愚か者は、どちらでしょう
お久しぶりです、よろしくお願い致します。
2021年9月4日、日間7位でした。ありがとうございます!
「わたくしに譲ってくださる、お姉さま?」
それが妹の口癖であり、得意技でもある。
アシュリナ・グレリーは私の妹だ。父似の金髪に、美しい母似の容姿と明るい緑の瞳。産まれた時から父に溺愛され、我慢を覚える事無く成長した、見た目だけなら極上な美少女。
「人は譲るものではないわ、アシュリナ」
「まぁ、おかしなことを言うのね、お姉さま」
「おかしなことは言っていないわよ、なにひとつ」
「ふふ、アディさまはわたくしのものよ?」
「……アシュリナ」
なんでも与えられ、欲しいものは我慢したことがなく、またする必要もないという思考の妹は、私にとって害悪以外の何者でもないのだけれど。
そんな妹は、幼い頃から私の物を欲しがり、父に強請り泣きつき駄々を捏ね自分の物にするまで諦めない。無意識なのかわざとなのか。人のものはよく見えるのかしら。
父は妹に甘い。私に「姉なのだから」と譲ることを強要することが当然と思っている節がある。それを知っているから、妹の物欲に歯止めがかかることはない。
私のドレスもアクセサリーも小物も、お祖母様からのプレゼントも、「欲しいの。譲ってくださる?」で奪われてきた。
そして今度は私の婚約者が欲しいのだと言う。伯爵家のための婚約だが、跡を継ぐ私を支えてもらう予定の政略結婚だ。ふわふわした脳みその妹では無理だと、誰もが認める事実だったから。
「でも、アディさまがわたくしを選んだのよ?」
それは貴女が下品な方法で取り入ったからでしょう、とは口に出せなかった。アディさま、と愛称で呼ぶほどなら、すでに手遅れなのだろう。
婚約解消の手続きをしなければならない。あの面倒という噂の破棄よりもマシかと自らを鼓舞して、席を立った。
婚約は無事解消された。妹は元婚約者を婿に迎えるつもりだったが、あちらの母親が嫁入り以外認めないと、うちの父と睨み合っているので、話が進まないようだ。
母は妹に甘い父に怒っている。母似の妹の顔が気に入っているだけだと知っていても、実の娘に嫉妬するのだ。親になるには向いてないのだろう。
私たちの前に現れることはない。父がご機嫌伺いに通うのをひたすら待っているのだ。少女のような方だと思う。
伯爵家のひとり娘として蝶よ花よと育てられた母は、ある日隣国から留学した父と恋に落ちた。お互い婚約者がいたにも関わらず、真実の愛を貫いた。と言えば聞こえがいいが、事実は周りに迷惑をかけただけの子供の恋だった。
父の母である、お祖母様は隣国の女侯爵である。今も現役だが、当時の父の愚行に激怒したと聞く。勘当された父が母の元に婿養子に入り、婚約破棄の相手には相応な慰謝料が支払われた。お陰で伯爵家はあまり裕福ではない。
「隣町の別宅に?」
疑問の声を上げたのは、私の侍女のミレーナだ。彼女はお祖母様から派遣された私専属なので、父に忠誠は誓っていない。
「そう、アシュリナが結婚したら、居づらくなるだろうから、と」
まだ父は妹を家に残すことを諦めていないらしい。
「伯爵家の跡を継ぐのはお嬢様でいらっしゃるのに、ですか?」
「私としては妹に譲ってもかまわないのだけど」
「それは……無理があるかと」
「でしょうね」
元婚約者を伯爵家に迎えたとしても、彼では領地経営は不可能だろう。だから婿養子に出される予定だったのだし。まぁ、息子を溺愛する母親がいたせいかもしれないけど、なにも出来ない人だったもの。
だから、簡単に妹に落とされたのだろう。
「どうやら、私に結婚しないで、陰から伯爵家を支えて欲しいらしいわ」
「……愚かな」
父は、そうまでして妹を家に置いておきたいのだろう。母と妹、同じ顔をしたふたりを、父は平等に愛しているらしい。
私? 父似だからいらないらしいわ。性格は隣国のお祖母様似だと言われているし可愛げもないもの。
なにひとつ、解決も改善も進歩もないまま、私は隣町の屋敷に移ることになった。
執務室はそっくり引っ越す予定だ。父は領地経営が出来ないほど(母と妹を愛するので)忙しいから。
でも、私が屋敷に入ることはなかった。
私を乗せた馬車は、私を降ろすとすぐに走り去り、荷物も配置せずに玄関ホールにそのまま。
呆れた私の手を、ミレーナが引く。
「どうしたの、ミレーナ?」
そこに、新たに馬車が停まる。質素だが、伯爵家のものより豪華な造りだ。
「さ、お嬢様」
「ミレーナ?」
「このままここにいてはなりません。この馬車は侯爵家からの遣いです。参りましょう」
お祖母様の? 確かに婚約解消の手紙は送ったけど、詳細は(父が検閲するから)書いてなかったのに。
そうして、私はそのまま隣国へと旅立つことになった。ミレーナが全て仕切ってくれたので、私自身は快適な旅になった。
思えば、いつも誰かに見られていたから、ずっと伯爵令嬢としての振る舞いを強いられてきた。
力を抜けるのは自室だけ、頼れるのはお祖母様とミレーナだけ。
肩が凝らない日はなかった。
そんな日々からの解放は、私の表情を和らげてくれたようだ。
数日後、国境を超えて安心したのか、ミレーナが教えてくれたことに素直に驚ける程には。
「……なんとも、まぁ」
あの日、隣町の屋敷にそのままいたら、私は元婚約者に手篭めにされていたはずだった、と。
「純潔を失ったご令嬢が、嫁げる貴族などございません。伯爵はお嬢様を元婚約者の妾として、領地経営をさせるつもりだったのではないかと」
「我が父ながら、愚かで救いようがないわね」
「悪知恵だけは働く方ですから」
「ありがとう、ミレーナ。貴女のおかげでそんな未来にならずにすんだわ」
「勿体ないお言葉にございます」
父からの追手はかかるだろうか。伯爵家の人員の動かし方すら知らない方だから、もうしばらくは大丈夫かもしれない。その頃には、私たちは隣国のお祖母様のお屋敷に着いているだろう。
「お嬢様は自由でございます。ですからどうか、これからはご自分のなさりたいように」
「自由……」
私のやりたいことを? 好きなように?
ならば、お祖母様にお願いして、隣国で生活出来るようにしてもらおう。伯爵家の領地経営をしていたから、お祖母様の補佐の補佐くらいにはなれるかもしれない。
そうしてお給金をえられたら、今度は、部屋を自分の好きな物で飾ってみたい。私の物に埋もれてみたい。ドレスもアクセサリーも、私の趣味に合うものが欲しい。
やってみたいことを、自由にできる権利が欲しい。
もちろん、お祖母様の面子を潰す行為はできないし、するつもりもないけど、誰にも奪われない私だけのものが欲しい。
「叶いますとも」
その言葉と共に、ミレーナが私に手渡してくれたもの。
「……これは」
あの子に、妹に奪われた、私の宝物。お祖母様に頂いたオルゴールと、あの方に頂いた宝石箱。
「どうして……とうに捨てられたものと」
「妹君は、お嬢様から奪い取るとすぐに興味をなくしておられたので」
「取り返してくれていたの?」
「お返しするのが遅くなって申し訳ありません。ですが、あの家にいる限り繰り返されると思ったので」
「いいえ、いいえ。ありがとう、ありがとうミレーナ」
「残りはトランクにございます。到着しましたらお返し致します」
「ありがとう、本当にありがとう」
正直、壊されて捨てられたものとばかり思っていた。
諦めていた私の宝物達が、そのまま残っていたことも嬉しいけれど、ミレーナの心遣いが一番嬉しかった。
なにがあっても味方をしてくれるミレーナに、心からの感謝を込めて微笑む。それは久しぶりに本心からの笑顔だった。
そうして。
隣国のお祖母様のお屋敷で、私は妹に奪われた最後のものを取り返すことになった。
「おかえり、シャルティーナ」
理不尽に奪われた、誰にも呼ばれることのなかった、私の名前。
馬車から私をエスコートしてくれた、初恋の人は穏やかに私に名前を返してくれたのだ。
私が自由を謳歌するのは、きっともうすぐ。
その後、私がいなくなったことに気づいた伯爵家の人々は、それぞれ大変だったらしい。
私に押しつけていた、伯爵家の仕事全てが自分のもとに返ってきた父は、失敗を繰り返し、その補填のために領地を大分削ったようだ。
資金繰りが苦しいのか、ドレスを仕立てることができなくなった母と妹は癇癪を起こすことが増え、父と婚約者から距離を置かれたとか。
私を妾にして、なにも苦労せずに妹と優雅に暮らすつもりだった婚約者は、自分の母を引き離すことができずに、妹に愛想を尽かされていると聞いた。
お互い様なのだけど、自分は悪くないと周りに言いふらしているらしいわ。
今から仮面夫婦だなんて、結婚する意味があるのかしら。
その妹を嘲笑いながら、母は今でも父とふたりきりの世界で夢を見ている。いつまでも、きっと。
あの家は、どこかが歪んだまま、これからも続いて行くのだろう。
愚かな人達。
この後、シャルティーナさんはお祖母様のとこでイキイキと働いて初恋を実らせることでしよう。