出会いの夏
二三日晴れた暑い日が続き、会う人会う人が梅雨が明けたのかと口を開く時季。
陽が沈み表通りの提灯に火が入れられた、とある宿場町の路地裏。
着物の後ろ衿を大きくあけ白く美しいうなじを見せた女が一人、木の陰から宿屋の出入口を眺めている。
優男の小太郎は、時には自らが女装し任務に赴く事も少なくない。
その日も遊女に扮し、ある男達に近付くべく待ち伏せていた。
そこへ若い男が声をかけて来た。
しゃきっとすれば凛々しいであろう切れ長の涼しげな目は、今は情けなく目尻を下げている。
鼻の下を伸ばして媚びた笑顔を見せた。
それこそが颯太、その人だった。
「姉さぁん、遊んでくれよぉ…。金はあんまりねえんだけど、いいもん持ってるぜ」
「すみませんね旦那…。今日は約束があるんですよ」
肩をすかした小太郎の背後から、颯太は尚も腰を押し付け甘えた声を耳に吹き掛ける。
「つれねえ事言うなよぉ…。一目で気に入っちまったんだ」
「よして下さいよぉ」
小太郎は着物の上から胸をまさぐるその手を軽く叩いた。
その時、宿から出て来る標的の武士二人が目に入り、小太郎は颯太の手を振り払う。
ふらふらと男達に近付き艶っぽい流し目で微笑んで見せた。案の定、男達が足を止めて興味を示し、更に小太郎は無い胸の谷間を見せるが如くに肩を歪めた。
「女、ついて来い…。酒を飲ませてやる」
「いいんですか…? 嬉しい」
男の一人が小太郎の肩に毛深い手を回した。その瞬間。
「ちょっと待てぃ……。俺が先に声かけた女だ…、その薄汚ねえ手ぇ離せ」
颯太の右手が脇差しに掛かる。
(この男……出来る!)
見切った小太郎はすかさず颯太にしな垂れかかった。
「旦那! 助けて…」
と、その目が爛と輝き口元には勇ましい笑みがこぼれた。
「おぅよ! 姉さん任しとけ」
「若造が!」
男達が荒々しく大刀を抜き同時に颯太に斬りかかった。
しかしそこに既に颯太の姿は無く、男の一人は背後から首を掻き切られ、もう一人の振り向きざまの刃もすんなりかわし、颯太はその懐に潜り込んだ。
息絶え寄り掛かる男を押しどけて、颯太が辺りを見回す。
「あれっ? 姉さん……?」
既に町の遊び人風に変装した小太郎は、弾む様な足取りで一人ほくそ笑んでいた。
自ら手を下さずして標的の暗殺に成功したのだ。
ついてる…。思わずニヤける小太郎だった。が、次の瞬間、背後からの聞き覚えのある声に、ピタッとその足が止まった。
「兄さん…。こっちにいい女が来なかったかい?」
颯太がキョロキョロしながら追って来ていたのだ。
内心ギクッとしながらも自然を装い振り向くと、さっきまでとは打って変わった低い声で答えた。
「さあ…? 見てないねぇ」
颯太の見開いた目が、じっと顔を覗き込んできた。
(! ばれ…た?)
「兄さん…………、唇に紅がついてるぜ。いい事して来たね?」
小太郎は、ニヤつく颯太にホッとしながら慌てて背を向け手の甲で唇を拭った、その瞬間。
「お前…………、何もんだ?」
背中に硬い感触があった。恐らくその手に握られた脇差しの柄だ。
小太郎は観念して小さく舌打ちした。
颯太は全てを察し利用されたとも理解している様だ。
しかし不思議と怒る様子は無く、むしろ感心しきりに小太郎をくまなく観察してくる。
「はぁーっ、凄えなぁ。まんまとやられたなぁ。たいしたもんだぁ。お前……、綺麗な顔してんだな…。
まっ、この際男でもいいや」
颯太が小太郎の腕をがっちり掴んだ。
「な、なんだって?」
うろたえた小太郎を引っ張り、颯太が意味ありげにニッと笑って見せる。
「穴…、あんだろ?」
(ほ、本気だ…。こいつ…やばい、やられる…)
その表情と声色に未知の恐怖を感じ、小太郎は言葉を失った。
手元に有る武器は懐に忍ばせた短刀だけだ。酔った標的を殺るには充分だった。
しかし、先程その腕前を目の当たりにした目の前のこの男には、さすがの小太郎も短刀一本では太刀打ちできない。
(どうにかしねえと…)
隙をうかがう小太郎を尻目に、颯太は町外れに向けてぐいぐい腕を引っ張って行った。
前方に宿屋の女将風の女が二人、立ち話をしている。
颯太はその脇を擦り抜ける様に通って行った、その直後。
「あっ! すみません」
小太郎の涼やかな声と同時に背後に軽くつっかえる衝撃を感じ、女にぶつかった……、そう思った颯太は愛想笑いで振り向いた。
「すみませ……ん…って、あれっ?」
颯太の手が掴んでいたのは、背が高くがたいのいい中年女の腕だった。
唖然とする颯太に薄笑いの女が耳打ちする。
「いいもの持ってんだって?」
その遠慮無しな手が颯太の股間を掴んだ。
「あはっ…」
颯太は思わず腰を引いて、両手を振り振り後ずさりながらペコペコ頭を下げる。
「いえ! 嘘です…、お粗末な小物でして……。いやぁあ、姉さんみてえな別品さん、勿体ねえなぁ…。うん、残念だなぁ…。俺がもう少しな…、そうだよ悪いのは俺だなぁ…。許して! ごめんなさ~い」
颯太は一目散に逃げる様に走り去った。
「行ったよ…。隆さん」
中年女が家屋の陰に声をかけると、爽やかな笑みを浮かべた小太郎が姿を表した。
「すまねえな、お蔦」
「危なかったねぇ…。あれは堅気じゃないね。
隆さん、いい男だからやっかんでんのさ。気を付けとくれよぉ」
お蔦が今にも吸い付きそうな目を向け、小太郎は軽く鼻で笑っただけだった。が、お蔦はとろけそうな笑顔になって首を傾げる。
そして無言で宿に入って行く小太郎の後をいそいそと追って行った。
「ご飯すぐに出来るけど、お風呂が先かしら…、ねぇ隆さんったらぁん!」
あの男について行くのも面白かったかもしれない、悪い奴じゃない…。
小太郎はそんな気がして口元を緩めた。
翌日。
朝から強い陽射しが照り付ける中、任務終了の小太郎は行商の出で立ちで里への帰路についた。
杉木立に囲まれた峠道に差し掛かると、木陰をすり抜けてくる風が冷ややかで心地良かった。
(昼にどこかでゆっくりしても夕方には里に着くな…)
標的を待った三日間、下準備に二日間、往復の移動に二日間、一週間ぶりの里だった。
小太郎の足取りは自然と軽くなる。
その時、一瞬向きの変わった風に、湿った土と乾いた木々以外の臭いを感じ歩調を緩めた。
(汗……、複数の男の汗……。口臭…酒?)
小太郎の胸が騒ぎ始める。
付近は山賊の噂の絶えない物騒な一帯だ。
(まさか、こんな真昼間から……)
そう思いながらも背中の木箱に仕込んだ脇差しの柄に触れて確認した。
臭いからすると最低でも五人…、どこかから見られているとしたら引き返すのは得策ではない。
小太郎は笠を深く被り直し歩を進めた。
間もなく前方に人の気配を感じ、小太郎はやや目線を上げて見た。
視線がぶつかる一人の男…、無精髭にボサボサの髪のその男は顎をしゃくって見せた。
見ないふりで行け、と言う意味だ。
小太郎は足早にその場を過ぎ様としながらも、男達のたむろする山道の脇へと尻目に視線を向けた。そして、ハッとした。
(あれは……)
颯太だった。
夕べの残りか朝まで飲んだのか、酒臭いいびきをかいて木陰で寝ているのだ。
脇差しは既に奪われた様子だ。
(起きるな……、さすれば命までは取られまい)
しかし小太郎がその場に完全に背を向けた時、その思いとは裏腹に、大きく鼻を鳴らした颯太が跳び起きた。
ふぁぁ、と呑気に背伸びとあくびをした後、回りの男達を見回して間延びした声で言う。
「なんら……? おまいら」
腰に手をやり脇差しを探している。
「あれっ? どこだ…。ふっあぁ」
「兄ちゃん、大人しく身ぐるみ置いてけ」
男の一人が颯太を足げにした。
「何してんだぁ、てめぇ」
颯太が男を鋭い目で見上げ、次の瞬間、その腕は背後から男の首を締め上げていた。
「飲み過ぎで気分悪りいんだよ……、あんまり苛つかせんな」
すかさず他の男達が太刀や鎖鎌を構える。
颯太の腕がぐいぐい男の首を締め上げる。
その顔は赤黒く変色し、唇の端に泡を溜め、見開いた目は瞬きもしなくなった。
小太郎は岩陰に身をひそめ成り行きを見守っている。
なぜかあの男を放って行く気になれなかった。
やがて颯太の緩めた手をすり抜け、男はドサッと音をたてて地に崩れ落ちた。
と、同時に鎖鎌の分銅が低く唸って飛び、一瞬鋭く目を輝かせた颯太が素早くそれを跳び避けた。
が、未だ醒めきらない酒がその足元を大きくふらつかせ、おぼつかない身体を持て余した様に怒鳴る。
「んあぁ! めんどくせぇ!」
鎖鎌の男の振り回す分銅が、ぶぅんぶぅんと不気味に鳴く。
(次は……、無い)
小太郎が目を細めた。その瞬間。
分銅が再び颯太に向かって空を切り、同時に小太郎が砕いた木箱の木片を飛ばす。
それは分銅ごと鎖を絡め取り、落ちて湿った土にめり込んだ。
颯太を含め、その場の全員が唖然とそれを見つめる中、鎖鎌を持った男がずるっと膝から崩れ落ちた。
後に現れた人影は一瞬その姿を認めさせ、息を飲んだ次の一呼吸で二人の男達の間を駆け抜け、それらを一刀の下に斬り伏せた。
同時に蝉時雨が静寂を破る。
微かな風が血の臭いを巻き上げ、無表情だった小太郎が眉をひそめた。
放心状態で尻餅をついた颯太の口からは漏れる様に言葉が出た。
「姉さん?」
「お前も殺すぞ…、誰が姉さんだ」
薄笑いを浮かべた小太郎は木箱の残骸を拾い集めていた。
「あぁあ、大事な商売道具が……」
颯太が、やわっと手を出し、目の前の木片から鎖を外す。
「! これ……、鉄?」
「ああ…、鉄板と木板を張り合わせてある。盾にもなる優れもんだ。何より足腰が鍛えられる」
「あんた…、何もんだ?」
颯太は、平然とした小太郎の横顔を訝しげに見ていた。と、その目が細めた尻目に視線を向けた。
「これで貸し借り無しだ…。もう俺の穴を狙うな…」
小太郎は軽やかな笑い声を残し背を向けた。
「酒は飲むもんだ…、飲まれるな」
わずかに立ち止まってそう言うと、振り向きもせずに再び山道へ戻って行った。
去って行くその背中を憮然とした表情で見送った颯太だったが、やがて思い立った様に腰を上げると、奪われた脇差しを探し出し足早に小太郎を追って行った。




