ちくりちくり突き合っている様に感じる。


やがて、その二人が額を突き合わせて声をひそめた。が、次に耳にした二人の聞こえよがしの会話に、背を向けた側の颯太が、思わず小太郎の目を見据えてきた。



「そう言えば、お前さん沢渡の小天狗って聞いた事あるかい」


「ああ、噂にはちょいとね…。しかし、本当のところはどうかねえ…、たいした事ない様に思うがね」


「そうかい? お前さんもそう思うかい」


「ふん、聞けばまだけつの青い若造じゃないか…。

名を売りたいだけの張り子の虎さね」


「上手い事言うねぇ…。中身は空っぽってか」


二人は、顔を見合わせて、耳障りな声を上げて大笑いした。


小太郎は視界の隅に、その笑い声とは裏腹な鋭い視線を認めていた。

挑発…………、そのニ文字が脳裏を占領する。

そして、その挑発に軽く乗ろうとしているのが、目の前の颯太だった。



「面…、割れてんな」


ほとんど唇を動かしただけで言った颯太の、既に怒り爆発寸前のところを、小太郎の平静さがかろうじて抑えていた。


店には他の客も数名いる。いますぐここでどうこうと言う事は無いだろう。颯太もそれは心得ている。問題は店を出た後だ。

小太郎としては、男達は放っておいて姿をくらましたいところだが、やる気満々の颯太がそれを許さないだろう。



「逃げるぞ」


小太郎が、何気なく声をひそめた。


「なんだと!」


颯太は小太郎の襟首を鷲掴みにして、勢いよく立ち上がった。


「そんな事出来るか! ふざけんな!」


「お前には付き合いきれんのだ」


ふっ、と鼻で笑う小太郎に、颯太が拳を振り上げる。


「くそが!」


「人の迷惑も考えろ」


小太郎の落ち着き払った声がその手を止め、颯太はバツが悪そうに周りを見回す。

客も店の主も、全員が手を止め、微かな恐怖さえ混じる驚きの眼差しで沈黙していた。


「よぉし…、いいだろ。表出ろ。おやじ! 勘定置いとくぞ」


颯太は、銭を台の上に叩き付ける様に置くと、小太郎の襟首を掴んだまま、表へ引っ張って行った。

その後ろ手が乱暴に戸を閉めた瞬間、行商人二人は、一瞬顔を見合わせてから慌ててその後を追って店を出た。




「何が小天狗だ! このへたれが! 笑わせんな!」


店の裏手から怒鳴り声が聞こえる。



男の一人は、行商用の木箱を置いて、仕込んであった小刀を手にした。

もう一人は、手に持った杖を撫でる様な仕草で、その外殻をいざらせる。

微かに反る滑らかな刀身が現れ、月灯りに不気味に光った。

仲たがいしている隙をついて、沢渡の小天狗を獲る算段だろう。



裏には涼やかな音をたてて流れる小川と、その向こうに広がる竹林があった。



「誰がへたれだぁ! なめんな! かかって来い!」


「上等だ!」


刃が激しくぶつかる音を聞いて、男達は店の陰から勢いよく踊り出た。









誰も居ない…………。


宙ぶらりんに刃を振り上げたままのキョトンとした目が辺りを探る。


風が竹林をざわめかせ、ハッと振り向いた瞬間、もう一人の男が目をむいて膝から崩れ落ちた、と、同時に黒い影が浮かび上がり、その右手がふっと舞う。

次の瞬間、男は喉元からピュッと噴き出る鮮やかな血で緩い放物線を描き、ドサッと前のめりに倒れた。




それを無表情に見下ろす颯太が呟く。


「沢渡の小天狗馬鹿にする奴ぁ俺が許さねぇ」



背後に、腕組みして店の外壁に背もたれする小太郎が現れた。


「ったく…、血の気の多い困った奴だ」


「お前馬鹿にすんのは俺を馬鹿にすんのと同じ事だ……。お前こそ、あんな事言わせといて平気か? 気が長げえって言うか…、長生きするぜ」


颯太が、振り向いて怪訝な表情を見せる。


ふっ、と笑った小太郎が背を向けて歩き出した。


「大人と言ってくれ」


「おぃ! 俺がガキだとでも言いてぇのか」


颯太が、小走りに後に続く。


「違うのか?」


「くっそぉ…、あいつらにお前殺らせりゃよかったなぁ。でもあの程度じゃなぁ…。だいたいあいつらが無茶苦茶なんだよ。もう少しやんのかと思ったのになぁ…」




小太郎の微笑みに見守られる颯太のぼやきが遠ざかって行き、後には遅咲きの八重桜が花びらを風に散らした。









颯太にとって最後の春が、間もなく終わりを告げる。





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