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訣別の絆

「おい……、お前」


低く押し殺した声が、颯太を振り向かせた。

舞台の正面、一段高い所に座する細く鋭い目の男…、秋山兵庫だった。


「へい! お呼びで」


颯太は軽い調子で兵庫の脇に片膝を着き、空の盃に酌して見せた。


「あの女は?」


兵庫が、舞い終えて三つ指ついて頭を下げる、舞台上の松吉太夫を顎で指し示す。

その目は、女を物色する男の脂ぎったそれだった。


颯太は、しめしめと内心ほくそ笑む。


「へい…、松吉太夫でございます。徳田様から秋山様をおもてなしする様直々に言い遣って参りました」


「ほぉ、徳田様が…、さすが根回しの徳田と言われるだけの事はある。ふぅむ、そうか……、で、あの女は床入れかなうか」


兵庫の下心に歪んだ目が、颯太に向けられた。


「床入れ…、でございますか……? 松吉太夫は、徳田様の…………」


「情婦か…」


「へぃ…、お目を楽しませる様にとのお申し付けでして」


頭を下げる颯太に、兵庫はあからさまな不快感を顔に表した。


「ふぅん…、見せるだけか…。徳田様も罪な事をなさる」


「しかしながら……」


「ん?」


颯太が意味ありげに瞳を輝かせ、兵庫の耳元に声をひそめて言った。


「秋山様に秘め事をお持ちになる度胸とお覚悟がおありならば…、と松吉太夫は申しておりました」


「何! あの女……、わしを試すと申すか……」


兵庫が控える松吉太夫を鋭い目で睨みつけた。

しかし、松吉太夫は少しも(ひる)む事なく、むしろ挑発的にも見える、穏やかに涼やかな笑みを返した。


その美しい笑みにしばらく魅入られた兵庫の脳裏に、ある考えが浮かんだ。


(『英雄、色を好む』……しかし、世には男を英雄にする女も居ると言う……、徳田のここ数年の快進撃、急成長…、この女の色香の為せる技か…。ならば、欲しい…、是が非でもこの女が欲しい!)


「寝間へ連れて参れ」


兵庫は意を決した様に立ち上がり、太鼓持ちにそう言い残して背を向けた。


へい、と頭を下げた太鼓持ちがボソッと呟く。


「くそが…」








行灯の灯りに背を向け、赤い長襦袢のその女は座っていた。腰程までもある長い髪が艶めく。

兵庫が、その背後に腰を降ろすが微動だにしない。


「そなた…、中々の食わせ者であるな…」


背中に浴びせられた険しい声色に、女が微かに頭を俯ける。


「ふふ」


左手を口元に寄せて笑ったのだ。


「何が可笑しい? 儂を馬鹿にしておるのか」


兵庫の刺す様な視線を背中に向けられた女だったが、次の声は薄笑いを含んだ。


「貴方様こそ…、徳田が恐ろしくはございませぬのか」


「はっ…、徳田など…、何の恐ろしい事があろうか…」


鼻で笑い、背中に伸ばした兵庫の手を、すっとかわして女が立ち上がる。


「嘘をおっしゃいますな」


「何だと…?」


「沢渡を犠牲にしてまでも、その庇護に与ろうとなさったではありませぬか…………、よほど徳田が恐ろしいと見える」



兵庫の顔色が変わった。

一部の者しか知らない闇に葬り去った筈の事を、相変わらずの薄笑いで言う女。


「貴様……、何者……」


ようやく振り向いた女は、冷たく無表情な目で兵庫を見下ろした。


「御屋形様……、大変ご無沙汰致しておりました…。

天城小太郎でございます」


その声は一変して、低く淡々としている。



兵庫はカッと目を見開き、後ろにのけ反った。


「こ…小太郎…、な、なぜお前…、生きて……、た、た…確かに、沢渡全五十八名と…………」


「半月前に産まれたばかりの宮路の赤子は、お知らせもまだだったのでしょう……。沢渡は全五十九名にございました…」


小太郎が寂しげな笑みを浮かべた。



「誰か! 出合え! 曲者じゃ! 出合え!」



兵庫の叫びに、廊下に控えていた二人の男が慌てて脇差しに手をかけ腰を上げた。

同じ様に控えていた颯太が、同時に三味線の包みを天井近くまで投げ上げ、一瞬男達の視線がそれを追う。

赤い包みがハラッと舞い、二本の太刀が颯太の両手にストンと滑り込んだ。

瞬時に正面で交差したそれは、左右に大きく振り広げられ、男達は脇差しを抜く間も無くバタバタと倒れ伏した。


颯太が障子を開けて太刀を放り投げ、それをしっかり受け止めた小太郎は、腰を抜かした様子の兵庫を睨みつけた。


「刀を抜け」


「ま…、待て小太郎……。訳が…、訳があるのじゃ」


兵庫はじりじり尻をいざらせ後ずさる。


「見苦しい…、往生して刀を抜け!」


小太郎の頬が怒りに引き攣り、兵庫を見据えて離さない目には涙が滲んだ。




「小太郎…、無理だ…。殺ってやれ」


見守っていた颯太が顎をしゃくる。

その先の兵庫は、恐怖のあまり失禁していた。


気落ちした小太郎が、ゆっくり太刀を下ろす。

あまりに不甲斐無い……、徳田に見放され相生が手を引いた目の前の兵庫は、無抵抗に震えているだけだった。

口惜しさに小太郎が涙を落とした。その瞬間。


兵庫が床の間から刀を取り、小太郎に斬り掛かる。

小太郎の濡れた瞳が瞬間殺意に輝き、素早い刃がそれを振り払い、舞う様な動きのままに兵庫を真一文字に切り裂いた。


静止する小太郎の赤襦袢の裾が揺れ、目を見開いた兵庫がドサッと崩れ落ちる。


どっ、と涙の溢れ出す小太郎のすがる様な瞳が、颯太に向けられた。


「颯太……、これだけの事だぞ、たったこれだけの事だ! 

どうして…、どうしてもっと早く俺に殺らせなかった! 

皆死ぬ前に俺に殺らせてくれれば……」



深い溜息をついた颯太が、(ひざま)づき涙に震える小太郎の肩に手を置いた。


「小太郎…、その道は無かった。

沢渡の犠牲があったから相生は手を引いた…、もし先に刃を向けていたら敵は徳田と相生だった。勝ち目はねえ。

沢渡は謀反人の汚名まで着せられて……、秋山が生き残りお前が死んでた。

小太郎…、お前に与えられた任務は、こんな仇討ちなんてちっぽけなもんで終りじゃねえぞ……。

本当の最後の任務はこれからだ……。生き続ける事、生きてその体に流れる沢渡の血、誇り、想い……、秋山が断とうとしたそれら全てを繋ぐ事だ。

それこそが皆の望みだったんじゃねえのか? 

全てがお前、沢渡の小天狗小太郎一人に託されっ……た…………」


颯太の言葉が途切れ、小太郎がハッとしてそのしかめた顔を見た瞬間。

颯太の右手が水平に振り払う様に後方に太刀を飛ばした。

それは真っ直ぐ障子を突き破って行き、その向こうでけたたましく呼び子を吹き鳴らした男の胸を貫いた。



「颯太?」


「たいした事ねえ…、早いとこずらかるぞ」


不安げに声を震わせる小太郎に、颯太は微笑んでその背中を押してから、左の二の腕に刺さった吹き矢の針を抜いた。


(まずい…、これは…………、致命的だ)


呼び子を吹き鳴らす前、男は障子の陰から颯太に向けて吹き矢を放っていたのだ。

颯太は、ほんの小さな傷に自らの命を奪う程の威力を感じ取りながらも、その許す限りの間に小太郎を安全な所まで逃がす事のみを考えた。









廊下を駆けて来る数名の人影に押し出される様に外へ飛び出す。が、既に前方も刀や槍を構えて立ちはだかる男達の壁に、行く手を阻まれていた。

敵の幾重もの円陣に囲まれながらも、笑みさえうかべる小太郎が、背中合わせの颯太に尋ねる。


「颯太、最後の二人舞い…、付き合ってくれるか?」


「おうよ! 姉さん任しとけ!」


颯太の不敵な笑みと威勢のいい掛け声を合図に、二人は同時に一歩を踏み出した。


「おらぁ! 掛かって来ぉい!」


それぞれが素早い太刀捌きで敵を薙倒(なぎたお)し、再び背中を合わせまた踏み出して行く…。

それはさながら、二つの独楽(こま)が激しく回りながら引かれ合い弾き合う…、そんな様を想わせる。


小太郎が刃を払った敵を颯太が斬る…、颯太の刃がぶつかり拮抗する敵の背中に小太郎が刃を突き刺す…、まさに以心伝心、阿吽の呼吸。

多くの敵を前にしながらも、常に互いを視界の隅に認めていた。


しかし敵は屋敷の中から外から増え続ける。


(颯太は…)

(小太郎は…)



((俺が護る!))


二人の心の覚悟が定まった。

その時。


「静まれ! 皆の者! 静まれ!」


屋敷の縁側に立った一人の青年の張り上げた声が、全員の手を止め注目を集めた。

その鋭い眼差しの青年は、小太郎と真っ直ぐ睨み合いながらも口調を穏やかにして言った。


「小太郎…、行け…」


「若! 何をおっしゃいます! こやつ等は御屋形様を…」


「わかっておる!」


年配の家臣に厳しい目を向けてから、青年が再び声を張った。


「よいか! 皆の者、よく聞け! たった今より、この茂光が秋山家当主じゃ! 異議のある者は直ちに申し出ぇい! さもなくば黙って我が(めい)に従え!」


「はぁっ!」


全員が平伏し、小太郎と颯太も片膝をついた。







青年は、あの日沢渡を焼き払いに遣わされた者達の一人、兵庫の嫡男・茂光だった。


茂光は、先代の祖父が存命中、しばしば共に沢渡を訪れていた。

その都度、祖父は茂光に言って聞かせた。


『よいか茂光…、沢渡の民を大事にせよ。

爺の爺、その又爺の時代より秋山家は沢渡に支えられてきた…。窮地を幾度救われたか…。

秋山と沢渡は表裏一体、光と陰、どちらが欠けてもならんのだ……、忘れるでないぞ』


祖父の死後、沢渡を訪れる事が無くなって十年経っていたが、祖父の沢渡に対する想いは、その胸に深く刻み込まれていた。


そしてあの日、茂光は何も知らされないまま、沢渡へと遣わされ、その場で初めて父・兵庫の愚行を目の当たりにしたのだった。


『ここまでせねばならぬのですか』


それは、その場に居ない父に対し、茂光が吐いたささやかな反論だった。


直感が騒いだ。


(父上は御自分で御自分の首を締められた…、秋山と沢渡は表裏一体、沢渡を滅ぼしたのが秋山ならば秋山も又…、沢渡に滅ぼされる…………)


そこに小太郎の姿が無い事に、茂光は気付いていた。そのうえで口をつぐんだ。


(このままでは終わらない……)


漠然と、しかし確信に近い予感が、茂光に次期当主としての義務と権力と責任を自覚させていたのだ。





「行け…、小太郎…、二度と儂の前に姿を現すでない……。次は容赦せぬぞ」


茂光の声色は険しいものだったが、小太郎を見つめるその瞳には、慈しむ様な温もりと悔恨の念が宿る。


小太郎と颯太は無言のまま数歩後ずさり、踵を反して走り去った。



(生きよ小太郎…、その血…、絶やすでないぞ。誇り高き沢渡の血……、必ずや絶やすでない)


背中越しの茂光の心の声は、小太郎の胸にしっかりと届いていた。




幼い頃、先代と沢渡を訪れた二つ年上の茂光とよく遊んだ…、身分の分け隔て無く遊んだ……、聡明で慈悲深い茂光に、小太郎は密かに思っていた。


『茂光様が当主になられる頃、俺も沢渡の頭目になり、共に秋山家を盛り立てて行きたい…、お支えして行きたい』


口にした事はなかったが、それは暗黙の了解の様に、茂光も同じ期待を持っていたのだった。

それを果たせぬ無念は、互いの瞳の奥に見て取れた。


そして、その気になれば、茂光の命も奪い秋山を根絶できた筈の小太郎が、そうはしなかった想いも又、茂光にひしひしと伝わっていた。



後の世に繋ぐ……。

今の乱世にあって、離れ離れになろうとも、先祖代々共に(つちか)った歴史、絆…、絶やす訳には行かない…、互いの身体に流れるその証……、その担う重責を痛い程に思い合っていたのだ。



共に願う。


(いつの時代にか、又…………)







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