分岐路の未練
「さあ、約束だ…、飯を付き合ったんだから、もうついてくるな」
小太郎は木箱の木片を包んだ風呂敷包みを脇に抱えて背を向けた。
颯太はしばらく無言で立ち尽くし、小太郎との距離を空けてその後を追った。
小太郎が足を速めると颯太も早足になる。緩めると颯太もそれにならう。
「あっ!」
突然の小太郎の声に、颯太はその顔の向いた辺りを目で探った。
のどかな田園風景が広がり、青々と伸びた苗が風に揺れる。
遠くに集落の屋根と竹林が見えるが変わったところは無い。
「んっ?」
懐に突っ込んだ手の肘が何かにぶつかり、見ると小太郎が細めた目で睨みつけていた。
颯太をよそ見させ、自らは立ち止まって待っていたらしい。
「あれっ? ぐ、偶然だなぁ…」
不自然な笑顔を作ってみせる颯太に、小太郎は込み上げる笑いを堪え、平静を装って言った。
「ついてくるなと言ったろ…、どっか行け」
「どっかって…、行く方向が同じなんだ、仕方ねえだろうがよ」
颯太は腕組みして顔をそむけ、ぶっきらぼうに続ける。
「だいたいあんた…、噂通りなら今すぐにでも俺の前から姿くらましたらどうだ」
薄笑いの挑発的な目を向ける。
小太郎は、ほんのつかの間目を合わせてから穏やかな笑顔を見せた。
「そんな無理を言うな…、ご覧の通り生身の人間だ。
噂の半分にもならねえよ。
正体見たり…、ってやつだな。
お前こそ、いつかと言わず俺の背中を狙ったらどうだ。逃げも隠れもしない…。
名を上げたいんだろ」
今度は小太郎が目を輝かせて挑発する。
「ああ…、有名になりてえよ」
颯太の真剣な鋭い眼差しが、真っ直ぐ小太郎を見据えた。
「でもな…、俺をなめんな。
あんたとは正面きって勝負してえ…、正々堂々あんた獲りてえんだ…。
悔しいが今の俺じゃあ力不足だ。あんたに勝負挑む資格がねえ。指くわえて、その背中見てるしかねえのさ…。
だが、いつかきっと…、そん時は勝負…………、受けてくれ」
「ああ…。受けて立とう」
微笑んで深く頷き、真っ直ぐ颯太を見つめ返す小太郎の瞳は、暖かく大らかな静けさをたたえていた。
(俺を越えて行け……、仙太郎の分も……、俺を越えて行ってくれ)
(この人…、やっぱ綺麗だ。あぁくそぉ! 男にしとくの勿体ねえなぁ)
颯太が小太郎の想いを知る由はなく、はにかんだその笑顔の裏には、そんな気持ちが隠されていた。
颯太はずっと小太郎の後をついて来た。
一定の距離を保ち、同じ歩調で、言葉を交わす事も無く…、ただついて来た。
悪い気はしなかった。
正々堂々、正面きって勝負したい…、背中を狙っては来ない…。
颯太の言葉を素直に信じ安心している自分自身に、こそばゆい様な目の前がパッと開けた様な明るい心地がしていた。
しかし、やがてその足取りは徐々に重くなっていく。
とある山道にさしかかる分岐路で、小太郎の足が止まった。
「ここからはついて来るな」
前を向いたままのその声には、穏やかさの中にも厳しい響きがあった。
何かを言いたげな、しかし躊躇する無言の颯太の視線だけを小太郎は背中に感じていた。
「じき俺の村がある…、この先は見回りがうろついている。お前も自分の村へ帰れ」
後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、それを振りほどくかの様に歩を進めた。
立ち尽くす颯太の気配が遠ざかる。
(もう少し…、話しをしてみたかった。次に会う時は……、勝負の時かもしれないのだから)
「ご苦労さん。さすが予定通りだな。木箱をどうした?」
木立の中から聞き覚えのある声がした。
「ん…、賊に遭った」
平然と答える小太郎に、見えない声の主がほくそ笑んだ様だ。
「ふっ…、哀れな賊よな…、相手を違えたと見える」
「ああ…、しかし久しぶりに手応えがあった」
小太郎は山賊とは違う者を想って言った。
「ほぉ…、珍しい事もあるものだな。そう言えば目つきが違うな……。何か見つけたか」
影と声だけの男は、小太郎の姉婿・義兄にあたる先輩忍者だった。
仙太郎の死後、小太郎を気遣ってくれる一人だ。
「そうだな…、うかうかしてられないと思わされた…」
小太郎は懐かしむ様な笑みを浮かべてから声のする方向に顔を向けた。
「後で稽古つけて貰えないか?」
その思いがけない問い掛けに、やや面食らった様子の男が慌てて答える。
「えっ? あ、ああ…、もちろんだ…。どちらが稽古つけるのかは知らんが付き合おう」
「頼むよ…、兄者」
「えっ? 小太郎…、今何て?」
男が木の陰から姿を現す。
小太郎に兄者と呼ばれたのは初めてだった。
小太郎は爽やかな笑顔で男を一瞥し、軽く右手を上げて行った。
「じゃあな…、兄者」
「お、おぅ…、後でな」
男は照れ臭そうに笑って頭を掻いた。
男は、腕前では数段劣る自分が兄と認められていないのだと思っていた。
小太郎にとって、兄者と言う言葉は仙太郎を彷彿とさせ、聞くのも言うのも辛かったのだ。
颯太の出現は図らずも二人それぞれの心のわだかまりを解いた。
颯太はどこかで修行を積み、次は勝負を挑んでくるかもしれない…。
そんな小太郎の予想は、数日後あっさり覆される。
その日の小太郎は、ある男達の密談を探る為、料理屋で女中に紛れ込んでいた。
料理を運び酒の酌をし、柱の陰で聞き耳をたてた。
中の一人の侍に異様に気に入られた事を除いては首尾を上々に運び終え、帰路につくべく勝手口から抜け出した。
と、そこにニヤつく一人の男が居た。
「よっ…、今夜もいい女じゃねえかよ」
着流しの襟元から出した手で顎を撫でている。
「ここで何してる」
小太郎は思わず眉をひそめ低い声を凄ませた。
「おいおいおい、別品さんがそんな声だすもんじゃねえぜ…、いや、夕方ここ入ってくの見かけてさ…。でも高そうで入れねえから、出て来るの待ってたって訳よ」
颯太は悪戯っぽい笑顔を見せて、小太郎の肩に馴れ馴れしく手を回した。
「何か用か?」
小太郎は肩に回された颯太の手を振り払って歩き出した。
颯太は腕組みして後を追う。
「用って言うか…、他の奴と浮気でもしてんじゃねえかと」
「殺すぞ」
振り向いた小太郎は、短刀の切っ先を颯太の顎下に突き付けた。
が、次の瞬間には苦笑いして短刀を懐に収めた。
「冗談でもやめろ…、お前が言うと生々しい」
「わかったよ」
颯太が不満げに唇を突き出した。
その時、小太郎がひしと胸板にしがみついてきた。
若干背の高い颯太の肩に顔を埋める。
「あ、あのぉ…」
漂うおしろいの香りが颯太の鼻を柔らかく包み胸が高鳴った。
料理屋から出て来た男が三人、ニヤつきながら冷やかして通り過ぎる。
「泣かすなよ」
「最近の若い者は…、ったく」
「へへ、すいやせんね…、聞き分けがなくて困っちまう」
颯太は愛想笑いしながら、そっと小太郎の頭を撫でていた。
やがて男達の声が遠ざかる。が、颯太はまだ小太郎を抱きしめ頭を撫でている。
「いつまでやってんだ?」
冷めた小太郎の声にも颯太は離れず、甘い声で答えた。
「協力したんだからさぁ…、もうちょっとだけ…、な? いいだろぉ?」
「くそが! ざけんな!」
小太郎は思わず声を荒げ、にやけっぱなしの颯太の胸を突き離した。
「そうむきになんなって…、怒った顔も綺麗だぜ」
颯太は小さく舌を出して肩をすくめて逃げて行く。
「こっらぁぁ! 戻って来ぉい!」
言い終わった時、腕まくりして怒鳴った自分の姿に小太郎は一人失笑した。
(あいつにあっちゃ、沢渡の小天狗も形無しだな)
小太郎の中で、忌まわしい足かせにさえ思われていた異名は、颯太に獲らせる覚悟を決めた日から徐々にその重みを失い、今や単なる飾り文句に成り果てていた。
そして、勝負には程遠い颯太との再会を嬉しく感じていた。
それからも外で小太郎が一人の時には、たいていどこからともなく颯太が現れた。
次第に小太郎も颯太をあてにし、夫婦に扮したり囮に遣ったりした。
颯太はその都度ぶつぶつ文句を言いながらも確実に役割をこなした。
小太郎は、颯太の素性が気になる所ではあったが、互いを深く探らない事が暗黙の了解の様に思い、何一つ尋ね様とはしなかった。
それでも颯太と共に居る時、小太郎の心はなぜか安らげるのだった。




