第二章 絡み合う糸
――これはまだ、セブンスソードよりも前のこと。
捨てられて久しい廃ホテルの一室に白人の男がうずくまっていた。暗闇の部屋を照らすのは窓から差し込む月光のみであり、その下に晒された男のさらに下、腐敗が見られる床には妖しく光る赤い魔法陣が描かれていた。
「ダバディさん、残念ですがあなたはここまでです」
「ッ」
それはまさに祭壇に捧げられた生贄であり、そこに姿の見えない執行人の声が響く。同時に、月光を避けるように両側の影からいくつもの物音がした。
「ま、待て、話が違うじゃないかッ。あんたに協力すれば、俺も悪魔召喚師になれるって。なんでも出来るって、あんたは言ったじゃないか!」
「ええ、その通りです。現にあなたは悪魔を召喚出来ました。おめでとうございます。しかし、その後のあなたがどうなるかまでは聞かれませんでしたので」
悪魔のような言葉に男は卑怯だと思うが決して口には出来ない。
「頼む、助けてくれ! お願いだ、なんでもする!」
が助かるには頼るしかない。皮肉にも、自分を利用して、追い詰めて、ボロ雑巾のように捨てようとしているこの男に。
「残念ですが私も時間があまりないので。ここでお別れとしましょう」
けれど、そんな男が救うはずもなく。
床の魔法陣がさらに光り出す。男は逃げ出そうとするも肉体から魂が剥がされると魔法陣へと吸い込まれてしまう。
「うあああああ!」
最後に悲鳴だけを上げて、男は気絶したように床に倒れた。
その一部始終を、この夜は冷酷に見下ろしているだけだった。
「河瀬さん、あなたは彼をどう思いましたか?」
「どう、ですか?」
この部屋には今しがた亡くなったダバディとは別に二人の男性が立っている。
河瀬と呼ばれた男は日本人のまだ三十代、ビジネススーツを着たその姿は真面目な印象を持つ。整った黒髪も相まってサラリーマンのようだ。ダバディが逃げ出さないか扉の前に立っていた彼は不意の質問に口ごもる。
「なぜ、浅ましい者ほど一発逆転を狙うのか。それほどの才がないから窮しているのにそれが分からない。ですがそこにヒントがあります。いいですか河瀬さん、人を操る方法はいろいろありますがこの一発逆転というのが彼らにとって最大の餌になるんです。私たちはそれを上手く利用することです。あなたも悪魔召喚師を目指すなら、覚えておいてください」
それはアドバイス。まだ見習いである彼へ向けて。
「はい、神野さん」
月明りの外側、影にいたその人物が姿を表した。
赤味のある渋いブラウン色のスーツに身を包み年齢はおそらく四十代から五十代。しかし見た目以上に彼は若く見える。一目で高級だと分かるスーツの着こなしに主張し過ぎない腕時計と磨かれた革靴。やや長めの髪は中央で分かれ、特徴的なのはこんな暗がりでも外さないサングラスだ。
この事態を生んだ黒幕は屍となった男には目もくれず河瀬の隣を通っていく。
「では出ましょう、車の用意をお願いします」
「ここは? このままでいいんですか?」
部屋を見るが死体はそのままだ。さらに異形の者たちも影に隠れ蠢いている。
「ええ、構いません。彼らももっと遊びたいでしょうし」
が、彼が言うのならばそれに従うまで。河瀬たちは廊下に出るが、神野は残した者たちへ小さく笑った。
「どうぞ、ごゆっくり」
扉がゆっくりと閉まる。瞬間、扉越しに羽ばたきの音と共に甲高い声が聞こえてきた。
「急ぎましょうか」
「え」
「すぐに来ますよ、そこまで鈍感な連中ではないので」
神野の意図、河瀬は一瞬分からず固まってしまうが、危険だということだけは瞬時に理解した。
「分かりました、先に車用意してきます」
廊下を走りホテルの外へ、車を動かし廃ホテルの前で神野を待つ。
そこへ余裕のある歩みでやってきた神野が乗り込んだ。静音性に優れた高級車は扉を閉めただけで別世界に入ったみたいだ。
「飛ばします」
木々が生い茂った道を走っていく。ライトが夜の闇を照らし河瀬は無事逃げれたことにホッとする。その後バックミラーで神野を見た。
「不完全な悪魔召喚儀式。放置した悪魔。これが狙いなんですか?」
「ええ。ヨーロッパの片田舎にまで来たのはただの遊びですよ。今回は一介の召喚師が儀式に失敗した、ということで処理されるでしょう」
「陽動かメッセージですか? だとしてもよくこれだけ早く見つけられるものです」
今回の事件はそれそのものが狙いではない。ただ悪魔召喚師がここにいた、という事実を残せればそれでいい。とはいえ生贄にしても吟味は必要であり知らない土地で見つけるのは難しい。
「私は絵を描くんですよ」
「はい?」
突然の話題変更に河瀬は不意を突かれた。
「たとえばさきほどの彼、服のボタンがいくつか分かりますか?」
「……いえ、すみません」
「いえいえ、気にしないでください。今見ている景色を絵にしてみるんです。すると今まで見逃してきた情報が多くあることに気づきます。絵にするためには細部まで見ないといけませんからね。そうして見てみると彼には指輪があること、襟はよれ、袖にはケチャップの汚れがあり、手首には火傷の跡があることが分かります」
気づかなかった。もしかしたら彼のでまかせの可能性もあるが、もし河瀬がちゃんと見ていれば見破れる嘘だ。そんな嘘を言う男ではない。
「そこから推測される情報として妻はいるが別居中、服には無頓着、食事は外食で昼食はバーガーでしょう。この辺りでバーダーショップはカップス通りしかありません。またそこには大規模な製鉄工場がありますが、彼の火傷の跡、これは成型したばかりの製品を掴む作業員によくある特徴です。手袋をしていても手首まではカバーしてませんから。ですがこの工場は近々閉鎖するようですね。まさに絵に描いたような窮状だ」
河瀬も事前に調査していたが全て当たっている。これだけで彼の観察眼と洞察力の高さが伺える。
白人男性の窮状、そこをこの悪魔は誘い出し生贄にしたというわけだ。
やはりこの男はすごい。悪魔召喚師の見習いとして数年同行している河瀬だが感心するのはいつも悪魔のことよりも彼のこと。
神野秀明。悪魔召喚師でなくとも彼は間違いなく優秀だ。
「まるでホームズですね」
「そこはモリアーティと呼ばれたいところですね」
神野はふふふと笑った。
「それで、なぜそんなことを?」
基本、この人はなにも教えない。悪魔召喚師というものがそういう面が強いのか秘密主義だ、そのため見て覚えていくしかない。
ただし、今夜は特別のようだ。
「世界中でね、ちょっとした悪戯をしようとメッセージが出回っているんですよ。かなり珍しいことです。私も経験がありませんね」
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