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命の舞い

日も暮れた夜の山道、小太郎にとっては歩き慣れた、その道は沢渡の村へ続く。


最後に兄者と別れたのは、この辺りだった。

子が出来たと言いに来た時の、ふやけた笑顔が思い出される……。さぞや無念であったろう。


それでも山は変わらない……、色付いた木々は徐々にその葉を落とし、秋を深め季節を進む。


その時、風が()いで、舞い散る枯れ葉に微かな違和感を覚えた。

小太郎の全神経が辺りを駆け巡る。


(何か居る)


颯太も、捕らえようのない何かを感知していた。

小太郎が足を止め、颯太が背中を合わせる。

二人の緊張の糸が繋がった。


冷ややかに感じる程の無、空気が変わる。

雲間から下弦の月が現れ、木々の合間の闇から、やんわり影が浮かび出た。

その数、十五……、取り囲まれた。



(これだけの数が音も気配も無く潜んでいた……、さすが………………、相生)


小太郎と颯太が、同時に脇差しに手をかけた。その瞬間。

男の低い声が、張り詰めた空気を振るわせる。


「待て待て…、我等はそち等と一戦交えようなどとは思っておらん」


どの影が発しているのかは分からない……、落ち着き払った、威厳と風格のある声……。

小太郎が呟く様に言った。


「相生の紅猩々(べにしょうじょう)、加藤文吉」


その目は千里を見通し、耳は草木の息遣いを聞き分ける。

稲妻を受け止めたその大太刀は一振りで三人を斬り裂いたと言う。

疾風迅雷、一騎当千。相生の紅猩々、加藤文吉。


小太郎の出現まで長く世の噂を席巻(せっけん)した人だった。

かつては、西の小太郎・東の文吉、とも言われたが、小太郎の倍以上の(よわい)の為、その盛期は過ぎたとされ、すっかり名をひそめていた、名うての忍びだった。



小太郎の怪訝な表情に、所在の無い声が続ける。


「よいか小太郎……、今回、我等が利害は一致した。

長年忠義尽くした家臣に対する秋山のあの仕打ち……、主君に対しても、いつ刃を向けるやもしれん。

我が殿にあっては百害有って一利無しの男と見た。我等が任務は状況確認のみ、あやつの身の安全など預かり知らぬところよ…。

我等はここで撤退する。あとは、小太郎…、そちの気の済む様にするが良い…………。

それと、小太郎……。沢渡流、見事なまでの散り際であった。

相生の紅猩々、加藤文吉、この目でしかと見届けた。

いや…、もう一花残っておったな。沢渡の小天狗小太郎……、その手で大輪咲かせて見せよ!」



小太郎の胸に熱い物が込み上げた。

沢渡の最期を見届けた人が居た。

太刀打ち出来る筈のなかった強大な敵の頂点、相生の紅猩々、加藤文吉……、その人が見事と認めたのだ。

ほんの僅かだが報われた思いの小太郎は、片膝を着き、涙を堪えてどこへともなく頭を下げた。


「ご厚情……、痛み入ります」


取り囲む忍び達も微かな哀れみの眼差しを向ける。

流派は違っても同じ忍び同士、村を愛し家族を愛する同じ人間なのだ……。

その心情は察するに余りある。


「小太郎、良い連れ合いを見つけたな。

そち等、死ぬなよ……。

いつか生きて又会おうぞ」


温情こもった声の後、全ての影がゆっくり後ずさり闇に溶け込む様に消えた。



途端に虫の声が、静かに鳴り響く。



「相生の紅猩々、加藤文吉…か、……でけえな」


颯太の言葉に、小太郎は、ああ、とだけ答えて、ようやく膝を上げた。

結局、姿を示さなかった文吉ではあったが、小太郎にはひしひしと感じるものがあった。


強さ故の優しさ…、優しさ故の強さ。

大切な何かを護る為に耐え抜いた、百戦錬磨、(いぶ)し銀の温もり。

(かな)わない……、一生懸かっても敵わない。

ふと、颯太を見た小太郎は、その飄々とした横顔に、文吉と似通う風格を見出だした。


(お前も充分でけえ奴だ。颯太……、お前はとっくに俺を超えている…………。

小天狗は既にその手中にあるんだ、颯太…)



「何だ? 抱いて下さいって目付きだな…、ん?」


颯太がニヤつく尻目に見ながら肩に手を回し、小太郎はそれを振り払ってから歩を進め薄笑った。


「ふん…、俺とて相手を選ぶわ」


「何だと? 俺じゃ不服か…、誰にも抱かせねえぞ…、ざけんな」


背中に言い捨てられた颯太の言葉を、小太郎が笑い飛ばす。


「男の嫉妬は見苦しいなぁハッハッハ」


「何がハッハッハァだ…、くそが…、ったく」


颯太はぼやいてから笑った。

小太郎の軽快な笑い声が何より嬉しかった。







沢渡の村に入り、小太郎は地蔵の前に片膝を着いた。

そして静かに頭を垂れ、その足元に、たった一滴(しずく)の涙を落とす。

それはもう悲しみの涙ではない……、強く固い決意に熱くなった胸が流す、(しるし)の涙だった。


(仙太郎、皆…、俺はやる。兄、小太郎らしく…、沢渡の小天狗小太郎らしく…、華々しい最期、飾って見せる!)


時は、明後日……、秋山が徳田に拝謁(はいえつ)に向かう旅の出立前夜、無礼講で酒宴が催されると言う……。

舞台は整えられた。







月の無い夜空に、微かな火の粉を弾く篝火(かがりび)が煌々(こうこう)と()かれた、秋山邸の裏門。

槍を持った二人の番人に近付く二つの人影があった。


一人は頭からすっぽり紫の透ける程の薄衣を被っている。

長い髪を一つに束ね、額の前で衣を軽く支える細くしなやかな両手が、俯き加減の顔を隠す。

もう一人は、三味線の包みと木箱を下げた太鼓持ちの男だった。


「大変お待たせ致しました…、松吉太夫(まつきちたゆう)只今到着でござぁい」


陽気に言いながら門をくぐろうとした太鼓持ちの行く手を、番人の交差させた槍が阻んだ。


「ちょっと待て…、女共は既に入っておるぞ……。遅れる者がおるとは聞いておらんが」


番人の一人が訝しげな目を向け、太鼓持ちはあからさまにムッとした表情を見せた。


「旦那ぁ、この松吉太夫を他の女と一緒にして貰っちゃ困りますよ……。

徳田様から直々に、秋山様をおもてなしする様にとの御達しを頂いて参ったのですから……」


ふと松吉太夫が何か耳打ちして、太鼓持ちが頷く。


「そうですか…、おいとまさせて頂きますか? 徳田様には門前払いを受けたと申し上げましょうか」


応える様に松吉太夫の両手が衣を上げた。

白く滑らかな肌に、漆黒の瞳が篝火を妖しく映し、椿の花びらを想わせる唇は蕾がほころぶ様に薄く開いて微笑んだ。


その妖艶さにつられてニッと笑う番人達であったが、松吉太夫はぷいと背を向けてしまった。


太鼓持ちが声をひそめてくる。


「旦那方ぁ…、宜しいんですかぁ? この松吉太夫は徳田様一番の御贔屓(ごひいき)なんですよ……、そのご機嫌を損なったとあっちゃあ秋山様にどの様な御沙汰があるか知りやせんよ」


番人達は、ギクッとして顔を見合わせてから、慌てて言った。


「ちょっ、ちょっとここでお待ち頂けぬか……、取り急ぎ中に確認を取る故……」


「もうよいのです……、帰りますよ」


背を向けたままの松吉太夫の涼やかな凛とした声が、番人達の顔色を変えた。


「大変ご無礼致しました! ささ! どうぞ……、この事はどうか徳田様にはご内聞に……」


二人共が今にも平伏さんばかりに頭を深く下げる。


「いいでしょう…、これも貴方方のお勤めなのでしょうから…。

殿には良くして頂いたと伝えおきます」


「かたじけのうございます!」


ようやく振り向いて、大らかに包み込む様な笑みを見せた松吉太夫に、番人達は、同時に頭を下げた。


それは、遊女と言えども、全国に名を馳せる男の寵愛を一身に受ける、自信と風格と気品を感じさせる輝きを持って見えたのだ。


内面から滲み出る物まで扮しきる……、小天狗小太郎の真骨頂だった。










「さあさあ、宴もたけなわでございます…。

ここらでそろそろ今宵一押しの演目! 

松吉太夫の妖艶な独り舞い! とくとご覧頂きまぁす」


中庭に施された舞台で、太鼓持ちが頭を下げた。


静かな調子のお囃子が始まり、薄衣を被ったままの松吉太夫が舞台に現れる。

滑る様に滑らかに足を運び、しなやかに差し出した白い右手が、開いた扇子をはらはら舞い揺らす。

やがてお囃子の調子が上がり、松吉太夫の左手が薄衣をすっと脱ぎ払った。

大きく開けた着物の後ろ襟から美しいうなじが覗き、艶っぽい流し目が視線を(いざな)い伏していく。

真紅の唇は篝火の灯りに濡れて輝き、今にも甘い吐息を漏らしそうに緩んで開く。


「ほぉぉ」

「はぁぁ」


その場の全員が、感嘆の溜息を漏らした。

遊女を膝に乗せ、その(はだ)けた胸にしゃぶりついていた男達の視線も、無礼講に酔い乱れ騒いでいた者達の目も、今は松吉太夫に釘付けだった。



その頃、特別な思い入れを込めた熱い眼差しで、松吉太夫を見つめる一人の男がいた。

太鼓持ちに扮した颯太だった。



小太郎の女装は、これが見納めだ…、初めて会った時も遊女に扮していた小太郎……。

今にして思えば、あの時、既に惚れていた……、一目惚れだったのだ。

酒でも付き合わせるつもりが逃げられて、独り朝までやけ酒を飲んだ。

山賊に襲われ、小太郎に救われた再会………、男だろうと小天狗だろうと関係なかった……。

唯、ついて行きたかった、何一つ逃す事無く見ていたかったのだ。


(綺麗だ、小太郎……。今までで一番…………、いい女だ)




(あで)やかに舞う小太郎の胸にも、熱い想いが込み上げていた。



颯太の視線をひしひしと感じる…、たおやかに伸ばした指先、潤んで揺れる瞳……、その先には颯太がいる……。

愛おしげに万感の想いを込めたその眼差しが、見守ってくれている…………。

いつもそうだった…、出会ってからいつも……。


(颯太…、見てくれ…、俺の最後の女舞い。

お前がいなければ、俺はあの雨の中で死んでいた。皆の後を追って死んでいた。

お前が傍に居てくれたから…、お前が抱きしめ支えてくれたから…、今、俺は舞っている。生きていられる。

全ては、颯太…………、お前と共に…)



小太郎と颯太の視線の糸は、何度も結ばれ解かれる……。

精一杯の想い溢れるその舞いは、観る者の心をも震わせていた。








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