お前は強いが、最強にはほど遠い
「お前は下がっていろ」
魔来名が前に進んでいく。俺の前に立ちハードライトと対峙した。
俺を守るように立つ魔来名の背中が見える。何度も見た後ろ姿がそこにある。
俺は、この体に何回助けられただろう。
俺を守るために、魔来名は何度でも前に立つ。
大きな背中が、そこにあった。
「聖治」
傷だらけなのに真っ直ぐと立つ。魔来名は天黒魔を取り出した。
「安心しろ」
そのまま居合いの構えを取る。
「お前が忘れていても、俺は覚えている。思い出したからな」
どれだけ傷ついて、どれだけ苦しんでも。
「お前は守る」
それがどれだけ過酷な旅だとしても。
決して諦めない。
この人は、本当に強い人だった。
「約束だからな」
「約束……」
今更だけど、俺はこの人になにができるだろう。なにを返せるだろう。何度も守ってもらったのに俺は感謝しかできていない。
なにより。
俺は、この人になれるだろうか?
どんなに傷ついても、どれだけ苦しんでも。
それがどれだけ過酷な旅だとしても、決して諦めない。
約束を諦めない、そんな強い人間に。俺もなりたい。
こんな人に、俺も。
魔来名の持つ天黒魔に力が溜まっていく。黒いオーラを飲み込み天黒魔が振動する。周囲の空気も震え魔来名を中心に風が渦巻いていた。
魔来名は諦めていない。戦う気だった。
その姿に俺はいつしか惹かれていた。彼の後ろ姿に自分の無力さを痛感するとともに魔来名の強さに羨望していた。
誰かを守るという強い意思、そのために力を振るおうとする魔来名は、俺の憧れそのものだったんだ。
「魔来名……」
胸が熱くなる。その熱が喉元までせり上がったあたりで我慢なんてできなかった。
「魔来名ぁああ!」
名前を叫ぶ。呼ぶことに意味なんてない。でも、叫ばずにはいられなかったんだ。
俺を守るために命を賭けて戦う、その人の名前を。
風が止んだ。天黒魔には十分な魔力が溜まり魔来名はいつでも抜けるように構えを保っている。
「終わったか?」
「ああ」
戦いの場は整った。互いにいつでも斬りかかれる。光速で移動できるハードライトならなおさらだ。それが攻撃してこなかったのは慢心か、それとも俺と魔来名の別れのやりとりを待っていたからなのか。
「そうか。ならば終わらせよう」
けれどそれも終わり、ハードライトの剣先が動いた。
くる。音さえも届かない光速の一撃が。一瞬でこの勝負を終わらせるために。
「その前に、お前に一つ教えてやる。ハードライト」
「私に?」
なんだろうか。この期に及んでなにを言うつもりなんだろう。
「お前の敗因は、相手を見くびったことだ」
「負けるだと?」
それはなんら特別なものじゃない。
いつもと変わらない、自信満々の挑発だった。
「消えろ」
ハードライトが苛立ちを露わに吐き捨てる。
そして、戦いは始まった。
互いに技を繰り出す。両者の一閃が交差する。
きっとこれが最初で最後の一撃。これですべてが決まる。俺たちの命運、そして世界の運命も。
その一瞬は、しかし俺が認識できる外での出来事だった。音速を超えたさらにその先、光の世界。そのためそれは見ることも聞くこともできない。
その中で、俺は確かに聞こえていた。一瞬すら届かない狭間の中で。
その声を――
『刹那斬り』
――そもそも、刹那とは仏教における時間の概念でありまた数の単位でもある。現在ではほとんど見かけることはない。そもそも日常生活において用いることはない。
なぜなら刹那というものがとても短いものだからだ。
では、刹那とはどれくらいの時間を指しているのか。
指を弾く間に六五刹那あると言われ、小数で表せば百京分の一となる。刹那斬りはこの百京分の一秒で相手を斬ることになる。
刀を鞘から引き抜き振り抜くまでの距離を(短く見積もっても)一メートルあるとする。すると、刹那斬りとは秒速に置き換えると百京メートルに他ならない。
光速が一秒に移動するのは地球の七周半に当たる三十万キロメートル。
よって。
刹那斬りは、光速の三千億倍速い。
「ぐああああ!」
ハードライトの悲鳴が上がる。
二人の体が交差し立ち位置が入れ替わった時、すべては終わっていた。ハードライトは片膝を付きその場にひざまずく。見れば片腕がなくなっていた。
魔来名はハードライトの悲鳴を静かに聞きながらゆっくりと納刀していく。鍔が鞘に当たり、かちんと音が鳴った。
「馬鹿な、私がッ」
失った片腕を支える。斬られた先からは光の粒子がこぼれるように漂っていた。その様子から復元する気配はない。
「くッ」
天黒魔の力。斬ったものは回復も復元もできない。ディンドランですら天黒魔でつくられた傷は癒せなかった。
敗北など考えてもいなかったんだろう。ハードライトの表情には痛みよりも困惑の方が色濃く出ている。俺だって戦えばハードライトが勝つと思っていた。誰もこの男には勝てない。そう思えるほどの力がハードライトにはあった。
だけど、勝ったのは魔来名だった。
「ハードライト、確かにお前は強い。距離を問わない多彩な攻撃、防御、速度、復元による耐久性。お前は一見完璧だ。ランクC最強だというのも頷ける。だが、お前の力はしょせん物理法則の枠の中」
魔来名は振り返り、うずくまるハードライトを見下ろした。
「お前は強いが、最強にはほど遠い」
物理法則上、質量を持たない光子よりも速く動くことはできない。しかし魔来名はそれを越えたんだ。
物理法則を超越した、それは魔法のような一撃だった。
「くッ」
ハードライトは腕を抱えながら立ち上がった。不死身だと思われた復元能力も天黒魔に封じられてしまえば意味がない。
ハードライトはそのまま後ずさりながら消えていった。
「消えた」
衝撃的な勝利に半ば呆然としそうになるが魔来名は勝ったんだ。あのハードライトに。
すごい、本当に。
もう何度目になるか分からない衝撃に胸がしびれる。現実じゃないみたいだ。
が、魔来名の体が傾き始めた。それで我に戻る。
「魔来名!」
すぐに駆け寄り体を抱えた。魔来名は倒れ仰向けになっている。
「おい、魔来名? なあ!?」
「ああ……」
その顔は憔悴しきっていた。体は血が溢れている。何度も戦ったんだ、ぼろぼろの体で。俺のために限界の体を無理矢理動かして戦ってくれた。こんな風になってまで。
「魔来名、俺は」
言葉が続かない。なんて言えばいい。命の恩人が今目の前で死にそうになっている。なのに俺はなにもできない!
「いいんだ」
そんな俺を、魔来名は見上げていた。
「いいんだ」
穏やかだった。声も表情も。死にそうだっていうのに。
「なんで、そんな風に言えるんだよ」
死にそうなんだぞ? もうすぐ死ぬんだぞ? それも俺を庇った傷で。恨み言を言われたっておかしくない。なのに。
こんなにも俺のために戦ってくれたのに。
魔来名の表情は、まるで救われたのは自分のようだった。
目の奥が熱くなる。気づけば頬を水滴が滴っていた。
俺はこの人になにもしてやれない。ただこうして体を抱き上げることしかできない。
なんで、なんで俺はいつも、いつも! こんなにも無力なんだよ!




