【短編版】ツギハギ公爵令嬢は幸せな結婚をしたい。
頂いた感想やメッセージを参考に、修正や展開を追加した新装版を書こうと思い、連載版も始めてみました。出来る範囲でがんばりたいと思います。
あとがきの下にリンクも貼ってあります。短編ともどもよろしくお願いいたします。
「お、おいアレ……」
「確か噂の……」
その日行われていた建国記念日の来賓会で、ひと際目を引く存在があった。
いくつもの衣類を継いで接いだドレスに、瞳孔の中心で金と蒼の二色で分かれた瞳。そして、赤と白が入り混じる一つに結った長い髪。
――スタッカード公爵家が三女、アーシャ・スタッカード。その見た目から『ツギハギ公爵令嬢』と、そう呼ばれている人物だ。
視線を受けている当の本人であるアーシャは、自身に向けられた視線に気づいていた。
けれども、慣れてもいたので、ある程度は耐えることを知っており、あえて聞こえていないフリをしていた。
しかし……。
「……にしても、ツギハギ令嬢。髪や瞳は産まれつきとしてともかく、どうしてドレスまであんなツギハギなのだろうな」
「……確か妾の子で、ろくな待遇を受けていないという話だ」
「ということは、わざとああいう服を着せて人前に出している、と? だとすると、公爵の性格が悪すぎやしないか。ならば、最初から自分の子ではないと言い張り、家系に入れなければよかろう」
「公爵自身は気は弱いが、そこまで性格が悪いお人ではない。恐らくこういった仕打ちは、公爵というよりも夫人の提案ではないか。自らの子と明確な差を与えたいのだ」
「……ここまであからさまにすれば、公爵も何か思うところがあるのではないのか? それに、妾とて我が子の扱いを知れば、面白い等とは露にも思わないだろうな。自分の子も同じ公爵の血筋なのに、と」
「妾はもう亡くなっていたハズだ。そして、公爵は夫人に弱いお人だと評判でな」
「なるほど……。『当初は仲良く出来ると思ったが、無理だった。夫人がここまで苛烈になるとは想定外。しかし、夫人には弱いから注意も出来ない。妾も亡くなっているがゆえに、気になる目も無い為に黙認』というところか? ……もしもそうだとすると、なんとも不憫な子だ。およよ」
世に出回っているアーシャに関する噂話は、見当違いのものが多い。平静を保ちつつ聞こえないフリをすることにアーシャが慣れていたのも、だからこそであった。
全く違う話であれば、「また適当なことを」と冷静な目で見ることが出来たのだ。
しかし……今まさに聞こえて来る噂話は、なんという偶然にか、見事に事実を全て言い当てたものであった。
アーシャは、耳に入るこの噂話に最初は耐えていた。けれども、図星をつかれたことで、機嫌が悪くなって来た。そして、一人の若い男が「およよ」と、馬鹿にしているのかわざとらしく涙を拭う仕草を見せた瞬間に、かちんと来てしまった。
気が付いたら、アーシャは、近くにあったテーブルを蹴飛ばしていた。乗っていた料理も吹き飛んだ。
「――言いたいことがあるのであれば、直接、目の前に来て仰って下さい‼」
アーシャは、つかつかと音を立てながら歩み寄ると、若い男の胸倉を掴んだ。睨みつける。すると、いかにも軽薄そうで軟派な若い男の顔が引き攣った。
「お、おいおい……」
「私が惨めだと! そう仰りたいのであれば、この目を見て、さぁ今この場で言って!」
「そういうわけでは……というか、その怒りよう、まさか俺たちが勝手に推察していた経緯が真実を言い当てていたということか?」
アーシャはぎゅっと唇を固く結んだ。「しまった」と思っていた。確かに、こんな風に怒っては、本当だと認めたようなものだ。
「……申し訳ありません」
ぽつりと呟くように言うと、アーシャは手を離す。それから、踵を返して、力なく歩いて会場から去っていた。
会場に残されていたのは、今の騒動に目を丸くした、来賓の方々の姿のみである。
いや――ただ一人。
今しがた胸倉を掴まれていた若い男が、眉を顰めながら、けれどもしばし考える素振りを見せた後に、アーシャの後を追いかけていた。
「……なんと弱く脆い女であることか。……そうとは知らず、勝手に言いたいことを言ってしまった。酷いことをしてしまった。謝らねば」
☆
目尻に涙を浮かべながら、涼しくなった夜風に切るようにアーシャは歩いた。そして、会場から離れ、喧噪が僅かにしか聞こえなくなった所で、立ち止まる。
「……ゴードン様」
ぽつり、と呟いたその名は、アーシャの婚約者の名であった。
ゴードン・アレクセイ。実力で成り上がり、若くして騎士団長となった男だ。平民出身ではあるものの、粗野な所も少なく、礼儀も正しいと評判の良い人物でもある。
婚約者となってから、ゴードンとは何度か会ったことがあった。前評判に違わぬ人物であるように、そのようにアーシャの目には映っていた。
その婚姻は、両親からすれば恐らく、端々までの権力強化の一環に過ぎないのかも知れない。政略や計略的な意図のある婚姻。
でも、ゴードンは良き人物には見えたから、例えそれが両親の掌の上であったとしても、アーシャは構わなかった。
アーシャには夢があった。幸せな結婚をして、暖かい家庭を築くことだ。自分自身が冷遇されてきたからこそ、それとは正反対の、毎日笑顔が絶えず、そして姉妹や兄弟間で優劣も作らないほのぼのとした家庭を作りたかったのだ。
誠実なゴードンとなら幸せな家庭を築ける。
そう思えていた。
だからこそ、辛い今の時に、思わず名を呟きもしたのだ。
けれども……。
その幸せな未来予想図は、崩れ去ることになる。
アーシャがゴードンの優し気な顔を思い出しつつ、そのまま帰路につこうとした時だ。街路樹の影で動く二人の人物を見てしまった。
一人は自分の腹違いの姉のバーバラ。来賓会で姿を見ないと思ったら、早々に去り、こんなところにいたらしい。バーバラは誰かと逢瀬の最中でもあったようで、あろうことか接吻の最中だった。
そして、その相手が――つまりもう一人が――ゴードンであった。
「……え?」
アーシャの目の前が真っ白になる。すると、バーバラがアーシャに気づいて、にやりと笑った。
「あら、ゴードン……今日はとても強く求めて下さるのね」
「もう我慢が出来ない……」
「アーシャのことはよろしくて?」
「あんなツギハギだらけの薄汚い女、誰が好き好んで一緒になるものか。俺が一緒になりたいのは……バーバラお前だ」
「……嬉しい。私もゴードンと一緒になりたいわ。お母さまに伝えて、取りなして貰いましょう。大丈夫。お父さまはお母さまに弱いから」
「ははっ、そうだな」
そんな会話が耳に入り、アーシャは青ざめた表情のまま、駆けだした。今の光景は信じたくなかった。この場に長く留まれば、自分の心が壊れてしまう気がしていた。
――これは夢。悪い夢。
☆
「お、おぇぇぇ……」
人気が全くない街の外れ。そこで、月明りに照らされる木の根元で、アーシャは嘔吐していた。先ほどの光景がフラッシュバックしてしまい、気づいたら胃から吐しゃ物が競り上がって来てしまったのだ。
呼吸が荒くなり、目端からぽたぽたと涙が零れて落ちていく。
「どうして、どうして……」
そう呟きつつも、アーシャは心の内では察していた。バーバラが、自分への嫌がらせの為に、ただそれだけの為にゴードンを寝取ったのだと。
姉妹たちの中でも、バーバラはひと際に、アーシャを虐めることを楽しむ性格をしていた。
だから、アーシャがゴードンとの婚姻に乗り気だったことが、それが気に食わなかったらしい。
冷遇されて、いつも辛そうな顔をしている妾の子が幸せそうな顔をするなんて――と、そんなバーバラの考えが透けて見えた。
「良いじゃない。別に、一つくらい、幸せがあったって……。どうして、どうしてこんな目に遭わなければ――」
と、その時、ふと足に痛みが走った。
「――っ」
見ると靴が無かった。急いで駆けていた時に、どこかで脱げてしまっていたらしい。足の裏から、つつーと血が流れる。
――痛い。凄く痛い。
じんじんと大きくなっていく痛みに、アーシャが流す涙の量が更に増えた。
「……ぅぅ」
心と体の痛みに泣きながらも、アーシャは、どんどんと地面を叩いた。すると、ふいに、体に影が被さった。
はっとしてアーシャが顔をあげると、そこには、先ほどの来賓会で自分が胸倉を掴んだあの男がいた。
「……君を追いかけている最中に、そこで靴を拾った。一体どこの誰のだと思っていたが、君のだったか。……そ、それにしても、凄い泣きようだ。そんなに俺の言葉が効いてしまったのか」
アーシャは、一瞬きょとんとしたものの、すぐさまにきっと睨み返した。
「な、何よ。……追い打ちでもかけに来たの? ……ふん。笑いたければ笑えば良いわ。みすぼらしくてみっともない女が、ツギハギだらけの女が、何か良く分からないけれど汚く醜く泣いている、と」
唸るようにしてアーシャが言うと、けれども、男は神妙な表情で地面に膝をつくとそのまま頭を下げた。
「そんなことを言うつもりはない。……ただ、謝りたかった。すまなかった。この通りだ」
「……え?」
「……単なる冗談話のつもりであったが、確かに、君の耳に入れば傷つく。そんな当たり前のことに俺は気づけなかった。だから謝る」
言って、男は自らの上着を脱いでびりびりと破き始めた。それから――アーシャの足の裏を突如として舐め始めた。
突然の事態に驚いて、アーシャは顔を真っ赤にしながら、男の顔を蹴飛ばした。
「ななななな、何をっ……!」
「君は怪我をしている。洗わねば化膿してしまうかも知れない。だが、ぱっと見た限りでは近くに水場が無い。一旦は舐めて綺麗にする他にない」
蹴飛ばされて、口角から僅かに血滴を流しながらも、男は千切った上着をアーシャの足の裏を保護するように結んだ。真剣な表情をしていた。
「……これで良いだろう。ただ、痛みや痺れは、一時や二時ではとれまい。おぶって家まで運ぼう。……もしも、時間が経って酷くなるのであれば、医者に掛かれ。いかような事情を持ってツギハギ令嬢として冷遇しようと、公爵にとって実の子であることにも変わりはあるまい。そのぐらいの温情はあろう」
「……」
「一体どうして、という顔をしているな。では、こう言えば良いかな。『君に酷いことを言った。だから、その贖罪の為にも、何か君の助けになりたい』と。ここで君に拒否されては、俺は、ろくでもない男のままになってしまう。どうか人助けだと思い、俺に助けられてはくれないか」
アーシャは、目を丸くして、ただただじっと男の顔を見つめた。けれども、やがて、出会った当初とはまるで正反対の男の真摯な態度に絆され、ゆっくりと頷いた。
☆
おぶられている最中、会話はほとんどなかった。アーシャの道案内に男が「そうか」と言うだけであった。
「……私の案内に頷くだけだけれど、何か言わないの?」
「何を言えば良い? 今の君には、どのような言葉も、一刺しの棘になりうるだろう。俺にはそう感じられる」
それは正論であった。確かに、今のアーシャにとっては、些細な一言であっても傷つく可能性がある。男はそれを察して、だからこそ、余計なことを言わないように努めているようだ。
ふいに会話が途切れた。
重苦しい沈黙ではなく、不思議と心地の良い無言の雰囲気を感じながら、二人は月明りの下を進む。
まもなくして、スタッカード公爵家の屋敷へとたどり着いた。
「……ではな」
「……ありがとう。……えっと」
「名乗る程の名は持ち合わせてはいない」
格好をつけた男の言葉に、アーシャはぱちぱちと瞬きを繰り返しつつ、けれども薄く笑って目を伏せた。
「……私を、恩人の名も知らない礼儀知らずの女にしないで。これも、人助けと思って」
アーシャがそう言うと、男は楽しそうに「はは」と笑った。一本取られた、と言いたげな表情であった。
「なるほど。確かにそうだな。……俺の名はロメオ・ハッシュバードだ」
ハッシュバード――知らない家名だ、とアーシャは思った。国内の貴族に関しては多少の知見があるけれども、ハッシュバードという家名は見たことも聞いたことも無かったのだ。
アーシャの怪我を保護する為に結んでくれた布は、上着を破いたものだ。そして、この上着に使われている絹が、随分と上質なものであることにアーシャは気づいていた。
間違いなく高級品であり、こうした衣類を惜しむ様子もなく破くのだから、かなりの上流であることは間違いないハズ……であるのだけれども、ならばこそ、無名であるのはおかしい。
はて、とアーシャが首を傾げていると、
「……面白い女だ。ツギハギ公爵令嬢、か。気に入った。ふふっ欲しくなった」
ロメオがぼそっと呟く。それはアーシャの耳には聞こえなかった。すると、ロメオは最後に不敵に笑って「ではそのうちな」と言った。
そのうちな、とはどういう意味だろうかと、その言葉の意味をアーシャが思案しているうちに、ロメオの背中はすっかり遠くなっていた。
今更、訊き返すことはもう出来ない。
☆
あくる日。
建国記念日の来賓会での暴挙が知れ渡り、アーシャは外出禁止令を通達された。
公爵は何か訳を聞きたそうな顔をしていたものの、夫人が烈火のごとく怒り狂った結果、そういう処分となったのだ。
これは実質上の軟禁措置であり、アーシャは、部屋の中で一人過ごす日々を送る事となり。
やる事もなく、ぼうっとして毎日を過ごし。一日また一日と過ぎ去って。
そんな日々の、なんだか暑くなりそうなある日のこと。アーシャは一旦着替えることにして、クローゼットを開けて中のドレスを物色し始めた。
どれもこれもツギハギのものだらけだけれども、柄や繋ぎ目なんかが違い、全て同じと言うわけではないのだ。
熱気を少しでも軽減出来るように、涼し気な色を多くあしらったものを今日は着よう。そう思ったアーシャは、水色や青の布を繋ぎ合わせたドレスを手に取ると、自分で着替え始めた。
着替えは、本来であれば、貴族なのだから侍女が行ってくれるものである。けれども、アーシャは全て自分でやるように言いつけられていた。姉妹たちは侍女がやってくれるのに……。
まぁその、日常生活でも、アーシャと姉妹たちとの間には大きな差が設けられているのだ。もう慣れたものではあるので、どうと思うこともないけれど。
と、アーシャはふいに、クローゼットの中に来賓会の時に着ていたドレスを見つけた。良く見ると裾が破けていた。あの時は色々と慌てていたから、気づかないうちに破けていたようだ。
「……お直しでもしようかな」
涼し気な色のドレスに着替え終わったアーシャは、箪笥から裁縫道具を取り出し、準備を始める。
裁縫は得意なのだ。
実は、ツギハギだらけのドレスも、棄てられていた衣類を拾い集めて縫い合わせたものであったりする。
「えっと……どの柄のを……」
どの捨て布の切れ端を使おうかと迷いつつ……ふと、目に入ったものがあった。それは、ロメオが自分の足に巻いてくれた、上質な絹で出来た上着を破いて出来た切れ端だ。
使えるかも、と思って洗って取っておいたけれど……。
ふいに、アーシャは自分の足の裏を眺めた。あの時の傷はそこまで深く無かったようで、もう塞がっている。悪化することもなく、医者に掛かる必要も無かった。
いきなり舐めて来たのはどうかと思うけれど、でも、ロメオはそんなに悪い人では無かったな……とアーシャは思う。ツギハギだらけで誰からも馬鹿にされる自分に、きちんと謝罪をしてくれて、気まで使ってくれた人であった。
だからだろうか。
なんとなく。
それは本当になんとなく。
この切れ端を使って見たくなって、アーシャはこそっと取り出すと、縫い合わせを行うことにした。と、その時。扉がノックされる。
「アーシャお嬢さま。公爵がお呼びです」
使用人の声が通った。どうやら、スタッカード公爵が自分を呼んでいるらしい。アーシャは裁縫を途中でやめると、そそくさと部屋を出た。
☆
「……お前には非常に悪いと思っているのだが……」
言い辛そうな表情をしつつも、スタッカード公爵が切り出したのは、ゴードンとアーシャの婚約破棄であった。ゴードンはバーバラと一緒にさせるよう話が進んでいるから、という話であるようで。
「そう、ですか……」
アーシャは呟くようにそう言った。
あの日あの夜に二人の逢瀬を見ていたから、ある程度は、予想していたことであった。
だから、大きな衝撃は無かった。
「話はそれだけですか?」
「い、いや。それだけではない。建国記念日の来賓会の時の事だが……。聞くが、誰かを怪我させたりはしておらぬな?」
それは、あの時の騒動についての問いであった。アーシャはゆっくりと頷く。誰も怪我はさせていない。テーブルを破壊して、乗っていた料理を台無しにしただけである。
「そうか……ならば良いのだ。あの場には、他国の方々も来ていた。場合によっては大問題にも発展しかねないのだ。お前には他国の貴族については、あまり教えては来なかった。誰がどのような人物かも定かではあるまい」
アーシャが今までに受けた教育というのは、他国については知る必要がないとされて、それが省かれてきた過去があった。
国内の地盤固め等に嫁に出す気であったからか、必要なのは国内の事情のみである、と。
そうした経緯ゆえに、アーシャはとかく他国の貴族に疎くあった。
「……以後気をつけます。スタッカード公爵」
「……分かったのならば、後は下がって良い。外出禁止令も明日までとしよう」
スタッカード公爵の言葉を受け、アーシャは一礼をすると、そのまま自分の部屋に戻った。そして、何事も無かったのようにドレスのお直しの続きを始める。もくもくと縫い合わせていく。
と、すると。
ドレスに水滴が落ちて染みが出来た。
「雨漏りなんてしてないのに……」
天井を見上げても、水が落ちて来る様子はない。では、なぜだろうか。アーシャは悩みながらも、お直しの続きを再開する。すると、ドレスに落ちる水滴が徐々に増えていった。
勢いが雨脚のようにも近くなったところで、アーシャは、ようやく気付いた。
自分が泣いていることに。
「うっ……うぅ……」
ツギハギのドレスに顔をうずめ、アーシャはむせび泣いた。
知ってはいた。
二人の接吻を見たのだから。
こうなることは分かっていた。
バーバラは当然の事として、ゴードンもあんなにふしだらな男なのだ。姉のバーバラの甘言に乗って、自分のことを陰で馬鹿にするような男だ。
誠実そうなのは見せかけだけで、本性は底意地の悪い色欲にまみれた男なのである。
ある意味で、あんな男と一緒になれなかったことは、幸福であったかも知れない。でも、それでも、ゴードンとの未来に瞬きの間とはいえ淡い期待を抱いていたのだ。
「ひっく……ひっぐ……うぇぇぇぇ……」
変な夢を見ていた自分が情けなくて、恥ずかしくて、姉に対する恨みやゴードンに対する軽蔑なんかもあって、そうした色々な思いが重なって。
心に折り合いと整理をつけ、ようやく涙が止まったのは夕刻になった頃だった。
☆
スタッカード公爵家には娘ばかりが4人いる。長女ファルネー、二女バーバラ、三女アーシャ、四女セルマだ。
年齢は上から20、18、17、14である。
長女は女性当主として、いずれ婿を取る予定にはあるものの、それよりも前に、バーバラとゴードンの挙式が行われることになった。
式は盛大なものとなった。
平民であるゴードンと公爵家の息女であるバーバラの婚姻は、階級差や立場を超えた愛として大々的に喧伝され、式は沢山の人であふれる事態となったのだ。
アーシャは、そんな式の隅っこの方で、幸せそうな笑顔で手を振る二人をじっと見つめていた。
既に泣きつかれていた為か、涙は一切出て来なかった。妬みの類も無い。むしろ、同情さえあった。ただ自分を嫌な気持ちにさせる為だけに、ゴードンを寝取った。そこには何の愛も無いし、家庭を築く事に対する目標すらもない。
妹から男を寝取りたいだけの女と、肉欲におぼれただけの男の空虚な関係。その事実を知っていたアーシャには、ただ寂しいだけの男女にしか見えなかった。
「――今この国は他国からの侵略の危機にある! だが、この俺がいる限り絶対に安泰だ! 愛するバーバラと民を守る一振りの剣となろう!」
ゴードンが高らかにそう宣言した。
国際情勢のことは、アーシャには良く分からない。それが本当のことなのか、それともただ場を盛り上げる為だけの口上なのか、区別はつかなかった。
ただ、まぁ、「どうぞお好きに」とは思った。拍手喝采が巻き起こる会場から、ひっそりと、アーシャは姿を消した。
☆
ゴードンとの婚姻に伴い、バーバラは屋敷から姿を消した。公爵家が用意した新たな屋敷に住まう事になったそうなのだ。
これは、アーシャにとって嬉しい誤算であった。
意地の悪いバーバラと顔を合わせなくて済むようになるからだ。
「アーシャ、ごめんなさいねぇ? あなたの大好きなゴードンはどうしても私が良いって言うものだから」
屋敷を出て行く前に、アーシャに対して、バーバラはニヤニヤしながらそんな言葉を言い放った。
けれども、アーシャはこの時には既にゴードンのことはどうでも良くなっており、精神的なダメージはまるで無く。
ただ、悔しそうな顔をしないと面倒な事になりそうだったので、わざと下唇を噛んで眉を顰める。その様子に、満足そうに高笑いしながら屋敷を後にするバーバラを、アーシャは無関心な心持ちで見つめた。
その一部始終を屋敷の人達は見ていた。けれども、夫人は当然のこと、他の姉妹やスタッカード公爵もバーバラを咎めることは無かった。
この屋敷において、アーシャは侮蔑され、もっとも地位が低いとされる存在として扱われているからだ。
だから、気を使ったり慰めよう等とは誰も思わない。
☆
バーバラが屋敷から出て半年ほど経った頃のことであった。
なぜか、屋敷の中の雰囲気が心無しか重い日々が続き、緊張感の溢れるような空気が蔓延するようになっていた。
いつもはアーシャを見れば侮蔑の視線を送って来た夫人が、最近はめっきりそんなことをしなくなって。そんな余裕が無い、とでも言いたげに素通りするようになった。
こうした状況に、アーシャは怪訝な日々を過ごした。そんな時、ふと、使用人たちのある世間話を横耳に聞いた。
「……帝国が攻めて来たって話聞いた?」
「聞いた聞いた。どうなるのかしら……」
「ゴードン様が前線に出ておいでとのことだけれど……」
「もうかなり近くまで来ているって話を聞いたわ」
どうやら、戦争が起きているらしい。それも、この国がかなりの劣勢状態とのことで……屋敷の雰囲気が重苦しいのは、どうにもそのせいのようだ。
夫人がアーシャを蔑まなくなったのも、そんなことをしている場合ではないから、ということらしい。
とはいえ、アーシャには戦況の事は良く分からない。取り合えず、負けそうだ、という状況については理解したけれど……。
「どうなるんだろう……」
ぽつり、とそんな言葉が零れた。
アーシャは、戦争に負けた国の末路については、本で得た知識しか無く実際を知らない。
本で見た敗戦国の末路と言うのは、国民は奴隷という名の商品となり、貴族たちも一斉に粛清とか、そういうものだった。
それが本当かは分からない。けれども、不安になってくる。
「死ぬ……のかな」
それは嫌だな、と思った。
アーシャには夢がある。一度は崩れ去ったものの、しかし、やはり諦めることは出来ない夢がある。幸せでほのぼのとした家庭を築く、というものだ。
でも、戦争に負けたら……。
言いようのない不安の中で、アーシャは毎日を過ごすことになった。
☆
更に一カ月が経つと、ますます屋敷内の雰囲気が悪くなっていた。それは、望まぬ結末を迎えたからであったようだ。
――騎士団長ゴードンが重症を負ったことで戦意が一気に後退し、陥落間近。ついては、全面降伏を行う事となった――。
此度の戦はそのような結末と至り、アーシャはこの事を、開戦を知った時同様に使用人たちの噂話を横耳で聞いて知った。
「どうなるのでしょうか」
「私たちはここで働き続けることが出来るのでしょうか」
「争いで負けた国の貴族が、そう良い待遇を与えられはしないのでは」
「働けるかどうかの心配よりも、奴隷にさせられるか否かの心配をするべきでは……?」
この国は負けてしまった。
屋敷の空気が重いのは、敗戦国の末路を心配しているからこそのようだ。
と、その時。ふと、大声が屋敷で響いた。
「お父さま! ゴードンが、ゴードンが……」
「おおバーバラ」
「このままでは、ゴードンが死んでしまいます! どうかお助けを……良き医者を探して下さいませ……」
「済まぬそれは出来ぬ相談。この国は負けてしまった。私が勝手に動いては、方々にも迷惑が掛かろう。……あとは運に任せるしかあるまい」
「そんなっ……」
どうやら、婚姻に伴い屋敷を出て行ったバーバラが、スタッカード公爵に助力を求める為に戻って来ていたようだ。
ゴードンとの間には愛が無いようには見えたけれど、こうして血相を変えているところを見るに、共に暮らすうちに芽生える何かがあったのかも知れない。
「お母さま! お母さまからも何か言って下さいまし!」
「バーバラ……。確かに、私とて、愛しい我が子は助けてはさしあげたい。けれども、今回ばかりは公爵の尻を叩いてどうにか出来ることではありません……」
必死に縋るバーバラを見て、アーシャは、何も思わなかった。
人の幸せを踏みにじった末路に相応しい等とは思わないし、かといって、同情を覚えることもない。完全にただの他人事として捉えていたのだ。
そんなことよりも、自分自身の未来がどうなるのかの方が、とても大事であった。
アーシャは自分の部屋に戻ると、窓の外を眺める。青い空が続いている。血なまぐさい争いが近くで起きていた等とは到底に思えない。
ただただ、澄み切った空が続いていた。
☆
アーシャが呼び出されたのは、敗戦からおよそ二週が経った頃である。血相を変えたスタッカード公爵が無作法に扉を開け、すぐに来るようにとアーシャを連れ出した。
「……あの……」
「……急遽ではあるが、お前の嫁ぎ先が決まった」
「えっ……?」
「帝国の第三皇子、ロメオ・ハッシュバードがお前を差し出せと言って来たのだ。差し出せば、この国には自治を与えるという条件を突きつけてな。……断るなどとんでもない」
――ロメオ・ハッシュバード。その名をアーシャは覚えていた。建国記念日のあの日に、自分に礼儀を尽くしてくれた男である。
でも、あの彼が帝国の第三皇子……?
そんなまさか、とアーシャは思いつつも、けれども可能性としては決してゼロでは無かったことに気づく。
アーシャはハッシュバードという家名を知らなかった。でもそれは、ハッシュバードが他国の貴族――今回の場合は皇族だが――であるから、とすれば何の不思議も無かったからだ。アーシャは他国の事情には疎いから、知らずとて違和は無いのである。
明確に高額であろう衣類を迷うことなく千切った行動も、その時点で、多少所ではない上流階級であることが分かる。
一つ一つを繋ぎ合わせて行くと、それはもう明白に、ロメオという男の背景を映し出していた。気づかなかった自分の愚かさにアーシャは頭を抱えたくなる。
けれども、悩んでいる時間はないらしく。
あっという間に先方が用意したという馬車に乗せられると、ロメオの下まで運ばれて行った。
☆
「久しぶりだな。ツギハギ令嬢――いや、アーシャ」
連れていかれたのは宮殿であった。そこの一室に通されると、椅子に座るロメオがいた。
「ロメオ……あなた皇子さまだったの?」
「知らなかったのか……?」
「……全く」
「名乗った……よな? ロメオ・ハッシュバードだと」
「他国の貴族のことはてんで分からなくて。教えて貰えなかったから……」
「なるほど……」
ロメオは「はぁ」と溜め息を吐くと、ゆっくりと立ち上がる。そして、アーシャに近づいた。
「ま、俺の素性を知っていたかどうかはどうでも良い。君は俺の妻になる。それだけ知っていればいい」
「どうして……」
「君に一目惚れしたから、では不足か? ……君が妾の子だと知っている。だからこそ言おう。俺は妾を取らん。生涯をかけて君ただ一人を愛すると。このことは公式にも大々的に宣言するつもりだ」
ロメオの瞳は真剣であった。アーシャに蹴飛ばされてなお治療を続けてくれた、あの時と同じ表情であった。
「……何か欲しいものがあれば言え。全て用意させよう。望みはなんだ?」
アーシャは、本当に突然の出来事過ぎて、どう反応すれば良いか分からなくなっていた。
でも、いくら迷ったとて、断ることなど出来ようもないことにも気づいていた。
自分自身との婚姻が国の自治権の対価だからだ。
スタッカード公爵家一同が処刑されたり迷惑を被るだけなら、まぁ、別に構わない。でも、全くの見ず知らずの大量の人間の未来まで掛かっているとなれば、話は変わって来る。
アーシャはそこまで冷酷にはなれなかった。
「……特には」
ぽつり、と言いながら、アーシャは顔を伏せて少し泣きそうになっていた。
ロメオは悪い人ではないと思うけれども、でも、これで自分の夢は完全に終わったと思ったからだ。
第三とはいえ皇子という身分。
そうしたロメオと一緒になり、幸せでほのぼのとした家庭を築くことは、不可能に近いのではないか、と。
ぽたぽたと涙が床に落ちる。すると、ロメオが慌ててアーシャの涙を指で拭った。
「ど、どうした? あぁいや、そういえば、あの時も君は泣いていたな。……理由を話してくれ。どのような言葉が飛び出そうとも、俺は決して怒ったりはしないと誓おう」
その言葉をなぜか、それは本当に自分でも良く分からないけれども、アーシャは信じて良いと直感した。だから、泣きながら、ぽつぽつと語りだした。
「……わ、私には夢があったの」
「夢……?」
「こ、公爵家ではいつも虐められて来たから、だから、自分が結婚したら、そういう虐めとか差別がなくて、明るくてほのぼのした家庭を築きたいって」
「……そうか」
「でも、もう、無理なんだなって……」
「っ⁉ そ、そんなことはない。幸せでほのぼのとした家庭だな? 良い目標だ。俺もそれを目指したいと思う」
「皇子の妻だなんて、絶対にそんなのは無理で、でも私が嫌だって言えば、公爵家は別にどうなっても構わないけど、見ず知らずの民全ての命が……」
アーシャがそう言って鼻をすすると、ロメオは「うっ」と一度のぞけってから大量の汗を飛ばしながら口早となった。
「――ま、待て、その言い方だと、まるで俺がとんでもない極悪人のようではないか。か、勘違いはするな。これは戦争であったのだ。元々は対価を求める条件など出すつもりはなく、慣例に従い敗戦国へは粛々とした措置を取る予定であったんだ。……だが、俺とて人命は尊いと思っている。戦中の被害は勿論のこと、それ以降の被害も最小限にし、自治は与えたいと考えていた。俺自身も前線へと出て、戦意を喪失させる為に、あえて一騎討ちにて騎士団長とやらも斬った。自治についても必死に動いた。……まぁ、自治権については、これは無条件でというわけには行かず、対価を求める必要が出て来たが……。そこで、条件に君を指定したのは俺の我儘ではあったが、けれど、この我儘も通すのが大変であってだな……」
夜通し、アーシャは泣き喚き、ロメオがおろおろと慰めや言い訳の言葉を並べ立てる。二人の再会は、なんとも言えない雰囲気に包まれていた。
☆
宮殿に呼ばれて以降、アーシャの住まいは帝国へと軸を移していた。スタッカード公爵家での生活が過去のものとなり始め、そして、式の日も刻々と近づいていって。
この頃には、これは逃れられぬ運命だとして、アーシャは自身を納得させていた。
幸せな結婚生活を送れるかは分からない。でも、ロメオは最終的に、叶えられるように努力しようと約束してくれた。
今はそれを信じる他にない。
と、そんなある時であった。いまだツギハギのドレスのままのアーシャが、宮殿内でも騒ぎになり始めていたことを知ったロメオが、新しい服を用意させると言い出した。
「……ツギハギ令嬢の名も返上だな。少なくとも服はそうではなくなる」
アーシャは、嬉しいような、嬉しくないような不思議な気持ちであった。
けれども、長年付き合って来たこのツギハギとドレスと別れを告げるのは、ドレスに対して些かの申し訳なさもあって……。
なんとも言えない表情で、その場から動けず、アーシャは立ち止まる。すると、ふと、ロメオがアーシャのドレスの裾を見た。
そして、次の瞬間――ロメオは驚いたような顔をしつつ、けれどもすぐさまに反転して柔らかく笑んだ。
「そうか。いや、返上する必要はないのかも知れない。そのままで良かろう。式もその服で行おう」
「えっ……?」
「その服には、初めて出会った頃の思い出が詰まっているようだ。例え誰から何を言われようとも、君と俺にとっては、その服こそがもっとも相応しいのかも知れない。……君は前に自分自身を指して”惨め”と言ったな。だが、そんなことはない。ツギハギだらけの君が、少なくとも今の俺にとっては、何よりも一番に美しいと思える。一体どこが惨めだと言うのか」
アーシャは目を丸くしつつも、どこを見られていたのかに気づいた。
自分が今着ているのは、以前にお直しをしたドレスだ。そして、ロメオが見ていたのは、お直しの時に使った上着の切れ端の部分であった。
二人の出会いの思い出が詰まっているから、だから、ロメオはこのドレスが良いのだと言ったようだ。
そして。
それから。
ロメオの言葉の後半部分――自らの存在の全肯定に対して、アーシャは赤面した。
ここまで真っすぐに、ツギハギであることに何らの侮蔑なくそれが美しいと言われたのは、産まれて初めてであった。
☆
はてさて。
その後のアーシャがどのような人生を過ごしたのかと言うと。
色々とはあったものの、お高く止まることの無いツギハギ夫人として民に広く慕われ、実生活においては二男二女に恵まれ、ロメオの奮迅の協力もあって、家庭もほのぼのとした暖かなものとなった。
後に振り返った時に、アーシャはふと思った。なんだか意外と……自分が望んでいた幸せな結婚の理想像そのものになった気がする、と。
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↓に連載版のツギハギ公爵令嬢へのリンクもあります。連載版では少しざまぁ成分を増やせたらな……と思います。その為に連載版はR15設定にしました。あと、アーシャがそこそこ幸せになってる感じも書けたらと思います。




